表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
詐欺師の恋  作者: lahai_roi
17/23

赤い髪

赤い髪が好きだった。






目立つことが好きだった。






毎日楽しければそれで良かった。





自分が駄目な人間てことくらい、馬鹿な俺でもわかってた。





燈真は俺より年上だったし、しっかりしてたけど、やばい人間だってことは知ってる。





だから、まぁ、ほら、それなりに距離を置いて。





酒だけ飲ませてもらえれば、何でも良かった。





言われたことさえやっておけば、好きなだけ、カウンターで女をはべらせても怒られないし、こんなにいいことはない。






そうやって、いつも通りの時間が流れて、このまま人生終わったって少しも悔しくともなんともなかったよ。





今でもそうだよ。




けど、さ。





俺と違ってお前はそれじゃ駄目だと思うんだ。




アオと逢ってから、俺も少しは変わったんだよ。







あれは、いつだったっけ。





アオが最初にルナに来たのは、いつだったっけ。













―14年前。









「最近さ、やたら目に付く金髪が居るんだよね。」






そんなことを燈真が言い出したのは、8月半ば頃。




残暑厳しい外の世界と打って変わって、ルナは涼しかった。




いつも通り開店前に行けば、当然人の入りは無いに等しいし、勿論熱気もない。




ひと仕事終えて、報告を兼ねてカウンターに座れば、ボンベイサファイアの瓶が目の前にドンと置かれる。







「マジ?俺より目立つ?つか、ロックがいいんだけど。」





「は?最終的にはいつも瓶からそのまま飲んでんだろ。経費削減。」





「えぇ!?暑い中仕事してきたんだからよぉ、氷が欲しいぜぇ。」






信じらんねぇ、と叫ぶと、燈真が呆れた顔をしながら、不服そうに氷の入ったグラスをカウンターに叩き付けた。






「これで満足か。で、話聞いてる?」





「サンキューサンキュー!聞いてる聞いてる!」





思わず零れる笑みを隠す事無くグラスに飛びつく俺を見て、燈真は軽く頭を抱え、溜め息を吐いた。




「何、するわけでもないんだけどさ、カウンターの隅に座って、ぼけっと酒飲んで帰るんだ。それがかなり整った顔立ちでさ。」





冷えたジンが喉を通っていくのを感じ、俺はうっとりとしながら、燈真の話を聞くフリをする。





「話しかけてもうんともすんとも言わないんだよな。男探しの女共が何度も声かけしてんの見たけど、そうすると直ぐに立ち上がって不愉快そうな顔して出て行く。あんまり目立つから、野郎共から難癖もつけられてるだろうけど、怪我してる所は見たことないな。」





腕組みしながら、話す燈真の顔は少し楽しそうだ。






「ふーーーん、俺、しらねーよ?そんな奴。」






俺は気のない返事を返す。




っていうか、興味無い。



俺より目立つ時点でちょっと腹立つし。






「まだ、3、4回くらいしか来てないし、来るのは月曜の夜だから、崇は知らないに決まってるよ。お前月曜は来ないもんな?」






燈真は腕組みを解いて、カウンターに手を付いた。





そうして、前かがみになって、呟く。







「つーわけで、今度の月曜、来いよ?」






カラリとグラスの中の氷が音を立てて回った。




―めんどくさ。





思いつつも、燈真がそうしろって言うんだから、何か理由があるに違いない。



その意図を知るには、本人に会えってことか。




どっちにしろ、断る権利はないということを、俺は知っている。





「わかったよ。」





俺ははっきりとやりたくないって気持ちを前面に出して、頷いた。



それでも、燈真は満足気に笑う。





「で、こないだ頼んでおいたのは、どうなった?」






少し潜めた声は、仕事の報告を促している。




俺はおもむろに小さく折りたたんだ紙をポケットから出して、燈真に渡した。







「…さすが崇だね、これだけわかれば上等だよ。助かった。」





それを広げて見た燈真は人の良さそうな顔をして、にこりと笑った。



人呼んで…いや、俺だけは、これを悪魔の笑みと呼んでいる。





それをチラリと見てから、無言で空になったグラスに、3杯目を注いだ。







―こういう世界で生きていくには、色々と要り用なことがある。






俺はその橋渡し的な存在。





つまりは。





情報屋だった。










約束の月曜日。




億劫だったが、燈真との約束は絶対なので、16時頃仕方なくルナに行った。




開店時刻には大分早い為、表はまだ開いていない。







「きゃっ」






慣れた動作で裏口から入ると、誰かにぶつかったらしく、悲鳴が上がった。






「ちょっと!いつも裏口から入る時は気をつけてって言ってるでしょ!」





尻餅をついてしまった黒髪のおかっぱ少女は、不愉快そうに俺を見上げて頬を膨らませた。





「んだよ、邪魔だなぁ、チビ。つーか、こんなとこに来んな、小学生が。お兄様に怒られるぞ。」





軽くあしらって、二階に行こうとすれば、葉月は口元を歪ませる。





「崇だって高校生に毛が生えた程度じゃん!」




「俺は高校行ってねーもん。それに、二十歳になったし。知ってるか?二十歳っていったらかなり大人だぜ?ま、葉月は永遠のコドモだから、一生なれない年だな。かわいそうに。」





