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詐欺師の恋  作者: lahai_roi
13/23

タイムマシン

小さい頃。





現実にあったらいいものを挙げるとすれば、必ずタイムマシンが出てきた。








近所の男子とか、親とか。






私も、多分に漏れず、夢見たものだった。






どうしてかって。






将来を見たいから、とか。





歴史を見たいから、とか。






面白そうだから、とか。






子供の頃の理由は、それくらいだった気がする。







でも、大人になった今は。





あの頃と、少し違う。






ううん、真逆だ。







過去に戻って、やり直したいから。







後悔したくないから。







だけど、実際には、タイムマシンはこの世にない。







過去を変えることは、もうできない。








ただただ、現実を受け止めるしかない。






でも。




どこをどう間違ったのかすら、私にはわからない。






だから、受け止めるものも、ない。





屋上を照らす夕陽が、眩しい。





「花音ー!!!」





少し強い風が吹く中。





自分の名前を呼ぶ声がする。






「憲子…」





陽に背を向けると、憲子がこっちに歩いてくる所だった。







「こんな寒い所で何やってんのよ!!!!また倒れるよ!?」






風に揺らされる髪を抑え、怒る憲子に、余裕のない笑みで返そうとするけど。






「倒れて、頭でも打って、全部記憶がなくなっちゃったらいいのに…そしたら…」





込み上げてくる涙に、言葉が途切れた。





「…花音………」






穏やかじゃない物言いに、憲子も言葉を失った。








来る日も来る日も。





ずっと、考えていた。





ぷつんと切れた中堀さんとの繋がりは。






全部、嘘だったのかなって。





その中の、ひとつも。





本当のものはなかったのかな、って。




中堀さんが、自分のことを想ってくれている、なんて。




いつも半信半疑だった。





でも、私が、中堀さんじゃないと嫌で。





好きで好きで仕方なかったから。






中堀さんから、好きなのかもしれないと言われた時も、信じられない気持ちの方が大きかった。






中堀さんにとって、トクベツなのかもしれないって、おこがましくも考えたりしたこともあったけど。





そうじゃなくても、別に良かった。








「好きで…いてもらえなくても…っ、、良かったの。。」







涙が、ぼろぼろと零れて、耐え切れずにその場にしゃがみ込んだ。








中堀さん。




私のことを、会社で泣かせるなんて、本当にすごい事なんだよ。






利用されてても、良かったの。




愛じゃなくても、恋じゃなくても。






傍にさえいられれば。






なのに。





「け、けどっ…一言でっ…おわ…終わる、、薄っぺらい…関係だったんだなって…」







―もう、必要ないってこと。







最初の、契約期間は、まだ続いていたんだ。





中堀さんと、私だけの、関係のスタートなんて、元からなかったんだってことを知った。





ガツンと鈍器で殴られたような衝撃だったけど。




頭のどこかでは、やっぱりと思った自分が居た。







―そういうの、慣れてるでしょ?





