⑬ 夏祭り!!
夏祭り当日。
提灯の明かりが灯り始めた神社の境内は、浴衣姿のカップルや家族連れでごった返していた。
そんな熱気の中、俺の隣を歩く蓮がプラスチックのカップに入ったかき氷を突きつきながら、しみじみとぼやいた。
「あー。どうして横にいるのがこいつなんだろうなあ」
「合宿は仕方ねえだろ。帰ってきたらどっか別の祭り誘っていけばいいじゃねえか」
「それもそうだな!」
ブルーハワイのシロップで真っ青になった舌を出し、ニカッと爽やかに笑うイケメンオタク野郎。顔がいいだけに、その小学生みたいな口元とのギャップがひどい。
「しっかし、すごい人だな。お前、はぐれて迷子になるなよ」
「お前こそ、かき氷ばっか見て歩いてると人にぶつかるぞ」
屋台の並ぶ参道は、進めど進めど人の波に押し返されるような大混雑だった。
人を避けながらなんとか前へ進もうとしていた、その時だった。
ふいに、人混みの隙間から白くて細い手がにゅっと伸びてきて、俺の袖口をきゅっと掴んだ。
「……おっと」
そのままグイッと引かれるままに人の波から引っ張り出され、気づけば神社の社務所脇にある少し薄暗い路地へと連れ込まれていた。
いきなり何事かと目を瞬かせ、俺は自分の袖を掴んでいる人物へと視線を向ける。
「――水瀬さん?」
その手の主は、間違いなく水瀬さんだった。
ただ、普段の制服や私服姿とはまるで雰囲気が違う。大人っぽい黒地の可愛らしい浴衣に身を包み、いつもは背中で揺れている長い髪も、今日は涼しげにうなじの上でひとつにまとめられていた。
「……えっと、急に引っ張ったりしてごめんね」
水瀬さんが俺の袖からそっと手を離し、浴衣の袖口をきゅっと握りしめる。
「いや、びっくりしたけど……どうしたんだ、こんなところで」
「その……人混みの中に相沢くんを見つけて。せっかく着たから、どうしても相沢くんに、私の浴衣姿を見てほしくて……変、かな?」
提灯の淡い光に照らされて、水瀬さんが恥ずかしそうに上目遣いで微笑む。
普段の清楚な彼女からは想像もつかないほど美しく、それでいてどこか扇情的なその姿に、俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。
夏の夜の熱気に当てられていたせいなのか、それとも目の前の彼女があまりに綺麗すぎたせいなのか。
「……いや。今日見た人の中で、一番かわいいよ」
少し照れながら視線を逸らしてそう返すと、俺は自分で自分の言葉にハッとした。普段の俺なら、絶対に口にしないようなストレートなセリフだ。
だからこそ、不意打ちを食らった水瀬さんはぱちくりと目を瞬かせ、次の瞬間、提灯の明かりがなくてもわかるくらいに顔を真っ赤に染めた。
「っ……あ、ありがと……相沢くんにそう言ってもらえて、よかった……」
俯いて帯のあたりを指先でいじる水瀬さんの様子に、急速に周囲の空気が甘く熱を帯びていく。
俺はその気恥ずかしさに耐えきれなくなり、逃げるように話題を切り替えた。
「……そういえば水瀬さんは、ひとりなのか? 楪ちゃんは?」
「あ、うん。凜乃先輩とめいちゃんと楪と、四人で来てたんだけど……人が多すぎて、さっきはぐれちゃったの。楪とめいちゃんがりんご飴の屋台の前でケンカし始めた隙に、ちょっとだけ……」
なるほど、そういうことか。というかあの妹、夏祭りに来てまでめいとケンカしてんのか。
俺が納得して頷いた、ちょうどその時だった。
遠くの参道の方から、賑やかな祭囃子の音に乗って、聞き覚えのある声がいくつも響いてきた。
『おーい、水瀬せんぱーい! どこですかー!』
『葵ちゃーん! 迷子になっちゃったのー?』
『お姉ちゃーーん! どこ行ったのよー! ……あいつ、まさか相沢のところに行ったりしてないでしょうね!?』
めいと凜乃先輩、そして怒気を含んだ楪の声だ。しかも、足音とともに少しずつこちらに近づいてきている。見つかったら確実に血を見る。
「あ……戻るね」
「お、おう」
なんだか悪いことをしているわけでもないのに、妙な焦りを感じて頷く。
甘い空気を残したまま、このまま解散――そう思った、まさにその寸前だった。
「あ――っ」
「ん?」
なんだ?
驚きの声をあげる水瀬さんの視線の先を追う。俺の後ろ側。しかし何もなく正面を向く――。
水瀬さんがふわりと一歩踏み出し、俺の不意を突いて背伸びをした。
すぐ目の前に、彼女の長いまつ毛と潤んだ瞳が迫る。
チュッ。
ほんの一瞬。俺の唇に、驚くほど柔らかくて、少しだけ熱い何かが当たった感触があった。
「……っ!?」
思考が完全にフリーズして固まる俺の前で、水瀬さんは耳まで真っ赤にしながらパッと距離を取ると、「じゃあ、またね!」とだけ言い残し、浴衣の裾を揺らして人混みの中へと駆け去っていった。
薄暗い社務所の脇に、俺一人だけが取り残される。
――今の、キス……だよな?
