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詐欺師の恋  作者: lahai_roi
15/23

嘘と本当の見分け方

金曜の夜。




真冬に比べれば気温は段々と上がってきたとはいえ、会社の外に出るとまだ寒かった。




憲子は裕ちゃんと話し合う!とかなんとかで、定時に出て行った。そんな憲子に、私はささやかにエールを送った。





「さむ…」




どうか、上手く行きますように。と祈りながら、駅までの道のりをひとり、とぼとぼと歩く。



そんな私とは反対に、歩道には、これから飲みに行こうとするサラリーマン達が溢れている。






社内の噂は相変わらずで、藤代くんと一緒の所を見られたりすると、事態は更に悪化していく。





―私って、そんなに悪い女なのかな。




いつも中途半端な恋愛をしていた頃は、傷つかないフリが上手だったけど、中堀さんのこととなると、私は滅法弱かった。




もういっそのこと、皆私のことなんか放っておいてくれないかな。




そう思っていた矢先。



クラクションの音がして、反射的に道路に目をやった。





「あ…」





見ると、白いスポーツカーがハザードを出して停車している。





―確かこの車は。





思い当たった所で、当事者が降りて来た。






「…藤代くん……」





「良かった、間に合って。」







藤代くんは戸惑う私の前に立ってにこりと笑った。




「一人で帰ってるってことは、夜は空いてるってことでしょ?」




「そっ、そんなことはっ…」




「さ、飯食いに行こう」





図星をつかれて、ぎょっとする私に構う事無く、藤代くんはさっさと私の腕を掴んで車に向かう。





「いや、ちょ、ちょっと待って。」



「もう、時間切れ。待たない。」




軽く抵抗を見せるが、藤代くんは片手で助手席のドアを開けると、いとも簡単に私を座らせた。






「じ、時間切れって…」




「だって、ずっと駄目だったじゃん。随分待ったよ?俺。」





おろおろする私に、藤代くんはそう言うと、助手席のドアをパタンと閉めた。




直ぐに自分も運転席に乗り込んで、慣れた手付きで走らせる。





「ら、拉致っていうんだよ、これ。」




「じゃ、逃げれば?」




「!!」




藤代くんはチラリと私を見て、言い放つ。




全部、見透かされてるようでカッと顔が熱くなった。





―悪い、女だ、私は。




私は両手で握り締めたバッグを咄嗟に見つめながら、思う。





さっき、腕を掴まれた時に、振り払うことも、全力で抵抗することも、出来た。




藤代くんが、運転席に乗り込む間に、助手席のドアを開けて、出ようと思えば外に出れた。




それでも、そうしなかったのは。





外の空気が、冷たいから。



大好きな人が、居ないから。



憲子が、居ないから。




ひとりぼっちで、寂しかったから。





藤代くんの気持ちを知っているのに、こうしている自分が、最低だとは思う。




けど。




どうしたって、辛い。




辛いと、誰かに頼りたくなってしまう。




自分は、なんて弱いんだろうと思うけど。




藤代くんを利用しているみたいで、胸の内はもやもやとするけれど。




一人でいるのは、寂しい。






そう、考えていたことが。





藤代くんには、全部お見通しみたいで。





すごい恥ずかしくて、罪悪感が湧き上がってきて、俯いたままでいる私に。





「いつでも胸貸すって、前に言ったろ。」




藤代くんがぽつりと呟いた。





「え…」






顔を上げると、藤代くんは真っ直ぐ前を見て運転している。






「辛い時に、よっかかる相手でいい。俺のこと、利用してくれて構わないから。」





藤代くんは、私が元気がないことなんて、ずっと知っていて。



それは、去年の忘年会の時からで。



今の理由はまた違うけど、いつもそれに気付いてくれる。





―まずい。





思わず目頭が熱くなってしまった。



やばい。



私は藤代くんから急いで目を逸らし、窓の外を見た。




―最低、だ。




私、最低な人間だ。





