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女嫌いの陛下に土下座で子作りをお願いしたら溺愛されちゃいました  作者: てるてる坊主


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4/7

近づく距離

リーシェは、温室のガラス扉が閉じた音を聞いても、すぐに閉じ込められたのだとは理解できなかった。


次の瞬間、大きな葉の影から覆面をした男が姿を現した。男の手には、鈍い光を放つ短い刃物が握られていた。


「きゃっ……!」


リーシェの腕を引いていた令嬢は、いつの間にか手を離していた。特に慌てることもなく覆面の男と目を合わせると、小さく頷き、リーシェから距離を取るように後ずさっていく。


ようやく、リーシェにも何かがおかしいと分かった。


「ええと……これ、倒れている人を助けるお話ではないんですね?」


覆面の男は答えず、リーシェへ一歩ずつ近づいてくる。


リーシェは後ろへ下がった。背中が低い石壁にぶつかり、逃げ道がないことを知る。


せめて抵抗しようとこぶしを振り上げるが、すぐにはっとした。


(指をけがしたらピアノが弾けなくなるからって、護身術は何もやらせてもらってないんでした!)


リーシェはこぶしを引っ込め、代わりに胸いっぱいに息を吸い込んだ。


幸いここは執務室からそれほど離れていない。歌で鍛えた声なら、執務室にいるカイルにも届くかもしれない。


「カイル様~~~~! 助けて~~~~! あなたのリーシェが襲われていますよ~~~!」


張り上げた声は、温室のガラスを震わせ、庭園じゅうへ突き抜けていった。


覆面の男が思わず耳を押さえ、苦痛に顔を歪めてよろめく。令嬢も両手で耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んだ。