そう言ってからかえば、葉月は勢い良く立ち上がって、腰に手をあてた。




「なれるもん!」




両頬が、膨らんでいる。







「っていうか、なんで月曜なのに崇が来るのよー?」




「うっせぇ、俺は俺が来たい時に来るんだよ。」






葉月は燈真の年の離れた妹で、まだ小学生だ。4年生位だったろうか。



平均よりも小さいだろう背格好からすると、背の順は一番前に違いない。



負けん気の強い女の子で、切れ長の目は兄とよく似ていた。





燈真と二人暮らしで、たまにこうして、ふらりと兄の職場に足を運んでくる。




勿論、営業時間は以ての外。



葉月も幼いながらにそれは理解しているらしく、その時間になると、きちんと家に帰るのだ。








「……うるさいよ。」





そんな葉月とぎゃーぎゃー言い争っている所へ、燈真が気だるそうな顔をして二階から降りてくる。上で休んでいたのだろう。







「葉月も家帰ってて。」







兄から静かに窘められた少女は口を尖らせた。







「え!なんで!まだ…」





「うるさくした罰。」





直ぐに言い返され、二の句を告げない葉月は、再び俺を睨む。






「……崇のせいだ。」




「はぁ?」







葉月の恨みがましい目つきに俺は大げさに反応する。






「お前がガキの癖に、大人な俺様に向かって難癖つけるからだろ、アホ!」





しっしっと出口の方へ手を振れば、少女は悔しそうに唇を噛んだ。





「…ほら、邪魔になるから。葉月。」





何か言い返そうと再び口を開こうとした葉月に対し、燈真が有無を言わせぬ口調で、ドアへと追いやる。






「ざまーみろ。」






俺はあっかんべーと舌を出して、その様子を見送る。






「崇・・・お前もいい加減にしろよ。小学生相手に…」






燈真は痛いものでも見るかのように俺を見て、いつも通りの呆れた溜め息を吐くが、俺は葉月に勝利したような気持ちで早々にカウンターに向かう。




だが。




出て行く直前、葉月はくるりと一瞬だけ振り返ったらしく。





「…にわとり頭!トサカたててばっかみたい!」






俺の背中に罵声を浴びせ―





「こんのクソガキ…」





俺が向き直った時には、既に走り去っていた。





小さな嵐が去った後のルナには。



怒りの矛先を失った俺と、クツクツと笑う燈真の声だけが残る。






「…ほんと、燈真さ…妹に何教えてんだよ。年上を敬えって言え!そして、赤い髪はお洒落だと教えろ!」






「…いや、にわとり…さすが、俺の妹。」






燈真は口元を手の甲で隠しながら、肩を震わせた。






「そこ、感心してる場合じゃねーだろ。」






本当に似た者兄妹だよなぁ、とぼやきながら、俺は時計を確認する。





時間はまだ17時にすらなっていない。





夜は、長い。






俺は、カウンターのいつもの定位置に着席し、まだ誰も居ない店内を見回した。






―空っぽだ。





と思う。




昼間のルナには、何もない。



それはまるで穏やかな眠りについているかのようで。






だが、その内、スタッフが続々と集まり、辺りが闇に包まれると。








ルナは静かに目を覚ます。







========================




殻になった青い瓶が、既に2本、目の前にある。





本日も客入りは上々。



会場も熱気で溢れ、空気は淀んできた。





そんな中、俺だけ、シケた面して、つまみを口に放り込んでいる。




そして、もう何度目になるかわからない質問を、燈真に投げかける。







「…ほんとに、来んのかよ?」






かなりの時間ここに居るというのに、いつもと変わったような客なんて、来やしない。





「まぁ、待てって。」





燈真はシェイカーを振りながら、意味深に笑う。






―もっと、後に来れば良かったかな。





俺は内心失敗したと思っていた。




いつだってここに長いこと入り浸っているけれど、どことなく気を張っている今日は、落ち着かなくて疲れる。







「あら!タカじゃない!珍しー、月曜の夜に居るなんて。私のこと、覚えてる?」






呷ったグラスをカウンターに置いた所で、耳に纏わり付くような甘ったるい声ときつい香水が、流れ込んできた。





見上げれば、いつだったか知り合って遊んだ女が俺を見下ろしていた。





「あー…っと…トキコちゃん!」





「やだ、覚えてくれてたの?嬉しい!ここ、良い?」





くるくるに巻いた髪を鬱陶しそうに後ろに払うと、トキコは隣に腰掛ける。




「何、飲む?」





「カンパリオレンジ。」





ただでさえクラブだし、その上肌の露出が多い季節。




心の中で万歳を唱えながら、俺は値踏みを始める。






「燈真、こちらのかぁーわいい俺の連れに、カンパリオレンジをちょうだい。」





「…了解。」





一瞬燈真の顔に俺への不満が表れたが、トキコには目が合った途端、営業スマイルで返していた。





恐らく、『今日何しに来たのかわかってんのか』的なことを思っているに違いないが、待ち人がちっとも来ないんだから致し方ない。






「実はぁー、ちょっとタカのこと、避けてたのぉ。だから月曜日に来てたんだけどぉー」





「なぁーんで避けるの?いいじゃん、俺に会いたかったでしょ?」





言いながらも、俺はこの女は面倒そうだ、と思い始めていた。




ちょっと相手して、その後ほったらかしにしたからといって、避けるような女だ。




フレンチな関係は無理だろう。




やっぱり二度目はないな。





「んー?まぁねぇ、ふふ。でもね、今は違うの。」





ん?




トキコの言い回しに、若干の回りくどさを感じるのは、俺だけか?





俺ははた、と顔を上げた。






「超本命!な人ができちゃってぇ。まだ名前も知らないんだけどぉ…それが月曜しか来ないのよ。」






そう言って、トキコは薄らと頬を染める。





俺は、初めてトキコと顔を合わせた時のことを脳裏に思い描き、思案する。




遊んでそうな女だった。



恋なんて三度の飯位に思っているような。



だから俺も声を掛けたんだし。



後腐れなくて、面倒臭くなさそうだと踏んでいた。



まして、頬を染めて好きな奴のことを語る、とか、小学生じゃあるまいし。





「へぇ、ヨカッタね。どんな人なの?」





自分へ矛先が向いていないことに安堵しつつも、面白くない。





「タカとはちょっとタイプ違うんだけど。とにかくすーっごい格好良いの!!」





このクラブに、俺より良い男がいる?



