⑮ 水族館デート!!
約束の日の朝。俺と水瀬さんは天文部の面々には内緒で、とある水族館の最寄り駅で待ち合わせをしていた。
人混みを行き交う家族連れやカップルを眺めながら待っていると、少し息を切らせた様子の水瀬さんが駆け足で近づいてくる。
今日の彼女は、清楚な白いワンピースに薄手のカーディガンを羽織り、髪をハーフアップにまとめている。なんだよそれ犯罪的に可愛すぎて心臓が飛び出そうだ。
初デートという気合いがひしひしと伝わってきてこっちまで変に緊張してしまう。
「おっ、待ったか?」
「ううん、今着いたところ! ……待たせちゃった?」
「いんや。俺も今来たばかりだから」
軽く息を整えた水瀬さんはほっとしたように胸を撫で下ろした。
それにしても、と俺は首を傾げる。
「にしても、ここまで来るの苦労したのか? なんかすっげえ疲れてないか?」
「あ……うん。実は、家を出るのが本当に大変で……」
水瀬さんは苦笑いを浮かべ、周囲をキョロキョロと警戒するように見回した。
「楪に『今日、友達と出かけてくるね』って言ったら、ものすごい疑いの目を向けられてさ。『お姉ちゃん、その服はなんなの? 怪しいわね!』って徹底的に尋問されちゃって。なんとかごまかして家を抜け出すだけで、寿命が縮んじゃった気がする……」
「はははっ。お疲れ様……」
ふにゃっと疲れたポーズをする水瀬さんの苦労がうかがえる。
それにしてもあいつのシスコンレーダー、伊達じゃないな。
「本当に。もしここに楪がいたら、今頃飛びかかられてるよ」
「ははは……笑えないなそれは」
苦笑いしながらも、どこか楽しそうな水瀬さん。
天文部に内緒にしているのは向こうも同じだ。「みんなで行こうって絶対言い出しそうだから」というのが彼女の理由だったけれど、二人きりになりたかったのは俺も同じだなんて、面と向かって言えるわけがない。
「それじゃ、行きますか」
「うん!」
学生二枚チケットを買って自動改札を抜け、俺たちは水族館の中へと足を踏み入れた。
館内に入ってすぐに水槽があるわけではなく、ぐるーっと建物を一周まわるように進んでいって最終的にエスカレーターに乗った。長い長いエスカレーターだ。どんどん上へと上がっていくと、外の強烈な日差しが嘘のように消え去り、最上階(?)に到着するとすぐそこに青白い水槽の光に満ちた幻想的な空間が広がっている。
休みの日ということもあって、館内は家族連れやデート中のカップルで予想以上に混み合っていた。あちこちから子供のはしゃぐ声や流れ続ける水音が聞こえてきて、うぉー水族館だーとようやくここで実感する。情緒もへったくれもないが、青い水槽だけならホームセンターのペット売場で見られるしな。
「うわぁ……すごい人だね」
「そうだな。はぐれないように気をつけないと」
薄暗い通路を進むにつれ、人の波はさらに激しくなる。目の前を大きな家族連れが横切り、俺と水瀬さんの間にぽっかりと隙間が空いた。
これだけ人が多いと、油断するとマジではぐれそうだ。
「水瀬さん、こっち――」
言葉の続きを飲み込み、俺は迷うことなく自分の右手を差し出した。
人混みの中に消えかけていた彼女の手首を軽く掴み、そのまま自分の手のひらを重ね合わせる。
「……っ?」
水瀬さんが小さく息を呑む気配がした。つられて俺もごくりと鳴らす。
慌てて振り返ると、彼女の顔は薄暗い青い光の中でもはっきりとわかるほど真っ赤に染まっている。
「人混みですぐ見えなくなるからさ。……手、繋いでてもいいか?」
「……うん。……いいよ」
か細い声の返事とともに、水瀬さんの指先がキュッと力を込めて俺の指に絡みついてきた。
驚くほど柔らかくて、少しだけ冷たい手。でも、繋ぎ直した途端に体温が伝わってきて、じわじわと熱を帯びていく。