呆然とする俺にこたえてくれる人なんていやしなかった。
指先で自分の唇にそっと触れてみる。まだ微かに残る、あの信じられないくらい柔らかくて熱い感触。
心臓が肋骨を突き破りそうなほど激しく鐘を打ち鳴らしている。
あいつ、自分が何をしたのか分かってるのか……?
「おーい、陸ぅ! どこ行ってたんだよ、探したぞ!」
能天気な声とともに、路地の入り口から蓮がひょっこりと顔を出した。手にはすでに空っぽになったブルーハワイのカップ。
「……あ? あ、ああ……ちょっと人混みに流されてな」
「なんだよお前、顔真っ赤だぞ? 熱中症か?」
「ちげえよ! 人混みが暑かっただけだ!」
「怪しいなぁ……。まあいいや、向こうの射的行こうぜ、射的!」
蓮に背中をバシバシ叩かれ、俺は熱を帯びた顔を冷ますように深呼吸しながら参道へと引きずり出された。
だが、息を整える暇など、この夜の神様は与えてくれなかったらしい。
「あっ! いたぁぁぁっ! りく先輩っ!」
人の波をかき分けて突進してきたのは、鮮やかな朝顔柄のピンクの浴衣に身を包んだめいだった。
いつもはおろしている髪をサイドでふんわりとまとめ、花の髪飾りを揺らしている。あざとい。破壊的なまでに自分の可愛さを理解している着こなしだ。
「ちょっと相沢! アンタなんでこんなところにいるのよ!」
その後ろからプリプリと怒りながら小走りでついてきたのは、金魚の模様が入った爽やかな水色の浴衣姿の楪だ。小柄な身体に短めの裾がよく似合っていて、完全に祭りの主役気取りの美少女中学生である。両手には巨大なわたあめ。
「陸くぅん、見ぃつけたぁ」
最後に、人混みをものともしないおっとりとした歩調で現れた凜乃先輩。
深い藍色に白百合が描かれた、落ち着いた大人の色香が漂う浴衣姿だ。帯の上にたっぷりと乗っかった豊かな胸元が、歩くたびに微かに揺れて目のやり場に困る。
「……お前ら、勢揃いかよ」
「当たり前でしょ! アンタに抜け駆けなんて許すわけないじゃない!」
「そうですよ! めいの浴衣、一番に見てほしかったのに! ……どうですか、りく先輩? 可愛いですか?」
めいが裾を少し持ち上げてくるりと一回転してみせる。
さっき水瀬さんに「今日見た中で一番」と言ってしまった手前、強烈な罪悪感が胸をチクリと刺したが、目の前の光景を否定できる男などこの世にいない。
「……ああ、よく似合ってるよ。先輩も、楪ちゃんも」
「ほ、褒められたって嬉しくないんだからね! お姉ちゃんを騙す悪い虫め!」
「ふふ、陸くんに褒めてもらえちゃったぁ。着付け頑張った甲斐があったねぇ」
三者三様の反応が返ってくる中、俺の視線は――三人の少し後ろで、申し訳なさそうに佇んでいた人物へと吸い寄せられた。
水瀬さんだ。
目が合った瞬間、彼女はビクッと肩を跳ねさせ、浴衣の袖で口元を隠してサッと視線を斜め下へと逸らした。
耳たぶまで真っ赤に染まっている。
ほんの数分前に俺の唇を奪った張本人が、いざ全員の前では誰よりもいたたまれなさそうに縮こまっているのだ。そのギャップが、また可愛らしくて俺の心拍数を狂わせる。
「……おい、陸」
隣で一部始終を眺めていた蓮が、スッと俺の肩に手を置き、耳元で呪いのような小声で囁いた。
「お前、さっきから女子全員の視線がヤバいんだけど。……特に水瀬さん、なんでお前の顔見た瞬間あんなに真っ赤になってんだ? お前、俺がいない間に何やった?」
「な、何もやってねえよ!」
「嘘つけ! このハーレム爆発しろ野郎が!」
蓮にヘッドロックを仕掛けられそうになったその時、楪がズカズカと俺たちの間に割り込んできた。
「ちょっと! 見つかったからには、相沢! アンタ、私たち全員に屋台の何か奢りなさいよね! あんだけ思わせぶりなメッセージ送っといて、男二人で呑気に回ってた罪は重いんだから!」
「なんでそうなるんだよ……」
「賛成です! りく先輩、めいにりんご飴買ってくださいっ!」
「私、あそこのたこ焼きがいいなぁ〜」
わいわいと騒ぎ立てる三人に引きずられるようにして、結局俺と蓮は四人の女子たちと合流する羽目になった。しめて総額二四〇〇円。
歩き出す人混みの中、ふいに隣に並んだ水瀬さんが、誰にも見えないように俺の小指をツンと軽く突いてきた。
驚いて見下ろすと、彼女は前を向いたまま、悪戯が成功した子どものようにフッと小さく微笑んでいた。
そして俺にだけ聞こえるように口元を寄せてきて――。
「――りくくんっ」
熱い吐息とともに落とされた聞き慣れない下の名前。
――もう、完全に俺のこと好きじゃん。




