㉝ 決して、泳げないわけではない!!
「ごちそうさまでしたーっ!」
めいが元気いっぱいに手を合わせ、勢いよく立ち上がった。
皿を片付けるや否や、合宿のしおりに書かれていた次の予定――というか、めいが一番楽しみにしていたであろうイベントへと話は雪崩れ込む。
「りく先輩! 海! 海行きましょう海! お腹いっぱいになったら泳ぐって決まってます! さあはやく!」
「いや、食後すぐ泳ぐと腹壊すぞ……って、もう水着に着替える気配しかねえな」
嵐のようにめいが自分の部屋へダッシュしていく。
それぞれ「じゃあ着替えてリビング集合ね」ということになり、俺もあてがわれた部屋でそそくさとサーフパンツ一丁に着替えた。
……着替えたはいいが、問題はこの後だ。
ゴールデンウィークの買い物。女子陣がそれぞれ選んだ水着。
男一人、女子四人。いくら部活の合宿とはいえ、年頃の男子高校生が正気でいられる空間ではない。
息を整え、意を決してリビングのドアを開けた――その瞬間、俺の理性に最初の直撃弾が着弾した。
「じゃじゃーん! りく先輩、見てください! 今年のめいはビタミンカラーですよーっ!」
最初に視界へ飛び込んできたのは、鮮やかなイエローとオレンジが眩しいスポーティーなセパレート水着に身を包んだめいだった。これが、ビタミンカラーってやつなのか? まあビタミンっぽい色ではあるか。
そして短めのタンクトップ風のトップスからは、キュッと引き締まった健康的なくびれと、おへそが惜しげもなく晒されている。ショートパンツタイプのボトムから伸びる太ももは驚くほど白く、ぴょんぴょん飛び跳ねるたびに胸元がフルフルと弾んでいた。普段の制服姿からは想像もつかない『女の子の身体』という現実をこれでもかと突きつけられ、喉の奥がカッと熱くなる。
「お、おう……元気で似合ってんじゃないか……」
「えへへー!」
視線のやり場に困って目を逸らした先、二階の階段からゆっくりと降りてくる人影があった。
それを見た瞬間、俺の思考が完全に停止した。
「お待たせー。日焼け止め塗るのに手間取っちゃって」
――橘凜乃先輩。
黒を基調とした、シックで上品なワンピースタイプの水着。だが、その破壊力はめいの比ではなかった。
胸元は大胆なV字に切れ込み、豊満な谷間がくっきりと影を落としている。さらにウエストの両サイドが大胆にくり抜かれたデザインになっており、そこから覗くウエストのくびれと陶器のように滑らかな白い肌が、黒い生地とのコントラストで異様なまでの色香を放っていた。腰に巻かれたシアーな透け感のあるパレオが、歩くたびに太ももの輪郭を妖しくなぞる。
おっとりしたいつもの笑顔と、あまりにも完成された大人の肉体。
……拝みそうになった。先輩、それ本当に高校生が着ていいやつですか?
「相沢、何鼻の下伸ばしてんのよ。……殺すわよ」
低くドスの利いた声にハッと我に返ると、階段の踊り場に楪が立っていた。
いつも通り眉を吊り上げて睨みつけてきている――が、その格好のせいで威圧感が完全にゼロだった。
淡いミントグリーンの生地に、裾や肩紐へ控えめなフリルがあしらわれた水着。お腹がほんの数センチだけチラリと覗く程度の清楚なデザインだが、華奢な肩のラインと、普段は隠されている鎖骨がやけに艶っぽく主張している。耳には、さっきのノンホールピアスがキラリと光っていた。
両腕で胸元をぎゅっと隠すように抱え込み、顔を耳まで真っ赤にしてモジモジしている。
「な、なによ……! お姉ちゃんが選んでくれたから着てるだけよ! あんたなんかに見せるためじゃないんだからね!」
いつもの狂犬ぶりはどこへやら、照れ隠しで必死に虚勢を張る姿は完全に年相応の可愛い後輩だった。守りたい、このギャップ。
だが――俺の理性を完全に消し去ったのは、最後にリビングへと足を踏み入れた、本命の姿だった。
「……お待たせ、陸くん。……変、かな?」
おずおずと、羞恥に頬を染めながら現れた葵の姿に、心臓が跳ね上がった。
息を呑む。言葉が出てこない。
純白のフリルビキニ。