横目でチラリと盗み見ると、水瀬さんは俯き加減になりながらも、口元を緩ませて嬉しそうに小さく笑っていた。恥ずかしがっていても、どこか誇らしさがあるその横顔に胸の奥がキュッと締め付けられる。
青い光に包まれた水底のような通路を、俺たちは指を絡ませたまま、ゆっくりと歩き出した。
順路に従って足を進めると、頭上を巨大な水槽が覆う「海底トンネル」へと出た。
頭のすぐ上を、悠々と泳ぐエイやサメの腹側が通り過ぎていく。青く沈んだ水底の世界に、あちこちから子供たちの歓声が響いていた。だいたいパニック映画ならここで水槽がパリーンってな。
……フラグになりかねないからやめておこう。
「うわぁ……すごい……」
水瀬さんは足を止め、ぽかんと見上げるようにして頭上の大水槽を見つめている。
水面の揺らぎが反射した青白い光が、彼女の横顔を綺麗に照らし出していた。
……うん、何度見ても顔がいい。っていうか、近くで見ると改めて整った顔立ちだなと実感する。
「綺麗だな」
「うん。すごく……って、水槽が?」
「ん、まあそれもだけどさ」
冗談っぽく笑うと、水瀬さんは少しだけ頬を朱に染め、照れくさそうに視線をそらした。
でも、繋いでいる手にぎゅっと力がこもる。離す気は一切ないらしい。その分かりやすい反応がいちいち可愛い。
「あ、ねえ相沢くん! あそこにいるの、チンアナゴじゃない?」
「お、ほんとだ。砂からニョキニョキ生えてるな」
水瀬さんに引っ張られるようにして、小さな水槽の群れが集まるエリアへと移動する。
ガラスの向こうで、ひょろりとした体が砂からにゅっと伸びてゆらゆらと揺れている。ほんと名前の通りチンチンみてえだな。
「可愛い……。なんだか、ずっと見ていられるね」
「そうか? なんかこう、見栄えがシュールと言うか……」
「もう、相沢くんはロマンがないんだから。こういう癒やし系も大事なの!」
ぷっと少しだけ頬を膨らませて抗議してくる水瀬さん。
いつも学校で見せる隙のない優等生の顔とは全然違う。俺の前だけで見せるこういう子供っぽい表情や、気張らずに肩の力が抜けた姿が、どうしようもなく愛おしいと感じてしまう。
もし俺が空気の読めない勘違い野郎だったら間違いなく可愛さのあまり抱きしめてるね。
その後も、ペンギンのエリアでヨチヨチ歩く姿に癒やされたり、クラゲのコーナーで青く光るドーム状の水槽をぼんやり眺めたりして過ごした。ペンギンが今にも水に飛び込みそうになって、思わず「はよ飛び込め!」と言って水瀬さんに「もう!」と怒られてしまった。
並んで歩く距離は自然と縮まり、肩が触れ合うか触れ合わないかの絶妙な距離感をキープし続ける。そのたびに、服越しに互いの体温が伝わってきて、心臓が変なリズムで跳ねる。
そして、水族館の奥へ進んだところで、ひときわ大きな盛り上がりが聞こえてきた。
『まもなくイルカショーが始まります』というアナウンスが響き渡る。
「あ、イルカショー、もうすぐ始まるみたい。せっかくだし、見に行こっか?」
「だな。前の方の席は水飛沫がヤバそうだから、後ろの方で立ち見するか」
俺たちは巨大なスタジアム状のプールの、少し後方の手すり際に陣取った。
目の前に広がる青いプールの水面を眺めていると、ぴゅっと軽やかな水音がして、一頭のイルカが鮮やかな弧を描いて飛び出した。あれだけ高く飛べたら気持ちいいだろうな。
「わあ……っ!」
「すごいな」
「イルカさんいっぱいだぁ!」
水瀬さんが感嘆の声を漏らし、思わず俺の袖を両手でギュッと掴む。
訓練されたイルカたちがトレーナーの合図に合わせて次々と大ジャンプを決め、そのたびに観客席から大きな拍手が湧き起こる。
飛び跳ねるたびに横から「わーっ!」とか「すごーい!」とか。ちっちゃい子みたいな反応が聞こえてきてすっごく萌える。――はっ! これが以前言っていたギャップ萌えってやつか!
