第七十五話「もう一度」
過去へ戻ることを決めた俺は、オジエから過去転移魔術の使い方を教わった。
術式そのものは、通常の転移魔術と大きく変わらないらしい。
転移したい場所を思い浮かべ、そこへ戻りたい時間の記憶を重ねる。
ただし、一つだけ重要な条件があった。
「過去へ戻る際は、お前自身が動いていない時間を選べ」
「動いていない時間……?」
「ああ。人が起きて行動している間は、その選択によって未来が変わり続けている」
「だから、その時間には戻れない?」
「正確には、過去転移の座標として定めることができぬ。故に、自らが眠っている時間を選ぶのが最も確実だ」
「なるほど……」
俺が戻ろうとしているのは、十三歳の頃。
ナージャ達と旅を始めてから約二年後、壊れていた転移魔法陣が直ったという情報を聞いた日だ。
あの日の朝、俺は旅の途中で泊まった宿で眠っていた。
あの宿の部屋。
俺が使っていたベッド。
そこで眠っていた十三歳の自分を思い出す。
「あの時なら、戻れるはずですよね?」
「ああ。できる限り鮮明に思い出せ」
オジエは俺を真っ直ぐに見た。
「シャウト・ロータス。過去へ戻った後は、まずユークリス・ノースに会え」
「クリスに未来のことを話してから、過去のオジエ様に会いに行けばいいんですよね?」
「ああ。ただし、我に近づく際は注意しろ」
「……殺されかけますよね」
初めて会った時のことを思い返す。
禍々しい魔力を放っているという理由だけで、俺はオジエに殺された。
《ソウルヒーリング》で生き返ることができたが、次も同じように助かる保証はない。
「過去の我に会ったら、まず初代の土の天賢であることを知っていると伝えろ」
「それだけで話を聞いてくれますか?」
「少なくとも、即座に殺すことはためらうだろう」
オジエの正体を知る者は限られている。
十三歳の俺が知っているはずのない事実を口にすれば、過去のオジエも異変に気づくはずだ。
「それでも信用されなければ、ユークリス・ノースを見せろ」
「クリスを?」
「ああ。二つの恩寵を持ち、禍々しい魔力を放つ者が同じ時代に二人も現れた。それを目にすれば、我もただの偶然とは考えまい」
俺とクリス。
二人で過去のオジエに会いに行く。
それなら、話を聞いてもらえる可能性は高い。
「分かりました」
「ここから先、我が直接力を貸すことはできぬ」
オジエは静かに告げた。
「過去へ戻れば、そこにいる我は今の我とは異なる。お前とここで話した記憶も持っておらん」
「はい」
「故に、自ら考え、自らの力で未来を変えろ」
俺は大きく頷いた。
「やってみせます」
目を閉じる。
十三歳のあの日。
旅の途中で泊まった宿。
薄暗い部屋。
俺が使っていたベッド。
隣で眠るギレウスとコルド。
一つずつ、記憶を辿っていく。
やがて、俺の体が淡い光に包まれ始めた。
「健闘を祈る」
オジエの声が聞こえる。
「達者でな、シャウト・ロータス」
俺は目を開け、最後にオジエの顔を見た。
この未来のオジエと会うのは、これが最後になるかもしれない。
「ありがとうございました、オジエ様」
次の瞬間、光が視界を覆った。
俺の意識は、白い光の中へ飲み込まれていった。
「――っ!」
目を開ける。
知らない天井が視界に飛び込んできた。
「……ここは……」
ゆっくりと体を起こす。
薄暗い宿の一室だった。
窓から僅かに朝日が差し込んでいる。
過去転移は成功したのか?
