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詐欺師の恋  作者: lahai_roi
14/23

5年前

5年前のことなんて、あいつは覚えてないだろうな。




5年前の女。







そう言っても、少しもたじろがなかった。




星の数ほど、たぶらかしてきた中の、一人の女。




それだけだから。




きっと名前すら覚えてないだろう。





いや、誑かそうとすら、あいつは考えてなかったのかもしれない。





けどどうしようもないから、考えないようにしていたのに。




どんなに忘れようとしても、忘れられない。





あいつとまた顔を合わせる日がくるなんて、思いもしなかった。







まさか、またこの街に戻ってきていたとは。






そうしてまた、俺の大事な人を奪うのか。






あいつに誰かを愛する感情なんて、ないだろ。





欠落してる。





あいつが誰かと幸せになる資格なんて、ないだろ。






あいつなんかより、俺が。





俺の方がよっぽど櫻田を幸せにしてやれる。







========================




「美咲が?」





就職を4月に控え、バイトに明け暮れていた冬。




22時に帰宅し、遅い夕食に箸を付けたと同時に、母が心配そうな顔をして俺に悩みを打ち明けた。






「うん。。。最近、遅くまで帰ってこないのよ。金曜は家にすら寄らなくて、決まって朝帰りしてくるし。服装もどんどん派手になって…あの子、悪い友達でもできたのかしら。」





頬に手を当てて、溜め息を吐く母に、俺は首を傾げた。





「まぁ、あいつももう大学生だしね。受験の反動ではじけちゃったんじゃない?」





美咲は3個下の妹だった。



近頃は忙しくてお互い顔を合わせることはないが、そんなに心配しなくてもいいように思えた。






「でも…本人に訊いても、放っておいてよって言うだけで…」






「そういう時期もあるって。確かに女だから、ちょっと気をつけた方がいいのかもしれないけど。」






「―そうかしら。」






「彼氏でもできたんじゃないの?その内紹介しに家に連れてくるって。」





腑に落ちない顔をする母に、安心させるように言うと、やっとほっとしたような表情を見せた。






「そうかもしれないわね。」




母とのそんなやりとりがあった後の深夜。




風呂を出て、頭をタオルでがしがし拭きながら、階段を上りかけた所で。




カチャ



玄関の鍵が静かに回った音がした。






立ち止まって見ていると。




美咲が音を立てないように、こっそりと中を伺ったのと目が合った。





「…おかえり」





ぎくりと肩を強張らせた美咲は、声の主が俺だとわかって、あからさまにほっとした表情を見せた。




「あ、ただいま、お兄ちゃん。」





―確かに。




母親から聞いた通り、これまでおとなしめの服装を好んで着ていた美咲とは違い、今の格好は少し、派手だった。




というか、肌の露出が多い。




おまけに階段を上ってきた美咲からは、酒と煙草の匂いがする。






「…母さん、心配してたぞ」





そう伝えると、美咲は溜め息を吐いた。




「知ってる。最近超うるさい。」





「ちょっと…遅いんじゃないの?」





「何よ!お兄ちゃんまで、五月蝿く言うわけ?お兄ちゃんだって夜遅くなることあるじゃない」




「俺は男だけど、お前は女だろ。」





「そんなの、差別だわ。」





階段の途中で、忌々しげに呟くと、美咲は俺のことを押しのけて、部屋に入ってしまった。




「ったく。何ムキになってんだか。」




俺は一人で肩を竦める。



母が心配する理由も、少し理解できる気がした。




けど、俺自身も忙しくて。




その夜はひっかかったものの、暫くは深く考えなかった。




それから、一週間後、位だったろうか。




朝、コンビニに行くのに、自転車を玄関まで出したところで、美咲の中学の同級生が偶然家の前を通りがかった。





「あ、美咲のお兄さん、こんにちは。」





「あれ、知代ちゃん?」





中学校の頃の記憶と比べると、大分大人びたその子は、はにかんだように笑う。




「覚えてくれてたんですね。嬉しいな。」





「よく家に遊びに来てくれてたから。また美咲と遊んであげてね。それじゃ」





軽い挨拶だけして、自転車に跨った。




が。




「…あの……」





知代が俺を呼び止める。




「ん?どうしたの?」





何か躊躇うように俯く知代を覗き込むようにして訊ねると、ゆっくりと彼女は顔を上げた。






「美咲、、最近、元気ですか。」





その顔には、困惑と不安が表れていた。






「?俺も忙しくてあんまり顔合わせてないけど、元気だと思うよ。ただ、大学が面白いのか、帰ってくるのが遅いから、心配だけどね。」





なぜ、そんなことを訊くのかわからず、俺は安心させるように笑いかける。






「……やっぱり…。」




だが、知代の納得するような声に、胸騒ぎを覚えた。





「どういうこと?」





今度は俺が眉間に皺を寄せる番だった。






「……どこまで本当かどうかはわかりません。ただの、噂…なんですけど―」





それまで静かだったのに、突然、風が強く二人の間を吹き抜けていった。





========================




夜の繁華街。




ちょうど俺の就職した会社の直ぐ近くの、飲み屋ばかりが続く一角。





「さむ…」




俺は寒さに身を縮ませながら、重低音の響くクラブの入り口が見える位置に潜んでいた。





黒い扉の脇には、ノッテ・ディ・ルーナという文字がネオンでピカピカと派手に光っている。




俺は目を細めながら、それを眺め―。






『ただの、噂…なんですけど―』





今朝、知代から聞いた話を思い出していた。





『なんか、、美咲、、最近…クラブに通ってるみたいで…』




『-クラブ?』




『はい。大見近くの…確か、ルナっていう名前だったと思います。』




『そこに美咲が通ってるの?』




『なんか、見たっていう友達が何人かいて。全然中高の時と違うって。。それで…そこでDJやってる人のこと追っかけてるみたいなんです。』




『……好きってこと?』




『…はい、かなり。』




『そっか…まぁ、それは別にいいんじゃない?』





『・・・でもそのDJっていうのが、、なんか、裏がありそうで。。。』




『―どういうこと?』




『美咲は相手にされてはいないみたいなんですけど、、その…何人も女の人がいて、、お金とかもらってるの見たことある人とか居て。私、心配で…そ、そしたら…ほ、本当じゃないかもしれないんですけど、美咲…』