中堀さんも、そういう風に自分のことを見ていたんだなって思ったら、悔しさよりも、自分の価値の無さに愕然としたっていうか。







「け、結局…」






同じ視線になって、じっと黙って耳を傾けてくれる憲子の顔を見ることができない。








「憲子の、、言ってた通りっに、、なっちゃった…私馬鹿だから、、、絶対騙されないって思ってたんだけど、、、騙されちゃった…」








あの日と同じように、睫毛を伏せると、涙が散った。









中堀さんの、どこまでが、偽りだったのかは、もう知る術がない。




もしかしたら、最初から最後までずっと騙されていたのかもしれない。






けど、このままで居られるなら、騙されても良いと思うほど。







中堀さんしか、見えなかった。






そんな関係のオワリは、呆気なかった。







数ヶ月前の月曜の夜。







本当は、あの時に、別れを告げるつもりだったのかもしれない。






電話口ではしゃいだ自分が馬鹿みたいだ。







大掃除を寒い中したせいで、風邪をこじらせて、結局会えなかったけれど。








中堀さんはあの日、家の前に来たかな。








後悔するのは。







中堀さんからの、電話に、出られなかったこと。





電話して、と言われたのに、しなかったこと。





どうして、電話したのか、理由を訊かなかった事。








それから。





ポストに鍵を入れておく約束を、守れなかったこと。








なんでかな、それだけが引っかかってるの。





どれも、中堀さんにとっては、なんでもないことなのに。








あとは。






あの時に、中堀さんの傍を離れたこと。






なんだ、結構いっぱいまだあるじゃん。









ねぇ。






貴方がくれるキスはやっぱり。







苦いよ。






連絡が取れなくなって。




直ぐにでも会いに行きたかったけど、会社が決算期でそれどころじゃなくなってしまって、土曜も日曜もなくなって毎日クタクタになるまで働いた。




もしかしたら、あの家に一人で帰れないのかも。



熱出して寝込んでるのかも。





ごめんね、ごめんねと思いながら、何度も繋がりますようにと願って携帯を鳴らした。




一ヶ月空いた期間は、戻ってはくれない。





なんだか、色々が重なって、とても大事なものを取り逃してしまったような虚無感に襲われる。





中堀さんの言った事が本当なら、そんなこと、ないんだけど。





別れを告げられてから、一週間は経つのに。






涙が枯れてくれない。






働かないと生きていけないから、仕方なく会社には出てくる。






けど。






季節は春になろうとしているのに。






私だけ、冬に逆戻りしたみたいに、寒い。







「花音…」





泣きじゃくる私に、憲子は何度でも背中をさすってくれた。





ひとしきり泣いた後、化粧室で暫く目を冷やし、バレないようにメイクを厚くした。





誰も居ない洗面所で、ぱんぱんと頬を叩いて渇を入れる。






「よし!」





憲子は先にオフィスに戻っていて、私が帰ってきたのを見ると、優しく頷いた。







―あと何回。





マウスをクリックしながら、考える。







あの人を思い出してしまうのは仕方ない。




だけど、思い出す度に泣いてしまうのは、あと何回だろう。








「櫻田、今日飯食いに行かない?」






突然、名前を呼ばれてはっとする。




見ると藤代くんが傍に立っていた。







「あ、えっと…」





「残念でしたー!今日は花音は私と行くのー!」






隣で聞いていた憲子がすぐさま反応する。





「…別に篠田も一緒でいいよ?」




「え!!!」




「ごちそうするけど?」




「あ…いや、駄目!今回は駄目!また今度!」





藤代くんの誘惑に、憲子がなんとか打ち勝つ。






「ま、いいけど。また誘うね?」





憲子には聞こえない位の声で、こそっと藤代くんは私に耳打ちして、オフィスを出て行った。





=======================





炭の匂いと、煙。





食欲のそそる匂いも、今の私には無意味だ。






久しぶりに来た、居酒屋『都筑』にて、私は目の前の焼き鳥をぼんやりと眺めた。








「花音、、そんなんじゃ、痩せるよ?」






向かいに座る憲子が、心配そうに私を覗き込む。








「…うん、、、」






私の反応に、だめだこりゃ、と呟いてから、憲子は座敷の壁にもたれかかった。






「あの、さー…」






憲子はビール片手に、どこか遠くを見ながら、言いづらそうに口を開く。







「ん…?」





「ちょっと、訊きたいんだけど、さ…」






私はそれを、食べる気もない焼き鳥をいじりながら、聞く。






「藤代と、何かあった?」





「・・・・・・」






がやがやと、周囲の音だけ、暫く続いた。






「…こないだ、花音が会社で倒れた時―、真っ先に、『俺が送ります』って言ったの、アイツだったよ。私だって居たのに強引な奴だったわ。」






「・・・・・・」






「…今まで淡白な付き合いだったじゃない。なんで急に?」







藤代くんに告白されたことは、憲子には何故か言い出せないでいた。






なんとなく、忙しかったこともあって、中堀さんとのこともあって、そこまで考えられなかったというのも理由の一つだが。





再び、私達の間に沈黙が流れる。





「最近藤代、やたら花音に構ってくるわよね?」







「・・・」






「花音、あんたまさか、藤代に乗り換え―」