まだ分からない。
何年も前に泊まった宿だ。
部屋の細かなところまでは覚えていない。
ただ、この景色には見覚えがあった。
「…………え?」
隣のベッドに、誰かが寝ている。
布団を蹴飛ばし、とんでもない寝相で眠る男。
見間違えるはずがない。
「……ギレウス」
返事はない。
静かな寝息だけが聞こえる。
生きている。
反対側のベッドには、大きな体を横たえて眠る男がいた。
「コルド……」
コルドも生きている。
胸が締めつけられた。
「……っ」
涙が溢れた。
声を出さないように口元を押さえる。
それでも、次から次へと涙が流れてくる。
天月人に体を貫かれ、黒く染まったギレウス。
空から落ちてきたコルド。
もう二度と会えないと思っていた二人が、今はすぐそばで眠っている。
ギレウスの酷い寝相も。
コルドの大きないびきも。
今は、その全てが嬉しかった。
「戻れた……」
自分の手を見る。
小さい。
腕も、体も、十三歳だった頃に戻っている。
未来の俺が、この時代にもう一人現れたわけではない。
十三歳だった頃の体に、未来で経験した記憶だけが戻ってきている。
本当に、時間を遡ったんだ。
もう一度、二人を見る。
「……ただいま」
小さく呟く。
涙を止めようとは思わなかった。
生きている二人を見ていると、それだけで溢れてきた。
ギレウスがいる。
コルドもいる。
なら、ナージャも。
ラントも。
クリスも。
この時代では、まだ全員が生きている。
「ナージャ……」
今すぐ会いたい。
生きている姿を、この目で確かめたい。
あの声を、もう一度聞きたい。
だが、こいつらにとっては何も起きていない。
天月人との戦いも。
全員が殺されたことも。
俺が過去からやり直そうとしていることも知らない。
俺は未来で起きたことを、今すぐ全員へ話すつもりはなかった。
話せば、必要以上に怯えさせてしまう。
未来を知ったことで行動が変わり、別の危険を生む可能性もある。
まずはクリスとオジエに相談する。
それまでは、俺一人で抱えるしかない。
涙を拭っていると、ベッドが軋む音がした。
「ん……」
コルドが身じろぎし、ゆっくりと目を開けた。
「……シャウト?」
「おはよう、コルド」
声が震えてしまった。
コルドは眠そうに目を擦りながら、俺の顔を見る。
「お前……泣いていたのか?」
「ああ……ちょっとな」
「悪い夢でも見たか?」
「……そんなところだ」
悪夢。
確かに、そう言っても間違いではない。
だが、あれは夢じゃない。
俺が実際に経験した未来だ。
「相当酷い夢だったようだな」
コルドがベッドから降り、俺の近くへ来る。
「大丈夫か?」
「ああ」
「本当か?」
心配そうに、俺の顔を覗き込んでくる。
コルドが生きて、俺を心配している。
それだけで、また涙が流れそうになる。
「大丈夫だよ。もう……大丈夫だから」
「ならよいが」
コルドは、それ以上聞かなかった。
俺の隣に座り、黙ったまま待ってくれた。
静かな部屋に、ギレウスの寝息だけが響いている。
しばらくして、ようやく涙が落ち着いた。
「……ありがとう」
「礼を言われるようなことはしていない」
コルドはそう言ったが、まだ心配そうに俺を見ていた。
その時だった。
「ふわああぁ……」
隣のベッドから、大きなあくびが聞こえた。
ギレウスが眠そうに体を起こす。
「おはよう……シャウト、コルド……」
目を擦りながら俺を見る。
次の瞬間、眠気が吹き飛んだように目を見開いた。
「シャウト!? どうしたの、その顔!」
「ちょっと、怖い夢を見ただけだ」
「夢でそんなに泣いたの!? 目、真っ赤だよ!」
「ああ。自分でも驚いてる」
「本当に夢だけ? コルドに殴られたんじゃないの?」
「なぜ俺が朝からシャウトを殴るんだ!」
「だって、目が腫れてるから!」
「殴られたなら、もっと片方だけ腫れるだろ!」
いつものギレウスと、いつものコルド。
二人のくだらないやり取りを聞いていると、胸の奥が温かくなる。
もう一度、この二人と話せている。
ただ、それだけで幸せだった。
「そういえば、今日の予定を確認していいか?」
俺が尋ねると、二人が揃ってこちらを見る。
「今日の予定?」
「ああ。起きたばかりで、まだ頭が回ってなくてさ」
「大丈夫かよ、本当に」
コルドは怪しむように俺を見たが、ギレウスは気にせず答えた。
「ガルバトの冒険者ギルドに行くんだろ? そこで依頼を受けて、お金を稼ぐって昨日話したじゃん」
ガルバト。
