第4話 嘘が火種となる
結衣と大和の声が、まだ耳の奥に残っている。
ぴたりと重なった呼吸と、楽しそうに笑い合う横顔。
その光景が、ふとした拍子に何度も蘇る。
「……考えない、考えない」
小さく呟き、莉帆は文化祭実行委員の資料を抱え直した。
考えたくない。大和くんと結衣さんのことなんて。
仕事に集中すれば、きっと薄れていく。
文化祭準備室は、いつも以上に慌ただしい。
教室割りの再調整、ステージ発表の時間管理、備品申請の確認。
次々に飛び交う声のなかで、莉帆はテンポよく返答していく。
「第二視聴覚室、軽音と被ってます」
「じゃあ第三に回そう。黒板使用の団体は?」
声を出し、手を動かしているあいだは、不安が後ろへ下がる。
忙しさが、余計な思考を押し流してくれる。
――はずなのに。
ポケットの中でスマホが震えた。
“今日、練習が長引きそう”
大和からのメッセージは、それだけだった。
以前ならもう少し何か続いたのに。
そう思ってしまう自分がいる。
“了解。がんばってね”
短く返して、画面を伏せる。
忙しいだけだ。
それでも、胸の奥のざわつきは完全には消えない。
***
莉帆は、不安を打ち消すように、文化祭の準備に没頭していた。
「倉田さん、それ僕がまとめるよ」
顔を上げると、副委員長の麻丘佳太が隣に立っていた。
自然な手つきで資料を受け取り、必要な箇所を素早く確認していく。
「でも、まだチェックが……」
「大丈夫。倉田さん、抱えすぎ」
淡々とした口調なのに、どこか柔らかい。
判断は早く、迷いがない。
「実行委員はチームだから」
その一言に、張りつめていた肩が少しだけ軽くなる。
最近は、佳太の考えが読めることも増えた。
「あの、天文部への連絡なんだけど」
「やってます。アンケートのコピーも終わってます」
「さすが、仕事早いね」
「副委員長のご指導のたまものです」
おどけた返事を返す。
言葉がぶつからず、自然に役割が分かれていく。
いつの間にか、莉帆に笑顔が戻っていた。
***
帰り道、美愛が小声で話しかけてくる。
「莉帆……麻丘のことだけど……」
「副委員長がどうかしたの?」
「最近さ、麻丘と距離近くない?」
軽い調子の問いかけに、思わず強く返す。
「変なこと言わないでよ。私には大和くんが――」
言いかけて、止まる。
ここでは言えない。
美愛の表情が少しだけ引き締まる。
「二人がいい感じだって、噂、たってるよ」
「そんな、やめてよ」
「文化祭ってさ、変な噂立ちやすいんだよ。
みんな、テンション上がってるから、悪気なく盛り上がる」
そんなはずない、と即座に否定できない自分がいる。
「『火を起こすに必ず具あり』
――あんたの『秘密』は、最高の燃料」
「そこに麻丘との噂っていう風が吹けば……」
「どうなるの?」
美愛は指を一本立てた。
「修羅場だね」
「やめて!」
思わず声が大きくなる。
周りの人が、一斉にこちらを振り向く。
思わず、口を押さえた。
「『亡国は以って復た存すべからず、
死者は以って復た生くべからず』
――国は亡ぶと戻らない、人は死ぬと生き返らない」
とにかく、一度壊れると、もう戻らないからね」
美愛は指をピストルに見立て、莉帆を撃つ真似をした。
***
「階ごとの椅子の数なんだけど、誰か一緒に……」
佳太の指示に一年の日高瑛子が一歩前に出る。
「それ、私、やります」
しかし佳太は一瞬考え、こちらを見る。
「倉田さん、教えてあげて」
「りょーかい」
いつもの調子で、返事を返す。
瑛子を見ると、ちょっと唇を噛んで、鋭い視線を送ってくる
「えっと、ここの数字を足していくんだけど……」
「大丈夫、一人でできます」
突っぱねるように瑛子が言った。
「……それじゃ……お願い」
胸の奥がかすかにざらついた。
(なんか、私、気に障ることしたかな)
さっきの視線が頭から離れない。
***
学食の隅の休憩コーナーで一息つく。
「倉田先輩?」
振り向くと、瑛子がまっすぐこちらを見ている。
「瑛子ちゃん」
「先輩って、モテそうですね」
「モテる!? 私が? そんなこと、初めて言われた」
「なんか、包容力の塊っていうか……
そういうの男子って好きそうだし」
「ど、どうも、ありがと」
(褒められてるんだよな……これ)
「倉田先輩って……好きな人、いますか?」
思わず、飲んでいたスポーツドリンクを吹き出しそうになる。
「な、何よ、いきなり!?」
(もしかして、大和くんとのこと、バレてる!?)
焦りが先に立つ。
そして、口が先に動いてしまった。
「ち、違うよ! 私、好きな人なんていないよ!」
言い切った瞬間、胸が鋭く痛む。
「最近、麻丘先輩とすごく仲良さそうだから……」
(あ、そっちか……って、何か勘違いされてる?)
最近の佳太との距離感をどう説明すればいいのか。
すぐに良い答えが見つからない。
「ただの委員同士なだけ、そんなんじゃないから」
瑛子は、なおも莉帆をじっと睨んでいる。
「私、麻丘先輩が好きなんです」
その目はまっすぐで、迷いがない。
「え、そうなの!?」
驚きのあまり、言葉につまる。
「だから……」
「ん?」
「だから、好きじゃないんだったら、
思わせぶりなことはしないでください」
そう言うと、瑛子は走り去った。
莉帆は、その背中を呆然と見送る。
(思わせぶり――そんな風に見えていたのか)
佳太と自然に息が合う瞬間も、瑛子の真剣な瞳も、
自分がついた嘘も、すべてが絡まり合って胸を締めつける。
文化祭まで、あと少し。
――しかし、その間に……
美愛の警告が、頭をよぎる。
火はまだ小さい。
けれど、材料はすでに揃いつつあるのかもしれない。
莉帆は、目の前のペットボトルについた水滴がやけに気になった。