んなわけねぇーじゃん。




トキコの熱の籠もった高いテンションを、俺は冷めた気持ちで分析していた。




が。






「それでね!金髪!」




続けて明かされたトキコの意中の相手の容姿に、俺の心臓がぎくりと鳴った。





そこへタイミング良く燈真が、グラスをカウンターに差し出す。




「はい、カンパリオレンジ。」




「あ、ありがとうございますっ!」




反射的に燈真を見上げれば、にやりと笑んでいた。




否応なく、今晩の俺の目的を思い出させられた感じだ。




「タカも見たらわかるよー!」




俺達の様子なんてお構いなしの恋する乙女、トキコは、言いながら腕時計に目をやった。





「あ、そろそろ来るわ!」




トキコの声につられて、俺も自分の携帯を出して確認すると、時刻は零時になる所だった。




「なんでわかるの?」




首を傾げると、トキコはうふふと妖艶に笑う。




「決まって、零時に顔を出すから!」




「えっ…」




その言葉を聞いて直ぐに俺は、傍で意味深に笑っている燈真を睨みつけた。



燈真の奴、絶対知ってたのに、わざとだ。




もっと早く聞いてれば、夕方からなんて来なかったのに。






けれど、燈真はそんなの何処吹く風で、更に笑みを深くするばかりだ。




苦々しい気持ちで見つめていると、ふいに燈真が顔を上げた。




同時に、トキコが小さな声で、「来た」と呟いたので、俺も二人の視線を追うように、振り返った。





大音量で掛かっているBGMは変わらないが、人々が少しだけ騒ついているのがわかる。





一際目立つ、髪と背。




その圧倒的な存在感を放つ男が入って来た時。




自然と人が避けていくので、道が出来る。




それに気付いているのか居ないのか、ポケットに手を突っ込んで、気だるそうに歩いてくる―




プラチナブロンドの男。




口には煙草を咥えて、薄い色素の髪は、めまぐるしく変わる光源の色に次々に染まる。





やや俯き気味のその男が、顔をふと上げた一瞬。




俺と視線が交わった。





…気が、したんだけど。






直ぐに逸らされて、男は俺等からかなり離れた場所、カウンターの端に静かに座った。




どうやら、ただ単に席を確認しただけだったらしい。




「な。」





燈真が短く俺に呟いて、男の方へと歩いていく。




その『何が言いたかったかわかったか』的な満足感ある態度に、俺は渋々頷くしかなかった。





黒いシャツから出る腕も、ダメージジーンズを履いた脚も、モデルのようにすらりと長い。




本人が内心どう思っているかわからないが、その甘いマスクはテレビに出てくる芸能人よりもよっぽど端整だ。




しかし、依然と周囲の様子には関心がないようで。




表情は少しも動かない。






燈真が人の良さそうな感じを全開にして何か話しかけているが、必要最低限のことしか答えていない。




多分、マティーニ、とか。



そんな感じ。




「どうしよう、話しかけたい。。でもぉ、、、駄目よねぇ。。。まだちょっと…うーん…」




隣では、トキコがもじもじしている。




もじもじとか、はっきりいって、ちょっと退く。





「いいじゃん、話しかけにいけば。」






俺は適当なアドバイスをし、全然酔えていない頭で、考える。




燈真が何を考えているのかを。




あれだけの容姿、そして、注目率の高さ。



ガードの固い所を見ると、馬鹿じゃなさそうだ。




利用しない手はない。




まず、手中に収める所から始めるか。







―面倒くせぇな。





薄っぺらい人付き合いなら得意中の得意だ。




けど、俺らの仲間に加えるつもりだとすれば、自分も心してかからないとならない。


その場しのぎではバレる。







―俺、あいつのこと、好きになれるかな。





隣でトキコが立ち上がったことにすら、気付かずに俺は頬杖を付きながら、隅に座る男を観察する。




灰皿に煙草をトントンと叩きつけ、ぼんやりと酒を待つ男。




周囲には、トキコみたいに話しかけようか話しかけまいか、躊躇っている連中が遠巻きに彼を見つめている。



更にその様子を面白くなさそうに見ている野郎共も何人か。



大方ナンパして断られた女が、別の男に夢中だったっていう所だろう。




だが、当事者の男は、そのどれも、気にしてはいないみたいだし、気付いてもいそうにない。




今だって燈真が持ってきたグラスをおもむろに掴み―






「…あのぉ…」





そこで、一瞬俺の思考は止まった。




何故なら、観察していた男の傍に立った女が。





「隣…良いですか?」





他ならぬ、トキコだったからだ。





―迷ってた割に、チャレンジャーだな。





俺は首を傾げながらも、内心、トキコの行く末を見てやろうとほくそ笑む。





あの男はどんな反応をしてくれるのだろう。






ちらっと燈真に視線を送ると、二人を見ていないフリをしながら見ていて、面白がっているのが伝わる。





無言を了承ととったトキコが隣に腰掛けると、燈真の話の通り、男は立ち上がった。






薄らと、不愉快そうな顔をして、一度手にしたグラスをカウンターに置く。




それを見て、トキコが「あ」と焦った声を上げる。




「ちょっと!お願い、行かないで。」




後から考えてみれば、トキコは俺の手前、大人しく引き下がることができなかったのかもしれない。



はたまた、恋焦がれた相手だから、初対面で即撃沈なんてプライドが許さなかったのかもしれない。




どちらにせよ、トキコは選択を誤った。





やや媚びるように、男のシャツの裾を引いたのだ。






その瞬間、だった。





パシャッ




「きゃぁっ!?」





男が再び手にしたらしいグラスはトキコに向けられ、空になっていた。





「汚ねぇ手で触んじゃねーよ。」





男は鬱陶しそうにトキコに視線をやると、静かにグラスをカウンターに置き、踵を返し、クラブを出て行く。



それを、遠巻きにして見ていた女達も、唖然とした表情で見送った。





「大丈夫?」




燈真が慌ててタオルをトキコに手渡しているが。






数名の男達が金髪男の後を追っていったのを見ていた俺は、構わず席を立った。






外に出ると、夜でもむっとするような空気に纏いつかれる。




クラブで、新参者で、しかも目立って、女に酒ひっかける、なんて。



目を付けられない理由ワケがない。




直ぐに角で5、6人の男たちに囲まれている金髪を発見。




男達は陰になっているが、金髪だけは街灯からの光が、その表情を照らしていた。




相変わらず、何を考えているのかわからない、落ち着き払った表情をしている。





―助けに入った方が良いかな。





そんなことを思案しながら、数メートル離れた所で様子を窺っていると、ふいに風を切るような音がした。




―え。




鈍い衝突音がしたなと思ったら、ちょうど正面にいた男が地面に転がる。





その後は、怒り狂った仲間達が、一斉に金髪を袋叩きにしようとして怒声を上げながら突進していったけれど。




それも空しく、次々となぎ倒され、数分後には全員が一人の手によって、意識を失っていた。






「…強…」





俺は思わず呟いてしまったが、何事もなかったかのように、男は手をパンパンと叩き、その場を立ち去った。







「気に入った。」







そう言って、俺はひとり、笑った。









新月の夜。












それが、アオと俺との、初めての出逢いだった。







========================





水曜日。






「高校生?」





ルナのスタッフルームで、ソファに腰掛けながら足をローテーブルに投げ出す俺に、冷蔵庫からペリエを取り出した燈真が問いかけた。







「そ。しかも施設に住んでる。」





俺は頭の後ろで手を組みながら、昨日の調査結果を思い出していた。




あの金髪の男の名前は、中堀空生と言った。



年齢は18歳。



戸籍上は施設長の息子になっていたが、何故か施設で暮らしている。






「信じられないな。最低でも20は越えてると思ってた。」






燈真はソファの端に腰掛けて、騙されたぜと付け足す。






「…あれ、結構な有名人だぜ?ネットで検索すれば出てくると思う。本名はさすがに結びつけるの大変だったけど、知ってる奴がいれば直ぐわかる程度だし。」





「―どういうことだ?」






男の持っている過去というか、秘密というか、境遇というか。





それは、俺にとって軽い衝撃だった。





俺が調べる人物はワケありばかりだったけど。




なんとなく、この中堀という男は、穢れを知らないような。





高尚な感じを受けていたからだった。





だからか。





俺も燈真も、アオのことをすんなりと受け入れることができた。





そうだな、もしも。




人が人に惹かれる、ということが本当にあるとするなら。




俺達にとって、アオはそんな存在だった。







誰かのことを、羨ましいとか。



そういう風に思ったことは今までなかった。






他と自分が違うことなんて、痛いくらいに理解していた。




誰かと同じ、なんて、逆に嫌だった。





同じじゃないから、こんなに苦労したのに。



どうして、大きくなったら、同じでなければならない?




俺は、俺。



他人ヒトは、他人ヒト





だから。





純粋に人間ていうものに興味を持って、中堀という男のことを知りたいと思ったこと自体、俺にとって稀な体験だった。






素性は明らかで、余りに少ないその情報は集めるのに1日で十分だった程だ。




ただ、性格や気質なんかは謎だった。




喧嘩に強いことも、分かっていたけれど、どんな人間かっていうと、聞き込んでも全くと言って良いほど、わからなかった。





後はどうやって、実際に近づくか。。





燈真が具体的に何を考えているかはわからないけど、指示はとりあえず取り込むこと。あとは利用できる時にしようということらしい。




クラブにとっても客寄せに繋がるだろうとのことだった。





ぶっちゃけた話、俺は直ぐにそんなのどうでもよくなって。





ただ単に、あの金髪と話してみたくなった。





========================




直ぐに周ってきた月曜日。





「なんで、タカがここに居るんだよ?」





受付兼徴収係りの恰幅の良いスタッフが、入り口に突っ立っている俺を怪訝な目で見て訴える。






「んー、ちょっとヒトを待っててね。」




「さては、女か?」





それには答えずに俺は曖昧に笑う。





「残念だけど、そんな赤い頭じゃ誰も寄ってこないし、逆に客が帰っちまうよ。」





何がそんなに面白いのか、くくくと笑うのを、俺は横目で見て。





「いや…それはお前だろ。」






ゴツい身体付きに、強面。



ゴリラみたいなぎょろりとした目。





「何言ってんだよ、俺は燈真の次に優男な顔してんぜ。」





本気で思っているのか疑いたくなったが、これ以上追求するのもなんとなく怖い。





「…わかったよ、外、出る。」





携帯を取り出して見れば、時刻はとっくに零時を過ぎていた。





―おかしいな。トキコのせいで来るのが嫌になったのか?