そうだ。
この頃の俺達は、魔力車で港から西へ進み、デュランダル王国を目指していた。
そして、ガルバトの街で転移魔法陣が直ったという情報を聞く。
戻る日は間違っていない。
「ああ……そうだったな」
「やっぱり今日のお前は変だぞ」
「まだ夢のせいで混乱してるんだよ」
「そうか?」
コルドは納得していない様子だった。
こいつは昔から、周りの変化によく気づく。
少しでも不自然な行動をすれば、すぐに怪しまれるだろう。
気をつけないと。
「悪いけど、ナージャを呼んできてくれないか?」
「今からか?」
「ああ。少し話しておきたいことがある」
コルドは俺を見た後、仕方なさそうに立ち上がった。
「分かった。呼んでくる」
コルドが部屋を出ていく。
残ったギレウスが、不思議そうに首を傾げた。
「昨日の夜も、これからの予定について話したよね?」
「ああ。でも、少し予定を変えたいんだ」
「どうして?」
「冒険者ギルドで、確かめたい情報がある」
「情報?」
「転移魔法陣についてだよ」
ギレウスは少し考えた後、笑顔で頷いた。
「分かった! シャウトはリーダーだもんね!」
「……ありがとう」
「だから、なんでお礼を言うの?」
リーダー。
その言葉すら、今の俺には懐かしかった。
少しして、部屋の扉が開いた。
「何よ……こんな朝早くに……」
眠そうな声。
髪を乱し、目を擦りながらナージャが部屋へ入ってくる。
「……ナージャ」
生きている。
ちゃんと自分の足で立っている。
俺を見ている。
また、あの声を聞くことができた。
『私も……』
死ぬ間際のナージャが、頭をよぎる。
胸が締めつけられ、また涙が溢れそうになった。
「シャウト?」
ナージャの表情が変わる。
眠気が消え、心配そうに俺を見る。
「どうしたの? 目が真っ赤だけど」
「ちょっと……怖い夢を見たんだ」
「夢?」
「ああ。もう大丈夫」
「全然、大丈夫そうに見えないけど」
ナージャが俺の顔を覗き込む。
近い。
今すぐ抱きしめたい。
生きていてくれてよかったと伝えたい。
でも、そんなことをすれば不審に思われるだけだ。
今は抑えないといけない。
「本当に大丈夫だから」
「……そう?」
「ああ。それより、朝早くに呼んでごめん。みんなの準備が終わってから話すよ」
「だったら、準備が終わってから呼んでよ……」
「……ごめん」
ナージャは呆れたようにため息をつき、部屋から出ていった。
扉が閉まるまで、その後ろ姿を見つめる。
ナージャも生きている。
今度こそ、絶対に守る。
「俺達も準備しよう」
「ああ」
「おっけー!」
俺達はそれぞれ支度を済ませ、再び部屋へ集まった。
「これからの予定を確認する」
俺が切り出すと、ナージャがすぐに口を開いた。
「まず冒険者ギルドに行くんでしょ? それは昨日聞いたわよ」
「ああ。ただ、今日は依頼を受ける前に、転移魔法陣について情報を集めたい」
「転移魔法陣?」
コルドが聞き返す。
「まだ黒くなったままのはずだろう」
「俺達が旅をしていた二年の間に、主要都市の転移魔法陣が直ったかもしれない」
「何か根拠があるのか?」
「根拠はない。でも、確かめておいて損はないだろ?」
コルドは少し考え、頷いた。
「確かに、転移魔法陣が使えるようになっていれば、今後の移動が楽になる」
「だろ?」
「分かった。まずは情報を集めよう」
「俺、聞き込み得意だよ!」
ギレウスが胸を張る。
「それは知ってる。頼むよ」
「任せて!」
俺達は宿を出て、ガルバトの街にある冒険者ギルドへ向かった。
中へ入ると、すぐに転移魔法陣について聞き込みを始める。
そして、情報は思っていたよりも簡単に手に入った。
「主要都市の転移魔法陣が直った?」
「ああ。少し前から、また使えるようになったらしいぞ」
冒険者が教えてくれた内容は、俺の記憶と同じだった。
これで間違いない。
俺は、あの日まで戻ってきた。
未来は、まだ大きく変わっていない。
ここからだ。
ここから、俺が変える。
「みんな、少しいいか?」
三人が俺を見る。
「ここでは話しにくいことがある。人の少ない場所へ行こう」
「今度は何だ?」
コルドは不審そうだったが、三人ともついてきてくれた。
冒険者ギルドを出て、人通りの少ない路地へ入る。
周囲に誰もいないことを確認してから、俺は口を開いた。
「実は俺、《光の恩寵》というものを持ってる」
「光の……恩寵?」
「ああ」
三人とも、聞いたことがないという顔をしている。
