第五話「初めての魔術」
それから、三年ほどが経った。
俺は五歳になった。
この世界に来たばかりの頃は、寝返りすらまともにできなかった俺も、今では普通に走り、喋り、本まで読める。
この三年間で覚えたことも多い。
文字や計算、この国のこと、魔物のこと。
そして、俺が一番興味を持ったのが魔術だった。
父さんが指先から火を出すのを見て、この世界が異世界だと気づいたあの日から、ずっと気になっている。
いつか自分でも使ってみたい。
そう思って本を読んできたが、家にある本だけでは分からないことも多かった。魔力についての基本的な知識は載っていても、実際にどうやって魔力を動かし、どうやって魔術を発動させるのかとなると、詳しく書かれたものはほとんどない。
そんなある日のことだった。
季節はまだ少し肌寒い。
俺が部屋で本を読んでいると、母さんが声をかけてきた。
「シャウトも、そろそろ学校に行く頃だね」
「学校?」
ほう。
学校か。
もうそんな歳なのか。
……いや、待て。
俺、まだ五歳だぞ?
「もう学校行くの?」
「今すぐじゃないわよ。暖かくなってからね」
なるほど。
春頃からということか。
その頃には六歳になる。
どうやらこの世界では、それくらいから学校に通い始めるらしい。
学校か。
前世でも散々通った場所に、人生二周目でまた通うことになるとは。
友達百人できるかな!
……いや、百人はいらないな。
五人くらいでいい。
「学校って何を勉強するの?」
「文字や計算、この国の歴史でしょう? あとは魔物についても勉強するわね」
ふむふむ。
その辺は普通だな。
「それと剣術。何より大事なのは魔術ね」
「魔術!」
来た。
やっぱり学校で習えるのか!
「魔力について詳しく勉強したり、魔力の扱い方や魔術の使い方を教えてもらったりするのよ」
「剣より魔術の方がいっぱいやるの?」
「そうね。剣術も大切だけど、魔術の方が中心になると思うわ」
なるほど。
この世界では、やっぱり魔術の方が重要らしい。
考えてみれば当然かもしれない。
剣なら相手に近づかないと攻撃できないが、魔術なら離れた場所から攻撃できる。それに使い方によっては、一度に広い範囲を攻撃することだってできそうだ。
前世で剣道をやっていた俺としては剣術にも興味があるが、実戦なら魔術の方が便利そうだ。
「学校って近くにあるの?」
「少し遠いわね。シャウトが行くのは王立学校だから」
「王立?」
なんか急にすごそうなの出てきたな。
「昔からある学校でね。特に魔術を学ぶには、とても良いところなのよ」
「なんで僕がそこに行くの?」
俺が聞くと、母さんは少し笑った。
「だってシャウト、とっても賢いもの」
「僕が?」
「文字もすぐ覚えたでしょう? 計算もできるし、一人で本まで読むようになったし」
まあ。
そこは前世の記憶があるからな。
一度覚えたようなことを、もう一度やっているだけだ。
「父さんも、シャウトには才能があるって言ってたわよ」
才能。
その言葉が妙に頭に残った。
そういえば、二歳で普通に喋れるようになった。
文字や計算もすぐに覚えた。
昔から走り回っても、なかなか疲れない。
父さんと母さんからも、ずっと賢いと褒められている。
…………。
もしかして俺。
やっぱり結構すごいのでは?
「ぐへへ……」
「シャウト?」
「なんでもないよ!」
危ない。
また出た。
とはいえ、今までのことを考えると、何かしら才能がある可能性は十分にある。
王立学校か。
ちょっと楽しみになってきた。
学校で魔術を学べる。
その話を聞いたことで、俺の中にずっとあった魔術への興味が一気に膨らんだ。
学校に行けば教えてもらえる。
でも。
それまで待つ必要あるか?
簡単な魔術くらいなら、母さんも使える。
だったら。
「母さん」
「なあに?」
「僕も魔術使ってみたい」
母さんは少し驚いた顔をした。
「魔術?」
「うん。学校に行く前にやってみたい」
「そうね……簡単なことなら教えられるけど」
「ほんと!?」
「でも、母さんは先生じゃないから、難しいことは学校でちゃんと習うのよ?」
「うん!」
よし!
ついに来た。
人生初の魔術!
