⑫ 夏祭り(の前)!!
ある日の休み時間。移動教室へ向かう廊下を歩いていると、向こうから蓮が「おーい、陸」と手を振りながら駆け寄ってきた。
「どうしたんだ、こんなところで」
「いやさ、そろそろ来月の夏祭りの時期だろ? お前はどうすんのかと思って」
「どうするって……まだ何も決めてないけど」
「俺は彼女と行くんだけどさ、もしお前が水瀬さんと行くなら、途中で合流してダブルデートなんてどうかなって」
蓮がごく当たり前のことのように爽やかな笑顔で提案してくる。
……待て。なんか根本的な前提がズレている気がするぞ。
「あのな、なんで俺が水瀬さんと二人で行く前提なんだよ。そもそも俺たち、ただ席が隣で部活が一緒なだけで、付き合ってるわけじゃないぞ」
「……は? 嘘だろ。あんなに毎日一緒にいるのにか!?」
蓮が素っ頓狂な声を上げて目を丸くする。廊下を行き交う生徒たちがチラッとこちらを見た気がして、俺は小さく息を吐いた。
「声がでかいって。……昼飯を一緒に食ったり、部室で駄弁ったりしてるだけで、ほんとにそういう関係じゃないんだよ」
「いやいや、じゃあ一年のあの子とか、三年の先輩は? お前、休日にあの三人とモールに行ったり、家に呼んで勉強会したりしてたよな!? 最近じゃ中等部の妹さんまで乗り込んできてるって話じゃねえか!」
「……だから、それも全部『部活の仲間』としてだって。俺は誰とも付き合ってないし、ただの友達で、先輩後輩の関係だよ」
俺が淡々と事実を告げると、蓮はしばらく絶句したまま俺の顔をまじまじと見つめた。
やがて、何かを悟ったようにゆっくりと自分の額に手を当てて、深いため息をつく。
「……そっか。お前、マジでそういうつもりであの中にいたのか……」
「なんだよ、その目は」
「いや……なんでもない。まあ、がんばれや『ハーレム野郎』」
「ハーレム野郎だぁ!?」
爆弾発言をする蓮の胸倉をつかむ勢いで急接近する。
すると蓮は「口が滑っただけですよー」とひよこみたく口をとがらせて言う。
「口が滑ったって本音じゃねえか!」
逃げられないように首をアームロックする。
「「「きゃーっ!!」」」
「え?」「ん?」
周囲から聞こえてくる女子たちの、アイドルを見たときみたいな歓声に俺も蓮も互いに顔を見合わせてポカーンとする。何かあったのか?
「……なんだ?」
「……さあ?」
そして迎えた昼休み。
購買で買ってきたパンの袋を開けようとしたところで、隣の席でお弁当を広げていた水瀬さんが、ふと思い出したように声をかけてきた。いつもなら中等部から監視にやってくる楪が、今日は委員会か何かで不在なのをいいことに、少し小声だ。
「ねえ、相沢くん。もうすぐ神社の夏祭りだけど……当日はどうするか、もう決めてる?」
「……ん? いや、さっき蓮にも同じこと聞かれたんだけどさ。俺は生憎、一緒に行く相手なんていないから何も決めてないよ」
「え……そうなの?」
水瀬さんがぱちくりと目を瞬かせたあと、口元をほころばせて「ふーん」とどこか嬉しそうに鼻を鳴らした。
サラサラの黒髪が揺れて、弁当箱の卵焼きを摘まむ手つきがなんだかいつもより軽やかに見える。
「そっか。まだ予定、空いてるんだね」
「まあ、な。水瀬さんは誰かと行くのか?」
「私? 私は……うん、まだ秘密かな」
いたずらっぽく笑う水瀬さんを見ていると、せっかくなら俺から誘ってみようか、という言葉が喉元まで出かかった。まだ日程も先だし、ここで変に意識して踏み込むのも柄じゃない。いったん保留にしておこう。
ところが放課後。天文部の部室に顔を出すなり、まったく同じ質問が飛んできた。
「りく先輩っ! 来月の夏祭り、予定はどうなってますかっ!?」
「あ、それ私も聞きたかったぁ。陸くん、もう誰かと約束しちゃった?」
めいがテーブルから身を乗り出し、凜乃先輩もプリンのスプーンを止めてじっとこちらを見つめてくる。
その隣では、昼休みに同じ質問をしたばかりの水瀬さんがすっと背筋を伸ばし、さらにその後ろでは、腕を組んだ楪が「ガルル……」と喉を鳴らしながら俺を睨みつけていた。