先週、公衆の面前で顔面にアルコールをぶっかけられたのが相当ショックだったのか、今日トキコはルナに来ていない。



それはわかるが、あの男が来なくなる理由はない。



トキコに悪くて顔を合わせづらい、と考えているとも思えない。




―腹でも壊してんのかな。




我ながらガキかと思う位の幼稚な理由だが。




気になって、仕方なく繁華街をブラつきがてら、いないか探してみることにする。



本当は暑いから、ルナの中に居たいんだけど。




安っぽいネオンがあちこちで輝き、客引きが道に立って、一般の人間を取り込んでいく。





「りょーこちゃん、がんばってねー!」




「お、ソノちゃん、今日もきれいだねぇ!」





仕事の邪魔をしないように、フリーになっている子にだけ声を掛けて、金髪を探す。





―キレイな髪だったな。





今捉える金髪はどれも安っぽくて、夜目にもそれがわかる。





零時の男のそれとは違う。






「なんだよなぁ、折角会えるかと思ったのによぉ。」







俺は舌打ちをしながら、じっとりとかいた汗に苛々した。





高校生ならゲーセンか、と覗いてみたが、空振り。







―こんなんだったら高校の前から待ち伏せするべきだったか。






自分でもなんでこんなに執着してるのかわからなかった。




来週の月曜になれば、またふらりと来るかもしれないのに。




どうしても今日じゃなきゃいけない、なんてことはないのに。






―仕方ねぇな。あとは、あそこだけ行って、居なかったら諦めるか。





高い所に行けば、探しやすいかもしれないと、俺は大見歩道橋に向かった。








「あ。」





歩道橋が見える場所まで行くと、ちょうどど真ん中辺りに人影が確認できた。





目を凝らすと、白っぽい髪色をしているのがわかる。





―待て待て、まだわからない。白髪のじじぃかもしれない。




逸る思いを制しても、自然と足取りが速くなる。




脇で混雑している車のテールランプが鬱陶しい。




ちょうど階段に足を掛ける手前で、予想は確信に変わった。





―居た。アイツだ。






探していた中堀空生は、歩道橋の手すりに肘を付いて、ぼんやりと煙草を吸っていた。





―やべ、ちょっと緊張する。




階段を上る際、音をたてるべきか、たてないべきか、一瞬迷う。音がすれば、途端に逃げていってしまうような気がしたからだ。





―別に狩りじゃあるまいし。




結局普通に上ると、タンタンと軽い音がした。




階段から横目で確認しながら、上りきっても。





終始、中堀空生は、無反応だった。




少しもその場から動くことなく、音のする方を振り返ることもなく、下から見た時と同じ体勢で、赤い光で溢れている道路を見つめていた。







―制服かよ。




下から服装までは確認することができなかったが、中堀空生を真横から見つめて初めて気付く。




上はワイシャツだけ。下は黒のズボン。




長袖を無造作にたくし上げていて、悠々と煙草を吸っている。





その横顔すら、絵になる。




―さて。




俺はポケットをまさぐり、煙草を一本取り出した。




そして、歩き出しながら。





「あぁー、なんだよぉ」





少し大げさに呟いた。





「ライター忘れちったな。なぁ、そこの兄ちゃん。」





足先を男に向けた。





「火、貸してくんねぇ?」





そこまで言って、初めて、中堀空生はちらりと俺を振り返る。





―読めねぇな。この顔。





煙草を口に咥えたまま、ただじっと俺を見ている。



驚いているのか、イラついているのか、わからない。






だが。





「おっ」





直ぐに小さな何かが俺に向かって投げられて、咄嗟に掴んだ手を広げてみると、シルバーのジッポーだった。






ライターじゃなく、ジッポーとか、生意気。





「サンキュ」





思いつつも、礼を言って、口にした煙草の先端に火を着けた。






着けた後に、チラリと様子を窺うが、男はもうこっちを見ていない。




「ん。」




俺は横に並び、同じように道路を眺めながら、ジッポーを持った片手だけを隣に差し出す。




それを隣の男は無言で受け取った。




俺も手摺に寄りかかり、煙をふかす。





暫くは、渋滞する車のエンジン音と時折鳴るクラクションだけがずっと流れていた。





「…あんた、誰。」





ふいにされた問いに、道路から隣に視線を移すと、男の目だけが俺を捉えていた。





「誰って―」





通りすがりの、と答えようとするが。





「こないだ、クラブにも、居たね?」





気付いていたのかと、内心驚いた。



あの一度きり、しかも、ものの数分しか同じ場所には居なかったというのに。




口を噤んだ俺に、畳み掛けるように男は続ける。





「火、貸して、とか、下手過ぎ。」





気のせいかと思う位に、目が微かに細められた気がした。





―笑った…のか?それとも、怒ってんのか?





まじで、わかりにくすぎるぜ、コイツ。





戸惑う思いに反して、俺の口角は吊り上がる。




確かにさっきの近づき方は、わざとらし過ぎたなと。



大根役者かっての。




でも、他に思いつかなかったんだから、仕方ないのだけれど。




「…俺の事、よく覚えてたねぇ。」





にやりと笑いかけると、空生は目にかかる前髪を、煙草を持つ手で軽く避けた。





「……髪が、赤かったから。」




言われて成程と思った。これだけ赤ければ、嫌でも目に入るわけだ。あの時目が合ったと感じたのは、気のせいじゃなかったらしい。





「未成年の、摘発?」





色素の薄い、茶色い視線を投げかけられ、俺はまさか、と笑った。





「んな暇じゃねぇって。」




「じゃ、何。」





少し砕けたように思えた空気が、再び固まる。




空生の目は警戒しているように見える。



どうでもいいと思っているようにも、見えるが。




生温い風がひゅるりと吹いて、二人の煙を悪戯に絡ませた。





―なんて、答えようか。




この少年には、自分が探していた事など、いや、燈真と取り込もうと話していることすら、お見通しなんじゃないかという錯覚に陥りそうだった。




無論、そんなことはない筈なのだが。





「―ルナ、好きか?」




暫く無言で見つめ合った後、出てきた言葉が、これだった。




空生は答えず、代わりに訝しげな視線を投げかけてくる。





「俺、ルナのオーナーと知り合いでさ、一応クラブの安全を守る任務もあるワケ。けどさ、お前目立つんだよ。目付けられたりいちゃもんつけられたりしてんだろ。」





そこまで言うと、空生は目を伏せた。




思い当たる節があるようだった。





「なんで、ルナに来るようになったんだよ?」





俺は身体を起こし、煙草の吸殻を足元に投げ捨て、踵で踏みつける。





「来るなって事?」





空生は視線を俺から外したまま、質問に質問で返した。





「ちげぇよ。お前酒飲んでるだけで、何もしねぇじゃん。何でルナに来んの?酒飲むだけなら他にもあるだろ。」





「―音楽聴いてる。」





空生は短くそう答えて、煙草を手摺に押し付ける。





「いつも邪魔が入って、聴けないけど。」





続いた言葉は、独り言みたいな小さな呟きだった。





「じゃ、ウチでDJやったら?」




口をついて出た提案に、空生はぎょっとした顔をして振り返る。





―お、今までで一番判り易い表情してるな。




「―は?」




一呼吸置いて出た戸惑いの声に、俺は笑みを隠さなかった。




「いや、マジでプロになれ、とかはいわねーよ。だけどま、DJやってりゃ曲がゆっくり聴けんじゃねぇの?自分で回すんだし。そしたら、やたら手出したり声掛けたりする連中も居なくなって、ウチも平和になるしさ。」




咄嗟に出た案だった。



後先なんて、考えてない。





「そんなの…俺やったこと…」




「早い時間に来て触らせてもらえよ。ウチのDJ達が教えてくれるぜ。」





動揺を隠し切れない少年に、俺は親指を立ててポーズを決めて見せた。





後になって、俺のこのいい加減な提案は、燈真にこっぴどく叱られることになるわけだけど、営業時間外だったら、機材に触ることはどうにか許可してもらえて、空生はルナに頻繁に顔を出すようになった。