見覚えのある人影が、クラブの入り口に立ったのを見て、俺は静かに動き出した。






『大学、辞めたって・・・』






白い息が、闇をふわりと漂う。





俺の目の前で、パタンと閉まった重そうな黒い扉を見つめ、一呼吸置いてから、手を掛けた。





中に足を踏み入れた途端、余りの人の多さに驚く。




追いかけていた人物は、人ごみの中に紛れ込みそうだ。




「!」




慌てて追いかけようとするが。





「おにーさん。料金ちゃんと支払って、ね?」





体格の良い男が俺の肩をやんわりと掴んだ。




「あ、すいません。」




言われるまま、札を何枚か渡しながら、俺は尋ねる。





「あの、ちょっと訊きたいんですけど。。ここのDJって一人ですか?」





クラブなんて初体験な俺には、どういうシステムで店が回転しているのか全くわからなかった。




「何、おにーさん初めてなの?ここのDJは常任は2人か。あとはふらっとやってくるゲストがいるよ。今ちょうど居る時だから、それ合わせると3人てとこかな。」






「…そうですか。ありがとうございます。」






再入場の時に必要なリボンをポケットにしまい、御礼を言って奥に向かった。





身体に響くような重低音に構う事無く、俺は必死で首を回し、完璧見失ってしまった美咲を捜した。





今日は金曜日だから、美咲はきっと家には帰ってこないつもりだろう。





真実を確かめたかったし、美咲に大学のことをちゃんと訊かなければ、と思った。





「くそ、何処行った…」





人を掻き分けることに疲れてきた頃。







ちょうど、零時。






照明が、急に絞られ、観客が沸いた。




「きゃー!!!!零ー!!!」




悲鳴ともとれる黄色い声が会場に響き渡る。




明らかに曲調が変化し、ステージにライトの光が散った。



爆発のような音がしたと同時に、スピーディーな曲が流れ出し、人々は思い思いに弾けている。





そんな中で俺は、明るいステージに立つDJを対峙するように、真っ直ぐ見つめた。





このクラブにDJが3人いる、として。



あとの2人を見なくとも。




恐らく、あの男だろう。



そう思ったのは、直感なんていうもんじゃない。





白っぽい金髪の、ひどく顔立ちの整った男。




高い背。



美咲じゃなくとも、彼を見た人間は皆虜になってしまうんじゃないだろうかと思うほど。




女が貢ぐ噂話に頷ける程。




男の俺から見ても、容姿端麗な奴だった。




他の2人が同レベルの容姿ならわからないが、こんなずばぬけたの、世界に2人といないのではないか。




―ありゃ、美咲の手には負えないわ。美咲が相手にされてなくて良かった。





安堵の溜め息を吐いてしまう俺は、妹に嫌われて仕方ないかもしれない。




そう苦笑した所で、バーカウンターに一人で座っている美咲を発見した。





―帰ろうと声を掛けよう。それから、余りに相手を高望みし過ぎていると忠告してやろう。




今はきっとスターに恋する少女のように、ただただ盲目的になっているだけだ。




目を覚ますのは、早い方がいい。




俺は人と人の間をすり抜けながら、カウンターに座って、じっとステージ上を見つめているショートカットの女に近づく。



と。




「!」




さっきまでは気付かなかったが、赤い髪の男が脇に座っていたらしい。




そして今、美咲の肩を急に抱いたのだ。





―なんだ、アイツ…。





顔はまぁまぁ悪くはないが、軽そうな感じの男に、思わず眉間に皺が寄る。




やめてよ、というように、視線をステージに向けたまま、美咲は男の手を振り払う。




しかし、男は妙に馴れ馴れしく美咲に話しかけている。





―まさか、アイツじゃないだろうな。





どうか違っていて欲しいと願ってしまう。





「―美咲」





すぐ傍まで行って、思わず名前を呼ぶと、軽そうな男は俺を不愉快そうに睨みつけ、美咲もステージに向けっぱなしだった顔を少しだけこちらに傾けた。





迷惑そうな顔が、直ぐに驚愕の表情に変わり、目が見開かれる。




きつい化粧で、いつもより目がでかく見えて少し怖い。






「おにい、、、ちゃん…どうして…」




「え?!お兄ちゃん?美咲ちゃんのお兄ちゃん!?」





五月蝿い外野は無視して、俺は座っている美咲の腕を掴んだ。





「―帰るぞ。」




有無を言わせない力でぐっと引っ張ると、美咲は直ぐにふらりと立ち上がった。



しかし。



「ちょっと!!!」




美咲はカウンターにしがみついて抵抗し、俺をめ付けた。





「私、帰らない!今日は、帰らないから!」




でかい音楽がかかっているため、幸い周囲の客に気付かれてはいないようだ。



ただ、隣の軽男は、事の成り行きを楽しそうに黙って見ている。





「駄目だ。俺、お前に話がある。」




「嫌!今日だけは、嫌!」





美咲は駄々をこねる子供のように、首を横に振った。




そんな美咲を見下ろしながら、掴む手はそのままに、ふぅと息を吐く。




少し、気持ちを落ち着けたかった。




「お前の大学、ここの近く…とは言えねぇよな。」




『大学』というワードを出された瞬間、美咲がぐっと押し黙り、目を伏せた。




「いつも…ここ、、来てんのか…?」





美咲は俯き、答えようとしない。





「なぁ…、大学―」




辞めたって、本当なのか、と。




訊ねようと俺が言いかけた所で。





「お願い」





美咲が顔を上げて、懇願するかのように呟いた。





「帰るから…あと、少しだけ…居させて」




少し、震える声で。



俺の力が緩んだのを了承したととったのか、美咲は直ぐに顔をステージに向けた。




