第七十二話「復讐の業火」
【シャウト・ロータス視点】
ギレウスは動かない。
呼びかけても、もう返事はなかった。
その場にいた全員が、真っ黒になったギレウスを見つめている。
誰も言葉を発せない。
中でも、ラントは完全に動けなくなっていた。
戦っていることすら忘れたように、ただギレウスを見つめている。
その耳には、赤と黄色の小さな魔石が組み込まれたピアスがあった。
ギレウスが身につけていたものと同じだ。
「……そういうことだったのか」
二人は恋人だった。
直接聞いたことはない。
それでも、今のラントを見れば分かる。
ラントは力なく地面へ座り込んだ。
目の前で起きたことを、まだ受け入れられていない。
この状態では、もう戦えない。
「クリス! ラントを頼んだ!」
「わ、分かった!」
クリスがラントを抱え、その場から離れようとする。
ラントは抵抗しなかった。
ただ、ギレウスから目を離せずにいた。
その時だった。
「《エアバースト》!」
凄まじい風が吹き荒れた。
天月人の体が、遥か彼方へ吹き飛ばされていく。
コルドだ。
かなりの魔力を込めたらしい。
さっきラントが使った時よりも、さらに遠くまで天月人を吹き飛ばしていた。
コルドは翼を大きく広げる。
そのまま天月人を追うつもりだ。
「待て! 一人で行くな!」
コルドが振り返る。
その顔を見た瞬間、言葉が詰まった。
今まで見たことがないほどの怒り。
その目には、涙が浮かんでいる。
コルドにとっても、ギレウスは大切な仲間だった。
俺と同じように、天月人を殺したくて仕方がないんだ。
「俺も行く!」
今すぐ、あいつを追わないと。
ギレウスの仇を取る。
その時だった。
「待って!」
ナージャの声が響く。
「《ソウルヒーリング》を使えば、まだ助けられるかもしれない!」
「……!」
飛び立とうとしていたコルドが止まる。
そうだ。
まだ終わったわけじゃない。
死者を蘇らせる魔術がある。
《ソウルヒーリング》。
俺の父さんだって、一度死んだ時に母さんの《ソウルヒーリング》で生き返った。
ギレウスが死んでから、まだほとんど時間は経っていない。
「コルド! 早く!」
「ああ!」
コルドがギレウスのもとへ駆け寄る。
天月人は遠くまで吹き飛ばされている。
戻ってくるまでには、少し時間がある。
間に合う。
まだ助けられる。
ラントの瞳にも、僅かに光が戻った。
コルドがギレウスの胸元へ手を向ける。
「《ソウルヒーリング》!」
淡い光が、ギレウスの体を包み込んだ。
だが――。
ギレウスを覆っている黒いものへ触れた瞬間、光が弱まっていく。
「……なんだ?」
淡い光は、そのまま完全に消えてしまった。
ギレウスは動かない。
「もう一度だ!」
コルドが、さらに魔力を込める。
「《ソウルヒーリング》!」
先ほどよりも強い光が、ギレウスの全身を包んだ。
それでも、黒く染まった体へ光が入っていかない。
まるで《闇》に拒まれているかのように、魔術が消えていく。
「なぜだ……!」
コルドが何度呼びかけても、ギレウスは目を覚まさなかった。
「……あ……」
ラントの口から、小さな声が漏れる。
戻りかけていた希望が、その顔から消えていく。
「うわああああああああああああああ!!」
ラントが泣き崩れた。
一度、助けられるかもしれないと思ってしまった。
だからこそ、その希望を奪われた時の絶望は大きかった。
ギレウスは、もう戻ってこない。
コルドがゆっくりと立ち上がる。
その顔から、表情が消えていた。
何も言わず、翼を広げる。
「コルド!」
コルドが飛び立った。
「待て! 一人で行くな!」
「うるさい!!」
それだけ叫び、天月人が吹き飛ばされた方向へ向かっていく。
あのコルドが、完全に冷静さを失っている。
初めて会った頃のコルドは、プライドが高く、周囲の話を聞こうとしない奴だった。
だが、旅を続ける中で変わった。
仲間のことを考え、俺達の中でも特に冷静に状況を判断するようになった。
そのコルドが、今は怒りだけで動いている。
「コルドを追わないと!」
ナージャが叫ぶ。
「このままじゃ、コルドまで殺される!」
「……分かった」
俺だって冷静じゃない。
今すぐ天月人を殺したい。
それでも、一人では勝てないことだけは分かる。
「クリス! ラントとギレウスを頼む!」
「分かった! 二人とも俺が見てる!」
クリスに二人を任せ、俺とナージャはコルドの後を追った。
瓦礫だらけの街を、全速力で駆け抜ける。
やがて、前方から激しい戦闘音が聞こえてきた。
「いた!」
コルドが天月人と戦っている。
天月人の攻撃を避けながら、たった一人で魔術を撃ち続けていた。
「コルド!」
その体には、いくつもの傷がある。
腹の辺りの服が裂け、血で赤く染まっていた。
傷口自体は塞がっている。
戦いながら《ヒーリング》を使ったのだろう。
天月人の意識は、完全にコルドへ向いている。
俺達には気付いていない。
今なら――。
俺は地面へ魔力を流し込む。
「《ストーンランス》!」
天月人の足元から、何本もの尖った岩が突き出した。
岩は天月人の体を貫き、両腕ごと動きを封じる。
『――ッ!?』
不意を突かれた天月人は、《マジックレジスト》を使えなかった。
「今だ! ナージャ!」
「分かってる! 《メイルストローム》!」
ナージャが天導級水魔術を放つ。
凄まじい水流が、動きを封じられた天月人へ直撃した。
轟音と共に、激流が黒い体を飲み込む。
その勢いで《ストーンランス》が軋み、天月人の体がさらに深く岩へ食い込んでいく。
「これなら……!」
やがて水流が弱まり始める。
だが――。
天月人の片腕が刃へ変わった。
「まだ動けるのか!?」
黒い刃が、自分の体を貫いている岩を切り裂いていく。
――ガキン!
