第四十八話「最高最悪」
――あれから、一年半が経った。
俺は十一歳になった。
そして、あれだけ遠く感じていた目標も、ようやく手が届くところまで来ている。
「……もう少しか」
俺達が目標にしていた金額――金貨三枚。
それが、もうすぐ貯まる。
プラチナランクに昇格したことで、一回の依頼で稼げる金額は大きく増えた。
けど、その代わりにグランドから離れた場所へ向かう依頼も増えた。
というより、予想していた通り、遠い場所へ向かう依頼の方が多かった。
都市の近くで魔物を討伐して、その日のうちに帰ってくる。
そんな依頼ばかりではない。
遠く離れた森。
洞窟。
そういった場所へ向かうことも増えて、依頼を受けてグランドを出たまま、数週間帰ってこないことだってあった。
だから、プラチナランクになって稼ぎやすくなったとはいえ、金貨三枚を貯めるのには結局それなりの時間がかかった。
それでも、この一年半で色々な場所へ行った。
色々な魔物とも戦った。
中でも忘れられないのが、カブラサーペントだ。
初めてあいつを倒した時のギレウスの顔と反応は、今でも鮮明に思い出せる。
あの時のあいつは、本当に凄かった。
……色んな意味で。
思い出すだけで少し笑えてくる。
まあ、それだけ色々な経験をしてきたってことだ。
もちろん、俺だってこの一年半、ただ依頼をこなしていただけじゃない。
魔術の練習だって続けてきた。
その結果――。
俺の雷魔術は、上級まで使えるようになった。
《ライトニング》。
これが、今の俺が使える上級雷魔術だ。
それだけじゃない。
成長したのは俺だけじゃなかった。
コルドは上級治癒魔術――《ハイヒーリング》。
ラントは雷魔術の《ライトニング》に、風魔術の《ウィンドゲイル》。
そして――。
「ふふーん」
俺の少し前を、ラントが宙に浮かびながら進んでいる。
「…………」
もう一つ。
ラントはついに《グラビティ》まで使えるようになった。
以前、コルドがハイウルフの死体を浮かせて運んでいた時。
あいつは羨ましそうに、
『私もそれ使いたい……』
なんて言っていた。
それが今では――。
「どう?」
ラントがくるりと空中で身体を回転させる。
「すごいでしょ!」
「はいはい。すごいすごい」
「なんか適当じゃない!?」
「何回も見てるからな」
「むぅ……」
頬を膨らませながらも、ラントは地面に降りようとはしない。
以前は風魔術を使って身体を浮かせるくらいしかできなかった。
岩場を移動する時も、疲れればギレウスの肩に乗っていた。
でも今は違う。
《グラビティ》を覚えてからというもの、こいつはまるで妖精みたいに空を飛ぶようになった。
そんな一年半を過ごしていた俺達だったが――。
ある日。
思いもしなかった人物と遭遇した。
「……え?」
思わず足が止まる。
見覚えのある人物が、そこにいた。
最初は他人の空似かと思った。
でも、見間違えるはずがない。
学園にいた頃、何度もその姿を見ている。
――元生徒会長。
アルマ・ガルド。
「なんでここに……」
俺達のことなんて、覚えていないと思っていた。
そもそも俺達は、アルマとそれほど深く関わっていたわけじゃない。
向こうからすれば、学園に大勢いた生徒の一人。
その程度だと思っていた。
ところが、アルマの視線が俺達へ向く。
正確には。
俺達の中にいる、一際大きな赤い鬼人族へ。
「……ん?」
アルマはギレウスをじっと見る。
そして、何かを思い出したように口を開いた。
「そこのでかい赤いやつ」
「え?」
ギレウスが自分を指差す。
「僕?」
「ああ、お前だ」
アルマはギレウスを上から下まで眺める。
そして――。
「お前、入学式の時のやつだろ」
「えっ?」
俺も思わずアルマを見る。
覚えてたのか!?