そうして、今はもう青い光に変わった、照明の下のDJをじっと見つめる。





熱の籠もった視線で。





妹がこんな風に、切ない顔をしているのを見るのは、初めてだった。




―突然兄が来ても、自分にまずい事が起きても、それでも、あいつが優先なのか。




そんなに、好きなのか。




それとも、憧れに過ぎないのか。




誰にも気付かれないように、小さく溜め息を吐き、腕組みをしてその場に突っ立っていると。





「美咲ちゃん、随分入り浸り、だよー」






さっき美咲の肩を抱いた、髪の赤い男が、カウンターに頬杖を付き、笑ってこっちを見ていた。





「・・・・」





「零狙い、みたいだけど…不毛だし。」





「・・・・」






「あんだけ真っ直ぐだと…零は相手にしないから、ね。けど…」





そこまで言うと、男は美咲の背中に目を向ける。





「ちょっと迎えに来るの、遅すぎたかもよ?」





「―え?」





それまで無視を決め込んできたにもかかわらず、俺は思わず口を開いていた。





男は相変わらずにやりと笑んで、ゆっくり俺を見た。






「引き返すことができないくらい、溺れてる。」





あの時は。




その言葉の意味がよくわからなかった。




恋なんて。





別に、生きていくために必要なもんじゃないし。





一種の熱病みたいなもんで。





高い熱に浮かされた後は、すぅっと引いていく。





時間が経てば、忘れ、なくなって。







恋なんて。




誰かに頼りたいから、一人じゃ寂しいからするもんで。




別に誰か一人に絞らなくても。




傍にいて、心地良い人が見つかればそれでいいわけで。




絶対にこの人じゃなきゃ駄目なんてことはないんだから。




盲目的になるなんてことも、一時的で。





後戻りできないほど、溺れるなんて。





そんなことあるわけないだろ、と。






赤い髪の男のことを、どこか馬鹿にして見ていた。




後になって、どれ程真実だったか、痛感することになったのだけれど。




でも、この時に、それをわかっていたとしても。




やっぱり未来は変わらなかったんだと、思う。






========================




「―で?」




真冬の夜空は、数こそ少ないけれど、都会でも星がきれいに見える。



呼び込みの男や客引きの女を避けるように、俺と美咲は道路を並んで歩いた。





「でって・・・?」




クラブを出てから、美咲はずっと俯いている。



赤い髪の男が『レイ』と呼んだDJの出番は、朝までのこともあるらしいのだが、今晩は短めだった。



それが気分を害したようで。



他の客同様、美咲も仏頂面だった。





「だから、大学辞めたってマジ?」




「・・・・」




さっきから幾度となく同じ展開だ。



美咲は肯定も否定もせず、ただ黙って唇を噛むだけなのだ。




―いい加減苛々してくる。





「それで、あの男のために貢いでるって訳?」





「ち、違う!!学費は使ってない…」




慌てて否定した美咲の答えは、大学を辞めたことを示していた。






―本当だったのか…





自分が内心がっかりしているのを感じて、美咲が大学を辞めたなんてただの噂であってほしいと願っていたことに気付く。






「それに…あの人はそんな人じゃ、、ない…」






弱々しい声なのに、どこか確信を持って、男を庇うような発言をする美咲に苛立ちが増す。





「-いつから?」




自然と、声が低くなった。




美咲の肩が小さく震えた。




「大学辞めたの、いつ?」




同じ質問を繰り返すと、美咲はぴたりと立ち止まって、上目遣いにこちらを見た。





そして、おずおずと答える。






「……冬休み、前。。」





―辞めて、三ヶ月、か。



俺は小さく舌打ちして、ふーと息を吐いた。





「なんで。先生になるんじゃなかったの。」





美咲の幼い頃からの夢は、家族なら皆知っている。




けれど、当の本人は小さく頷くだけで、何も言おうとしない。





「クラブ通いなんて、柄じゃないじゃん。こーいうとこ、嫌いかと思ってたけど。」





少しの嫌味をのせて言えば、俯いている美咲の耳がカッと赤くなったのが夜目にもわかった。





「違うの…、あの、、人に会えるから…来てるだけ、なの。」





「?だって、クラブで会ったんじゃないの?」





目を見開く俺に、美咲はふるふると首を振る。





こんなに寒い夜。



繁華街のど真ん中で、立ち尽くしている俺等は、道行く人の目に、どんな風に映っているだろう。



別れ話をするカップルだろうか。





「大学でできた友達の地元がここの近くで…こっちに良いお店があるって連れて来てもらったことがあって。」





ぽつり、ぽつりと美咲が話し出す。





「サークルの後で、結構夜遅い時間だったんだけど…道端にちょっと柄の悪い人たちが居て…その中の一人が実は…友達の元彼だったの…」




そこまで聞けば、なんとなく予想は出来る。




「で。あんまり良い別れ方じゃなかったみたいで、お酒も飲んでたみたいだし、絡まれちゃって、、無理やりどこか連れて行かれそうになって…」





裏切ることなく、美咲は俺の想像通りの展開を話した。





「そしたら、ちょうど、そこを通りがかったあの人と、、、タカが…あ、えっとタカっていうのは、さっきの赤い髪の人、だけど…その二人が通りがかって―」







―『お前等、まだそんなことやってんの?』






レイという男がグループのリーダー格にそう言った、と美咲は言う。





「そしたら、『お前帰って来たのか』って、言った後、その人驚いた顔してたんだけど、直ぐに舌打ちしていなくなったの。」






つまりは。