中堀さんが、好き。




その気持ちは少しも変わらない。





けど、叶うこともない。




この先、辛い想いを抱えてずっと一人ぼっち。





3ヵ月後には、結婚相手を祖母に紹介しなければならなくて。




同期の憲子も、裕ちゃんと結婚でもめてて。





思考回路はショート寸前だ。




そんな中で。




藤代くんから言われた言葉があったかくて、心が騒ぐ。




誰にでも捕まる阿呆鳥って言われても、仕方が無い。





そこまで考えた所で。





『アルバトロス』





いつか中堀さんに言われたのを思い出した。




違う。





車窓に光が反射して、情けなく歪んだ自分が写る。





中堀さん。違うよ。




私はそんな格好いいもんじゃ、ないんだよ。どこまでも飛ぶような、強さは持っていないんだよ。





信天翁が私を見たらきっと笑う。お前は阿呆鳥だと。




本当にそうなんだよ。





弱くて、弱くて、寂しくて仕方が無くて、馬鹿で阿呆でどうしようもない、三十路前の女なんだよ。






私の心の中の葛藤を知ってか知らずか、車内で藤代くんは、今抱えている仕事の進行状況など、他愛もない話を振ってきた。




まるで、気にするな、とでも言っているように。



それでも自己嫌悪がなくなるわけもなく。




鉛を飲み込んだような私を、藤代くんが連れて行ってくれたのは、ビオワイン専門店。




モダンな白い壁が、枠のように店を囲み、はめ込まれたガラスから店内が見える。道路側に面する場所には棚があり、ワインの瓶が沢山並べられていた。



白熱灯の光で照らされたお洒落な店内は、決して広くはないが、カウンターとテーブルがあり、客で賑わっていた。




雰囲気は抜群に良かった。






「最近できたばかりなんだけど、中々美味いよ、ここ。」






近くのコインパーキングに停めた車から降りて、店の目の前まで歩きながら、藤代くんが教えてくれる。





「でも、ワインのお店でしょ、藤代くん飲めないの、悪いなぁ。」




「誰が飲まないって言ったよ、代行頼んで飲むよ。」





半歩先を行く藤代くんは、呆れたように私を一瞬だけ振り返って、店の戸を開けた。




―私の気遣い、返せ。




私は気付かれないように、その背中にあかんべをした。





「いらっしゃいませ、二名さまですねー。こちらどうぞ。」





店内に入ると、直ぐに店員がやって来て、案内を始める。





テーブル席に腰を落ち着け、藤代くんとは向かい合わせになった。



オープンキッチンになっており、店主らしき人が忙しなく行ったり来たりを繰り返していた。




そこから美味しそうな匂いは店内中に広がっており、最早私のお腹は鳴りっぱなし。




「何、飲む?」




きょろきょろしている私に、藤代くんはそう言って、メニューを差し出してくれる。





「えっと、、お酒は、あんまり詳しくないから…おススメ、とか、ある?」





メニュー一覧を見ても、よくわからない私は、一番賢い方法を選んだ。





「じゃ、適当に頼むね。ここのポテサラと、鴨のコンフィは絶品。あとワインはフィリップパカレにしようかな。」




予想通り藤代くんはすらすらと美味しそうなものを教えてくれ、通りがかった店員さんに注文を伝えている。




そのやりとりの最中、私は違う意味で緊張しながら、藤代くんを見つめていた。




結局一緒に食事に来てしまったが。




自分は、寂しい時と、お酒を飲んだ時、きっと誰かに甘えてしまう。



もしかしたら、くだを巻いてしまうかもしれないし、泣き上戸になって中堀さんのことを愚痴ってしまうかもしれない。




だから、加減して飲まなければ 、と。



思っていたのに。







初めて飲んだビオワインが、すごく美味しい。




ゆるゆると緊張がほぐれて、ふわふわしてくる。




暖かい色の光が、それに輪を掛ける。





そんな風にして、見事に気分が良くなってきた頃。








「……最近、なんかあった?」







相変わらず他愛のない話をしていた藤代くんが、同じ調子でごく自然に訊ねる。






「…………ん、、ちょっと、ね。」






さすがにぺらぺらと話すことができる程、私の中で整理出来ていない。苦笑いして、曖昧にはぐらかすけど。