俺は母さんと向かい合って座る。
「まずは、自分の身体の中にある魔力を感じてみて」
「魔力を感じる?」
「そう。身体を動かす時って、腕を動かそう、足を動かそうって、一つ一つ考えないでしょう?」
「うん」
「魔力も少し似てるの。身体の中にあるものを意識して、動かす感じ」
…………。
分かるような、分からないような。
身体の中にあるもの。
血?
いや、血を動かすわけじゃないよな。
心臓?
違う。
そもそも魔力って、身体のどこにあるんだ?
考えれば考えるほど分からなくなる。
「シャウト、難しく考えなくていいのよ」
「うん……」
どうやら顔に出ていたらしい。
俺は目を閉じる。
身体の中。
何か。
何かないか?
最初は何も分からなかった。
だが、しばらく意識を集中させていると、不思議な感覚があることに気づいた。
温かいとも冷たいとも違う。
重くも軽くもない。
血が流れている感覚とも違う。
言葉では説明しづらい。
でも。
確かに何かがある。
「……これ?」
「感じた?」
「たぶん」
「じゃあ、それを指先に集めるようにしてみて」
言われた通りに意識する。
身体の中にある何かを、少しずつ右手の人差し指へ。
「そうそう。できてるわ」
「分かるの?」
「ええ。指先に魔力が集まってるもの」
へえ。
他人の魔力まで分かるのか。
俺にはまだ母さんの魔力なんて全然分からない。
これも慣れれば分かるようになるのだろうか。
「次は、起こしたいことをしっかり想像してみて」
「想像?」
「そう。集めた魔力で何を起こしたいのか、頭の中で思い浮かべるの」
なるほど。
魔力を集める。
そして、起こしたい現象を想像する。
思ったより感覚的なんだな。
「魔術には、火、水、風、雷、大地があるの。人によって得意不得意はあるけど、まずは簡単なものを試してみましょうか」
火、水、風、雷、大地。
『天賢伝説』に出てきた五人と同じだ。
あの五つが、この世界で使われている魔術の基本ということか。
「どれにする?」
「火!」
ここは迷わない。
やっぱり最初は火だろう。
父さんが初めて見せた魔術。
そして、俺がこの世界を異世界だと確信したきっかけでもある。
俺もあれをやってみたい。
右手の人差し指へ魔力を集める。
火。
小さな火。
父さんが蝋燭を灯した時のような火を思い浮かべる。
赤くて。
熱くて。
ゆらゆらと揺れる炎。
そして。
指先に何かが現れた。
「おお……!」
出た!
俺の指先に、小さな明かりが浮かんでいる。
淡く輝きながら、わずかに揺らめいている。
見た目だけなら、小さな火にも見える。
人生初魔術!
成功!
……と、思ったのだが。
「…………?」
なんかおかしい。
俺は恐る恐る、反対の手を近づけてみる。
「…………熱くない」
火なら熱いはずだ。
でも、何も感じない。
指先に出ているというのに、熱さどころか温かさすらない。
「母さん」
「…………」
「これ……火?」
母さんも俺の指先を不思議そうに見ていた。
「熱くないよ?」
「そうね……」
「失敗?」
「うーん……」
母さんは少し考え込む。
「初めてだから、上手く火になってないのかもしれないわね」
「そういうことあるの?」
「……たぶん?」
たぶんなのかよ。
俺はもう一度、指先に現れた明るい何かを見る。
火を想像したはずなんだけどな。
色が違うとか、火が小さすぎるとかなら分かる。
でも熱くないって。
それもう火じゃなくない?
とはいえ、俺に魔術の知識なんてほとんどない。
母さんだって先生じゃないと言っていた。
初めてなんだから、こういう失敗もあるのかもしれない。
俺が魔力を送るのをやめると、指先の明かりはすっと消えた。
「もう一回やってみる?」
母さんが聞いてくる。
「……今日はいい」
なんか恥ずかしい。
あれだけ楽しみにしていた人生初の魔術。
いざ使ってみたら、出てきたのは火になりきれなかった謎の何か。
俺。
もしかして火の魔術、苦手なのか?
火を出そうとして、上手く火にならなかった。
この時の俺は、ただそれだけのことだと思っていた。
だから俺は、それからしばらく、火の魔術を使おうとはしなかった。