アルマは目の前にいるギレウスの姿を改めて見上げた。
「でかくなったな」
「…………」
確かに。
入学式の頃のギレウスと、今のギレウス。
知らなかったら同一人物だとは思わないだろう。
それくらい変わっている。
なのに、この人。
ちゃんと覚えてたんだ。
アルマはしばらくギレウスを見た後、今度は俺達全員へ視線を向けた。
「それで、お前達はこんな所で何をしている?」
「え?」
「ここは実習ルートとはまるで違うぞ」
その言葉を聞いて、俺は一瞬返答に詰まった。
そうか。
アルマからすれば、俺達は今でも学園の生徒だ。
本来なら学園の実習で決められたルートを進んでいるはずなのに、俺達はそこから遥かに離れた南都市グランドにいる。
不思議に思うのも当然だ。
アルマは少し考えるような仕草をしてから、続けた。
「転移魔法陣が黒いのと何か関係しているのか?」
「……あ」
そこで気づいた。
そうか。
この人、卒業したから知らないのか。
俺達が実習中に転移魔法陣で飛ばされてから、学園に戻れていないことを。
「実は――」
俺はこれまでの経緯をアルマに説明した。
学園の実習中、転移魔法陣を使ったこと。
その転移で、本来向かうはずだった場所とはまったく違う場所へ飛ばされてしまったこと。
それから俺達四人で旅を続け、冒険者として依頼をこなしながら、ここグランドまでやって来たこと。
そして、故郷へ帰るために中央都市グラムを目指していること。
一通り話し終えると、アルマは納得したように頷いた。
「なるほど。そういうことか」
「はい」
すると、アルマは少し考えてから言った。
「ならば、俺が所持している馬車でグラムまで連れて行ってやろう」
「…………え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「グラムまで……?」
「ああ」
いやいやいや。
ちょっと待て。
俺達がこの一年半、何のために金貨三枚を貯めてきたと思ってるんだ。
グラムまで向かうためだ。
それが――。
「ほ、本当にいいんですか?」
「ああ。金はいらない」
「タダ!?」
思わず声が大きくなった。
アルマは気にする様子もなく続ける。
「明日、北側の門に来るんだ」
それだけ言うと、アルマは俺達の返事を待つこともなく歩き出した。
「あ、ちょっと……!」
呼び止める間もない。
アルマはそのまま俺達とは別の宿へ向かっていった。
「…………」
残された俺達は、その後ろ姿を見送る。
まさか、こんなことになるとは思わなかった。
金貨三枚まで、あと少し。
一年半かけて、ようやくここまで貯めた。
それなのに、最後の最後でグラムまでタダで乗せていってくれる人が現れるなんて。
「……なんか、すごいことになったな」
「うん……」
ラントも呆然としている。
その時、俺は遠ざかっていくアルマの首元に気づいた。
ネックレスのように下げられている、一つのバッヂ。
「……エメラルド」
冒険者のバッヂだ。
アルマの首には、エメラルドランクのバッヂがあった。
俺達はこの一年半、数え切れないほどの依頼をこなしてきた。
森にも行った。
洞窟にも行った。
迷宮にも足を運んだ。
それでも、俺達はまだプラチナランクだ。
その一つ上。
エメラルドランク。
「やっぱり……強いんだな」
学園にいた頃から、この人が強いことは知っていた。
元生徒会長――アルマ・ガルド。
卒業してからも、さらに強くなっているらしい。
翌日。
俺達は荷物をまとめ、グランドの北側の門付近までやって来ていた。
「確か、この辺だったよな」
昨日アルマに言われた場所を探しながら歩いていると――。
「おーい!」
「あ」
少し離れたところで、こちらに向かって手を振っている人物がいた。
アルマだ。
俺達はそのままアルマのところへ向かう。
その近くには、昨日話していた馬車らしきものが置かれていた。
「よし。全員揃ったな」
アルマは俺達四人を確認すると、馬車を指差した。
「これからグラムへ向かう。後ろに乗れ」
「はい!」
俺達は言われるまま、荷物を持って馬車へ乗り込んだ。
これでようやくグラムへ向かえる。
一年半。
本当に長かった。
馬車なら歩くより遥かに楽だろうし、これまでの旅に比べれば随分快適に――。
「…………ん?」
そこで俺は、あることに気づいた。
馬車の前を見る。
もう一度見る。
「……あれ?」
「どうしたの?」
ラントが首を傾げる。
「いや……」
俺は馬車の前方を指差した。
「馬、いなくないか?」
「…………」
ラントも見る。
ギレウスも見る。
コルドも見る。
いない。
どう見てもいない。
「馬車……なんだよな?」
馬車なのに馬がいない。
じゃあ、これをどうやって動かすんだ?
そんな疑問を抱いていると、アルマが本来なら馬がいるはずの場所へ移動した。
「…………え?」
そして、構えた。
いや。
ちょっと待て。
まさか。
「よし、行くぞ」
アルマがこちらを見る。
「捕まっとけ」
「え?」
次の瞬間だった。
――ガッ!!
「うおおおおおおおおおおお!?」
身体が一気に後ろへ持っていかれた。
俺は咄嗟に馬車へしがみつく。
「きゃあああああああ!?」
「うわああああああ!?」
ラントとギレウスの悲鳴が聞こえる。
コルドも慌てて馬車を掴んでいた。
速い。
速すぎる!
景色がとんでもない勢いで後ろへ流れていく。
「ちょっ……待っ……!」
捕まるのがあと少し遅れていたら、普通に馬車から吹っ飛ばされていたぞ!
俺は必死に身体を支えながら、前を見る。
そこには――。
走っているアルマがいた。
「…………」
いや。
ちょっと待て。
これ――。
「馬車じゃねぇじゃん!!」
馬が引いてないんだから、もう馬車じゃないだろ!
なんなんだこれは!
アルマ車か!?