「会社でも、ずっと、、目、腫れてる。」





藤代くんはそう言って、テーブルに片肘を付きながら、人差し指で、自分の目を指した。





「・・・!」





濃い、メイクで、隠せていると思っていた私は、動揺して目を見開いた。





「気付くよ。バレバレ。」





藤代くんはそう言って、呆れた顔して優しく笑う。




それを見た私は、なんだか藤代くんに隠すのが、段々馬鹿馬鹿しく感じ始めた。






全部、わかってる、そんな顔をするから。






でも、店を出るまで、私は結局中堀さんとのことは、話さなかった。





頑張った、と思う。




ぷつん、と。



自分を押し留めて居たものが、切れてしまったのは。




代行が来るまで、酔いを少しでも醒まそうと、店から出て外を歩いてる時だった。








「-雪だ…」





季節外れの雪が、ちらちらと降り始めて。



それに気付いた藤代くんが呟いた。






「だからか、やけに冷えるな、とは思ってたんだ。」





隣を歩いていた彼は、肩を縮ませて、コートのポケットに手を突っ込んだ。





「やっぱり、店に入って待ってよう?」





「………」




私はそれに答えず、ただ、落ちてくる雪を見上げる。






途端に。






「……櫻田?」





込み上げてきたというよりは。




抑えてたものが、外れてしまったという感じだった。




手も、足も、頬も、冷たいのに、目からだけは、熱いものが滑り落ちていく。








―雪は、駄目。




雪は、もう、降っちゃ、駄目。







雪は、あの人との思い出が、多過ぎる。




思い出そうとしなくても、想っているのに。




それが、溢れ出して止められなくなってしまう。



「どうし…」





「―かなぁ…」




藤代くんが驚いたような声で、何か訊ねようとしたみたいだったけど、私の呟きがそれと重なって、藤代くんは口を噤んだ。




「え?」




そして、小さ過ぎて聞こえなかったのか直ぐに私に耳を傾ける。





「私、愛される価値ないのかなぁ…って」





独り言のように言いながら、涙が溜まって大粒になっては、ボロボロと零れていく。




「!?んなわけないだろ?」




通行人が何人かちらちらとこちらを見ているだろうに、藤代くんは構わず私を抱き締めた。








だって。




いつも、思うの。



居るはずのない運命の人に会う為に。



私、欲張り過ぎたから。



誰かに愛される価値が、なくなっちゃったんじゃないかって。



中堀さんも。




最初から、手が届かない存在だとはわかっていたけど。



夢みたいな時間が続き過ぎて、なんだかもう、手に入ったかのような心地で居た。



実際はそんなわけないのに。





だから、今更。




せめてまっさらな女で居られた頃に、出逢えていたらと。



貴方から、そう見られたかった、なんて思うなんて、馬鹿馬鹿しいけど。





もしも、こんな私でも。




愛される価値のある人間だったとしたら。






「じゃ、なんでっ」





押し付けられた胸の中で、私は自分から流れ出ていく感情の波を抑えることができずに、しゃくりあげた。





「なんでっ、、愛してもらえないのっ?どうして、私じゃっ駄目なの?なんでっ…」





―やっと捕まえたと思った途端、居なくなっちゃうの。





「落ち着けって、櫻田っ」




宥めようとする藤代くんに、私は駄々をこねる子供のように首をぶんぶんと横に振り抵抗した。





「やだっ、やだ…放してっ私っあの人に会いにいかなきゃ…やっぱり納得できないって…っっ」





涙でぐちゃぐちゃになった私は、口から零れていく感情にブレーキをかけることができないまま叫び―






「―――っ」






刹那、強制的に唇を塞がれた。





暴走する私の代わりに、藤代くんがブレーキをかけてくれたのだと気付くのに、少し、時間が掛かった。






私の身体から力がふっと抜けると、藤代くんはゆっくりと距離を空けて、時が止まったかのような私の目をじっと見つめる。







「俺が、忘れさせてやるから。」