それが、空生の才能を発掘することに繋がって、ルナでの零時が空生の時間になるのは、もう少し後の話。




そんなことをまだ全然予期していなかった俺は、この時の会話の終わりに、空生の髪の色を褒めた。






「お前の髪ってどうやって染めてんの?良い色だよな。ま、俺はこの赤が気に入ってるから、金には興味ないけどな!」





名前を中々言い出さない空生から、半ば無理矢理聞き出した直後だったと記憶している。




空生の髪の色のことなんて、調べていなかった俺は、純粋に染めてるのだとばかり思っていた。





あんなキレイに染まる染め方があるなら知りたいし、美容師のダチに伝授してやろうかとまで考えていた。




だから。




空生の反応は、予想外で驚いた。





「…俺は、光を通さないくらい、黒ければ良いのにって思うよ。」





薄く焼けた朝の空を、忌々しげに睨みつけながら言ったあの時の空生の顔は、今でも鮮明に覚えてる。






アオは忘れちまったかもしんねぇけど。




カノンちゃんのことを話した時。




振り返って、『諦めんのは慣れてる』と俺を安心させるために言ったあの時と。





同じくらい、切なくて、苦しそうで、今にも泣き出しそうな。







そんな顔、してたんだぜ。




========================





髪を赤く染めるのを、やめたのは、いつだったっけか。




俺には美容師をやっている昔からのダチが居て、夜中に結構呼び出すことが多いけど、嫌な顔ひとつせずに、いつも髪をいじってくれる。




空生が『本業』に手を着けてから、5年は経っていた頃か。いや、倍は経ってたか。時間の流れは俺の中でいつも曖昧だ。



役柄で染めたり戻したりを繰り返す空生の仕事にも、勿論このダチは大きく貢献していた。



自分で店もやっているから、閉店後にそこでカラーリングやカットをしてもらうこともしばしば。




けど空生は、ひとつの場所に留まることを嫌い、いつもこの街に居るわけじゃなかった。




DJとしても活躍していた空生は、一旦いなくなると、とことん帰ってこない。



それでも、動向は燈真が把握していたから、元気でやっているんだろうなということはわかった。





そして、あの日。




日がすっかり短くなった、冬の季節。




ふらりと空生が、この街に帰って来たことを知った。







「久しぶりじゃん」





いつかの歩道橋の上で。



いつかのように煙草を咥え、ぼんやりと手摺に寄りかかる空生に、後ろから声を掛けた。





「…なんだ、崇か。」





空生は、俺を一瞥して直ぐに目を逸らす。




「おう、なんだとはなんだ!?連絡も寄越さない薄情な奴め!」




「ってぇ」




すかした背中に蹴りを入れると、空生が振り返って、不愉快そうに顔を歪ませる。





「人気ある癖に気紛れだから、燈真も他のスタッフも困ってたぜ。」




「…今日はちゃんとするよ。」




「今日はって…もうすぐ今日じゃなくなるけどねぇ。」





俺の言葉に、空生は溜め息を吐いて、腕時計に目をやった。




「お前、ファン多いから仕方ねぇよ。集客率がちげぇもん。」




渋々という表情で、煙草の火を消して歩き出す空生の隣に並び、俺も歩く。




「だって俺、まだ帰ってきたばっかなんだけど。少しはゆっくりしたい。」





タンタン、と階段を下りる度にする聞き慣れた音が、やけに懐かしく感じる。





「でもしょっぱなからすっぽかしはナシっしょ。」





以前から零の気紛れライブは恒例の事だったのだが、はっきりと周囲に告知できない為、ルナのスタッフ達は頭を悩ませている。




予定に組み込み、イベントにできれば、毎回満員御礼になる筈なのに、確定ではないというのが辛いらしい。





今回帰って来ることを知った燈真も、早々にオファーを出したのに、予定を大幅にズレさせて、こんなギリギリに帰って来た空生に苦言を呈していた。





その上、予想通りというか、恐れていた展開で、約束の時間になっても空生が現れない。





そこで、俺がもしかしたらといつぞやの歩道橋にまで足を運んだというわけだ。





空生がこの街に居た時の、お気に入りの場所だという事を知っていたからだ。




「勿論、おおっぴらにはしてないからさ、万が一空生が来なかった場合でも大丈夫っつったら、大丈夫なんだけどさ。どこで聞きつけたんだか、ファンの子は結構集まってるんだよね。」





「…めんどくさ。」





繁華街を歩いてルナに向かっていると、客引きの女共さえ、空生を見てあっと息を呑む。




人との、特に女との接触をひどく嫌う空生は眉間に皺を寄せながら、二重に嫌だという顔をしている。









「お前、親父さんとこには―」




零に養父の話は滅多にしなかったが、久しぶりにこっちに帰って来たんだったらさすがに会いにいってやったのかと思い、訊ねかけた、その時だった。





「なぁなぁ!俺の話はまだ終わっちゃいないんだけど!」




「そうだよぉ、ちゃんと人の話は聞かなくちゃねぇ!」




「っ、放してくださいっ!」






前方から、何やら騒々しい声が聞こえてきた。




見ると、道路脇に黒い集団が固まっていて。



それに、女二人が囲まれている。




別に珍しい光景でもないので、俺はてっきり空生も通り過ぎるものかと思っていたのだが。






「-あいつ・・・」





立ち止まった空生の呟きを聞いて、歩き出そうとしていた足を、止めた。





「何?知り合い?」





「・・・・・・」







無言で向けられた視線の先を、俺も辿る。




どうやら、空生が見ているのは、この集団のリーダー格の金髪の男のことだろうと思う。




一番偉そうに物事の成り行きを傍観している。





―安っぽい、キンパ。似合ってねぇし。




空生みたいにキレイな色じゃない上、鶏冠みたいに立ててるのが、俺とちょっとかぶってて、イラつく。




絡まれている女二人は、大学生位か。



こんな汚らしい場所には不釣合いな清楚な格好。




両方とも、肩に手を回されて、今にもどこかへ連れて行かれそうだ。



ご愁傷様。



心の内でそう思うけど、空生はキンパをじっと注視している。





「なぁ…」





急がないと、と口を開きかけた瞬間。




キンパが、こちらを振り返った。






瞬間、キンパの目が驚いたように見開かれ―






「お前等、まだそんなことやってんの?」






隣で空生が、嘲笑うかのように声を掛けた。







「お前、、、帰って来たのか…」





驚いたようなリーダーの声に、女を取り囲んでいた男たちも何だ何だと俺等を振り返った。




途端に、わかり易く表情が引き攣った。





「チッ」





暫く睨みつけた後、キンパは舌打ちすると、手下の男共に目配せして、女達から手を放し、その場を後にした。




そんな奴等の動向になんか目もくれず、空生は何事もなかったかのように歩き出す。




「あんだよ、どんな知り合いだよ、教えろよ。」





訊ねる俺に、空生は笑いもせず、どんどん歩いて行ってしまう。



訊かれたくないことなのか、と察した俺は、仕方なく追及を諦めて、後を追う。





そこへ。





「あのっ」





唐突に、腕をぐぃっと引っ張られた。





「?」




驚いて振り返ると、さっき絡まれていた女の内の一人が、俺の腕の裾を必死な顔をして引っ張っている。




冬には寒そうな、茶色のショートカット。




エルメスのマフラーをくるくると巻いて。





「え?いや、あの?え?」





俺はその女とスタスタ歩いて行ってしまう空生を交互に見比べるが。





「あ、あ、あのっ!!さっきは、、助けていただいてありがとうございました!!!」





がばりと勢い良く頭を下げた女1と女2。





「えーーー…っと…?」





俺はどうしたらいいのかな?




