八十四話「段階」
月光族の里を目指し、俺達は旅を続けている。
今日は近くに町も村もないため、久しぶりの野宿だ。すでに日は完全に沈み、辺りは暗闇に包まれている。
俺は焚き火の近くに座り、揺れる炎をぼんやりと眺めていた。
そんな時だった。
「やっぱり……そうだったか……」
ジークフリートが小さく呟く。
「ん?」
何かあったのか?
視線の先を見ると、ナージャが少し離れたところで荷物を整理している。
「どうしたんですか?」
「いや、ナージャちゃんの髪ですよ」
「髪?」
ナージャの髪を見る。昼間は青色だった髪が、今は黒色へと変わっていた。
「ナージャの髪、夜になると黒くなるんですよ。綺麗ですよね」
「ちょ、シャウト!」
ナージャがこっちを見る。
「え? なんで?」
「急に何言ってるの!」
顔を少し赤くしながら、ナージャは自分の髪を触る。
でも、髪の色が変わること自体は珍しいことじゃない。ナージャ本人も昔から知っているし、俺も一緒に旅をしてきたから何度も見ている。
だけど――。
「やっぱり……あれは月光族特有の髪だよ」
「え!?」
「え!?」
俺とナージャの声が重なった。
「私って人族なんですけど!」
ナージャが荷物を置いて、こっちへやってくる。
「僕もそう聞いてます!」
「でも、その髪は間違いなく月光族由来のものです」
ジークフリートはナージャの髪をじっと見る。
「昼は青色。そして夜になると黒色へ変わる。月光族に見られる特徴です」
ナージャは自分の黒い髪を一房摘まむ。
「でも……私のお母さんも同じですよ?」
「お母様も?」
「はい。お母さんも昼と夜で髪の色が変わります。でも、人族だって言ってました」
「なるほど……。では、お祖母様は?」
「おばあちゃんも同じです。おばあちゃんも人族だって……」
ジークフリートが少し考え込む。
「お祖母様も、お母様も、ナージャちゃんも同じ特徴を持っている……」
「はい」
「恐らく、どこかの代で伝わらなくなったのでしょうね」
「伝わらなくなった?」
「自分達の先祖に月光族がいる、ということがです。何代も経つうちに誰かが伝えなかったのか、それとも何か別の理由があったのか……そこまでは分かりませんが」
ジークフリートはナージャを見る。
「ですが、その髪を見る限り間違いないでしょう。あなたは――月光族と人族のハーフです」
「…………」
ナージャが固まった。
「えええええ!?」
少し遅れて、大きな声が夜の森に響いた。
「わ、私が月光族!?」
「正確には人族とのハーフですね」
「ずっと人族だと思ってたんですけど!」
「ご家族もそう認識していたのなら、仕方ありませんよ」
ナージャはまだ信じられないようで、自分の髪を何度も触っている。
「そういえばナージャちゃん。昼間、魔力の回復が遅いと感じたことはありませんか?」
「魔力の回復……?」
ナージャが首を傾げる。
「うーん……これが普通だと思ってました」
「ポーションを使うことも多かったですしね」
「あっ、そうです! 減ったらポーションで回復してたので……」
俺も全然気づかなかった。そもそも、他人の魔力がどれくらいの速さで回復しているかなんて分からない。本人だって感覚でしか分からないんだ。
「ハーフなら、人族と月光族、両方の性質を持っている可能性があります」
「両方……」
「人族と比べれば、昼間の魔力回復は遅いはずです。その代わり――夜になると逆に回復が早くなる」
「夜に?」
「はい」
ジークフリートが夜空を見上げる。
「人族は日光から魔力を生成します。ですから、日光のない夜には魔力を生成できません。ですが、月光族は違います。彼らは月光から魔力を生成することができます」
「月の光から……」
ナージャも空を見上げる。
「その代わり、昼間の光は月光族の魔力回復を阻害します。ナージャちゃんは人族とのハーフですから、両方の特徴を受け継いでいるのでしょう」