そう言った藤代くんの眼鏡越しの瞳は、いつもの彼からは想像できないほど熱を帯びていた。





私はただ呆然としながら、間近にある藤代くんを見つめる。




雪は強まることも、弱まることもなく、二人のコートや顔に触れていく。





「…今すぐは無理でも、俺が櫻田の傍に居るから、だから―」




「カノンちゃん?」





私の肩をしっかりと掴み、藤代くんが言いかけた所で。




私の名前を呼ぶ、ほんの少しだけ、懐かしい声がした。





おかげで停止していた私の思考が、弾かれたように動き始め、身体も同様に反応する。




藤代くんの手から力が抜けたのにも気付き、私は道端で立ち止まってこっちを見ている垂れ目の男を振り返った。





「…タカ?」





私達の方はちょうど暗がりだが、タカは電灯の下にいて、はっきりと見えた。両手に華で、女の人が二人、一緒だった。





「やっぱり!なんか、ちょっと声が聞こえて、カノンちゃんかと思って、呼んじゃったんだよねー!こんなとこで何してんのー?」






タカは相変わらず軽い感じで、私達に向かって歩いてくる。



何故か、藤代くんがはっと息を呑んだのが伝わった。





「っていうかさ…ちょうど良かった。俺、カノンちゃんにちょっと訊きたいことあったんだわ、付き合ってよ。」






お互い連れが居るというのに、配慮もへったくれもないタカ。






「そんなわけだから、ようちゃんまきちゃん、ごめんね!さっきの話なし!」





ようちゃんまきちゃんから、ふざけんな!って声が聞こえた気がするけど、タカは気にした風もなく。






両手をポケットに突っ込み、ちらりと私の横にいる藤代くんに目をやった。






「つーわけで、カノンちゃんは借りてくね?」





藤代くんの返事を待たずに、タカは私のコートをぐいっと引っ張る。








「うあ、ちょ、ちょっと!!!」








激しく動揺する私を余所に、タカが有無を言わせない力で引っ張っていく。








「ふ、藤代くんっ…」







ひきずられているかのような体勢の中、なんとか、藤代くんの名前を呼ぶけど。





どうしてか、藤代くんはそこから動くことも、声を発することもせず。





勿論。






追いかけても、きてくれなかった。






「ちょ、あのっ、どこにっ?!」





足早にどんどんと進んでいくタカに面食らいながら、私はなんとか訊ねるけど。




抵抗もむなしく、私を引っ張る力の強さに変化はない。






―一体どうしたんだろう。




なんだか、タカの様子がおかしい気がして、私は戸惑いながらも、成す術なんてなく。




タカに連れられるまま、一生懸命小走りに足を動かしていた。






相変わらず雪が降っているけれど、勿論傘なんて持ってない。




水分を多く含んだ雪が、しっとりとコートや髪を濡らす。






少し歩いて広い通りに出ると、タカは立ち止まってタクシーを拾った。






「乗って」




「-え?」




「送ってく。」






目を丸くする私にタカはそう言って、半ば強引にタクシーに乗せた。





タカが運転手に行き先を告げると、車内は直ぐに無言になった。





私は隣に居るタカに目をやるけれど、いつもみたいに笑っておらず、真っ直ぐに前を見る彼に、言葉を失う。





―なんで?機嫌が悪そうなんだけど。。





藤代くんが居る時までは、けらけらと話しかけてきたのに。





考えれば考える程、混乱するばかりで、車窓に視線を移すと。







「…さっきの、一緒に居た奴、誰?」







タカにしては珍しい、静かな声で落とされた質問に、私の心臓がドキリと鳴った。




「-え?」



驚いてはっと振り返ると、タカが真っ直ぐに私を見ていた。




「だから、さっきの、誰?」




その中に含まれている、少しの怒りのようなものを感じ取った私は、タカのとった行動の意味に薄々気付き始める。





もしかして。




嫌な汗が、全身に纏いつく。





「会社、の、同僚です…」





無意識に、膝の上に置いた手を、ぎゅっと握り締めていた。






「あいつと付き合ってんの?」





私はふるふると首を振った。





「キスするような仲なのに?」