正確に言えば、俺等は助けようなんてこれっぽっちも思ってないし。



こんな時間に、こんな場所をうろついていたお嬢ちゃん達にも非がある訳だし。




ただ、話しかけただけ。




それが、事実だ。




しかも、俺じゃないし。




「本当にどうしようもなかったので、助かりました…」




戸惑う俺をそのままに、奥で女2がしょぼくれた感じで、謝罪した。




俺の腕をひっぱって放さない女1の方がしっかりした印象を受ける。




「わた…私が、、無理やり美咲を連れて来ちゃったから…巻き込んじゃって…ごめんなさい…」




「それはもういいってば…」




…俺、もう行ってもいいのかな。




女二人の会話にうんざりモードな俺。



面倒臭い。




そろっと、空生の行った方へ目をやる。




当たり前だけど居ないし。





気付かれないように溜め息を吐いて。





「これからはもっと気をつけなよ。で、俺、もう行って良い?用があるんだ。」





基本、女の子は皆可愛いから、無下に扱うことはしない俺。



やんわりと腕を外そうとすると。





「あの人はっ?!」




何故か、掴む力が強くなった。




黒目がちなショートカットの女1が、女2から視線を戻し、俺を見つめる。





「あの人って―?」




訊き返すと、今度は女の頬にさっと赤みがかかる。




北風のせいではないことは、分かりきっていた。




「もう一人の…金…髪の、、人…は…、これから…どこに行くんですか…」





ぽつりと漏らされた言葉。



俯きがちな視線。






空生と一緒に居ると、何度となくこういう女に出逢う。




この子も、空生の餌食になるのか。



にしたって、ちょっと今までにないタイプ、だな。



金はあるようだけど、学生だし。





強気で、一直線で、面倒そうな女、だ。




空生はきっと相手にはしないだろうな。



かわいそうに。




でもま、俺なら。




相手にしてあげても良いよ。






「ルナだよ。」






にっこりと微笑んで、俺は笑いかける。





「Notte di Lunaで、こいつはDJやってるよ。でも、今だけ、だから。早くこないとその内また居なくなっちゃうよ」






そう言って、勝手に作った零の名が印字されたクラブのカードを、胸ポケットから出して差し出した。





「えっ、あっ…」





慌てたように俺の腕を解放した女1は、両手でカードを受け取る。





「じゃねぇ」





その隙を逃す事無く、俺はくるりと踵を返すと、手をひらひらと振って、見てるか見てないかわからない女二人に別れを告げた。






今の空生の役は、何なんだろう。




ターゲットは、居るのかな。




そんなことを、考えながら。




========================





ミサキという名前の女は、直ぐに頻繁に顔を出すようになった。





「ちょっと、何なのよ、あの女は。」




納品だけを担当するようになっていた葉月は、モノを燈真に渡すと、一番ステージ側のスツールに座るミサキを後ろから睨みつける。





「んー?まぁ、気にすんなよ。」





闘争心剥き出しのギラギラした妹を見もせずに、燈真は適当な相槌を打つ。





空生に異常に執着するようになっていた葉月は、空生の周囲にはびこる女たちを全て敵視していた。



といっても、その葉月すら、空生の名前を知ることは無く。



アオの名は、俺と燈真の間でもタブーになっていた。






「ちょっと!!ちゃんと教えてよ!!」




葉月は、空生の本業を知らない。



だが、俺と同じで鼻の利く奴だから、なんとなくはわかるらしい。



だから、いつもの種類の女なら、ここまではしつこくしない。



空生が嫌がることを知っているからだ。





「大丈夫だって、葉月。相手にゃされねー人種だからよ。」





安心させるように俺が言うと、葉月は今度は俺をぎっと睨みつけ。




「うっさいニワトリ!」




と毒吐いて、怒りを露わにしたまま、クラブを出て行った。




「っとに、かわいくねぇーな、お前の妹。」




相変わらずの言われように、俺がカウンターに肘を付いて頭を抱えると、隣からくすくすと笑い声がして。




声の主を探せば、ミサキがこっちを見て笑っていた。





「ミサキちゃんも意地悪だなぁー、そんなにウケることないでしょ。」





頬を膨らませて抗議するが、ミサキは頬にかかるくらいの髪を震わせる。





「だって、ニワトリ…」




「あいつくらいなもんだよ、俺の頭をニワトリ呼ばわりするのは。」




零の出番は、まだだ。




それでも、ミサキは大人しく座って、ステージをじっと見つめている。




気紛れで出てこようが出てこまいが、空生の出番は零時、と決まっているのに。





だから、こうして、ミサキとクラブで言葉を交わす事は、滅多にない。




けど、たまに話せば、俺等に隔たりなんてものも、ない。





「なんで、赤なんですか。」




口元を手で押さえながら、ミサキが俺に訊ねるから。




「目立ちたかったから。」




俺もそのまんま、答えた。





「それなら、別の色でも良かったんじゃないですか。」






「そうだけど、でも赤が良いの!」





「ちょっと薄いブラウンとか、似合いそうなのに。」




「やだよ、そんなんじゃ地味でしょ。」






ミサキは、ショートだけど、清楚なお嬢様って感じで。






「でも、ニワトリなんて呼ばれなくなりますよ!」




「茶色なんて地味の代表じゃん!…でも、ミサキちゃんが零をやめて俺にするっていうなら、考えてもいいよー!」





真っ直ぐで。






「別に良いです、赤で。」






中々、落ちない。





「ツレないねぇ。」






俺の手には、落っこってこない。





そんなにガチだと、いや、ガチじゃなくても、空生は絶対に手に入らないのに。







「私は、零さんだけですから!」






そしてまた、プイと視線をステージに向ける。




背中を、俺に向ける。





俺がいつも見てるのは、後ろ姿。







短い髪の、襟足が、うなじに掛かって。





背筋はピンと。





地味な茶色い髪色なのに。





何故か、目に焼きつくんだ。





なんでかな。





際立って何かあるわけじゃ、ない子なんだけどな。





それを横目に、俺は青い瓶を呷る。







自分の中に、ほんの少しだけ芽生えた何かに、気付かないフリをして。





少しでも良いから、酔って、頭をぼんやりとさせたいと、願って。





========================





ミサキが常連になって、数ヶ月した頃。





「お、ギリじゃん、珍しいねー」






息を切らして入ってきたミサキに声を掛けるが、彼女は俺のことなんか目に映ってない位焦っているらしく、無言で定位置に腰掛けた。




そして、じっと待つ。




零の時間。




いつも通り、黄色い声が上がり、零が登場すると、ライトがキラキラと会場を照らす。





曲に合わせて身体を揺らす観客とは別に。




ミサキはひとり、じっと空生を見つめていた。




いつだったか、演奏を終わらせ、ステージを下りた空生にミサキが、一度礼を言った事があった。




けど、空生には何のことだかさっぱり。




そりゃそうだ。



自分は助けたつもりなんかなかったし、ミサキのことだって多分目に入ってなかったに違いない。





よって、無視。




それ以来、ミサキは空生に話しかけていない。



なのに、こうしてまだ追いかけている。



不毛だ。



なんで、あんな男が良いのか、俺には理解できない。





「ねぇねぇ、今日はなんで遅かったのー?」





一途過ぎるミサキを少しからかいたくなって、肩を抱いても、ミサキは鬱陶しそうに俺の手を振り払う。






「ねぇねぇねぇねぇってばぁー」





「ちょっと、静かにしててくださいっ」






零に夢中なミサキは俺のことなんてちっとも見ようとしない。









そこに―。







「―美咲」







どこからか声が降ってきて、反射的に顔を上げると。






黒髪、黒縁眼鏡の、中肉中背の男がミサキのことを見つめ、すぐ傍に立っていた。







―なんだ、この男。






不愉快だという思いを前面に出して、睨みつけるが、男の視線は俺のことなんて通り越して、ミサキに向いている。



だが。



そんな男に、迷惑そうにチラリと目をやったミサキが、とんでもないことを口走った。






「おにい、、、ちゃん…どうして…」





は?え?





「え?!お兄ちゃん?ミサキちゃんのお兄ちゃん!?」





ミサキの目も十分丸くなっているが、俺の目だって負けないくらい丸くなっている筈だ。





何、それ。



なんでそんなのがここにいんの。




これ、なんかのギャグなわけ?







勿論冗談でもなんでもないらしく、直ぐに距離を取った俺に見向きもせず、ミサキ兄はミサキの腕を掴んだ。





「―帰るぞ。」





立ち上がらせるようにして、ぐいっとひっぱったために、ミサキはよろけながらスツールから離れた。





「ちょっと!!!」





だが、ミサキはカウンターにしがみついて、激しく抵抗する。





「私、帰らない!今日は、帰らないから!」





ミサキは芯が強そうな、しっかりした子だという印象だったから。




こんな風に激高する姿は珍しい。




俺は興味深くそれを見守る。





どうやら、兄貴はミサキのことを心配してここまで追いかけてきたらしい。




説得しようと試みているが、ミサキは首を縦に振らない。



だが、兄貴も譲らない。




その内、ミサキが零のステージだけ見たら帰るようなことを提案すると、兄貴も渋々了承したようだ。





ミサキは直ぐ様、ステージに視線を送り、兄貴にすら背を向けた。




それを力の抜けた様子で見つめる兄貴に。







「ミサキちゃん、随分入り浸り、だよー」






過保護な、兄ちゃんに。





忠告してあげる。





にやにやと笑う俺を不愉快そうに兄貴は見るけど、言葉は発しない。





「零狙い、みたいだけど…不毛だし。」





これは本当だからね。





「あんだけ真っ直ぐだと…零は相手にしないから、ね。けど…」





だから、早く助けてあげなよ。



もう、ここに来ないようにしてあげなよ。




元の大学生に、戻して、青春を謳歌させてあげなよ。





でも。





いつも通りの、真っ直ぐに伸びたミサキの背筋に、俺は目をやった。







「ちょっと迎えに来るの、遅すぎたかもよ?」






あれから、時間が過ぎすぎた。






「-え?」





とうとう、兄貴は口を開く。



どういう意味だとでもいいたげな口調で。




俺は笑みを湛えたまま、そんな兄貴をゆっくりと見上げた。






「引き返すことができないくらい、溺れてる。」





そんなこと、他人の俺から見たって、わかるくらいなんだから、あんたはかなり鈍いよ?




















