少し話を、しようか
藤代くんからの告白は、私の予想を遥かに越えていた。
話している藤代くんの、眼鏡の奥の、目の縁は、段々と赤らんできている。
「…結果的に、櫻田を傷つけることになったのは反省してる。だけど、あの男に関しては、、、やっぱり許せないんだ。直接的じゃなくても、妹が死んだのはあいつのせいだ。」
喉がからからになって。
私は藤代くんに何て答えてあげればいいのか、わからない。
話を聞けば聞くほど、混乱するばかりだった。
藤代くんの妹さんのことから。
中堀さんのこと。
いつの間にか、人通りは少なくなっていたけれど、私達二人にはそんなことすら、気付ける余裕がなかった。
だから。
「あの人が言ってたように、あの男はそれをむしろラッキーだったと感じて、のうのうと生きてる。そんなの、、許せない。」
「…それは、違うよ。」
向き合う私達のことを、途中からずっと見ていた人が居た事だって、知る筈もなく。
小さいけれど、しっかりとした否定の言葉に驚き、辺りを見回した。
「…タカ…」
振り向いた先、立っていたのは、茶髪のタカだった。
「……久しぶりだね。ミサキちゃんのおにーちゃん。」
厚手のパーカーのポケットに、両手を突っ込んで。
真っ直ぐな目で、私達を見ていた。
「…なんで、ここに??」
益々混乱する私と、固まる藤代くん。
タカの呼吸は治まってきてはいたが、浅めで。
急いでここまで走ってきたかのようだった。
ルナからここまでの距離は、そんなに遠くないにしても。
例えば、私に会う為だったとしても。
タカが、繁華街から抜けて。
ビジネス街にある、カスカコーポレーションの前まで来たことは、今までにない。
「思い出したから。」
私の問いに、タカは藤代くんを見ながら答えた。
「こないだ、会った時からずっと、ひっかかってた。どっかで見たことがあるって。ミサキの兄貴だって分かっても、どうして、カノンちゃんに近づいてるのかがわからなかった。本当にただの偶然なのか、それとも―」
「…違う…」
タカの声に被せるようにして、藤代くんが首を振る。
それ以上言うなと言っているようにも見える。
「零という人間への復讐の為なのか。」
「違うっ!!」
突然、声を荒げた藤代くんに、私はびくりと肩を震わせた。
「最初から、櫻田があいつと接触があるなんて、知らなかった…」
絞りだすように言う、藤代くんの顔が辛そうに歪む。
「本当に??本当にカノンちゃんの事が好きだったって言うんだ?」
タカは至って冷静な声で、そんな藤代くんを見ている。
「じゃ、なんで―」
どこかに隠れていた、冬の名残なのか。
南風に代わって、小さな北風が入り込む。
「これから、燈真と会う約束をしてるの?」
「っ…」
藤代くんが息を呑んだ音がした。
「カノンちゃんと接触して、どうするつもりだったの?カノンちゃんを零から引き離すだけだったら、もう十分だよね?なのにどうして、まだ燈真と会う必要があるの?」
「それは…」
言いながら、タカは藤代くんに近づいていく。
「燈真はカノンちゃんを連れてくるようにあんたに指示したんじゃないの?そこに連れて行って、カノンちゃんを、どうするつもりだったの?」
言葉を失くした藤代くんを睨みつけるようにして、タカが対峙した。
背の高さは同じくらいで。
私はその二人を前にして、内容を理解できない自分の馬鹿な脳みそを呪った。
「燈真がカノンちゃんのことをどう思ってるかわかってて、やってるの?カノンちゃんのこと、本当に好きだったら、できない筈なんだけど。」
瞬間、タカが藤代くんの胸倉を掴んだ。
「答えろっつってんだよ!!!」
辛そうに歪んでいた藤代くんの顔は、さらに苦しげになる。
私はそんな藤代くんの顔を見ながら。
自分の心の中にも、冷たい風が過ぎったのを感じた。
「は、はは。ほら、やっぱり、そうでしょ??私のこと、ずっと好きだったって言ってくれた時、私信じなかったじゃない。藤代くんに嫌われてるって思ってたんだもん。」
藤代くんは。
価値の無い私のことを。
価値のある人間だって言ってくれた。
飯山の目の前で、かばってくれた。
