第3話 燻る過去
放課後の職員室。
コピー機の前は、文化祭実行委員でごった返していた。
資料を抱えたまま、莉帆は廊下を小走りする。
「このタイムテーブル、印刷まだ?」
「いま回してる!」
飛び交う声に返事をしながら、パンフレットを束ねる。
文化祭の準備が佳境に入る。
最近は、大和との連絡も短くなっている。
スマホを見ると、短い通知が一件。
「がんばってね」
それだけのメッセージなのに、胸の奥が少しだけ寂しくなる。
「うん、がんばるよ」
誰に聞かせるでもなく呟いて、画面を閉じた。
文化祭はクラスのためだし、自分で引き受けた役目だ。
それでも、ふと立ち止まりたくなる瞬間がある。
――付き合っていることは、まだ秘密。
そう決めたのは自分だ。
だから寂しいとも、不安だとも言えない。
「莉帆、何かあった?」
資料を揃えていた美愛が心配そうに覗き込む。
大和くんとのことだと、すぐにわかった。
「ううん、何もないよ」
美愛は少しだけ眉を下げた。
「何かあったら言いなよ。話聞くから」
「大丈夫、うまくいってるから」
莉帆は、反射的に笑ってみせた。
***
それでも、気になってしまう。
あの日見た、大和と結衣の距離。
実行委員の連絡事項を口実に、莉帆は軽音部の部室へ向かった。
扉の前で、足が止まる。
中から聞こえる音が、あまりにも自然に溶け合っていたからだ。
ゆっくりと扉を開けた。
結衣の澄んだ歌声。
それを包み込むように重なる大和のギター。
二人の呼吸が、ぴたりと合っている。
「……すごい」
思わず小さく呟く。
音に集中した大和の横顔は真剣で、どこか楽しそうだった。
自分といるときとは違う、知らない表情。
演奏が終わると、部員の一人が笑った。
「今のやばくね?」
「やっぱお前ら、付き合ってるだけあるよな〜」
莉帆の鼓動が、跳ねる。
部員たちの口さがない話が続く。
「いや、付き合って“た”だろ? 過去形な」
「へえ、別れたんだ。じゃあ復活だ」
(付き合ってた……? 復活って、何……?)
莉帆の視界の端が、少しだけ揺れた。
大和は、曖昧な笑顔を浮かべ、視線を逸らす。
否定もしないし、肯定もしない。
その曖昧さが、いちばん胸に刺さる。
「違うよ!」
結衣が少し強い声で言った。
「今も昔も、私たちはただの音楽仲間。それだけ」
部室の空気が緊張する。
「冗談だよ、そんなにマジになるなよ」
うわさ話をしていた部員が慌てて取り消す。
莉帆は小さく息を吐いた。
けれど、大和が何も言わなかったことだけが、胸に残る。
そのとき、大和がこちらに気づいた。
「あ、倉田」
大和が軽く手を振る。
何か返さなきゃ、と思うのに言葉が出ない。
「これ、読んどいて」
結局、それだけ言ってその場を離れた。
***
放課後、ファストフード店の隅で、莉帆は全部打ち明けた。
「カップル復活とか、言われてた」
紙コップを握る手に力が入る。
美愛は少しだけ考えてから、静かに口を開いた。
「中学のときも、似たような噂あったよ」
「やっぱり……」
「結衣はまんざらでもなさそうだったみたい。
でも、炭谷は音楽ばっかりだったって」
胸の締めつけが、わずかに緩む。
それでも、どうしても引っかかる。
「でも、否定しなかった」
小さく呟くと、美愛が真っ直ぐこちらを見る。
「莉帆が秘密にしてるからだよ」
「え?」
「炭谷、堂々と彼女いるって言えないでしょ」
言われて、言葉を失う。
「あいつは、莉帆との秘密を守っているだけ……でもね」
美愛が少し笑う。
「秘密でもいいからって莉帆を選んだんだよ。
そこは信じてあげなよ」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「……うん」
頷く。
けれど、大和の曖昧な笑顔の意味が気になっていた。
***
自宅、ベッドの上。
スタンドの明かりの中、軽音室の光景が何度もよみがえる。
「秘密にしてるの、やっぱりよくなかったのかな」
でも、後悔するタイミングはもう逃してしまった気がする。
「もう……いまさら言えないよ……」
小さな声は夜風に流される。
スマホを取り出し、メッセージ画面を開く。
“藤陰さんと付き合ってたの?”
そこまで打って、指が止まる。
問い詰めたいわけじゃない。
慌てて消し、打ち直す。
“藤陰さんとのセッション、合ってたね”
違う。
これでもない。
全部消す。
指先がじっとりと汗ばむ。
打っては消し、また打っては消す。
結局、何も送れない。
文化祭まで、あと少し。それまでの我慢。
――終われば、ちゃんと話せるよね。
莉帆は、いつの間にか眠りについていた。