「お疲れ」




ライブが終わって、カウンターにやってきた空生に声を掛けた。




相変わらずの人気者で、あちこちから声を掛けられては無愛想に会釈したり、言葉を交わしたりしながら、やっと辿り着いた頃にはげんなりした顔をしていた。




いつも無表情なのが、更に無表情になる。




これは、俺が長年の付き合いでわかるようになったもんだから、他の人が見たって、わからないくらいの違いだけれど。





「一人で飲んでるの?珍しいね。ギムレット頂戴。」





言いながら、空生は俺の隣に腰を落ち着ける。





ミサキは、とっくに兄貴に連れられて帰ってしまったが、去り際に『つまんないところ見せちゃってごめんない』とこっそり耳打ちしていった。





「いや、さっきまで、かわいいミサキちゃんが居ましたよ?」




不憫なあの子の名前を出してみても。





「誰だよ。」




馬鹿にしたように、けっと笑う、空生。






「お前のステージの時だけ来ては、そこの席に腰掛けてずっと見てってくれてる零のファンだよ。」






俺がミサキの指定席を指差すと同時に、空生の前にグラスが置かれる。





「あんだけしつこいんだったらターゲットにはならないけど、利用はできるかもね?」





カウンター越しに、燈真が意味ありげににやっと笑った。






「ふーん…そんなのがいるんだ…」





どうでもよさそうだけれど、どこか思案するような含みを込めて、空生が呟く。




それから、グラスを掴むと口を付けた。





「・・・・」





俺はそんな二人の会話には敢えて入らない。




何故なら、空生の本業に俺は関与していないから。





ただ、心の中では、どうなんだろうな?と自問していた。






見向きもされない不毛な恋と。




見てもらえてるようで、見てもらえない関係。





ミサキにとって、どっちが、幸せなんだろうな、と。




========================






空生と、ミサキが、一緒に居るのをよく見かけるようになったのは、それから直ぐのことだった。




零がステージに立つ時、ミサキはいつもと変わらずに、それをじっと見つめる。




俺はそれを、後ろからまた見つめる。


ミサキが居ない時には、俺の隣にはいつも女が居る。



別に楽しいから、それで良かった。







「零が手に入って、嬉しい?」





ミサキが燈真にカクテルを注文した際に、俺はなんともなしに訊ねてみた。





「え?」




ミサキは驚いたように、俺を見て、頬をぼっと赤くさせる。



そんな彼女を、俺はじっと見つめた。





「零が手に入って、嬉しい?って訊いたの。」




「手に入ったなんて…モノじゃないんだから…。」




ミサキは困ったように視線を彷徨わせ、茶色い髪の先をいじりだす。





「それに、まだ、返事もらえてないし…」





空生のことだから、本業のことは上手いこと隠し果せているのだろう。



これだけ骨抜きなんだから、どうとだってなる筈だった。



「…そっか。でも、ヨカッタね?」




この先、どうなるかわからないし。




希望も何もないのを、俺は知っているけど。




とりあえず、祝福の言葉を疑問系にして言えば。





「……はい。」





少しはにかんで、彼女は笑う。




こうやって、零に溺れていった女を、俺はもう何度も見ている。



そのどれも、報われないまま。満たされることもないまま。短い今だけを楽しむ。




その度に、零が傷ついていることも、知っている。






悪循環。




わかっているけど、俺だって、その中の一人だ。





何が正しいか、なんて、人間はいつだってわかっている。




正邪の判断を正しく教えてもらった人間なら尚更だ。






でもそのライン上には誰も乗ることが出来ない。





ハッピーエンドなんて、お伽話の中だけの話だ。





この世界のどこにも、そんなもの、存在しない。







だから、俺も笑うよ。




成す術がないから、へらへらと笑う。





せめて、苦しそうには見えないように。




-それから、ちょっとして。




ミサキの兄貴がまた俺を訪ねてきたけど。




軽くあしらっておいた。




俺にはどうにもできない問題だし。





何しろ、燈真が深く関わっている。




燈真は俺のスポンサーだし。



空生を裏切ることはできない。



完璧に兄貴は遅かったと思う。




叶うなら、この街にミサキが足を伸ばす前に、止められたら良かったんだけどね。




ま、無理な話だよね。





けど、ミサキが空生と関わったんなら、あとは早い。




完全に関係なくなるまでのタイムリミットは、いつも短い。




だから、帰ってきたら、ミサキをきっちりと慰めてやれば良いよ。





そんな風に思ってたよ。







そして。






寒さが一段と厳しくなる頃。




冷え込みがきつく、夜が一番濃くなる時間に。




空生がルナにやってきた。






「そろそろ、また行くね。」







別れを告げに。





「んだよ、折角楽しくなってきたのによぉ。もういっそのことずっとここに居ろよ。」





茶化すように、別れを惜しむと、空生は冷めた目で俺を見る。





「いや、崇とはほとんど接触してないし。楽しい思い出もないし。」




「あー、お前はマジでひでぇ奴だよ。」





チッと舌打ちして、隣に座った空生のグラスにジンを注いでやった。





「それより、崇が熱だした時に色々買い物頼まれたのが腹立たしかったっていう思い出は出来たな。」





液体が注がれていく様子に目をやりながら、迷惑そうに空生が言う。





「もう一回言うが、本当にお前はひでぇ奴だよ。袋ごと俺の顔面めがけて投げつけやがって。あん時、栄養ドリンクの箱の角が顎にヒットしてめちゃくちゃ痛かったんだぜ。」






空生がこっちに来てから暫くして、風邪をひいて寝込んだことがあった。


その時に空生にヘルプを出し、留守電に憐れな俺の声を吹き込んだのに、まさかの返事なしだった。


燈真や葉月にも同じような連絡をしたけど、あいつらも薄情な奴等で、完璧無視だった。



そんなんで、もう俺は死ぬんだと思い始めた頃、インタホーンの音がして、機嫌が非常に悪い空生が、玄関口に立っていた。


その直後の記憶が甦ってきて、俺は無意識に顎をさする。





「それは残念だったな。もう少し残って見ていれば良かった。」





「…もう何も言えねぇ。」





しれっと言い放つ空生に、俺は白目を剥いた。





「清算は済んだの?」




突っ伏した俺を余所に、燈真が静かな口調で空生に訊ねる。





「…まぁ、いつも通り。大丈夫だよ。」





これまた同じような口調で、空生が答えた。





暫く三人で酒を飲み交わした後、空生は裏口からクラブを出て行く。




ピークは過ぎたとは言え、クラブに人がいない訳じゃない為、燈真は接客に戻る。





いつもは俺も、カウンターでさよならするんだけど。




この時は、空生を見送る為に、珍しく一緒に外まで出た。





「じゃ、元気でな。」





一歩先で振り返る空生に俺が声を掛けると。





「…崇から普通の言葉を聞くと、ぞっとするね。」




「意味がわかんねぇよ。お前にとって俺って何なんだよ。」






空生が怪訝な顔をして、俺を見る。






「…何か訊きたいことでもあるんじゃないの。」






空生の目はいつだって静かで。


感情の動きがない。




だから、何を考えているのかわからない。




今、俺に、何を感じたのかも。





「・・・・・・・」





ぐっと押し黙った俺を、空生はふっと笑った。





「崇は、嘘が下手くそだよね。」






茶色から金色に戻った髪がさらさらと冷たい風に吹かれて揺れる。



お互いの吐く息は、白い。



アルコールのせいで、寒さはそんなに感じないけれど。






「なんだよ、それ」





同じように、俺も笑った。



だが。






「美咲のこと、気に入ってたでしょ。」




「!」





さらりと落とされた真実に、一瞬息が詰まる。





「…んなわけあるか。」





なんとか平静を保つが、空生には全部お見通しなようで。





「そう?」






けれど、それ以上は追求しない。







「じゃ、またね、崇。」





やがてそう言って、空生は俺に背を向けた。





そして。






「-あの時だって。」






振り返らないまま、直ぐの所で、思い出したかのように呟く。







「崇が煙草が吸えないってこと、バレてたよ。」





「-え。」





驚く俺の言葉に反応することなく、空生は再び歩き始めた。






「なんだよ、かっこつけやがって。」





その後ろ姿に毒吐きながら、俺は力なく壁に寄りかかる。



俺は、煙草が苦手で。




付き合いで、ふかすくらいならできるけど、好き好んで吸おうとは思わない。




それだったら、酒が良い。




現に、ほとんど吸わない。




けど、それを誰かに言ったこともない。





空生とはあれから吸う機会はないけど、燈真だって気付いていないと思うのに。




―最初からバレてたのかよ。かっこ悪。




がっくりと一人、項垂れる。




空生はいつも、人の感情の動きに敏感だ。




だから、わかる。




だから、傷つける度に、自分が痛い思いをしている。




せめて、麻痺してしまえばいいものを。





「お前は本当に、ひどい男だよ」




はは、と自嘲気味に笑いながら、呟いた。








「ミサキちゃんは、俺じゃなくてお前が好きだったんだっつーの。」






空生が、俺のことなんかを考えてくれても。




俺はミサキのことを追ったりなんかしねぇよ。





折角零との恋が散ったんだったら、あの子は元に戻らないと。






家で、家族が待ってる。




もう、こんな所に迷いこんじゃいけない。





あの子の居場所は、ここじゃない。








数日後。







「え?ミサキちゃんの兄貴が来たの??」






俺が居ない時に、ミサキの兄がクラブに乗り込んできたことを知った。





金を払う事無く走って受付を通りぬけ、慌てて押さえ込んだ時にはカウンターに行き着いて、燈真に喚いていたらしい。






『レイって男を出せ!!!!人殺しの詐欺師を出せよ!!!!』






その時の様子を思い出しながら、燈真が笑う。





「零ももっと気を付けてくれないと、いつか刺されるよねぇ。」




「・・・・」





俺は黙って、ミサキ兄の言った言葉を頭の中で反芻していた。





-人殺し???