辛い時、頼って良いよって言ってくれた。
戸惑いはあったけど、全部、素直に嬉しかった。
けどそれは全部妹さんのためで。
そんな藤代くんが、飯山達と同類だとは思えない。
「私のことなんか気にしなくて良いよ?本当のこと言ったって。いつも、利用されるばっかりなんだから、免疫ついてるって!」
それでも少しは傷付いて。
笑いたくなんて、ないんだけど。
こういう時には平気そうにふるまえと。
私の脳にはそうインプットされてるらしくって。
乾いた笑いが、零れて落ちていく。
「違う、櫻田…」
タカに掴まれたままの、藤代くんの目が、私を見つめながら揺れる。
「違うんだ…」
項垂れる藤代くんを前にして、タカが自分を抑えるかのように短く息を吐く。
そして、パッと藤代くんを解放すると。
「少し、話をしようか。」
そう言って、直ぐ傍にある植え込みを囲う石に座るように顎で示した。
解放された藤代くんは小さく咳き込むと、端に寄ったけれど、立ったまま俯く。
一方、タカはどっかりと腰を下ろすと、私を見てにかっと笑った。
「カノンちゃんも、座りなよ。」
一瞬迷ったけれど、その顔を見て、緊張が少しほぐれて。
言われるままに、タカから少し間を空けて、腰を下ろした。
「…さっき、言ってたことだけど。零がミサキちゃんの死を喜んでるっていうのは、有り得ないことなんだ。」
タカの言葉に、俯いていた藤代くんが顔を上げた。
街灯の光は、私達より少し先を照らしていて、その零れたものが僅かにそれぞれの顔を闇に浮かべる。
「だって、零はその時既にこの街に居なかったから。」
「…それは、どういう…」
「零は、ミサキちゃんが死んだことすら、知らないんだよ。」
首を傾げた藤代くんに、タカが真剣な面持ちで答えた。
「燈真はその事実を俺にだって教えなかった。けど、俺は顔が広いからね。それなりに人脈がある。そして、俺も、それを零には伝えなかった。あれから、零はこっちに帰って来なかったし連絡も取ってなかったからね。それに―」
そこまで言うと、タカは一瞬押し黙った。
「それに?」
私が先を促す。
「それに…、それを知ったら、零はまた傷付く。」
タカの言葉に藤代くんが顔色を変えた。
「っ、なんだよ、それ!?あいつは傷付いてなんかいないじゃないかっ!!!」
「あんたは、零が、ミサキちゃんを利用したと思っているみたいだけど、、、実際は違うからね。零は、燈真の指示通りに動いただけで、最初はミサキちゃんになんか目もくれてなかったんだ。相手になんか全然してなかった。」
ただ、余りに強く零のことを想っているから、とタカが繋げる。
「燈真に目をつけられたんだ。」
「え…」
再び、藤代くんの瞳が揺れ始める。
「…最初、零はミサキちゃんに家に帰るよう、勧めてたよ。…けど、結局ミサキちゃんはルナに通い続けた。不毛な恋だと自覚しながら。零のする約束が、嘘だとわかっていながら。」
「そんなの、嘘だ…」
藤代くんは首を振るけれど、タカの目は、その時を思い返しているかのように細められる。
「零のことで周りが見えなくなっているように見えるミサキちゃんはね、お酒を飲んで酔うと、時々本音をこぼすんだ。『お兄ちゃんが心配してくれてる』ってね。『帰らなくちゃいけないことはわかってる。でも、もう少しだけ』って。」
「嘘だ…」
「嘘なんかじゃない。好きで好きでどうしようもなくても、叶わない恋なんて腐る程ある。それが分からないほど、ミサキちゃんも子供じゃなかった。」
ただ、あと少しだけ。
もう少しだけ、このままで。
それは、恋をする人全てが、思うことで。
人を好きになるだけの気持ちが。
どうしてここまで色んな人を巻き込んで、動かしてしまうのか。
どうしてこんなに切なく胸を揺さぶり、焦がすのか。
「ミサキちゃんは、、、いずれ、帰るつもりだったんだと俺は思ってる。零が居なくなることも、きっと予想してた。」
「嘘だ!美咲は最後の電話で言ったんだ!俺に…、あいつに会いたいって…あいつが好きになってくれるって言ったのに、、消えたって…」