「うるさい……!」


「知ってました? 広い会場全体に響くほどの歌声って、近くで聞いたら『刺さる』んですよ」


命に関わる状況にもかかわらず、リーシェは少し誇らしげに語った。


「黙れ!」


覆面の男が苛立たしげに踏み込んできた。


その瞬間、上階の窓が激しく開く音がした。


カイルは執務室で書類に目を通していた。庭園の方角から、聞き慣れないほど切迫したリーシェの大声が響いたとき、ペン先が紙を裂いた。


声の主を確かめる必要などなかった。


窓辺へ駆け寄ると、温室のガラス越しに、覆面の男と壁を背にしたリーシェの姿が見えた。


「エヴァン、衛兵を呼べ!」


命じるより早く、カイルは窓枠を乗り越えていた。


二階から張り出した枝へ飛び移り、そのまま幹を伝い降りる。銀の髪を風になびかせながら、彼は迷いなく走り出した。


同じ頃、庭園の別の小道からディーターが駆け込んでくる。あまりに都合よく近くにいたその男を、カイルは視界の端で捉えた。


だが、問いただすのは後だ。


カイルはディーターの横を駆け抜け、温室へ飛び込む。リーシェへ刃を向けようとしていた覆面の男の顔面に、ためらいなく拳を叩き込んだ。


鈍い音とともに、男の体が横倒しになる。短剣が石床の上を滑り、鉢植えの陰へ転がった。


「俺の妃に刃を向けるということが、どういうことか。その体で理解しろ」


カイルの声は低く、いつもの冷たさとは違う、凍りつくような怒気を帯びていた。


覆面の男が呻きながら起き上がろうとしたところへ、駆けつけた衛兵たちが取り押さえる。


「犯人はこいつだけか?」


カイルが低く問うと、リーシェは温室の裏口の方を見た。


「さっきまで、もう一人怪しげなご令嬢の方がいたのですけど……。裏口から出て行ってしまったようです」


「共犯か」


カイルの声が、凍るように低くなる。


覆面の男は口を固く閉ざし、衛兵に腕を押さえつけられたまま、うつむいていた。


「牢へ入れろ。口を割るまで誰とも会わせるな」


「はっ」


命令を下すと、カイルは犯人を一瞥もせず、ディーターに向き直った。


「――ここで何をしていた」


「悲鳴が聞こえたので、助けようと」


「ふだん庭園など見ないお前が、たまたま近くを歩いていただけだと?」


カイルはディーターの胸ぐらをつかみ、低く言った。


「次は忠告じゃ済まさない。次に妃に何か仕組んだら、お前の家がどうなるかよく考えろ」


「恐ろしいことをおっしゃる」


ディーターは襟元をつかまれてなお、薄い笑みを崩さなかった。


カイルが手を離すと、ディーターは乱れた衣服を軽く整えた。


「どうか、早く皇妃殿下のおそばへ。今は私を責めるより、なさるべきことがおありでしょう」


その言葉に、カイルの表情がさらに険しくなる。


だが、リーシェの方を見た瞬間、怒りは別の色に変わった。


カイルはすぐにリーシェへ駆け寄った。


「怪我は」


「たぶん、ありません。びっくりしただけで」


「たぶんでは分からない。手を見せろ」


有無を言わせない声だった。リーシェが恐る恐る差し出した手を、カイルは自分の手のひらで包むように取った。


白い手首には、令嬢に引かれたときにできたのか、うっすら赤い跡が残っていた。


「赤くなっている」


「これくらい、大丈夫ですよ」


「お前が大丈夫だと言っても、俺が大丈夫じゃない」


低い声には、押し殺しきれない苛立ちが滲んでいた。


リーシェは、自分の手を包んだまま離さない彼の指先を見つめる。


「陛下、怒ってくださっているんですか?」


「皇妃が襲われたんだぞ」


「……私のこと、ちゃんと皇妃だと思ってくださっているんですね」


「当たり前だろう」


返事は即答だった。そのあまりの迷いのなさに、リーシェは笑みをこぼしてしまった。


カイルはリーシェの手を引き、立ち上がらせた。


「歩けるか」


「はい。でも、腰が抜けてしまいました~」


「どっちだ」


「気持ちは歩けます」


「意味が分からない」


呆れたように言いながらも、カイルはリーシェの手を離さなかった。


「でも、カイル様が来てくれてうれしかったです」


いつものように、へらっとした顔でリーシェが笑う。


目尻がくしゃっと下がり、頬にえくぼが浮かぶ。その愛嬌のある笑顔を、カイルは思わずかわいいと思ってしまい、慌てて視線を逸らした。


「……帰るぞ」


────────────────────


夜、寝室へ戻ったカイルは、机に向かうリーシェを見つけた。


昼間と変わらない顔で本を開き、こちらに気づいていないかのようにページをめくっている。けれど、読んでいるにしては手元が妙に落ち着かない。さっきめくったばかりの頁を、また開き直していた。