――バキン!
一本。
また一本。
《ストーンランス》が砕かれていく。
最後の一本を破壊すると、天月人が再び動き始めた。
その時だった。
周囲に、凄まじい魔力が広がった。
風が急激に強くなっていく。
「……おい、まさか」
コルドだ。
天月人だけを睨み、膨大な魔力を放っている。
俺達が近くにいることすら、目に入っていない。
「コルド! 待て!」
俺の声は届かなかった。
「《テンペスト》!!」
天魔級風魔術。
直後、風が一気に荒れ狂った。
「コルド! 俺達まで巻き込むつもりか!?」
巨大な竜巻が発生し、天月人を飲み込む。
俺達の体まで、竜巻の中心へ引っ張られ始めた。
「まずい! ナージャ、離れるぞ!」
「でも、コルドが!」
「ここにいたら、俺達まで巻き込まれる!」
俺はナージャを抱え上げる。
「きゃっ!」
そのまま全力で走り、竜巻から距離を取った。
背後から、家々が壊れる音が響く。
壁が剥がれ、屋根が吹き飛ぶ。
砕けた木材や石が竜巻へ吸い込まれ、それすらも天月人へ襲いかかる。
離れているのに、体を持っていかれそうになる。
俺はナージャを抱えたまま、さらに距離を取った。
【コルド・デュランダル視点】
俺は《テンペスト》へ魔力を注ぎ続けた。
シャウトとナージャが近くにいることは分かっていた。
それでも、止めることができなかった。
いや。
止めるつもりがなかった。
ギレウスが死んだ。
俺の《ソウルヒーリング》でも、生き返らなかった。
アレフに帰る旅の中で俺はギレウスと仲良くなった。
最初は能天気で何を考えているのか、よく分からなく
正直馬鹿だと思っていた
でもギレウスはみんなの士気をあげてくれる
どんな時でも明るい良い奴だと気づいた
少し抜けていたが、その明るさに助けられたことは何度もある。
俺にとっても、大切な仲間だった。
そのギレウスを、天月人は殺した。
許せるわけがない。
「消えろ……!」
風をさらに強める。
巨大な竜巻が、天月人の体を引き裂いていく。
黒い体が削られ、細かな破片となって周囲へ飛び散る。
瓦礫が何度も天月人へ叩きつけられる。
これなら、いくら再生できるとはいえ無傷では済まない。
やがて、魔力の限界が近づいてきた。
翼を動かすことすら苦しい。
《テンペスト》の勢いが、少しずつ弱まっていく。
風が収まり、宙を舞っていた瓦礫が地面へ落ちていった。
その中心を見る。
「……は?」
黒い破片が、地面の上で蠢いている。
完全に消し飛ばすことはできなかった。
散らばった《闇》が一箇所へ集まり、再び人の形を作っていく。
それでも、先ほどより再生が遅い。
黒い体の輪郭も不安定に揺れている。
攻撃は効いている。
確実に消耗している。
あと少し。
あと一撃、叩き込めば――。
その瞬間、天月人の背中から黒いものが広がった。
「翼……?」
黒い翼が形成される。
次の瞬間、天月人の姿が消えた。
「なっ――」
違う。
消えたんじゃない。
速すぎて、目で追えないんだ。
気付いた時には、天月人が目の前にいた。
魔力を使いすぎた。
翼に力が入らない。
避けられない。
天月人と目が合う。
不安定に揺れる黒い顔に、気味の悪い笑みが浮かんだ。
そして――。
――ズブッ。
「……え?」
黒い刃が、俺の腹を貫いていた。
「うわああああああああああああ!!」
痛い。
体の中へ、何かが流れ込んでくる。
ただ刺されただけじゃない。
黒い刃を通して、《闇》が体内へ入ってくる。
「ぐっ……ああああああ!!」
腹から、全身へ。
体の内側を、黒い何かに食い荒らされていく。
まずい。
早く治さないと。
「《ヒー……リング》……」
残った魔力を振り絞り、治癒魔術を発動しようとする。
だが、魔力がまとまらない。
体内へ入り込んだ《闇》に、魔術の発動を邪魔されている。