取り乱したように、首を振る藤代くんをタカが仰ぎ見た。
「それを言った相手が兄貴だったっつーのが、証拠じゃねーの?」
「!!それはっ…たまたま、、俺が電話をかけてたから…」
言いながら、藤代くんは、押し黙る。
「…藤代くん???」
私は心配になって、立ち上がった。
けれど、藤代くんは固まったように動かない。
「…ずっと…不思議だったんだ…」
やがて、藤代くんはぽつり、呟くように口を開いた。
「……美咲の遺品の携帯電話から、知らない電話番号はひとつも見つからなかった。…直前の着信履歴も、俺からだけで。。あの夜の発信記録は、ひとつも、、なかった。」
「え…」
今度は私が首を傾げた。
恋に溺れる人間ならば。
何度も何度も何度も、捜し人の携帯を鳴らすだろうに。
もし繋がらなくても、その番号を消去することは、辛すぎるから。
現に私の携帯には今でも、中堀さんの二種類の繋がらない番号が登録されたままになっている。
そんな私と違って、『彼女』は、気持ちに区切りをつけるために、全て消して、無かったことにして。
沢山泣いたら、家に帰るために。
「俺は、、あんたが来るのがもう少し早かったら良かったって思ってたけど。ミサキちゃんにはあんたの声が、ちゃんと届いてたんだね。」
タカがそう言ったのと同時に、藤代くんの真っ赤だった目から、とうとう涙が零れた。
「っつ…」
それを隠すように、咄嗟に藤代くんが自分の手で口を覆った。
人間にとって。
自分が死ぬよりも、辛いことは。
自分の大事な人を、失うことで。
誰かを責めたくて。
誰も責められなくて。
結局、自分を責める。
あの時、何かできていたら。
もう少し、傍に居れば。
結末は変わっていたんじゃないかと。
期待するから。
そして、その罪悪感から。
逃れようと必死にもがいて。
また、誰かを傷つけてしまう。
「そんなわけで、悪いけど、燈真の所にカノンちゃんは渡さないから。行こう、カノンちゃん。」
タカがそんな藤代くんから、あえて目を外し、私に促した。
私も小さく応じて、藤代くんに背を向ける。
「櫻田っ!!」
少し歩いた所で、後ろから声がかかり、立ち止まる。
「櫻田を、、好きだったことは…嘘じゃ、ないから」
振り向く事無く、聞いた藤代くんの声は、微かだけれど、震えていた。
「信じてもらえないかも知れないけど…今でも、想ってる。」
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会社から離れるまで、私とタカは無言で足を動かしていた。
「…あの、、助けに来てくれて、ありがとうございました…」
その沈黙を振り払うかのように、私はお礼を述べた。
数歩先を歩くタカは、ちらりと振り返って、ふっと笑う。
「本当はアオに言うか迷ったんだけど。やっぱりミサキちゃんのことは、伏せておいた方が良い気がしてね。結局自分が原因でカノンちゃんを傷つけたと思うだろうし。まぁ、実際、そうなんだけど。」
「でも、燈真さんと藤代くんが繋がってるって、よくわかりましたね。今日会うってことも…」
そこまで言うと、タカはぴたりと立ち止まった。
「言ったでしょ?俺、顔が広いから。けど、間に合って良かったよ。あいつがどう思ってたか知らないけど、カノンちゃんを燈真に会わせでもしたら、今頃どうなってたかわからない。」
タカの話に、今更ながら私の身体が震える。
「で、カノンちゃんはどうするの?」
「どうするって…?」
「アオがどうして、カノンちゃんから離れたか、わかった今、どうするのって聞いてんの。」
答えをはぐらかすことを、許さないような物言いだった。
そうか。
結局、どんなに頭を動かしても、藤代くんとタカの話は少ししか理解できなかったのだけど。
どうも、嵌められていた、から?
またしても、燈真という男の罠に引っかかって、中堀さんが苦しんでいるということで。
あの時、私に別れを告げた中堀さんの言葉は、やっぱり本音じゃなかったと判断して良いみたい。
つまり。
「中堀さんに、、もう一度、会って話したい、、です。」
そうして良いという、GOサインがでた模様?
