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てんもんぶっ!!  作者: あさくらまひろ


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36/43

㊱ 終わり良ければ総て良し!!ってな

 ……ゲホッ! ゲホッ、ゴホッ……!


 肺に溜まった海水を吐き出し、俺は猛烈な咳き込みとともに意識を取り戻した。

 視界に映ったのは、濡れた白砂と、自分の震える両手。そして俺を獲物と勘違いしたのかハサミでつつくカニ。

 波打ち際。打ち寄せる冷たいさざ波が、胸元を優しく洗っていた。


「……は、はは……助かった、のか……」


 仰向けに転がり、荒い息を吐き出す。

 あの後、引き波に抗えなくなって意識を手放してしまったはずだが……。どうやら、寄せてきた次の大波が幸運にも俺の体を砂浜へと押し戻してくれたらしい。

 冗談抜きで、紙一重だった。あのまま沖へ流されていれば、明日の朝には橘家の所有地で水死体として発見されて凜乃先輩に多大なるご迷惑をかけるところだった。こうして無事なのも、本当に、運が良かったとしか言いようがない。


 鉛のように重い体に鞭を打ち、ポケットの上から手探りで確かめる。

 ――固い感触。

 ファスナーを開けて中を覗くと、小さな金属のピアスが、砂にまみれながらも確かにそこに収まっていた。

 ……よかった。本当に、無事だった。


 水平線に目をやると、濃紺だった空の端が淡い紫色へ、そしてほんの少しだけ白み始めていた。

 今の時間は正確には分からないが、まだ陽が昇りきる前だ。おそらく朝の五時前といったところだろう。まだ誰も起きてこない時間帯だ。


「……バレないうちに、戻らないと」


 びしょ濡れのサーフパンツとTシャツからポタポタと海水を滴らせながら、俺は階段を這うようにして登り、コテージの裏口へと回り込んだ。


 このまま自分が「夜の海で拾ってきた」なんて正直に言えば、楪は葵への負い目に加えて俺への罪悪感で今まで通りにしてくれないかもしれない。それに何より、深夜に勝手に海へ入って溺れかけたなんて知られたら、葵を本気で泣かせることになるし、凜乃先輩からも大説教を食らうのは目に見えている。


 ここは、『灯台下暗し』を装うのがベストだ。


 静かにリビングへ忍び込み、洗面所からタオルを一枚失敬して体を拭く。

 そして、ポケットから取り出したピアスを丁寧に水洗いして砂を落とし、ティッシュで水気を拭き取った。


 隠す場所は――ここだな。


 リビングの中央、大きなガラステーブル。

 その脚元のすぐ脇、毛足の長いラグの端っこに、まるで「昨日の夜からずっとそこに落ちていました」と言わんばかりの自然さで、そっとピアスを置いた。ここなら毛で見えなかっただけ、なんて勘違いしてもおかしくない。

 朝起きてリビングを探せばすぐに目に入るし、誰が見つけても「なんだ、こんなところにあったのか」で片が付く。


 完璧だ。

 震える足で抜き足差し足、自分の部屋へと滑り込む。

 濡れた服を脱ぎ捨てて洗濯カゴの奥へ突っ込み、乾いたTシャツとスウェットに着替えて、吸い込まれるようにベッドへと倒れ込んだ。


 シーツに顔を埋めた瞬間、一晩分の疲労と安堵が一気に押し寄せてくる。

 全身の節々が軋むように痛んだが、瞼はもう持ち上がりそうになかった。


「……あとは、頼んだぞ……」


 ザザーンザザーンと波の音を聞きながら、誰にともなく小さく呟き、俺は気絶するように深い眠りへと落ちていった。



 *



 ふわりと漂ってきた香ばしく美味そうな匂いに、鼻腔をくすぐられて目が覚めた。

 重たい瞼をこすりながら枕元のスマートフォンに手を伸ばし、画面を点灯させる。液晶に表示された数字を見て、俺は思わず二度見した。


「……うわ、もう十一時半かよ」


 すでに昼前だった。

 昨夜の海での九死に一生を考えれば無理もないが、合宿先だというのに泥のように眠りこけてしまっていたらしい。全身の節々がギシギシと軋むように痛むのを誤魔化しつつ、のそのそとベッドから這い出た。誤魔化し、と言っても気合で何とかするだけなんだがな。


「ふわあ~」


 部屋のドアを開け、廊下へ出るなりわざとらしく大きく両腕を伸ばしてあくびをする。

 吹き抜けのリビングルームへ足を踏み入れると、柔らかな日差しが差し込むオープンキッチンで、エプロン姿の葵とめいが並んで何やら調理を進めているところだった。フライパンからじゅうじゅうと小気味よい音が立ち上っている。匂いから予想するに、焼き魚と味噌汁と野菜炒めか?