それくらいの勢いで、アルマは馬車を引っ張りながら走っている。
しかも、ただ走っているわけじゃない。
よく見ると、アルマの足元で風が渦巻いていた。
「風魔術……?」
足元に発生させた風を細かく調整している。
走る動きに合わせ、風の力を利用して自分の速度を何倍にも増幅させているようだった。
それでこの速度か。
「……やっぱりすごいな、上級生」
そこまで考えてから気づく。
いや。
もう卒業してるんだった。
「……卒業生か」
学園にいた頃から強い人だとは思っていたけど、ここまでとは。
それからアルマは、ほとんど休むことなく走り続けた。
当然、無限に走れるわけではないらしい。
時々止まる。
けど――。
「休憩か……」
そう思ったのも束の間。
アルマはポーションを取り出し、一気に飲み干す。
そして少しすると、
「よし、行くぞ」
また走る。
「…………」
休憩、短くない?
しばらく進んだところで、俺はさすがに心配になってきた。
「アルマさん」
「なんだ?」
「大丈夫なんですか?」
「何がだ?」
「いや……ずっと走ってますけど」
いくらなんでも限度があるだろ。
俺達を乗せたこれを引きながら、とんでもない速度で走り続けているんだぞ。
するとアルマは、何でもないことのように答えた。
「問題ない。俺は不眠の一族だ」
「不眠?」
「ああ」
アルマは走りながら続ける。
「俺達は基本的に眠らない」
「……寝ない?」
そんな一族がいるのか。
宿は借りるらしいが、基本的には眠る必要がないという。
「…………」
なるほど。
世界は広い。
俺の知らない種族や一族なんて、まだまだいくらでもいるらしい。
そして、不眠だから話は早かった。
朝だろうが。
昼だろうが。
夜だろうが。
関係ない。
アルマは走る。
ひたすら走る。
ポーションを使いながら走る。
走る。
走る。
走る。
「…………うっ」
当然。
そんな馬車に何時間も乗せられ続ければ――。
「おえええええええええ……!」
吐いた。
「うぅ……気持ち悪い……」
ラントも完全にぐったりしている。
「僕……もう無理……」
ギレウスも死にそうな顔をしている。
コルドですら顔色が悪い。
そりゃそうだ。
ずっとこの速度だぞ!?
道だって綺麗に整備されているわけじゃない。
とんでもない速度で走るたびに、馬車がガタガタと揺れ続ける。
その状態が何時間も。
いや。
何日もだ。
吐かない方がおかしい。
「おえっ……!」
また込み上げてきた。
馬車の外へ顔を向ける。
「おえええええ……!」
「ははははは!」
前からアルマの笑い声が聞こえた。
「軟弱者め!」
「…………」
いや。
普通だろ。
絶対俺達が軟弱なんじゃない。
あんたがおかしいんだ。
そう言ってやりたかった。
でも――。
「うっ……」
今は喋ったらまた吐きそうだったので、心の中にしまっておいた。
それからも地獄の移動は続いた。
朝も。
夜も。
アルマは走り続ける。
俺達は寝る。
起きる。
揺られる。
吐く。
また寝る。
起きる。
吐く。
そして吐くたびに――。
「軟弱者め!」
笑われる。
もう何回聞いたか分からない。
そんな旅を続けること、数日。
「着いたぞ」
「…………え?」
俺は死にかけた顔を上げた。
馬車が止まっている。
揺れていない。
「……止まってる」
ラントが呟く。
「止まってるね……」
ギレウスも呟く。
その声には感動すら混じっていた。
俺達はふらふらになりながら馬車を降りた。
地面だ。
動かない地面だ。
こんなに地面がありがたいと思ったのは、生まれて初めてかもしれない。
そして、顔を上げる。
目の前には巨大な都市が広がっていた。
「ここが……」
中央都市――グラム。
ようやく着いた。
ただし、俺達四人の気分は最悪だった。
「俺は届けたから、それじゃあな」
「え?」
アルマはそれだけ言うと、身体を軽く動かした。
「ちょ、ちょっと待ってください」
まさか。
「どこ行くんですか?」
「グランドだ」
「…………」
今来た道を?
これから?
アルマは俺達に軽く手を上げる。
「じゃあな」
そして――。
走り出した。
風を纏い、とんでもない速度で遠ざかっていく。
「…………」
俺達はその後ろ姿を呆然と見送った。
いやいやいや。
数日間、俺達を乗せた馬車を引っ張ってここまで来たんだぞ?
それで今からグランドに戻るのか?
「……体力おばけかよ」
思わず口から漏れた。
やっぱりエメラルドランク。
というか、元生徒会長。
色々と規格外すぎる。
俺はもう一度、目の前へ視線を戻した。
長かった。
本当に長かった。
ミリンを出て。
グランドへ向かって。
そこで一年半も冒険者として活動して。
そして、ようやく――。
「……着いた」
目の前に広がる巨大な都市を見上げる。
ここが――。
――中央都市グラム。