「ん。まぁまぁな答え、かな。上出来。」
つっかえつっかえ言った私に、タカが満足げに笑った。
「アイツ今どこにいっかなー」
悪いけど、かなりの棒読みでタカが腕をうーんと伸ばす。
「お気に入りの、歩道橋…辺り、かな?」
タカが悪戯っぽい笑みをして私を見るので、私は目をぱちぱちと瞬かせ。
「ありがとうございます!」
思わず零れた笑みを隠す事無く、走り出した。
「さぁて…と。」
小さく手を振ってその場に立ち尽くしていたタカは、おもむろにポケットから携帯を取り出し、最近新しく登録したばかりの番号を画面に表示させた。
「あ、もしもし??俺だけど。うん、そう。まだルナ?今からちょっと出てこれる??歩道橋の辺り。なんで?えっと…そう、プレゼントを渡したくって。え?気持ち悪い?いや、今度のは間違いないから!………とにかく!うだうだ言ってないで、全速力で来い!」
走れ、走れ、走れ。
ただでさえ逸る気持ちは、加速するばかり。
速く、もっと速く。
私はほどけようとするストールを手に握り締め、パンプスの踵を騒がしく鳴らして、オフィス街を疾走する。
いつか、中堀さんと出逢った場所。
毎日私が歩く場所。
会えなくなっても。
声すら聞けなくなっても。
貴方のことを、思い出さない日はなかった。
会って、何て話そう?
どうやって目を合わそう?
私が何て言ったら、中堀さんの傷は癒えるんだろう?
中堀さんの傷を癒す、魔法の言葉を、私は知らない。
けど、精一杯。
とにかく、一秒でも速く。早く。
貴方に会いたい。
それからのことは、その時考えればいい。
春だというのに、肺に吸い込まれていく空気はひやりと冷たかった。
途中、何度かめげそうになったけれど。
―頑張れ、花音。あとちょっと!
良い年して必死な顔して、全速力で突っ走る女を、怪訝な顔して見る道行く人たちも、気にならない。
私は。
やっぱり。
貴方が、好きで好きで、仕方ない。
その事実だけは、まだ、残ってる。
しっかりと。
歩道橋に着くと、私は最後の力を振り絞って、階段を上る。
カンカンカンカン!
よく考えてみると、私はこの歩道橋を使ったことがなくて。
初めて上るんだと気付く。
走り過ぎのせいで激しい動悸と、緊張のせいで苦しい胸。
二つ合わせると、最高にしんどい。
酸素不足なのは承知だけど、どうしても言いたい。
「も、う…二度とやらないっ…かも、、」
階段を駆け上がる、なんて。
よろよろと辿り着いた、歩道橋の上。
「あれ??」
そこには誰も居なくて。
「あれれー???タカの嘘吐きー!」
きょろきょろと左右を確認しながら、地団駄を踏む。
「ちょっと、ちょっとー…」
極度の緊張状態から脱力して、ちょうど歩道橋の真ん中で、手摺に寄りかかった。眼下では車が、ビュンビュンと走って行く。
「なんなのよー、、、もー…」
大きくがっかりの溜め息を吐きながら、今自分が走って来たのとは反対側の通りに目が行った所で。
私の動きは停止した。
―あ。
向こうから走ってくる、人影が。
その、髪が。
きらり、と。
光ったから。
「中堀さんっ!!!!」
思わず名前を呼んだ瞬間。
これ以上動けないと思っていた足が、嘘みたいに自然に跳ねて。
気がつけば、駆け出していた。
さっき上ってきたのとは反対の階段に、足を掛け―
「っとに、しぶとい女だね。」
突然、耳の後ろから聞こえた声に。
「え―?」
聞き覚えがある、と思った刹那。
トン。
押された、背中。
グラリ、傾く、視界。
バランスを、崩した、身体。
そして。
「花音!!!!」
死ぬほど聞きたかった、大好きな、声。
そのあと、は。
全部、真っ白になって。
なんにも、見えない。
ねぇ、どうして。
そんなに大きな声で。
そんなに苦しそうな声で。
私の名前を呼ぶの?
あと少しで。
私、貴方に会えるのに。
やっと、会えるのに。