助けてもらったということらしい。





「あの人は、私達のことなんて眼中になかったみたいなんだけど…なんか、すごく格好良くって…」





美咲の目がキラキラと輝き、恋する乙女そのものになっているのを横目に。





―厄介なヒーローだ。




俺は頭を抱えた。





助ける気もないのに。



ただの気紛れなのに。




美咲を虜にしてしまった。





それも、たった一言で。





「一目惚れ、だったの。」




美咲が苦しそうに呟いた言葉に、俺は我に返る。




「どうしても、繋がりが欲しくて、立ち去ろうとするのを引き止めて、『どこに行くんですか』って訊いた。あの人は私達のことなんかお構いなしにさっさと歩いて行っちゃったんだけど、タカは『ルナだよ』って教えてくれて。」




―『Notte di Lunaで、こいつはDJやってるよ。でも、今だけ、だから。早くこないとその内また居なくなっちゃうよ』





その言葉に美咲は軽い焦りを感じたと言う。





「何処へいくのかは知らないけど、そんなに長く居ないような言い方だったから、それまでに振り向かせなくちゃって。」





それから、美咲はクラブに繰り返し通うようになったらしい。





「でも、大学辞めなくても…」




「…何にも、手に付かなくなったの。。」





俺の言葉に、美咲の顔は辛そうに歪む。





「あの人が居ないなら、何も意味がないような気がして―」




俺は耳を疑った。






「!!美咲!目覚ませよ!?あんな奴、美咲の手に負えるわけがない。」





「-わかってる。」





「?!」




やけに悟りきったような声で、美咲は切なげに笑んだ。





「それでも、いいの…」




「みさ…」




「私、あの人の役に立ちたい。」





どうして、人は人を好きになるのか。




どうして、何もかも捨てられるのか。




美咲の真っ直ぐでブレない瞳の中に宿るものは一体何なんだろう。





「役にって…あいつに利用されてんのか…?」





信じられないような面持ちで問うが。




美咲はただ笑って首を振った。





その笑顔が。




何とも言えず幸せそうで。



美咲の意志の強さが、ひしひしと伝わってきて。





俺は二の句を告げなかった。





それでも、まだ。




時間が経てば、熱も冷めるだろうと、勝手に俺は思い込んでいて。




小さい頃、おままごとに熱中する美咲に付き合ってやった時と同じような、半ば呆れた気持ちで美咲を見つめていた。






「…ほとぼり冷めたら、ちゃんと父さんと母さんに話せよ。」






それだけ言うので、精一杯だった。





========================





「まだ、飲むのかよ。」




「じゃ、次はボーリング行くかー!?」





久々に大学の友達と会って、飲み屋をはしごしていた俺は、前方から来た人間につい立ち止まってしまう。





―あれ?






「彰仁!ほらほら、次行くぞー!!」






すれ違い様にチラリと見た男は、煌びやかな女を連れて笑顔で歩いていた。






「わりぃ、先行ってて。」



「はぁ?!」




不思議そうな顔をする友達に、俺はそれだけ言い残して、踵を返す。





数歩先を行くカップル、に見える二人組み。



男の方の髪色は茶色。





―ホスト、みてぇ。





俺は首を傾げながら、ゆっくりと後を尾ける。



どうも、二人がこれから向かうのは高級ホテル方面のようだ。





―見間違いかな。






クラブで見た時は、誰も寄せ付けないような、そんなオーラがあったし、美咲の話から考えても、笑顔を無駄に売る男じゃない筈だ。





なのに。




今俺の目の前に居る男は、にこやかに、へらへらと、そう…まるでホストみたいに振舞っている。




楽しそうに弾む会話は、テンポが良い。





信号待ちで立ち止まった所で俺はふと冷静になる。




―これが本人だとして、俺は一体何がしたいんだよ。




咄嗟に追いかけてきたのは良いが、まだ美咲に何かされたという確信はない。




ただの酔っ払いの絡みになってしまいかねない。





「ヒロ」





そこに、女がやけに甘い声で、横に居る男を呼んだ。



男はそれに笑顔で応じ、女と組んだ手に力を入れる。






―ヒロぉ?




その背後で、俺は益々訳がわからなくなる。





美咲や赤頭から聞いた話じゃ、確かレイって名前だった筈だ。





―じゃ、やっぱり人違いか?





クラブでのことがあってから、美咲の話をぐるぐる考えていた自覚はある。



それが、錯覚させたのか?




いちゃもんつけた挙句、人違いでした、では済まされない。






結局信号が青になっても、俺はその場を動かずに、首を捻りながら、二人の後ろ姿を見つめていた。





確かに、似ているのに、と思いながら。




それから暫く経った頃。




ピンポーン




部屋のベットに寝転がって小説を読んでいると、家のインターホンが鳴った。




2階だから下りるのが億劫で、誰かでないかと様子を伺っていたが、ちょうど皆出払っているらしい。






ピンポーン





「はぁ…」





催促するような二度目のチャイムに、俺は仕方なく受話器を取った。





「はい…」




≪あ、えっと、藤代さん、あの、藤代美咲さんのお宅ですよね?≫





上擦ったような女の声に、俺の眉間に皺が寄る。





「そうですが?」




≪あの、えっと、、美咲さんの叔父さんっていらっしゃいます?≫





「はぁ?」





≪その!叔父さんに一目ぼれしたんですぅ!それでっお菓子をっ!!≫






「…少し、お待ちいただけますか…?」





やっとのことでそれだけ言うと、俺は受話器を置いた。





―どういうこと?