指先の感覚が消えていく。
視界が霞む。
周囲の音も、少しずつ遠くなっていく。
「コルドおおおおおおおおおおおお!!」
最後に聞こえたのは、シャウトの声だった。
そして、俺の意識は途切れた。
【シャウト・ロータス視点】
《テンペスト》が弱まった。
俺はナージャを下ろし、すぐにコルドのもとへ走った。
「コルド!」
瓦礫だらけになった街を駆け抜ける。
建物はほとんど残っていない。
さっきまで街だったとは思えないほど、何もなくなっている。
やがて、空中に二つの人影が見えた。
「……え?」
黒い翼を広げた天月人。
その腕が――コルドの体を貫いている。
「コルドおおおおおおおおおおおお!!」
俺が叫んだ直後、天月人が黒い刃を引き抜いた。
支えを失ったコルドの体が、力なく落ちてくる。
「コルド!」
俺は地面へ落ちる前に、その体を受け止めた。
「おい! コルド!」
返事がない。
傷口から黒いものが広がっていく。
ギレウスと同じだ。
「コルド! 起きろ!」
何度呼びかけても、目を開けない。
翼も動かない。
もう、自分で《ヒーリング》を使うこともできない。
「……またかよ」
ギレウスに続いて、コルドまで。
また一人、仲間が死んだ。
《ソウルヒーリング》を使えるコルド自身が死んだ今、蘇生を試すことすらできない。
天月人が、ゆっくりと地上へ降りてくる。
俺達の目の前に立ち、黒い顔を歪めた。
こいつが殺した。
ギレウスを。
コルドを。
俺達の仲間を。
その瞬間、頭の中で何かが弾けた。
魔力を練った覚えはない。
魔術を使おうと考えた覚えもない。
それでも、俺の中から膨大な魔力が溢れ出した。
「《ライトニングノヴァ》!!」
直後――。
――ズガアアアアアアアアアアアアアン!!!
今まで聞いたこともないような轟音が響き渡った。
巨大な落雷が、目の前の天月人へ直撃する。
あまりにも突然の攻撃に、天月人は《マジックレジスト》を使うことすらできなかった。
《サンダーボルト》とは比べものにならない。
凄まじい光。
凄まじい音。
そして、衝撃。
「うわっ!」
俺の体まで吹き飛ばされる。
「きゃあっ!」
ナージャも地面を転がった。
俺はコルドの体を抱えたまま、何とか起き上がる。
「ごめん! ナージャ!」
「大丈夫!」
ナージャも体を起こし、驚いた顔で俺を見る。
「今の……《ライトニングノヴァ》だよね?」
「……ああ」
間違いない。
天魔級雷魔術。
《ライトニングノヴァ》。
今まで使えなかった魔術を、怒りに任せて無意識に発動させた。
だが、そんなことはどうでもいい。
俺は前を見る。
落雷した場所には、黒い煙が立ち込めていた。
「…………」
頼む。
そのまま消えていてくれ。
やがて、煙が晴れていく。
「……嘘だろ」
天月人は、まだ立っていた。
黒い体の一部が吹き飛び、輪郭も大きく崩れている。
先ほどまでより、明らかに体が小さくなっていた。
攻撃は効いている。
《闇》は確実に減っている。
それでも、倒せていない。
失った部分を補うように、残った《闇》がゆっくりと蠢いている。
「……化け物が」
《テンペスト》も。
《ライトニングノヴァ》も。
確実に天月人を消耗させた。
だが、その代償として、ギレウスとコルドを失った。
その時、しばらく言葉を発していなかった天月人が口を開いた。
『お前達に、もう勝ち目はない!』
「…………」
その言葉を聞いた瞬間、僅かに残っていた冷静さが消えた。
勝ち目がない?
だから、なんだ。
こいつはギレウスを殺した。
コルドまで殺した。
ここで引くことなんて、できるわけがない。
「……殺す」
勝てるかどうかなんて、もう考えられなかった。
「絶対に……殺す」
今はただ、仲間を殺した天月人を、この手で殺す。
それだけだった。