「!そんなわけっ…ないっ!!!」






少し大声だったせいか、数人がチラチラとこちらを見るけれど。




そんなのお構いなしに、俯いていた顔をがばっと上げ、憲子を睨んだ。







「…わかってるわよ、そんなこと。」







けれど、目の前の憲子は困ったように眉を八の字にして、呆れたように笑う。






「つっ…」





直ぐにでもじわりと熱いものが込み上げてきて、唇をきつく噛んだ。






「花音が何も言ってくれないから。でも、ごめん。言い過ぎた。。」






憲子の優しさが、自分の未熟さを際立たせる。





「……私こそ…ごめん……」





そして軽く深呼吸してから、親友に伝える決心をした。







「…倒れる前の日の夜、飯山に、、会社でた所で会ったの。。。」





「-え?」





自分の中で、消化しきれていない日。




あの日から。




私の中の時間は、止まってしまったみたいだ。






「噂、、流したの、、飯山だったみたいで。。彼、中堀さんのこと、知ってて…。私、つ、都合の良い女じゃなくちゃ、駄目だって言われて、連れていかれそうになって…」






「なにそれ…聞いてない…」





憲子が、愕然としたように呟いた。






「そこに、、藤、代くんが、ちょうど、きてくれて、、助けてくれて…。一緒に歩道橋の下まで来て…こ、告白されて…」





手が、震える。






「!?何でそれもっと早くに言わないの?」





少しだけ、憲子に怒りの色が見える。






「なんか、言いづらくて…」





私は再び俯いて、唇を噛んだ。






「言いづらいって……」






「それで電話、、、取れなかったから。」






膝の上に置いた手を、ぎゅう、と掌に爪が食い込むくらいに強く握る。







「電話?」






「中堀さんからの、、電話…。だから…なんか、罰が当たったのかなって。」






「だって、それ花音悪くない…」






どこで掛け違えたか分からないボタン。




そもそも最初からそんなもの存在しなかった。





頭ではわかっていた。






「わかってる。。でも、なんか、、あの日が、いろんなことの境だった気がして」





思い出すのが、辛い。



悪循環。



中堀さんと最後に会ってから。




私は同じ事を何度も繰り返し考えて、行き着く所はいつも同じ。




あの時、こうしてたら、良かったのに。と。





苦しくて、息を吸う事すら、しんどい。






俯いて握った手を見つめる私に、憲子はふぅ、と小さく溜め息を吐いて向き直る。





「あのね…花音…。こんな事言うの、不謹慎かもしれないんだけどさ…、私はこうなって良かったのかもしれないって、思う部分があるんだよね」






弾かれたように、顔を上げるけど、声が出なかった。




どうして?と問いたいけど、できない。






「あの人…花音の手に負えるような人じゃないよ。」







黙り込むことしか、できない。






そんなことは百も承知だった。




憲子も実際には、中堀さんとの事を反対していたのだ。





私のシナリオだって、中堀さんに振られるのがオチになっていた。






けど。




だけど。





自分の描いた展開ではない、ふわふわした出来事が。





沢山、あったから。







だから、勘違いしてしまった。





私のシナリオは、ハッピーエンドになるのではないか、と。




「藤代のことはわかんないけど、少なくとも遊びで手をだすような奴じゃないよ。一応出世コースの人間だし、将来的に見ても有望株じゃん。今すぐじゃなくても、藤代と付き合うっていうのも選択肢の一つとして考えたら?今までどれも普通の恋愛じゃなかったからさ、普通の恋愛しなよ。」





憲子がやけに饒舌になって、ビールを仰いだ。





「できるわけ、ないじゃん。」





そう言って、私はまた目を逸らす。




視線を向けた先、冷えた焼き鳥が視界に入るとそれだけで、なんだか寒く感じた。





「だって、初めて好きになったんだもん、そんな簡単に…」





ガン!!!




そこまで言いかけた所で、憲子がジョッキを勢い良く机に叩き付けた。






「いい加減にしてくれる?!そうやっていつまでもうじうじうじうじ考えて何になんのさ?!もううちら25だよ?!今年26になるんだよ!?四捨五入して30だよ!?そんなこと言ってる暇ないでしょう!???」







突然物凄い剣幕で捲くし立てる憲子を、私は姿勢を固まらせて見つめた。





周囲がシンとして、視線が気になるが、今はそんなこと考えてる場合じゃない。





「の、憲子…?」






名前を呼ぶと、直ぐにはっとした憲子が今度は俯いた。






「…ごめん、、少し、、八つ当たった。。。」






「-え?」






今度は呟くように言われて、思わず訊き返す。







「…ずっと、、言い出せなかったんだけど…実はさ、裕ちゃんと、、今あんまり上手くいってないんだ…」





急に影が差した憲子の表情に、いつだったか彼女が―






『私達だって、何もない訳じゃないんだからね』






と言ったことを思い出した。






「裕ちゃんとはさ、大学からの付き合いじゃん。結構長いのに、、全然将来のこととか、考えてくれてなくて…」





視線はジョッキを捕らえたままで、憲子はぽつぽつ話し出す。





「やっぱり、私だって女だし?これから先のこととか考える訳。ましてや新しい恋なんて更々考えられないくらい、裕ちゃんとは長く過ごしてきたから。だけど、先が見えないと、焦る。かと言って、裕ちゃんと別れて、これから恋愛するとか、考えても…好きだって言ったり、駆け引きとかしたり、自分のこと知ってもらったり、、、そんなことしてる間に周りはどんどん結婚していっちゃうし…」