叔父、という単語に俺の頭は長野まで吹っ飛ぶ。




確かに叔父は居るには居るが、もう50を過ぎている。




一目ぼれ、って…ありか?ありなのか?





あの、つるっぱげのオヤジに?





腑に落ちないまま、俺は玄関に向かった。





玄関を開けると、そこに居たのはちょうど美咲と同い年くらいのロングヘアの女の子で。





「わっ、わざわざお呼びたてしてしまって、すいませんっ」





俺に向かって勢い良く頭を下げた。




「いや、いいけど…叔父って、、どういう???」




「あ、あの!私、美咲さんと同じ大学だった林と言います!こないだっ、その、、美咲さんと叔父さんが一緒に歩いている所に出くわして…ひ、一目ぼれしました!!」







顔を真っ赤にして説明してくれたのはいいが、何を言っているんだか俺にはさっぱりわからない。





「いつ?」




「えっと、、一週間くらい、前。。。」





俺が記憶喪失じゃなければ、叔父はこっちには出てきていない筈だ。それももう10年以上も。






「…つるっと剥げたオヤジ?」




「!!!違いますっ!!!」





なんで。



俺の言ったことに対して、女の子はひどく傷ついたような顔をする。





「人違いじゃ…?」




「いいえ!美咲もそう言ってました!」






―どういうことだろう。




益々謎は深まるばかりだ。




俺は思わず、うーんと唸って腕組みをした。




百歩譲って、叔父が美咲にだけ会いに来ていたというのが真実だとして。



けど、10年前に剥げてた叔父が、10年後の今も剥げてないかって言うと、そんなことはないと思う。何か薬を使って育毛し、大成功したならまだしも。



一目ぼれするほどの容姿でもなかったし、あれが好みの人もいるのかもしれないけど。





「50歳くらい?」




「えっ!!そんな年ですかっ!?」




「・・・」




逆に驚かれてしまい、途方に暮れた。




「てっきり、20代かと―」




20代??