だから昼間でも魔力は回復する。ただ、人族より遅い。逆に夜になれば、普通の人族にはできない魔力の回復ができる。
「でも……今まで全然気づかなかったです」
「生まれた時からそうなら、それが普通だと思ってしまいますからね」
確かに。生まれた時から感じていたものを、普通の人族と違うかどうかなんて比べようがない。それに魔力の回復量を正確に測れるわけでもない。あくまで本人の感覚だ。
「なので――」
ジークフリートがぱんっと手を合わせる。
「ナージャちゃんの身体のことを知るために、月光族の里へ行きたいのです!」
「私のため……ですか?」
「はい!」
ジークフリートは笑顔で頷く。
「月光族と人族のハーフなら、純粋な人族とも月光族とも違う性質を持っている可能性がありますからね」
確かに。今分かっているのは、髪の色と魔力生成の違いくらいだ。他にも何かあるのかもしれない。
「それに、魔術にも応用できる可能性があるのでね!」
「魔術にも……」
ナージャが自分の手のひらを見る。
「それに、私も月光族の里なら出入りしても騒がれませんのでね」
「ああ……」
前に言っていた『少し気になること』って、ナージャのことだったんだな。
俺は隣にいるナージャを見る。本人はまだ驚きが抜けていないようで、黒くなった自分の髪を何度も触っていた。
今まで髪の色が変わること自体は当たり前だった。ただ、その理由を初めて知った。
自分が人族だと思っていたナージャにとっては、簡単に受け入れられる話じゃないだろう。
◇
それから数週間。
俺達は月光族の里を目指し、西へ向かって旅を続けている。
朝になれば野営地を片付けて歩き出し、魔物が現れれば俺とナージャが戦う。もちろん、俺は剣を使わせてもらえない。
《ストーンキューブ》を中心に土魔術だけで戦い、ナージャは風と火の魔術を使っている。
最初はかなり苦戦した。剣なら簡単に倒せるような魔物を相手に、《ストーンキューブ》を何発も外したこともある。
だけど、数週間も続けていれば嫌でも慣れてくる。ジークフリートが言っていた通り、移動そのものが修行になっていた。
ナージャも、自分の魔力の回復について意識するようになった。
とはいっても、魔力がどれくらい回復したのかを正確に確かめる方法なんてない。分かるのは本人の感覚だけ。それも、生まれた時から当たり前だった感覚だ。
だから数週間経った今でも、
「言われてみれば……夜の方が楽な気もする」
その程度らしい。
それでも、月光族の里へ着けば何か分かるかもしれない。
そして戦闘以外の時間も、俺達は魔術の練習を続けている。
今、俺がやっているのは魔力操作。魔術の形状を変化させ、それを維持する練習だ。
手のひらに水を生み出し、ゆっくりと細長く伸ばしていく。
イメージするのは――剣。
形は少しずつ剣へと近づいていく。
だけど――。
ピキッ。
「あっ……」
まただ。
剣の形になった瞬間、水が凍ってしまった。
「うーん……やっぱり固まるな〜」
何度やっても同じだ。水で剣を作ろうとすると、どうしても《ブリザード》のように凍ってしまう。
そんな俺の様子を見ていたジークフリートが口を開いた。
「剣は『硬いもの』という概念が強いですからね」
「概念?」
「はい。シャウトくんの中で、剣の形と硬さが強く結びついている。そこがネックになってると思うよ」
「うーん……」
剣は硬い。そんなの当たり前すぎて、意識したことすらなかった。
「ほら」
ジークフリートが片手を前へ出す。
その手のひらに水が集まり、細長く伸びていく。切っ先、刀身、柄。あっという間に、一振りの剣が出来上がった。
だけど、凍ってはいない。
剣の形をしているのに、水のままだ。表面がゆらゆらと揺れながら、それでも形だけは崩れない。
「凄い……」
思わず見入ってしまう。
どうやったらそんなことができるんだ?