言いながら、憲子はジョッキを握る手に、力を込める。






「けど…裕ちゃんもそうかって言ったら、当たり前だけど全然考えてないんだよね、そんなこと。同じじゃないんだよね。なんか…がっかりっていうか…そんなんで、ちょっと花音にも八つ当たった、ごめんね。」






憲子は再び大きく溜め息を吐いた。






「…なんか、、こっちこそ、、、ごめん。私ばっかりいつも聞いてもらってて、全然気付いてあげられなくて…」






いつも大人で、しっかりしている憲子が、まさかそんな風に思っているなんて知らず、深く反省する。





そんなんで、友達なんて言えない。





「・・・・・・花音、、あんた、人の心配より、自分の心配しなさいよ。」





しょぼくれる私に、憲子がジトッとした目で言った。





「え…」





「忘れてるみたいだから、教えてあげるけど。半年以内に結婚相手をおばあちゃんに紹介しなくちゃいけないんでしょう?うだうだ考えて落ち込んでる場合じゃないんじゃない?」






カシャンと音をたてて、箸が座敷に転がる。






「そ、、そうだった…」









今は、何月。





もうすぐ、3月。







と、いうことは、タイムリミットもあと3ヶ月。





このままでは、祖母の決めた人とお見合いになってしまう。




そんなのは絶対に嫌だ。





だけど、暫くは誰かを好きになれる自信がない。








「影武者立てるにしたって、急いだ方が良いわよ」








さっきまで暗いモードだった憲子が、鬼に見える。





切り替えの早さ、素晴らしい。見倣わなくちゃ。





「う、うん…」






とりあえず返事はしてみたものの、どうしよう。






頭の中に台風が発生したかのごとく、考えなくてはいけないことがごちゃまぜになっている。







その中で。





ひとつ、はっきりと思うことは。









いつか。





貴方のことを忘れて。




記憶も薄くなっていって。






違う誰かを好きになる日が、くるんだろうか。






そんな日が、くるんだろうか。






貴方は、思い出に、なってしまうんだろうか。









そう考えるだけで。




胸を掻きむしりたくなるほど、苦しいよ。





========================





翌日。





「何、迷ってんの?」




夜景の見える休憩スペースで、自販機を前に逡巡していると、背後から声が掛かった。




はっとして振り返った先では、藤代くんが入り口に寄っかかってこちらを見ていた。





「う、いや…」





―いつから、見られてたんだろう。





迷う理由を正直に答えることが躊躇われ、私は笑って誤魔化そうとした。




いつもなら、真っ先にミルクティーを押すのだが。




中堀さんとの思い出の中に、ミルクティーが登場するから。




もういい加減にしなよって、憲子にまた怒られそうだけど、飲んだらまだ涙が出てしまうような気がして。





だけど、飲みたいのはミルクティー。





そんな風にして迷っている内に、藤代くんに見つかってしまったのだ。









「迷ってるなら―」





バン!