「ちょっとアンタたち、お姉ちゃんを差し置いて勝手に盛り上がらないでよ! ……って、違うわ! 相沢、アンタまさかお姉ちゃんを夏祭りに誘おうなんて企んでないでしょうね!?」
「企んでねえよ……」
……なんだ、今日は全国的に俺の夏祭りの予定を調査する日なのか。
女子たちの視線が妙に熱っぽくて(一人だけ殺気だが)、さっき廊下で蓮に肩を叩かれた時の声が脳裏をよぎる。てかどう見てもハーレム野郎ではねえだろ。凜乃先輩は後輩みんな大好き。めいはまあひな鳥の刷り込みみたいなもんだ。水瀬さんもクラスメイトだから仲良くしてくれてるだけだし、妹のほうは論外。
「……いや、まだ何も決まってないですよ。当日どうするかは、まあ、おいおい考えます」
「ほんとですか!? じゃあじゃあ、めいにもチャンスありますよねっ!」
「ふふ、じゃあ今年は天文部のみんなで夜店回るのも楽しそうだねぇ」
「……うん、そうだね」
「フン、どうだか!」
俺が当たり障りなく言葉を濁すと、めいと凜乃先輩はぱっと顔を輝かせ、水瀬さんはほんの少しだけ複雑そうに微笑み、楪はプイッと横を向いた。
誰も傷つけない無難な返事をしたはずなのに、なんだろう、自分の足元に少しずつ導火線が敷かれているような気がしてならない。
その日の夜。風呂から上がってベッドに寝転がっていると、枕元のスマホが立て続けに震えた。
画面を見ると、メッセージの通知が並んでいる。
一件目は、水瀬さんからだった。
『今日、昼休みに話してた夏祭りのことなんだけど……もし相沢くんの予定が空いてるなら、私と一緒に行かない?』
ベッドも心臓も跳ねた。昼休みに「まだ秘密かな」なんて笑っていたのは、こういうことだったのか。
だが、指を動かす前に二件目の通知――めいからのメッセージが目に入った。
『りく先輩っ! 夏祭り、めいと二人で行きましょう! 新しい浴衣買ってもらったので、一番にりく先輩に見せたいですっ!』
そして三件目は、凜乃先輩。
『今日部室ではみんなで行こうって言ったけど、もし陸くんがよかったら、お姉さんと二人っきりでもいいんだよぉ? なんてね、お返事待ってるねぇ』
極めつけに、四件目の通知。妹の楪からだった。
『忠告しておくけど、お姉ちゃんに連絡して変な誘いかけたら承知しないからね! 絶対に二人きりになんてさせないんだから!』
……俺はスマホを持ったまま、天井を仰いだ。
なんだこの状況は。誰か一人の誘いに乗れば、他の二人には断りを入れることになるし、妹からは確実に刺される。かといって「やっぱり部活のみんなで行こう」と提案するのも、せっかく勇気を出して個人的に連絡をくれた水瀬さんたちの気持ちを無下にするようで気が引ける。
昼間の蓮の『まあ、がんばれや』という同情の目が、今になって猛烈な説得力を持って蘇ってきた。
どう返事をしたものかと頭を抱えていた、まさにその時。
ブブッ、とスマホがもう一度震えた。画面に表示された名前は――『城島蓮』。
『おい陸、聞いてくれよ。俺の彼女、バスケ部の夏合宿の日程がズレて、夏祭りの日とかぶっちまったらしい。俺の夏祭り、消滅したわ』
俺はガバッと上半身を起こした。
――これだ! これしかない。
俺は迷うことなく蓮に『じゃあ俺と行くか。屋台でなんか奢れよ』と返信を打ち込み、そのまま三人の女子たち(と牽制してきた妹)へ順番にメッセージを返した。
『すみません、ちょうどいま蓮から連絡が来て、彼女と予定が合わなくなったから付き合えって泣きつかれまして。今年は男二人で回ることにします。もし当日会えたらみんなで一緒に回るのもいいかもですね』
送信完了。
ふぅ、と深い安堵のため息をつく。誰も特別扱いせず、誰も傷つけない。今の俺たちの心地よい関係を壊さずに済む、これ以上ない完璧な解決策だ。
……なぜか三人からしばらく既読がつかないまま返信が来なくなり、楪からだけ『アンタ本当にバカじゃないの!?』と即レスが飛んできた気もするが、まあ、もう夜も遅いし寝ただけだろう。俺はすっきりした気分でスマホを伏せ、電気を消した。
翌日、三人から完全に無視され、楪からはゴミを見るような目で見下ろされるという、最高に窮屈な一日を過ごす羽目になった。