清楚さを極めたような真っ白な生地が、葵の透き通るような白い素肌に溶け込むように馴染んでいる。胸元をふわりと覆うフリルは華奢な印象を与えつつも、その下にある形の良い膨らみを隠しきれていない。キュッと引き締まったウエスト、女性らしい柔らかな丸みを帯びた骨盤のライン、そしてそこからすらりと伸びる長い素足。
肩も、背中も、お腹も、惜しげもなく外気に晒されている。
普段の制服姿でも抜群のスタイルをしていることは知っていたが、水着という極限まで布面積を削ぎ落とした布地越しに見る彼女の身体は、凶器そのものだった。
少し濡れたように潤んだ瞳で上目遣いに俺の反応を伺う葵の首筋から鎖骨にかけて、ほんのりと桜色に染まっている。
――可愛い。いや、エロい。違う、綺麗だ。
感情と本能が脳内で激突し、宇宙創造の爆発を起こして四散する。自分の彼女が、こんな姿をしている。しかも、この後一緒に海に行き、夜には露天風呂に浸かるのだ。
俺の心拍数はとっくにレッドゾーンを振り切っていた。
「……陸くん?」
「……いや、その……。すげえ、似合ってる。……あんま他の奴に見せたくないくらい」
本音がポロッと零れ落ちると、葵は「っ……」と息を呑み、カッと顔を真っ赤にして両手で顔を覆ってしまった。
指の隙間から覗く瞳が、嬉しそうに、そして熱を帯びて揺れている。
「……ば、バカ相沢ぁぁぁッ! お姉ちゃんに変なこと言わないでぇぇぇッ!!」
横から耳まで赤くした楪が猛然と突進してきたことで、俺は辛うじて沸騰しかけた脳を現実に引き戻されたのだった。
全員が着替え終わって。
別荘から続く木製階段を下り、辿り着いたプライベートビーチ。
両脇を切り立った崖に囲まれ、白い砂浜と透き通ったエメラルドグリーンの波が広がる完全な密室空間。
「きゃあぁぁっ! つめたーいっ!」
「あはは、めいちゃん待って、水かけないでぇ!」
「めいさん! お姉ちゃんに乱暴なことしないでくださいっ、あたしがお相手しますっ!」
砂浜に足を踏み入れるなり、女子陣は一気に海の中へと突撃していった。
水飛沫を派手に撒き散らしながらバシャバシャと水を掛け合い、黄色い歓声が夏の青空に響き渡る。
濡れて肌に張り付く水着の生地。水滴を弾いてきらめく白い太ももや肩。波に揺れるたびに、それぞれの水着から目が離せなくなる。
……え? 俺?
俺はというと、波打ち際のくるぶしが浸かるか浸からないかくらいの超浅瀬に突っ立ち、足先でちゃぷ……ちゃぷ……と無意味に海水を跳ねさせていただけだった。
「……ふう。いい波だな」
ひとり呟き、腕を組んで水平線を眺める。
誤解のないように言っておくが、別に泳げないわけじゃない。
決してカナヅチとかそういう恥ずかしい理由ではないのだ。泳げないことはない。小学校から高校まで人並みにプールの授業は受けてきたし、クロールだって息継ぎしながら二十五メートルくらいは泳ぎ切れる。泳げないことはないのだ。そう、これは大事なことだ。大事なことなので、二回言った。
ただ、あれだ。
ほら、濡れると後が面倒だし? 砂が水着の間に入り込むとジャリジャリして不快だし?
それに何より――これ以上近づいたら、水に濡れた女子陣の肌の艶めかしさに俺の理性が耐え切れそうにないからだ。俺はただ単に、水に濡れたくないだけなのである。
「おーい、陸くーん! 入らないのー?」
腰まで海に浸かった葵が、濡れて首筋に張り付いた黒髪をかき上げながら、眩しそうにこちらへ手を振ってくる。
水を含んで重みを増したフリルビキニと、水面から出た素肌の眩しさに心臓を鷲掴みにされつつ、俺は浅瀬から片手をひらひらと振り返した。
「俺はここでいい! 足だけで十分満喫してるから!」
「りく先輩、かっこつけてないで来てくださいよー! 泳げないんですかー!?」
めいが沖の方から、胸元をバシャバシャと揺らしながら容赦のない煽りを飛ばしてくる。
「泳げるわ! 濡れたくないだけだっつの!」
そう怒鳴り返しながらも、俺は絶対に膝より深いところへは進まないよう、慎重に浅瀬をちゃぷちゃぷと歩き回るのだった。