「!」







やっぱり。





見られてたんだ。




カッと、顔が熱くなった。





薄暗い車内でも、タカの目に、失望の色がありありと浮かんでいるのがわかる。






タカと最後に会った夜。




中堀さんの話をした。




それ以来の、再会。





まさか、こんな形でそうなるとは。






「空生のことは、、、もうどうでも良くなった?」




「そんなわけっないじゃないですか…」





なんとか搾り出すようにして答えるが、声が頼りなく掠れた。





「何が、、、、、あった?空生と。」





タカからの問いの答えは。




私自身も、知りたいのに。





「し、知らないです…わからないです…」





「んなわけないだろ。カノンちゃんとは上手くやってたろ。なんで、急に…」





「わかんないっていってるじゃないですか!!!」





タクシーの運転手に気を遣っていたけれど、元々ぼろぼろのメンタルだ。限界なんかすぐにやってきて、つい声を荒げてしまった。




だが、口をきゅっと結んで、固い表情でいるタカを見て、私ははっとする。





「す、すいません…ほ、ほんとに、わからないんです…急に連絡が取れなくなったから…」





「それで他の男に乗り換えたの?そんなもんだったの?空生に対するカノンちゃんの気持ちって。」





「っ!違います!あ、あれは、、さっきのは…」




容赦ないタカの追求に耐え切れず、握り締めた拳に視線を落とす。




不可抗力で片付けてしまえば、そうなのかもしれない。




けれど、藤代くんの気持ちを知っていて、のこのこと付いていった自分が、果たして完全に潔白なのか、判断できなかった。



「がっかりだよ…」




黙り込んだ私に、タカの憂いを帯びた声が降りかかる。




「俺、言ったよね?覚悟が必要だって。空生はカノンちゃんが思ってるよりずっと…弱いんだって。」





俯いたまま、思う。



覚えてるよって。





「空生が、たとえ離れても、カノンちゃんが離れたら、駄目なんだよ…」





言いながら、タカは小さく溜め息を吐いた。





「…じゃ、どうすればよかったんですか…」





みるみるうちに、私の目に涙が溜まり、視界がぼやけていく。




車内は暖房がガンガンに効いていて、暖かい。




けど、私の記憶はまた、あの寒い雪交じりの雨の日に連れ戻される。





―『俺が、あんたを本気で好きになるとか、思ってたわけ?』





「す、、好きじゃないって…必要、、ないって言われて…」





必要、ない。




声に出して言うと、苦しくて息が吸えないほど、胸が痛んだ。




あの時傷ついた自分。



今も傷ついてる自分。




その記憶と、痛みに顔を顰めていると。






「カノンちゃん。」





やけにはっきりとタカが私の名前を呼んだ。





「空生の嘘とホントの見分け方、知ってる?」





「-え?」





予想していなかったタカの言葉に、弾かれたように顔を上げた。




いつもおどけているタカとは違い、表情には陰りがある。




背景は、見慣れたものになっていて、あと少しで、家に着くのだと気付いた。





「知るわけないよね。俺だって最近初めて知ったんだから。」





タカは私を見ながら嘲るような笑みを浮かべた。





私の目に浮かんだ涙は溜まったまま、ぴたりと止まり、タカが次に何を言うのかわからず、緊張で心臓がドクンと鳴った。






「前にも言ったけど―空生は、空っぽなんだよ。だから、そんな空生と関係を始めるには、マイナスからのスタートなんだ。」





その言葉には聞き覚えがあった。



インパクトが強かったから、記憶に残っている。





「…でも、マイナスでも良かったんだよ。」





そこまで言うと、タカは私から目を逸らし、背後へと移した。




同時に、車が停止した。





「着きましたよ」






遠慮がちに落とされたタクシーの運転手の声と、パカと開いたドア。





背後から冷たい空気が入り込み、中との寒暖の差の激しさの為か、さっきまでぐちゃぐちゃだった頭の中が、やけに静かになる。




―一体タカは何を言おうとしてるんだろう。