カイルは少し待った。


それでもリーシェは、頑なに顔を上げない。


「……おい」


呼びかけると、リーシェの肩がぴくりと揺れた。ゆっくりと顔を上げた彼女は、どこかばつの悪そうな笑みを浮かべている。


「はい。お帰りなさいませ、陛下」


「気づいていたなら、最初から返事をしろ」


「だって、冷静になった陛下に怒られるかなって」


「何に対してだ」


「温室に一人で入ったこととか。知らない令嬢についていったこととか。あとは、助けを呼ぶときに、ものすごく大きな声を出したこととか……」


「最後のは、むしろ褒めるべきだ」


「褒めてくださるんですか?」


「褒めはしない。だが、あの状況で黙って震えているよりはましだ」


リーシェは少しだけ目を丸くしたあと、ほっとしたように息を吐いた。


「あのときは……ちょっとだけ、怖かったんですよです」


「当たり前だ」


「でも、陛下が来てくださったから、大丈夫でした」


リーシェはそう言うと、何事もなかったように笑った。昼間の恐怖など、とっくにどこかへ置いてきたような顔だった。


そのあっけらかんとした様子に、カイルは呆れたように息を吐く。


「……お前は本当に、変なところで図太いな」


「よく言われます」


カイルは、彼女の手元に視線を落とす。昼間、赤くなっていた手首はもう袖に隠れていた。


「呼び出した女の顔は覚えているか」


「さっぱり……。楽譜以外は、なかなか覚えられないタチでして」


「そうだろうと思った」


カイルはベッドの端に腰を落とし、足を組みながら言った。


「ローゼンハイトにも会ったか」


「その方でしたら、お会いしましたよ。初対面なのにやたらと話が長かったですが、私の心配をしてくれました」


「……初対面の男にまで、簡単に気を許すんだな。面白くない」


「そういう意味ではないですよ、陛下~」


「あいつは、この国の筆頭貴族で、皇位を狙う男だ」


「なんと……。平和ボケした我が国にはいない存在ですね」


「平和ボケはこちらも同じだ」


カイルは窓の外へ目を向けた。夜の庭園は暗く、温室の屋根だけが月明かりを鈍く返している。


「この国を建てたのは、五代前のイース家の始祖だ。皇帝の座は、建国以来ずっと我が家が継いできた」


カイルは窓の外に広がる夜の庭園へ目を向けた。


「だが、平和が長すぎた。皇帝家は危機感を失い、家臣たちは力を蓄えた。ローゼンハイト家は、その歪みをいちばん巧みに利用してきた連中だ」


「陛下がいつもカリカリしてらっしゃるのは、そのせいなのですか?」


「カリカリ……。まぁ、そう言われても仕方がない。人がよすぎる父上の代わりに、俺が万事厳格に対処しなければならない」


カイルはそこでリーシェへ視線を戻した。


「あいつも、お前を男に襲わせてから助ける演出でもして、恩を売るつもりだったんだろう。王宮の中心部ですら皇妃を守れない皇帝だとフォンレーヴに伝われば、この縁談が取りやめになるかもしれない」


「それ言ってました! 嫌になったらフォンレーヴへ帰ってもいい、みたいなことを」


リーシェは頬に手を当てて、顔全体で驚きを表現する。


「希少鉱物の件でフォンレーヴとの縁談をありがたがっている貴族が大半だ。そんな中、俺の失態でその話がなしになったとすれば、ローゼンハイト家は大喜びだろうな」


リーシェは少し黙り込んだ。


「急に神妙な顔をして、どうした?」


「私がフォンレーヴへ帰らないことが、皇国の貴族の方々にとっては重要なことなのですよね?」


「そうだが……」


「私は帰るつもりはありません」


リーシェは顔を上げ、唐突にそう宣言した。


「怖いことがあったからと言って逃げ帰っていたら、今日まで大切に王女として育ててくれたフォンレーヴのみなさんに申し訳が立ちません。ただし……」


カイルが眉を寄せる。


「なんだ」


リーシェは一度息を吸い、自信満々に言った。


「それならばもっと、両国のつながりを強固にするべきではないですか?」


「はぁ?」


「昨日は突然だったので逃げてしまいましたが、あらためて覚悟を決めました!」


リーシェは勢いよく立ち上がると、カイルの前まで歩いていった。


「今夜こそ、子作りしてください」


そのまま、リーシェはカイルに抱きついた。


「まだそこまでやるとは言ってない!」


「まだ、ってことは、近いうち、ですか?」


「そういう意味ではない!」


カイルはリーシェの肩をつかんで引き離し、耳まで赤くしながら背を向けた。


「うるさい! もう寝ろ!」


「はいはい、わかりましたよー」


リーシェはしぶしぶ承諾して寝台の反対側へ向かう。


カイルもそのまま寝ようとしていて、昨日のように本の仕切りを置くそぶりは見せない。


布団に入ったリーシェは、背を向けるカイルを見ながら、小さく口元を緩めた。


(ちょっとずつ近づいているのかも!?)

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