嫌な、予感がした。




ミサキの身に、何か起こったのではないか。




ガタ、と音を立てて立ち上がった俺を、燈真が冷たい目で見つめる。






「下手に動くなよ。お前はカンケーない。」





「っ……」





少しの間、視線は交わっていたが、耐え切れずに俺から逸らした。






「……わかってるよ。」







再び、力なく腰を下ろした。





けど、俺は情報屋で。




自分が行かなくたって、色んなところから勝手に情報が寄ってくる。





だから。







直ぐに、ミサキが交通事故で逝ったことを知った。







大型のトラックに撥ねられて、即死だったそうだ。






========================






ふー、と疲れたような溜め息に、彷徨っていた思考が呼び戻された。







顔を上げて見ると、空生が浮かない顔をしてカウンターの端に座った所だった。






空生とカノンちゃんの間に何かあって、2人が離れてしまってから。




空生はこっちに帰って来たわけじゃないけど、こうしてたまにふらりとルナに顔を出す。




本業を再開していることは確かだったが、余り上手くいっていない様子だった。




問題は、恐らく。




空生自身が、カノンちゃん以外を受け付けなくなってしまっているということだ。






「なんだよ、たまに顔見せたかと思ったらそんな端っこでしょぼくれててよぉ。どうしたんだよぉー?」





おどけながら、酒瓶を片手に空生の隣に行くと、空生は俺を見てにやっと笑った。






「そういう崇こそ、珍しいじゃん。一人酒なんて。」






「俺だって、たまーに考え事をすることだってあるの!」






「…へぇ、例えば?」





「こないだ偶然外で会った人が、前から知ってるような気がするんだよなーとか!」






馬鹿にしたように片眉を上げる空生に、俺はえっへんと胸を張って答えた。





「何それ。」





呆れた、と呟くと、空生は燈真から出されたソルティードッグを受け取る。





カノンちゃんについては、ぶっちゃけた話、最初は他の女と同じだと思っていた。





男慣れした感じで、気軽に楽しめるような、相手だと思っていた。




それは多分、向こうだって同じだったんじゃないかな。





興味が湧いたのは、空生が俺から奪ったから。




折角の獲物を横取りされたって別に構わないけど。




その相手が、なんてったって、空生だったわけだから、そりゃ驚く。





まして、本名まで教えてる、なんて。




確かにカノンちゃんは可愛いし、ほんの悪戯心、出来心でいじると、顔を真っ赤にする。



鞄でぶったたかれるとか、初体験だったし。



度肝を抜かれることばかりだったな。




でも、空生が惹かれる理由も、よくわかった。





俺も、燈真も、空生も、ここにいる誰も持っていないものを、カノンちゃんは持ってるから。




そして、その真っ直ぐさは、昔の誰かを思い出すような気がして。





俺もその面影に、惹かれていた。




けど。





空生が。




欲しがるものなんて。




今まで一緒に居て、一個も無かったんだ。





クールで、ソツがない、空生は好きだけど。



カノンちゃんに振り回されて、感情を隠しきれない、抑え切れない、人間らしい空生のが、俺は気に入ってるよ。





俺はさ。




あの時、間違っちゃったんだ。




大事な欲しいモノに、ちゃんと手を伸ばさなかったから。





守りたいもんも、守れなかった。



守る、前の問題だった。




傍に、居れなかった。





アオには、そうなって欲しくないんだよ。




まだ、間に合う内に。




ちゃんと、掴んでいて欲しいんだよ。




じゃないと、不安で仕方ない。





いつか、いなくなっちゃうんじゃないかって。




人間って、当たり前に居るもんじゃないんだよ。





広い空の下、幸せであって欲しいと願うことすら、俺にはもう叶わないんだから。





========================




「きゃぁー、零がいるー!!!!」





スタッフルームから降りてきた葉月が、うーんと伸びをした所で空生に気付き、奇声を上げた。





「…葉月、うるさいよ。」






「邪魔っ、どいてっ!」





「うぉっ!」






燈真の制止も聞かずに、葉月は俺を突き飛ばし、空生の隣に座り、抱きついた。







「っ、あっぶねぇーな!もう少しで落とす所だったじゃねーか!」





なんとかバランスを保ち、死守した酒瓶を片手に抗議するも、葉月は俺を見事に無視する。






「ねぇねぇ!何飲む???何か作ってあげる!」




「…もう、飲んでる。」





きゃいきゃいとご主人様の機嫌も知らずに尻尾を振る馬鹿犬、葉月。





俺は、むかついて、酒瓶をカウンターに置くと、思い切り葉月の座っているスツールを回す。




「きゃぁ!!!!」




ぐるん、と上手に回転したおかげで、葉月は掴んでいた空生の腕から引き剥がされた。



そのせいで空生のバランスも少し崩れる。





「ちょっと、崇…」




「こんの鶏冠野郎!!!!」




燈真が呆れたように仲裁に入ろうとした途端葉月が頬をふぐのように膨らませて俺に猛抗議。




「五月蝿い…」




葉月を余裕の笑みで見下ろす俺と、俺を睨みつける葉月。




その後ろで空生はうんざりとした表情を浮かべ、席を立つ。






「えっ!あっ、あー!!零が行っちゃう!!!」





気付いた葉月が振り返って、慌てたように残念がった。





「お前がうるせーからだよーアホぅ。」






べぇっと舌を出して、葉月をからかうと、再びこちらを見た葉月の顔が怒りで真っ赤になっていた。






「黙りなさいよ!ニワトリ!!!」




「おまっ、まだそれを…」





きぃっと葉月が叫ぶと同時に、その向こうに見えていた空生の動きが、ピタリと止まったから。




俺も言いかけた言葉を切って、空生を見た。





「?」






空生も振り返って俺を見るから、目が合う。




そして。







「…崇の髪は、もう、赤くないよ」







そう言うと、空生は悪戯っぽく、小さく笑んで、また背を向けた。







「そ、そうだけどぉ、鶏冠がなくなっただけで茶色いニワトリもいるでしょ!!?」





葉月は声のトーンをしおらしく落として、そのまま空生の後を追っていく。







「ったく…他の客が居ることを考えろっつーの。」





遠くなっていく2人の背中を眺めながら、燈真の小言を聞いた。






だが、俺の頭の中は、空生の台詞でいっぱいになっていた。







―崇の髪は、もう、赤くないよ








赤い髪が好きだった。





目立つことが好きだった。





赤く染めるのを止めたのはいつだっけ。





地味代表の茶色にしたのはいつだっけ。





茶色い髪のあの子の面影を、追い始めたのはいつだっけ。







カノンちゃんと会ったあの日から。



ひっかかっていた何か。




それがわからずに、ずっと胸に何かつかえていて。




あの日会ったカノンちゃんと一緒に居たあの男が。




俺から顔を逸らしたあの男が。





どこかで会ったことがあるような、知っているような気がしていて。




思い出そうとしたら、随分前の記憶まで引っ張り出してしまって。







―会社の、同僚…?







カノンちゃんは確かにそう言っていたけれど。





あの、眼鏡男。



やっと突き当たった答えに、目が見開かれる。











「あいつ…ミサキの…」










いつかの彼女の面影を追っていたのは、自分だけじゃなかったのかもしれない。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