「そうですね〜……イメージとしては、スライムを剣の形にする感じですね」
「なんだそれは……」
剣の次はスライム? 余計に分からなくなったぞ。
「柔らかい物を、形だけ剣にするんです」
ジークフリートは水の剣を軽く振る。それでも形は崩れない。
「『剣は硬い』という概念を捨てるのです」
「それが難しいんですよ……」
頭では分かる。だけど、剣を思い浮かべた瞬間、どうしても硬いものを想像してしまう。
「例えば、そうですね」
ジークフリートが水の剣を消す。
「今、シャウトくんには土魔術をメインに使わせていますよね」
「はい」
「土というのは、かなり応用が利きます」
「応用……」
「恐らく、もうシャウトくんは《ストーンウォール》が使えますよ」
「え!? そうなんですか!?」
《ストーンウォール》。土属性の中級魔術だ。
使えるようになった覚えなんてないんだけど……。
「一度やってみてください」
「分かりました」
俺は少し離れた場所へ移動し、地面へ手を向ける。石でできた大きな壁を頭に思い浮かべる。
「《ストーンウォール》!」
ズズズズズ――!
地面が揺れ、土が大きく盛り上がる。それはそのまま形を変え、俺の目の前に大きな石の壁を作り上げた。
「おお……!」
本当にできた。
「これでシャウトくんは中級土魔術習得です」
「こんな簡単に……」
「簡単に習得したわけではありませんよ。ここ数週間、ずっと土魔術を使って戦ってきたでしょう?」
「あ……」
そういうことか。
《ストーンキューブ》しか使っていなかったから気づかなかっただけで、土魔術そのものを扱う力は上がっていたんだ。
「ナージャちゃんは風と火の両方を使っていたので、もう少し鍛錬が必要かな」
「そうなんですね」
ナージャが自分の手を見ながら頷く。
「中級魔術からは応用がかなりあるのは、シャウトくんも知ってるよね?」
「はい。学校でも習いました」
「さすがだね」
ジークフリートは俺の作った《ストーンウォール》へ手を向ける。
「土魔術は分かりやすいですよ。砂もあれば、石もある。岩もある。そして、それぞれ様々な形状があります」
砂、石、岩。全部同じ土属性だ。
「例えば、頭の中でイメージするのが難しいものでも、魔術というのは発動できます」
「どういうことですか?」
「この石を砂にしてみてください」
ジークフリートが《ストーンウォール》を指差した。
「え!? どうやって!?」
石を砂にする?
砂を出せと言われるならまだ分かる。でも、目の前の石を砂へ変えるなんて……。
「さあ! どうやるのでしょう」
「いや、教えてくださいよ!」
ジークフリートは楽しそうに笑っている。
自分で考えろってことか……。
俺は《ストーンウォール》へ手を当てた。
石を砂にする。
細かく砕く?
いや、それだとただ壊しているだけだ。
砂……手からさらさらと流れ落ちるような――。
「魔力を流して……流体化させるのか?」
とりあえず、やってみよう。
俺は石へ魔力を流し込む。
硬い石を、形を保てないものへ。水みたいに流れるようなものへ――。
ザァァ……。
「え?」
手を当てていた部分が崩れていく。
いや、砕けたんじゃない。
石だった部分が細かな砂へと変わり、俺の指の隙間からさらさらと流れ落ちていた。
「できた……」
手のひらには細かな砂が残っている。
「結構簡単ですね……」
「そうでしょう?」
ジークフリートが頷く。
「水も同じようなものです」
「水も?」
「はい」
ジークフリートの手のひらに水の球が生まれる。
「丸い水を、棒状にするのです」
水球がゆっくりと伸びていき、丸かった水が細長い棒へと変わった。
「いきなり剣を作ろうとしなくてもいいんです。まずは丸いものを伸ばす。それだけでいい」
「なるほど……」
丸から棒。それなら俺にもできそうだ。
「なんでもそうです」
ジークフリートが続ける。
「生まれたての人間は、他の動物と違って歩くことができません」
「人間?」
急に何の話だ?
