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第14話 欲しい

部室の時計を見上げて、奏多は小さく息を吐いた。


「……そろそろ帰らないと」


「あ、もうそんな時間?」


 栞も時計を見る。


 森下は使っていた器具を片付けながら、のんびりと笑った。


「今日は結構やったなー」


「ですね」


 奏多も借りていたグリップを持って、器具庫へ向かう。


 決められた場所へ戻して、それからARグラスもケースへ――入れかけたところで、栞の声が飛んできた。


「結城くん、充電」


「あ」


 奏多の手が止まる。


「そうだった」


 慌てて充電器へ接続する。


 栞が少し笑った。


「次使う人が困るからね」


「気をつけます」


 自分のものではない。


 部活のみんなで使うものだ。


 最後にもう一度確認してから、奏多は器具庫を離れた。


「じゃあ、お疲れさまでした」


「おつかれー」


「また明日ね」


「うん。また明日」


 部室の扉を閉める。


 廊下を歩きながら、奏多はなんとなく自分の右手を見た。


 もう、そこにグリップはない。


 けれど、握っていた感覚だけはまだ残っているような気がした。


 今日のことを思い出す。


 森下との練習試合。


 武器を変えながら戦ったこと。


 突然、動きが変わったオーバークロック。


 スキルとスペシャル。


 知らないことが、まだいくらでもある。


「……」


 奏多は何も持っていない右手を、軽く握った。


     *


 家へ向かう途中。


 公園の前まで来たところで、楽しそうな声が聞こえてきた。


「おっしゃ!」


「そっち行った!」


「あぶなっ!」


 奏多が足を止める。


 公園の中に、何人かの学生がいた。


 手にはグリップ。


 腰にはスマホ。


 一人が勢いよくグリップを振る。


 向かいにいた一人が、横へ飛ぶように避けた。


「あっぶな!」


「ブレイク狙えるよー!!」


「逃げろ逃げろ!」


 楽しそうに言い合っている。


 奏多は少し離れたところから、その様子を眺めた。


「いいなぁ……」


 一人がグリップを前へ向ける。


 何かを撃ったらしい。


 相手が慌てて横へ逃げた。


 だが、奏多には何も見えない。


 武器も。


 弾も。


 フィールドも。


 ARグラスを持っていないのだから当然だった。


「なんの武器使ってるんだろう……」


 目を凝らしたところで分かるはずもない。


 それでも、奏多はしばらく見ていた。


 やがて一人が休憩に入る。


 手にしていたグリップを下ろす。


 別の一人も、自分のスマホへ手を伸ばして何かを操作している。


 みんな、それぞれ自分のものを持っている。


 奏多は無意識に、自分の腰へ目を落とした。


 何もない。


 部活へ行けば借りられる。


 グリップも。


 スマホも。


 ARグラスも。


 練習するために必要なものは、基本的に揃っている。


 だから、急いで買う必要なんてない。


 つい数時間前にも、そんな話を聞いたばかりだった。


『スマホは安いものじゃないからな』


『本格的にやると決めてから揃えればいい』


「……」


 奏多はもう一度、公園を見る。


 自分たちのスマホを持ってきて、好きな時に遊んでいる。


 何を使っているのかすら、今の自分には見えない。


 羨ましかった。


「……自分の、欲しいな」


 ぽつりと呟いた。


     *


「ただいまー」


「おかえり」


 家へ戻ると、父親の声が返ってきた。


 奏多は荷物を置く。


 そのまま部屋へ行きかけて――止まった。


「父さん」


「ん?」


 父親が振り返る。


 奏多は少しだけ考えてから口を開いた。


「家の手伝いさ」


「うん」


「もうちょっと増やせる?」


 父親が奏多を見る。


「急にどうした?」


「ちょっと……欲しいものがあって」


「何が欲しいんだ?」


 奏多は答えた。


「スマホ」


「スマホ?」


「うん」


 父親は少し不思議そうな顔をする。


 奏多は続けた。


「今日、スマホ部に入ったんだ」


「今日?」


「うん」


 思ったより大きな反応が返ってきて、奏多は少し笑った。


「今日、入った」


「そうだったのか」


「それで、部活には貸してもらえるのがあるんだけど」


「うん」


「スマホもグリップも、グラスも。基本的なのは借りられるから、別に買わなくてもできるんだけどさ」


 奏多は一度言葉を切った。


「……自分のが欲しくなって」


 父親は奏多を見る。


「入ったの、今日なんだよな?」


「今日」


「もう欲しいのか?」


「……うん」


 奏多自身、少し気が早いことは分かっていた。


 ほんの数時間前には、急いで揃える必要はないと教わったばかりなのだ。


 それでも。


 帰り道で見た、公園の光景が頭に残っている。


 自分たちのスマホを持って集まって。


 好きな時に遊んで。


 自分たちには見えている武器で、楽しそうに戦っていた。


「欲しい」


 今度は、さっきよりはっきりと言った。


 父親は少し黙った。


 入部したその日に、自分の道具が欲しいと言い出す。


 さすがに気が早い。


 けれど――。


 ふと、少し前のことを思い出した。


 仕事の途中。


 街頭モニターに映っていた試合を見て、奏多が足を止めていた。


 呼ぶまで、ずっと画面を見上げていた。


 そして今日、とうとう部活にまで入ったらしい。


 その日のうちに、自分のものが欲しいと言っている。


 どうやら、簡単には収まりそうにない。


「……そうか」


 父親は小さく笑った。


「いいぞ」


「ほんと?」


「ああ。手伝いなら増やせる」


 奏多の顔が明るくなる。


「ただし」


 父親が言う。


「仕事なんだから、増やすならちゃんとやれよ」


「もちろん!」


 返事だけは早かった。


     *


 翌日の放課後。


 栞が鞄を持って奏多のところへやって来た。


「結城くん、部室行こ」


「あ、ごめん」


「ん?」


「今日、行けないんだ」


「用事?」


「うん。しばらく家の手伝い増やすことにしたんだ」


「そうなんだ」


 栞は少し意外そうな顔をした。


 昨日入部したばかりなのに、今日はもう来ないらしい。


「何かあるの?」


「まあ、ちょっとね」


「?」


 奏多はそれ以上は言わず、鞄を持ち上げた。


「じゃあ、また」


「うん。またね」


     *


 父親の軽トラックの荷台へ、奏多は仕事道具を積み込んでいた。


「それ、こっち」


「はい」


 道具を載せる。


 固定する。


 最後に忘れ物がないか確認する。


「奏多ー、行くぞー」


「うん!」


 助手席へ乗り込む。


 エンジンがかかった。


 軽トラックが、ゆっくりと走り出す。


 あの日。


 街頭モニターに映る試合へ見入っていた奏多は、父親に呼ばれて仕事へ戻った。


 まだ、自分がその競技を始めるなんて知らなかった頃の話だ。


 今は違う。


 今日も同じように、父親と仕事へ向かう。


 けれど今度は――


 自分のスマホを手に入れるために。


 奏多は、自分からその道を選んでいた。

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