このまま降りていいものかどうか、そのままの姿勢で逡巡していると、タカが右手で外を示した。





「え、っと…あ、、じゃぁ…」




かなり不完全燃焼だけれど、タカが降りるようにと指示しているのだから仕方ない。




私は戸惑いを隠せないまま、後ろ髪引かれる思いで、タカに背を向けた。





「ありがとうございました…」





結局、呟くようにそう言って、地面に積もることなく溶ける雪の上に降り立った。





途端。









「…空生は、ゼロに戻っちゃったよ。」









後ろから掛かった言葉の意味を、一瞬、理解できなかった。







外に出た所で、私は振り返る。



冷たい風が、氷の粒を含みながら、私の頬に当たった。







「それって…」







車内から私を見上げるタカは、にこりとも笑わずに、ただ切なげに瞳を揺らして。







「俺達も、元通りだ。」








皮肉だな、と力なく口角を上げる。








「他人を身に着けてない時だけ、空生は、空生だった筈なのに。」








私は、その場に固まったまま、言葉を紡ぐことができない。



そんな私を、タカは少し苦しそうに目を細めて、見つめた。









「なぁ、カノンちゃん…空生が詐欺師じゃない時にした恋は、後にも先にもカノンちゃんだけだよ。」











ただ、ただ、静かに、切なげに、けれど、しっかりと、タカは私に伝える。




そして、私の返事も反応も待つ事無く、出してください、と、運転手を振り返った。









無情にも思える、タクシーのドアがバタンと閉まる音がして、目の前から消えても。







雪が、どんなに冷たくても。






風が、どんなに私を引っ張っても。








私は、そこから、微動だにできなかった。





零に戻った…ってことは。




ゼロの地点に戻ったってことは。





つまり…。




中堀さんが、詐欺師に戻ったっていう、ことだ。





そこまで考えた所で、へなへなと身体から力が抜けて、濡れているのも構わずに、アパートの階段前の道路に座り込んだ。






―嘘とホントの見分け方、知ってる?








また、頭が混乱してくる。




だって。




中堀さんは、私のこと、騙してたんじゃないの?



やめたっていうのも嘘で、詐欺師は続いてたんじゃないの?








だって、だって、だって。










「…だって、、じゃ、ないか…」







涙が、また、湧き出てくる。




どうして。




自分は、また、こんな所で立ち止まっているんだろう。




いっつも、私は、自分のことしか考えてなくて。




中堀さんに振り向いて欲しくて、突っ走って。




でも、掴むのは空ばかりで。





結局、自分が惨めで。





自分ばかりが、悲劇のヒロインで。





騙されたとわーわー泣いて、自分で作った殻に閉じこもって再び外に出るのを恐れている。








自分だけが、可哀想で仕方なくて。




「馬鹿だ、私…」




……言ってくれたのに。





「っうっ…」







とっくに全身は冷え切っているけれど、子供みたいに、涙が止まらず、顔を手で覆った。










―『俺…あんたのことが、好きなのかもしれない。』










好き、じゃなくて。




かもしれないって。









―『空生が詐欺師じゃない時にした恋は、後にも先にもカノンちゃんだけだよ。』










―『他人を身に着けてない時だけ、空生は、空生だった筈なのに。』









空生、って、呼んで良いって、言ってくれたのに。








零でも、他の誰でもなかった貴方を。






どうして、あの時のあの言葉と彼を。







私は信じてあげなかったんだろう。









貴方を、もう、一人にしないと。






傍に居ると言ったのは、私なのに。






貴方の傍を先に離れてしまったのは。






約束を破ったのは。






嘘を、吐いたのは。





私の方、だったのに。





空生で居る貴方は、いつも、本当だったのに。


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