んなわけあるか、と言い返そうとして。




ある可能性に思い当たる。





「髪、、茶色?金色?」





「え?茶色です。」





「背高い?」





「はい、高いです。」




「格好いい?」



「はい!抜群です!」




満足と期待を籠めた瞳に。






「ごめんね。美咲が何考えてたのか知らないけど、その人は叔父じゃないよ。からかわれたんじゃないかな。」





さよなら。












―ガチャ。




真夜中。




こっそりと開いたドアノブの前で、俺は仁王立ちしていた。





「!!きゃっ!!」




そんな俺に驚いた美咲が、後ろに仰け反る。





「お、お兄ちゃん…。」




「遅かったな。ちょっと話がある。」





言いながら、俺は二階を指した。




「……」




美咲は何も言わずに、俺の後に続いた。




キシ、キシと、階段を踏む音が暗闇にやけに響く。






俺の部屋に入り、回転椅子に座ると、美咲は入り口で所在無さげに立ち尽くしていた。






「単刀直入に訊くけど。叔父さんがこっち来てたってホント?」





蛍光灯の下で、美咲の背中がぎくりと震えたのが分かった。





「な、な、何。。。それ」





努めて平常心を保とうしているようだが、動揺しているのは明らかだった。





「本当なら俺、母さんに言って叔父さんに連絡させなきゃなんねぇんだけど。」




「っ、やめて…っ」





我ながら意地悪だなと思いつつ、他に方法が思い当たらなかった。




「じゃ、ちゃんと説明して。今日叔父さんっていうののファンが家まで追っかけてきたけど?」




「・・・・」




尋問のような俺の問いかけに、美咲は黙って俯いた。





「しかもその叔父、茶髪で20代位でかなり格好良いらしいんだけど。どういうこと?政弘叔父さんそんなに変化しちゃったわけ?」





美咲の顔に、苦虫を噛み潰したような表情がみるみる広がる。





「…あいつ、だよな?」




「…ちが…ちょ、ちょっと、、仕事の手伝い、してるだけ…」




絞りだすような声に俺は耳をそばだてた。





「…手伝いって?…仕事ってDJじゃないの?」





「・・・・・」





「なぁ、美咲。お前やばいこととか、首つっこんでねーだろうなぁ?」




「し、してない。」





それから美咲は、それ以上何を訊いても頑なに答えようとはしなかった。



クラブに行った時から、ただでさえ、美咲は俺を避けていたから、今回の件で余計に距離が生まれてしまった。このままではいけない。



俺は自分で調べる必要があることを悟った。



思っているよりずっと、物事は複雑な位置にまで及んでいるようで。



見えない何かに、一瞬、気圧されそうになった。




========================





「あれ、誰かと思ったら。美咲ちゃんのおにーさんじゃん。」





キャップを深く被って、カウンターのスツールに腰掛けると、赤頭、もといタカという男が、驚いたようにこちらを見た。





「残念だけど、今日は美咲ちゃんも零も居ないよ?」




くるりと椅子を回転させると、身体を俺に向ける。




酔いつぶれたのだろうか、タカの隣には、カウンターに突っ伏している女の姿があった。





「―今日は、あんたに訊きたいことがあってきたんだ。」





そう言って、タカの顔を真っ直ぐ見つめると、茶化すように奴は笑う。





「えぇー?何々、超こわぁ。大丈夫だって。美咲ちゃんは零一筋だから、俺にはなびかないし。」





構う事無く俺は低い声で短く訊ねた。






「レイって男。DJ以外に何やってますか?」





タカの前に置かれたグラスの中の氷が、カランと回る音がする。





相変わらず笑ったままではいるが、タカの顔つきが一瞬固くなったのを俺は見逃さなかった。






「あいつ、何者ですか。」





レイもタカも、俺より年上なのは見ればわかる。



だから、この場に足を踏み入れることが、怖くなかったといえば嘘になる。




けど、美咲のことを考えると、いてもたってもいられなかった。






「零が、DJの他に???初耳だな、そりゃ。俺はなーんにも知らないよ。なぁ?」




タカはにやっと笑って、グラスを口に持っていくと、バーテンダーに同意を求めた。




「そうだな。」




背の高い男は、短く答えると、瓶からグラスにとくとくと酒を注ぎ始めた。






―ここで、退く訳にはいかない。





最初から答えてくれるなんて期待していなかったが。




もしかしたらという気持ちも無きにしもあらず。






「お願いします…美咲が何かに巻き込まれたら…」






「うーん、、、そうだなぁ…」






思案するようなタカの声に、俯きかけた顔をばっと上げた。





仰いだタカの顔には相変わらずむかつくような笑みが。




そして、その手には透明な液体の入ったグラスがあった。





「もしも―、これ飲んで話が合ったら、俺も何か思い出すかもなー」





そう言って、片目を瞑る。






「酔っぱらいの戯言って奴?」





ごくりと生唾を飲み込み、俺はタカの手中にあるグラスをじっと見つめた。





「-本当、ですね?」




「おう。男に二言はないぜ」






その言葉を聞いて、俺は意を決して、グラスを受け取る。






―小さなグラスだ。これくらいなら―




酒には弱い訳ではない。




自分を過信した。













その後の記憶は、ゴミ溜めの中、目を覚ますまで、ない。




空は白けてきたばかり。




頭が、鈍器で殴られたようにガンガンして、尋常じゃない吐き気に、汚い話だが、その場で戻した。




眩暈のように世界が回っていて、起き上がることすら難しく、手に何か握らされていることに気付いたのも、少ししてからだった。






「-やられた。」





自分の手にあったものは、酒瓶で、『SPIRYTUSスピリタス』と書いてある。



こんな酒をストレートで飲まされたんじゃ、こうなるわけだ。





浅はかだった。






「ちくしょう…」





一体俺はどうしたらいいんだよ。




腹いせに、手にした瓶を壁に叩きつけたが、力が入っていないせいで上手くはじけることなく、無様に転がった。





美咲が。




美咲じゃなくなる。





俺が。



守ってやらないと。




だって、俺は、あいつの兄貴だから。





だけど、俺は。




守り方を知らない。





行くなと言っても、行くあいつに、俺は何をしてやれるんだろう。







―数日後。




夜の繁華街。




俺は当ても無く歩き回っていた。





これからクラブに行って、とにかく美咲を連れ戻すか。



それとも、零に直接声を掛けにいくか。





二択で悩み、焦っていた。




もう何が正しくて、何が間違いなのか、わからなかった。






そのせいか。





前方から誰かがこちらに向かってきたことにも気付かない程に、ぼけっとしていた。






「ってぇな!!」





突然、肩に走った衝撃と、怒鳴り声に、やっと俺は顔を上げる。







―うわ、やべ。






明らかに柄の悪そうな連中を引き連れた男が、目の前で俺にガン垂れている。





「す、すいません…」




「すいませんじゃぁ、すまねーだろぉー?!これで骨折れてたらどうしてくれんだよ?!」





あっという間に俺は、10人程の男たちに取り囲まれてしまった。





「いくら持ってんの?」




多勢に無勢だ。




勝ち目は無い。




俺は憤りを感じつつも、ぐっと唇を噛み締め財布を取り出した。





瞬間に、それを奪い取られる。





―くそ、マジでロクなことねぇな、ここ。





先日のこともあり、げんなりした気持ちで居ると。






「あれ?コレ、シンジの元カノとそのダチじゃねぇ?」




「うわ、まじだ。」






俺にぶつかった男の取り巻きが、驚いたように声を上げた。




―え。





ちらっと人だかる財布の行方に目をやりながら、なるほど、確かに大学に入りたての頃、美咲が新しい友達ととったプリクラを俺の財布に無断で貼っていたのを思い出す。





―そういや、中々剥がれなくて、面倒だからそのままにしてあったんだった。






「おい、どーいうことだよ?!」





シンジ、と呼ばれた男がすごい剣幕で俺に訊くのを見ると、どうも、元カノの今の彼氏じゃないかと勘違いしているらしかった。





「いや、、、その、左の子…妹なんです…」





あまりの短絡的な考えに、半ば呆れかけていた俺は、余計な事はいいから、とっとと金をとって逃がしてくれと願う。





「ふーん…妹、、ねぇ。」





俺にぶつかったリーダー格らしい男は、シンジの手から財布を奪い取ると、ぶつぶつと呟きながら、俺の願い通りに数枚の札を取って財布を地面に叩き付けた。





「おら、とっとと先行ってろ。」




「え・・・」






何の理由もなく、俺を殴れると思っていたらしい仲間たちは、リーダー格の男の言葉に、微かな動揺を見せた。







「何やってんだよ、早くしろよ。」





「…うす。」






もう一度促され、ようやっと男たちはぞろぞろと動きだす。






「…良い事教えてやるよ。」






男たちが数歩先まで行った所で、残ったリーダー格の男は札をポケットにぐしゃりと仕舞いこみ、俺を見た。






「お前の妹、詐欺の片棒担がされてんぞ。」












―は?




頭が、真っ白になった。





美咲が?



詐欺?