とはいえやはり目玉イベント。イルカたちも歓声が上がるたびにテンション? ボルテージ? が上がるのか大張り切りしているように見える。
青空の下、弾けるような水飛沫と歓声。夏のイベントとしては王道中の王道だ。
ショーが進み、いよいよ最後のクライマックス。
数頭のイルカが息を合わせた大ジャンプを披露し、プール全体に盛大な水飛沫が上がった。
「すごい迫力だったね!」
「ほんとすごかったなー」
「前のお客さん大変だね。着替えって持ってきてるのかな?」
「さあどうなんだろ。てかやっぱ前のほう行ってたら俺らもびしょ濡れだったな」
「そうだねっ」
笑い合いながらスタジアムの観客席を離れ、お土産ショップの並ぶエリアへと歩き出す。
たくさん歩いたせいか、水瀬さんは少しだけ足を緩め、ほっと息をついた。
「ねえ、相沢くん。ちょっと疲れたかも……あそこのベンチ、空いてるよ」
指さした先には、木陰にある小さなベンチがあった。
――よし、ちょうどいい。
「じゃあ、ちょっと休憩するか。冷たいものでも奢るよ、何がいい?」
「ほんと? じゃあ、レモネードがいいな」
俺たちはベンチに腰を下ろし、少しだけ歩き疲れた足を休めることにした。
「レモネードひとつ!」
「あいよ!」
キッチンカーで注文したレモネードは、目の前でしぼってくれるタイプのレモネードだった。見るからにすっぱそうだ。
女の子ってすっぱいの好きっていうし、水瀬さんもそうなのかな? 一応覚えとくか。
買ってきた冷たいレモネードのカップを手に、俺は木陰のベンチに戻った。
「はい、お待たせ」
「ありがとう、相沢くん」
水瀬さんは受け取ると、ストローに口をつけてこくっと一口飲んだ。
ふう、と息を吐き出す彼女のうなじには、うっすらと汗が滲んでいる。涼しい館内とはいえ、これだけ歩けばそれなりに熱もこもるらしい。
俺も自分の持ってきたスポーツドリンクのペットボトルを開け、喉を鳴らして流し込んだ。くぅ~生き返る! なんだかんだ俺も汗かいたしな。――くんくん。大丈夫かな。俺、臭ってないか?
「いやあ、結構歩いたな。足、疲れてないか?」
「ううん、全然平気。すごく楽しかったから……」
水瀬さんはレモネードのカップを両手で包み込みながら、嬉しそうに目を細めた。
その横顔を見ていると、胸の奥がくすぐったいような奇妙な熱を帯びてくる。胸やけってわけでは、ないんだろうな。
水瀬さんが睫毛を下げて手元のカップに視線を落とし、それからこちらをちらりと。
「ねえ、相沢くん」
「うん?」
「これ……飲む?」
差し出されたのは、彼女がさっきまで口をつけていたレモネードのカップだった。
ストローの先端がまっすぐこちらを向いている。
「……え?」
「だって、一口飲んでみたかったんでしょ? ……だめ、かな?」
上目遣いでじっと見つめてくる瞳がやけに潤んで見える。
いわゆる、世間で言うところの「間接キス」というやつだ。意識するなという方が無理な話で、一瞬で頭の中に警報が鳴り響いた。
だが、ここで変に戸惑うのも男らしくない。
「……じゃあ、いただくわ」
ごくりと喉を鳴らし、俺は彼女が差し出したストローにそっと口をつけてレモネードを吸い上げた。
甘酸っぱいレモンの風味が口いっぱいに広がる。もちろん味はただのレモネードなんだけど、なんだかやけに甘く感じられた。
「……どう? 美味しい?」
「あ、ああ。さわやかで美味いよ」
返す俺の顔が少し赤くなっていたかもしれない。水瀬さんは満足したようにふふっと笑い、カップを自分の手元に戻してストローをくわえ直した。
なんだよこれ! 破壊力が強すぎるだろ!
照れ隠しにスポーツドリンクをもう一口あおっていると、水瀬さんがクスッと楽しそうな声を漏らした。
十分に足の疲れを癒やしたあと、俺たちは水族館の出口手前にある大きなお土産ショップへと足を踏み入れた。
店内には、定番の海の生き物たちのぬいぐるみや、キーホルダー、お菓子などが所狭しと並んでいる。
「うわあ、このメンダコの人形、すごく柔らかいよ!」
「ほんとだ、なんかモチモチしてんな」
水瀬さんが手に取った真っ赤なメンダコのぬいぐるみを、俺も指先でツンツンと突いてみる。
たしかに、思わずずっと触っていたくなるような絶妙な弾力だ。
「せっかく来たし、何か記念に買っていこっか。ほら、これとかお揃いにできそうだよ」
水瀬さんが指差した先には、小さなイルカの形をしたペアのストラップがぶら下がっていた。
青と白のペアデザインで、さりげなくカバンにつけておくにはちょうどいいサイズ感だ。
「ペアストラップか……」
「だめ……かな?」
「いや、いいけども」
少しだけ恥ずかしさはあるけれど、これを拒む理由なんてどこにもない。
俺がレジへと持っていこうと手を伸ばすと、水瀬さんは嬉しそうに目を輝かせて「じゃあ、これ私が買うね」と自分の財布を取り出した。
「待ってくれ。それは俺が払う。いや――払わせてくれ」
「ふぇ……っ!?」
「あ――っ」
水瀬さんを止めるために手を伸ばしてぐっと引き寄せる。それがなんと肩を抱き寄せる形になってしまった。断じてわざとではない!
「…………いいよっ」
いいよ!? 俺はレジに持って行っていいよってことだよな!? そっちの意味だよな!?
こうしてこの日以降、俺たちのカバンにはお揃いのイルカのストラップがぶら下がる事になったのだった。