「生まれたばかりの子供に、いきなり『歩け』と言っても歩けない。『喋れ』と言っても喋れない。まずは身体を動かすことを覚える。身体を起こすことを覚える。そして立つことを覚えて、ようやく歩けるようになる」
「段階を踏むってことですか?」
ナージャが尋ねる。
「その通りです。段階を踏むのです」
ジークフリートが俺とナージャを交互に見る。
「あなた達はいきなり立つこともできないのに、歩こうとしたのです」
「うっ……」
言われてみれば、その通りだ。
俺達は水の形を自由に変えることすらできていない。なのに、いきなり水を剣という複雑な形へ変えようとしていた。
「それと、段階を飛ばすともう一つ問題があります」
「問題?」
「《ブリザード》のような、既に習得している魔術へ変換されてしまうのです」
「あ……」
俺はさっき作った氷の剣を見る。
「これのことか……」
「そうです」
ジークフリートは氷の剣を指差した。
「シャウトくんは水で剣を作ろうとしました。ですが、今のシャウトくんには、水を剣の形へ変化させるための細かな魔力操作が身についていません」
「でも、剣の形にはなってますよね?」
「そこが重要なんです。シャウトくんの中には、既に《ブリザード》を発動するための魔力操作が身についています」
「……あ」
なんとなく分かってきた。
「水を細長くする。幅を変える。先端を尖らせる。それらを一つずつ操作できないまま、いきなり『剣』という完成形を作ろうとした」
ジークフリートが氷の剣を軽く叩く。
コンッ、と硬い音が鳴る。
「すると魔力は、シャウトくんが既に習得している方法で、そのイメージを再現しようとします」
「それが……《ブリザード》?」
「はい。剣は硬く、鋭いもの。今のシャウトくんが水属性でその完成形をいきなり再現しようとすれば、一番近い《ブリザード》の魔力操作に引っ張られてしまうんです」
だから、何度やっても凍っていたのか。
「だから段階を踏むのです」
ジークフリートがもう一度、水球を作る。
「まずは丸い水を棒状にする」
水球がゆっくりと伸びる。
「これができるようになったら、次は先端を細くする。その次は幅を変える」
少しずつ、一つずつ。水が剣の形へと近づいていく。
「それぞれの操作を身につけてから、最後に全部を組み合わせる」
「それで……水の剣になる」
「その通りです」
ジークフリートが笑顔で頷いた。
俺は改めて水球を作る。
今度は剣を考えない。ただ、丸い水を伸ばす。それだけ。
水球がゆっくりと伸びていき、棒状になった。
「おっ……!」
そのまま意識を集中させる。
十秒、二十秒。
形は崩れない。
水の棒は俺の手の上でゆらゆらと揺れながら、その形を保っている。
「……あれ? これ、普通に維持できてる……」
「そうですね」
ジークフリートが笑う。
今までは剣の形にしようとした瞬間、《ブリザード》に変わっていた。だからてっきり、形を維持すること自体もできていないんだと思っていた。
でも違った。
単純な棒状なら、意外と簡単に維持できている。
「じゃあ俺……維持はある程度できてたんだ」
「はい。シャウトくんに足りなかったのは、全てではありません」
ジークフリートが棒状の水を指差す。
「できている段階も、ちゃんとあったんです。ただ、それを確かめる前に何段階も飛ばしてしまっていた」
「ああ……」
そういうことか。
できないと思っていた。でも、本当はどこまでできて、どこからできないのかすら分かっていなかったんだ。
「だからこそ、段階を踏むことが大切なんです。立つことができるのか。それが分かって初めて、次に歩く練習ができますからね」
俺は手の中で揺れる棒状の水を見る。
「じゃあ次は……」
少しだけ先端を細くしてみる。
水がゆっくりと形を変えていく。
「一歩、か」
まだ剣には程遠い。
だけど、今までとは違う。
できないことを無理やりやろうとするんじゃない。今できることから、一つずつ先へ進む。
それが――段階を踏むということなんだ。