「陸くん、寝すぎだよ~」


 足音に気づいた葵が、フライ返しを手にしたままふわりと振り返って苦笑いを浮かべた。


「あっ! りくせんぱい! おはようございます!」


 ボウルを抱えためいも、満面の笑みでぶんぶんと手を振ってくる。

 ボウルには卵液っぽいのが入っている。つまり卵焼きか。


「おはよー。いやあ、枕が変わるとあんま寝付けなくてさー」

「それわかります! めいもです!」

「その割にはめいちゃん、朝起こしに行ったらよだれたらしてぐっすりだったけどね」

「うぅ……痛いところをつかれました」


 唇を尖らせてしょんぼりするめいと、それをからかうように優しく笑う葵。

 いつもと何一つ変わらないふたりの空気に、強張っていた胸の奥がすっと軽くなっていく。


 ――っと、それよりも。


 平静を装いながら、俺はさりげなくリビングの中央へと視線を走らせた。

 ガラステーブルの脚元、毛足の長いラグの端っこ。明け方、ずぶ濡れの体を引きずりながら、細心の注意を払って置いておいたあの場所だ。


 ……よし。

 小さな金属の飾りは、そこにはもう綺麗さっぱり無くなっていた。


 誰が見つけたのかまでは分からないが、とにかくミッションクリアってところか。あいつの手元に無事戻ったのなら、深夜の激闘も報われたというものだ。一人内心で小さくガッツポーズを作っていると、ふとリビングにもうふたりの姿が見当たらないことに気づいた。


「そういえば、凜乃先輩と楪は?」

「ふたりは温泉行ってるよ。朝から汗かいちゃったから、さっぱりさせたいんだってー」

「あー、いいな。俺も寝汗かいたから流したいかも」


 ベッドの中で散々冷や汗と寝汗をかいた身としては、切実にあの露天風呂に浸かりたい。

 伸びをしながら何気なくそう漏らすと、葵の手がぴたりと止まった。


 トントン、と包丁を置く音がやけに静かに響く。

 ゆっくりとこちらへ向けられた葵の瞳は、どこかジトッとした光を帯びていて、口元だけが意味深に微かな弧を描いていた。


「……それって、先輩と入りたいってこと?」

「ち、ちがいますよぉいやだなあもう葵さんは~!」


 思わず裏返った声で全力の否定が口をついて出た。

 慌ててブンブンと両手を振る俺を見て、隣でめいが「あー! りく先輩があやしいですー!」と無責任に茶化してくる。


 いやほんと。

 断じて違うからね?


「もう、冗談だよ」


 慌てふためく俺の様子に満足したのか、葵はくすくすと楽しそうに笑ってフライパンに向き直った。心臓に悪い冗談はやめていただきたい。


 そうこうしているうちにウッドデッキの引き戸がガラガラと開き、湯気とともに凜乃先輩と楪が戻ってきた。

 楪の右耳には、見覚えのある小さな金属の飾りがしっかりと揺れている。俺と目が合うと、ふいっとそっぽを向いて葵の背後に隠れてしまったが、昨夜の今にも泣き出しそうだった顔と比べればいつもの調子に戻っている。どうやら上手いこと『灯台下暗し』で回収できたらしい。俺の夜中の激闘は、完全犯罪として闇に葬られたわけだ。


 みんなで囲む遅めの昼食を平らげた後、部長の凜乃先輩がスマホの画面を眺めながら、ぽんと手を叩いた。


「ええとね、みんなにお知らせ。さっき気象情報を確認したんだけど、今夜はなんと! 一晩中、雲がひとつも出ない快晴の予報なんだって!」

「えっ、本当ですか先輩!」


 葵がパッと顔を輝かせる。昨夜の後半は湿った雲に邪魔されてしまっただけに、願ってもない朗報だった。


「うん。だからね、今夜はウッドデッキに定点観測用の三脚と広角レンズ付きのビデオカメラを設置して、日没から夜明けまでの一晩中、空をまるごとインターバル撮影とビデオ撮影で回しっぱなしにしようと思うの」

「一晩中のビデオ撮影……! それ、タイムラプス映像に編集したらすごく綺麗ですね! 都会じゃ絶対に見られない満天の星の動きがひと目でわかる、めちゃくちゃ良い資料になりますよ!」


 俺の言葉に、凜乃先輩はおっとりと嬉しそうに頷いた。


「ふふ、でしょ? 青葉祭の展示でもきっとみんな喜んでくれるはずだよぉ。……でね、機材のセッティングさえ夕方に済ませちゃえば、夜はカメラが勝手に働いてくれるわけだから――」

「ということは……!?」


 めいが身を乗り出し、目をキラキラと輝かせる。


「そう! 今日の午後は、天文部はけっこう自由な時間ができちゃいましたー!」

「やったあぁぁぁっ! 自由時間だーっ!」


 めいがリビングで歓喜のダンスを踊り始める。

 三脚とタイマー任せにできるなら、人間がずっと張り付いて手動で観測を続ける必要はない。もちろん夜の定期的なチェックは必要だが、日中から根を詰めて準備に追われるスケジュールからは解放されたというわけだ。


「昨日は陸くんと楪のふたりに買い出しに行ってもらっちゃったし、今日はみんなで街を散策しに行こっか」


 葵の提案に、みんなの意見は満場一致でまとまった。

 昨日は買い出しのために必要最低限の店を駆け足で回っただけだったが、今日はのんびりと赤音島の街並みを見て回れる。島ならではの甘味処を探すのもいいし、土産物屋を覗くのも楽しそうだ。


「よし、じゃあ準備して出発しよう。……おい楪、今日はみんな一緒だから、三メートルも離れて歩かなくていいよな?」

「……あたしはお姉ちゃんの隣を死守するだけ」


 ツンと顎をしゃくって葵の腕に抱きつく楪に苦笑しつつ、俺たちは身支度を整え、夏の光が降り注ぐ昼下がりの赤音島へと繰り出すことになった。

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