「え!?」





突然、藤代くんが自販機のスイッチを叩いた。





「おススメ」





ガコン、と情けない音を立てて出てきたのは、豆乳ラテ。蜜入り。






「ひどい…」






無駄に明るい缶のパッケージを見つめ、私は信じられないような気持ちになる。






恨みがましい目で、藤代くんをキッと睨むけれど、当人はのうのうとコーヒーのボタンを押した。






「ちょっと、、なんで私がこれなのに、藤代くんはコーヒーなの。おススメって言ったじゃん!」






「間違えた」






「!!!!」





怒りで肩をワナワナ震わせながら、ベンチに座ってプルタブに手を掛ける藤代くんを見つめる。







ここ最近、気付いたことだけど。





藤代くんって、結構Sっ気がある。






蜜入り豆乳ラテだって、絶対ワザとだし、計算ずくだし。






「何やってんの。ほら、ここ座って、櫻田も飲みなよ。」






黙って見下ろす私に、藤代くんは自分の隣をぽんぽんと叩いた。






「豆乳ラテなんか、飲めない」




「大丈夫だって。中々上手いよそれ。」




「どの口がそういうこと言えるのよ!」




「この口。」




「!!!」






最後のあがきも虚しく、渋々私は腰を下ろす。






私達の他には誰も居ない休憩スペース。





告白されてから、藤代くんと二人きりで話す機会はほとんどない。





少し、緊張する。





だけど、実はずっと訊きたかったことがあった。





握り締めた手は、不本意な豆乳ラテから熱をもらっている。





「……決算、なんとか終わって良かったな。」





大きな窓ガラスから見える夜景に目を向けながら、藤代くんがぼそっと呟く。





「……うん」





先月は殺人的に忙しかったが、この所は大分落ち着いてきていた。それでも、今日は残業だ。




自分のメンタルが落ち着いていないせいもあって、仕事が進まないからだけど。





「体調は、どうなの。」





「うん、もう、大丈夫。。。あの…」






訊ねようと思っていた方向へ、話の流れが向かっていったことに、思わず缶を握る手に力が籠もった。





「何?」




藤代くんは夜景から目を外し、言葉に詰まる私を見つめる。





「あの、日…」





私は豆乳ラテの缶を視界に入れて、一呼吸する。




「あの日って?」





そして、顔を上げて、首を傾げる藤代くんと視線を交わした。





「私が、熱を出して倒れた日…」






藤代くんの眼鏡の奥の瞳が、揺れる。





「私の、アパートに、、誰か、来なかった?」






情けない事に、熱を出して倒れたあの日の記憶はほとんど残っていない。



藤代くんが送ってくれたのは薄らと覚えているのだが、それすらもおぼろげだ。




けれど、もしかしたらあの日、中堀さんが来ていたのかもしれないと考えると居ても経っても居られず、事実を確認したかった。




確認したところで、どうしようもないのはわかっているのだけれど。






「………誰か、、来る予定だったの?」






藤代くんは真っ直ぐに私を見つめたまま、訊き返す。






「え、と…ちょっと、、、、」




「こなかったよ、誰も、こなかった。」





どうやって答えようか考えあぐねていると、藤代くんが被さるようにして、きっぱりと言い切った。




「あ、、そっか、そうだよね、、はは…来てたら言うよね。」




中堀さんが来ていない可能性の方が高いのはわかっていたのに、すごくがっかりしている自分がいる。




冷静に考えれば、来客があったなら、藤代くんが私に言わないわけがない。





こんな自分が馬鹿みたいで、罰が悪く、藤代くんからパッと目を逸らした。





「ごめんね、変なこと訊いて。」





「いや・・・」





藤代くんはそう言って首を振ると、缶に口をつけた。





暫く、重たい沈黙が続いた。




私は手持ち無沙汰になって、無意識に手にしていた缶のプルタブに指を引っ掛ける。




カコ、と音が響いた。




そのまま、いつもと同じ動作で口に持っていき―




「うぇっ!!!」




大豆臭さと不気味な程の甘さの融合が口腔内に広がり、吐き気を催す。





「ふ、ふ、藤代くん・・・これ、、、ちっとも、、、美味しくない・・・」





涙目になって、隣を見ると、足を組んだ藤代くんがしたり顔で笑っていた。





「知ってる。」




「!!!」






む、むかつく。





「10分前に戻って、藤代くんのコーヒーをコレに変えてやりたいわ」





苦々しげに呟けば、藤代くんは首を振った。





「無理だよ。俺、そんなことさせないもん。」




「だ、だったら、私の決断力を早める!」





そして、迷うことなく、ココアにする。




ミルクティーは暫く封印だ。







「もしも、戻れたら…」





「え?」






頬を膨らませる私を余所に、藤代くんは一瞬目を伏せてから再び夜景に向けた。






「もしも過去に戻れたら、…やり直したいことって、ある?」





呟くようにそう言った藤代くんの横顔は、まだ笑みが残っていたけれど、どこか切なげに見えた。






「………あるよ。」





ぎゅっと握り締めた缶はもうぬるくなっている。






「……いっぱい、ある。」







子供の頃。



タイムマシンがあればいいのに、と思っていた。



それは大人になってしまった今でも同じ。






「手始めに、この豆乳ラテをココアに変える。」






口を尖らせて言えば、藤代くんがクッと笑った。






「それなら、戻らなくても叶うよ。」






そう言って立ち上がると、藤代くんがポケットから小銭を出して自販機に入れた。




青く点灯したボタン。





そのうちの一つを藤代くんが押すと、他の全部が消える。





当たり前のことが、なんだか物悲しく思えた。





どれか一個を選べば、他の全部も決まるのか。





どこかひとつが間違えば、他の全部も間違いになるのか。







―藤代くんは、やり直したいこと、あるの?






そんな質問が、喉まで出掛かっていたけれど、どうしてか、訊けなかった。




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