「表向き、DJやってる非道な男に利用されてんだぜ?」




男は淡々と喋り続けながら、おもむろに煙草に火を着けた。



DJというワードに、俺はピクリと反応する。





「あいつにとって、女は食いもん以外の何者でもねぇからな。」




「なんでそんなこと…知って…」




「俺とあいつは直ぐそこの施設で育ってるから知ってんだよ。あいつは一応施設長の息子、になってっけどな」




何がそんなにおかしいのか、男は呆然とする俺を見て、くっくと笑った。





「早く助けてやんなよ、おにーちゃん。それで被害届出してくんねぇ?」





「・・・・・」






どうして、この男が、こんな情報を俺に流すのか、意図が掴めず眉間に皺が寄った。




それが相手に伝わったのか。






「俺にとって、あいつは邪魔なんでね。」





吐き捨てるように男はそう言って、今度こそ俺に背を向けた。





俺は、その背中を呆然と見ながら。






―『道端にちょっと柄の悪い人たちが居て…』




―『そしたら、『お前帰って来たのか』って、言った後、その人驚いた顔してたんだけど、直ぐに舌打ちしていなくなったの。』





いつだったか、美咲がしていた話を思い出していた。





詐欺師の、片棒…




その場に立ち尽くして、言葉を咀嚼するのにかなり時間がかかった。





「・・・」




やがて、今まで靄がかかっていた全ての不可解な出来事の意味を、理解する。






「美咲…」





咄嗟に美咲の携帯を何度も何度も鳴らすが、出ない。




苛立ちを覚えても、クラブに行くのには金がいる。



強行突破しても、つまみ出されるだろう。






そのまま俺は空になった財布を拾って、仕方なく帰途に着く。




寝ずに―どっちにしろ眠れる状態ではなかったが―美咲の帰りを待っていたが、結局朝になっても美咲が家に帰ってくることは無かった。




といっても、美咲はここ一週間程家に全く帰ってきていなかった。




―直ぐにでも止めさせないと。




時刻は朝の7時を過ぎた所だ。



再び俺は美咲の電話番号を鳴らす。




美咲の好きなバンドの曲が流れる。




なんていう題名だったかは忘れた。





そして。




≪お兄ちゃん…≫




「美咲!?」




慌てていたせいか、名前を呼ぶので精一杯だった。





≪あの人、、居なくなっちゃった…≫




鼻を啜るような音がして、美咲が泣いている事に気づく。






「?!お前、今何処だよ!?」





「彰仁??」





階段を駆け下りると、一階の寝室から起きてきた母親が、不思議そうな顔をして俺を呼ぶが。





「ちょっと出てくる。」





俺は携帯を耳に当てたまま、玄関を飛び出した。





≪あの人が住んでた…マンション…≫




「そこ何処だよ?え?あぁ、わかった。待ってろ、今俺行くからな!!」





昨日の格好のまま、コートだけ羽織るのを忘れてしまったが、寒さを感じない程、俺は夢中で走った。





≪ううん…いい。。私、あの人を捜しに行く・・・≫





「いいから!動くんじゃねぇぞ!?」





よくわからないが、今の美咲の精神状態は普通じゃないはずだ。



下手に動かれると居場所がわからなくなるし、危険だ。



なのに。




≪お兄ちゃん…私、本当に好きだったの。≫





俺の制止に対して何の返事もしないまま、美咲は涙声でぽつりぽつりと話し出す。



「うん、わかったから…」





≪やっと、やっと、ね?上手く行ったら好きになってくれるって言ったのに…なのに、あの人、、突然消えちゃった…どこ?どこいっちゃったんだろう…?≫




そんな甘い言葉を囁いて、美咲を利用したのかと思うと、全身の毛が逆立つような気がした。






≪あんなに好きな人、もう居ない。もう、あの人じゃないと私、、≫




美咲はなおも、うわ言のようにひたすら愛を呟く。






≪会いたい、あの人に会いたいっ…≫





最終的に子供のように泣きじゃくりだした美咲を、なんとか宥めようと相槌を打つ。





「わかった、わかったから、みさ…」






瞬間、俺は言いかけた言葉を結局最後まで言えなかった。




美咲の声が消え、代わりにプァーと大きなクラクションが聞こえたと思ったら、プツリと通信が途絶えたからだ。





「美咲!?!?」





ツーツーツー




名前を呼んでも、ただ耳に届くのは、無機質な機械音。





俺の手が力なくぶらさがり、携帯がカチャンと音を立ててアスファルトに落ちた。






寒空の下。





俺はただ、立ち尽くした。






雨が、ぽつりぽつりと、濡らし始めても。






















それから、どのくらいの月日が経ったんだっけな。







ただ。




ただ。





やるせなくて。




俺は誰かに八つ当たりたかったのかもしれない。




やけに空っぽで。



やけに空がキレイで。




やけに肌寒くて。



どんなに捜しても。




諸悪の根源のあいつは綺麗さっぱりこの街から消えていて。




途方に暮れた時に。






―『施設長の息子』





ふと、思い出す。





ここから、一番近い児童養護施設はどこだったか。







そして、気付けば。





都会の喧騒から離れた場所に、ひっそり構える、施設の前に立っていた。







「『胡蝶の家』…」






門にかけられた、手作りの木の看板に彫られた文字を読み上げる。




グラウンドには、遊具がいくつか置いてあって、子供たちが無邪気に遊んでいた。






脇にある小さな扉が、きちんと閉まっておらず、キィ…キィ…と小さく悲鳴を上げていた。





そこから俺は中に入る。





―と。





「何か、御用ですか?」





すぐ近くで声がした。




「?」




声の主を探そうと辺りを見回すと、入り口脇にある植え込みに、体格の良い、帽子を被った老人が、しゃがみこんだまま、俺を見上げていた。






「あ、はい。。あの、、、施設長に、お会いしたくて…」





人の良さそうな笑みを浮かべる老人に、心の準備など皆無で来た俺は、しどろもどろに答える。






「そうでしたか…施設長なら、今そこで子供たちとドッジボールをしていますが…」






そう言って、老人が見た先を辿ると、予想よりも若い男がジャージを来て子供たちと戯れていた。





―若すぎる。





俺は首を傾げた。




そしてはたと気付く。




―そういえば。あいつ等が子供だった時に施設長だった男なわけだから、今は違うってこともあるのか?