この時の三人は、まだ光魔術の存在を知らない。
「俺は《筋力の恩寵》だけじゃなく、《光の恩寵》も持ってる。それで、光魔術を使える」
「二つも恩寵を持ってるの!?」
ナージャが驚きの声を上げた。
「そんなこと、あり得るのか?」
コルドの問いに、俺は首を横に振る。
「俺にも詳しいことは分からない。ただ、使えることだけは確かだ」
「光魔術って、どんな魔術なの?」
「転移魔法陣に使われている魔術だよ」
「転移魔法陣に……」
コルドが考え込む。
「確かに、あの魔法陣が何の属性で作られているのかは分かっていなかった」
「ああ。俺も今朝、光魔術について色々と分かったんだ」
完全な嘘ではない。
本当に知ったのは、もっと先の未来だ。
だが、今の俺に光魔術の知識があることだけは事実だった。
「だから、朝から様子がおかしかったのか?」
コルドが尋ねてくる。
「ああ。自分でも混乱してたんだ」
「なるほどな」
コルドは、ひとまず納得してくれたようだ。
「なんだよ! それなら最初から言ってくれればよかったのに!」
「いきなり話しても信じてもらえないと思ってさ」
「俺はシャウトのこと信じるよ!」
ギレウスは迷わず答えた。
胸の奥が熱くなる。
「ありがとう」
「それで、その光魔術とジュワユース王国に何の関係があるの?」
ナージャが聞いてきた。
「ジュワユース王国に、恩寵について詳しい学者がいるらしい」
「その人なら、シャウトの《光の恩寵》について分かるかもしれないってこと?」
「ああ」
本当の目的は、クリスに未来のことを相談するためだ。
だが、今の三人にはそこまで話せない。
「転移魔法陣が直ったのなら、デュランダル王国へ向かう前にジュワユース王国へ行きたい」
コルドが俺を見つめる。
「その学者を信用できるのか?」
「会ってみないと分からない」
少なくとも、この時代のクリスは俺のことを知らない。
未来のクリスと同じように協力してくれる保証もない。
それでも、会わなければ何も始まらない。
「でも、《光の恩寵》について何か知るためには、その人に会うしかないんだ」
「……分かった」
コルドが頷いた。
「転移魔法陣の接続先にジュワユース王国があれば、先に向かおう」
「いいのか?」
「お前の力について調べることは、俺達にとっても無関係ではない。それに、転移魔法陣が使えるのなら、デュランダル王国へ向かうのが多少遅れても問題ないだろう」
「ありがとう、コルド」
「だから、今日はやけに礼が多いな」
「そうか?」
「朝からずっとそうだぞ」
気をつけないと。
未来の記憶に引っ張られすぎている。
「俺はジュワユース王国に行くのでいいよ!」
ギレウスが手を上げる。
「私も。シャウトのことなら、ちゃんと調べた方がいいと思う」
ナージャも賛成してくれた。
「じゃあ、近くの古代遺跡へ向かおう」
俺達はガルバトの街を出て、転移魔法陣が残されている古代遺跡を探した。
しばらく岩場を進むと、岩陰に隠れるように古びた入口が見つかった。
中へ入り、地下へ続く階段を下りる。
その先にある部屋には、淡い光を放つ転移魔法陣があった。
以前のように黒く染まってはいない。
本来の光を取り戻している。
「本当に直ってる……」
ナージャが魔法陣を見つめる。
「接続先を確認する。少し待っていてくれ」
コルドが魔法陣の前へしゃがみ込む。
「コルド、操作できるのか?」
「ああ。以前、国の騎士が操作しているところを見たことがある。接続先の変更だけなら、恐らくできる」
転移魔法陣を新しく作ることはできない。
だが、既に設定されている接続先の中から、行き先を変更することはできる。
コルドは魔法陣の模様を確認しながら、慎重に操作を進めた。
やがて、魔法陣の色と模様が僅かに変化する。
「ジュワユース王国があった」
コルドが立ち上がる。
「これで接続できたはずだ」
「ありがとう」
俺は転移魔法陣を見る。
この先に、クリスがいる。
未来で共に戦い、俺達を守ろうとして死んだ仲間。
この時代のクリスは、まだ俺のことを知らない。
それでも、必ず見つける。
そして今度こそ、全員が生き残る方法を探すんだ。
「みんな、準備はいいか?」
「ああ」
「いつでもいいよ!」
「大丈夫」
三人の返事を聞き、俺は頷いた。
俺達四人は転移魔法陣の上へ乗る。
次の瞬間、魔法陣から強い光が放たれた。
白い光が、俺達の体を包み込む。
そして――。
俺達は、ジュワユース王国へ転移した。