怪訝な顔をしている俺に、老人が首を傾げたので、慌てて俺は御礼を言って、とりあえず施設長に確認してみようと、ドッジボールの最中の男に駆け寄った。






「?何か、御用ですか?」






少し手前で施設長は俺に気付き、近づいてきて訊ねる。




警戒心がありありと表情に表れていた。



後ろに居る子供たちも不安げに俺を見上げている。








「あ、あの、ちょっとお尋ねしたいことがあって…俺、藤代って言いますけど…」






「…わかりました。ちょっとそこでお待ちください。」





施設長は、子供たちを安心させるように二言三言話かけ、ドッジボールを続けているように指示を出した。








「藤代、さん、でしたっけ?」





戻ってきた施設長は、子供たちに向けていた笑顔を仕舞い、俺を上から下まで見つめる。





「何の御用かわかりませんけど、できるなら次回からは事務を先に通してもらいたい。ここの子供たちはほとんど大人が怖いんです。」





「すいません…」





なんとなく雰囲気から、そんな感じを受けていたので、俺はすっかり小さくなった。





「それで?用件は何ですか?」




ふぅ、と小さく溜め息を吐いた後で、施設長は腰に手をあて、軽く頭を掻く。





「あの…DJをやっている、、、男の父親がここの施設長をやっているって聞いたんですけど…」





「はぁ?」





俺はここまで来て、初めてあいつの名字を知らないことに気付く。我ながら呆れる。





「レイって呼ばれてたと思うんですけど…ご存知ないですか?」





施設長はうーん、と唸って首を捻る。





「レイ…っていう子、居たかな?女の子なら知ってるけどね。今、何歳位の子?」





「えっと…多分、20代後半位かと…」




「あぁ、じゃ、俺がまだ居ない時だな。もしかしたら、中堀さんが知ってるかもしれない。俺の前だからな。」





施設長はそう言って、植え込みで作業をしていた老人に向かっておーい、と手を振った。




老人は直ぐに気付き、腰を上げてこちらにゆっくりと向かってくる。




「あの人に、訊いてみるといいよ。でも期待しないで。個人情報は教えちゃいけないことになってるから。」





施設長はそれだけ言うと、俺に背を向け、ドッジボールをやっている輪に走っていった。




俺は小さく頭を下げてそれを見送ってから、のっしのっしと近づいてくる先ほどの老人を振り返る。





「私に…何か御用でしたか?」





老人は不思議そうな顔で、ドッジボールに参戦した施設長に目をやってから、俺の顔を見つめた。






「あ、あの、俺が、実はちょっと捜している人が居て―。それが、ここの施設長の息子だって聞いたので、会いにきたんですけど…そしたら…」





俺がそこまで言うと、急に老人の表情が明るくなった。





「空生のことかな?あの子、元気かい?こっちに戻ってきてるのかい?」





―アオ?




俺は聞き覚えのない名前に、内心戸惑った。





「…名前、はちょっとわかんないんですけど…」




「金色の髪だったかい?」





間髪容れずに老人は訊ねる。




「はい!そうです。」





どうやら、間違っては居ないようだった。


ほっとしたのも束の間。






「…私の、、、息子です。。」





老人は少し寂しげに、同時に少し嬉しそうに呟いた。




「え…」




「とはいっても、血は、繋がっていませんがね…あの子、元気でしたか?」





思わず口から驚きの声が出てしまったが、老人は構う事無く問いかける。





悔しい。



憎い。



辛い。



痛い。




そんなドロドロした感情を持て余し、ここまで来たのに。




何年も連絡すら取っていないのではないかと窺わせる老人の態度に、拍子抜けしたような、不思議な気持ちだった。





全部ぶつけて。




あんたの息子のせいで、と。




ふざけんな。ちくしょう、と。




居場所を教えろ!って。







ぶん殴ってやろうと思っていたのに。







あの男の話をする老人の目は、何とも言えず、優しくて。






無性に泣きたくなった。




そんな俺に気づかないまま、老人は俺を見る。








「あの…もしも…あの子に会ったら、、伝えてくれませんか。少しくらい、顔を見せて欲しいって。それから―」











========================






ひゅぅ、と冷たい風が俺の髪も、コートの裾も、ひらひらと揺らす。




潮を含んだそれの中に、波の音が微かに聞こえた。







小高い山の上。





俺は冷たい四角い石の角にそっと手を着く。








「なぁ…、伝えなくて、いいよな?あいつなんかに教えなくていいよな?」






ぽつり、呟いた言葉も、風に消える。





「お前の時間は、止まっちゃったんだからさ。あいつだって本当は止まるべきなんだよ。あいつに幸せになる資格も、誰かを幸せにする資格もないだろ?」






―俺、間違ってないよな?





そう思うのに。





「間違ってないって…言ってくれよ…」






わかってる。




頭では、わかってる。




お前はもう、居ない。




もう、生きてない。




俺の声なんか、届いていない。




聞こえない。




そんなこと、知ってる。






自分自身で、答えを見つけるべきなのも、悟っている。



俺はもう二度と、大切な人をあいつに奪われない。



だから、今のまま、俺は進んでいけばいい、そう思うのに。








どうしてだろう。




確信が、持てないよ。




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