第四十三話「邂逅」
ミリンの町を出発した俺達は、現在グランドを目指して北上している。町を出たのは北側の出入口だ。
そこからしばらく歩いているが、周囲の景色はミリンの町周辺とは少し違っていた。
「……歩きにくいな」
足元には大小様々な岩が転がり、地面もかなり凸凹している。お世辞にも、道が整備されているとは言えない。
ここは《天翔山脈》の麓にあたる場所だ。その影響なのか、周囲を見渡しても岩がゴツゴツとした場所ばかりで、かなり歩きづらい。
そして、道が悪いだけならまだいい。こういう場所では――。
「また来たぞ!」
ギレウスの声が飛んできた。
視線を向けると、岩陰から魔物が姿を現す。
やっぱりな。
こうして岩陰や死角が多いせいで、移動中にいきなり魔物と遭遇することもある。
とはいえ、ここはまだ天翔山脈の麓だ。それほど強い魔物は生息していない。
今の俺達は四人全員がゴールドランク。この辺りに出てくる魔物なら、十分に倒せる。
よく見かけるのは《ウルフ》や《ハイウルフ》。こいつらに関しては、ミリンで依頼を受けていた頃にも何度か討伐している。
だから、今更そこまで苦戦する相手じゃない。
問題があるとすれば――《ガーゴイル》。
たまに出てくるこいつが、なかなか強い。
……いや。正確には。
「強いと思ってるの、俺だけなんだよな……」
他のみんなは、そうでもないらしい。
理由は単純だ。俺は基本的に、近接戦闘を主体にして戦っている。対して、他の三人は基本的に後衛から戦う。
そしてガーゴイルは、基本的に空を飛んでいる。これが俺にとっては非常に厄介だった。
「くそっ……!」
剣を振るう。だが――届かない。
あと少し。剣先が届きそうなところまで近づくことはできる。それでも、ガーゴイルは翼を動かしてすぐに距離を取ってしまう。
「また避けやがった!」
こいつ、本当にやりづらい。
地上にいるウルフやハイウルフなら、接近して剣を振ればいい。だが、空を飛んでいるガーゴイルには、そもそも剣を当てること自体が難しい。
何とか届きそうな位置まで来たところを狙っても、避けられることが多い。
その一方で――ガーゴイルは俺の動きを警戒している。俺が接近すれば距離を取り、剣を振ればそれを避ける。
つまり、その間は俺への対処に意識を割いているわけだ。
そして――そこを他のみんなが狙う。
俺がガーゴイルを相手にしている隙に、後ろにいる三人が攻撃する。
結果。
ガーゴイルは俺の剣ではなく、みんなの攻撃で倒される。
「…………」
これ、俺いる?
いや。囮としては役に立ってるのか。
……たぶん。
まあ、そんなこともありつつ、俺達はグランドを目指して進み続けている。
当然、一日で辿り着けるわけじゃない。日が暮れれば野宿をして、朝になれば再び歩き始める。
そんな旅を続けているわけだが、今回の旅には一つ、ミリンを出る前に用意しておいた物がある。
――ポーションだ。
実はミリンを出発する前、俺達は偶然、ある人物と再会していた。冒険者になって一番最初に依頼を受けた、あの商人だ。
あの時は商品の販売を手伝うことに必死で、売っている物の一つ一つなんて特に気にしていなかった。だが、改めて商品を見せてもらった時、気になる物を見つけた。
それが――魔力を回復できるポーションだった。
小さな瓶の中に、少量の液体が入っている。どうやら、それを飲むことで消費した魔力を回復できるらしい。
しかも、ポーションにはいくつか種類がある。違いは色だ。
まず、一番安いのが青。回復できる魔力量はそれほど多くないが、普通の魔物を倒すために消費した程度の魔力なら、これでも十分に回復できるらしい。
次が緑。青よりも回復効果が高く、かなりの量の魔力を回復できるそうだ。
そして――赤。
これが最も回復効果の高いポーションらしい。俺達くらいの年齢なら、消費した魔力が全快することも多いのだとか。
……欲しい。旅をするなら、間違いなく役に立つ。
ただし――赤は高い。かなり高い。
俺達の財産で買える範囲を考えると、現実的なのは青が精一杯だった。
だから俺達は、商人が持っていた青いポーションを全部買うことにした。
幸い、青ならそこまで高くはない。大銀貨三枚分まで貯めた旅の資金にも、それほど大きな影響はなかった。
赤や緑には手が届かなくても、魔力を回復する手段があるだけで全然違う。特に今回は、いつ魔物と遭遇するか分からない場所を何日も歩くことになる。
魔力を使い切ってしまってから、次の魔物に襲われる可能性だってある。
そう考えれば、買っておいて損はないだろう。
そんなわけで、俺達は青いポーションを持ってグランドを目指している。
魔物と戦い、日が暮れれば野宿をして、朝になればまた北へ進む。そんな旅を続けていた。
そして――そんなある日の朝。
「起きろ! 起きろ! シャウト!」
「んん……」
誰かの声で、俺は目を覚ました。
「……なんだよ。もう、こんな朝っぱらから……」
まだ眠い。
というか、誰だよ。聞き覚えのない声なんだけど。
重たい瞼を開ける。
すると――目の前に、知らない男がいた。
赤い髪。背は高く、顔つきはキリッとしている。頭からは立派な角が生えていて、身体つきもかなりガッチリしていた。
「…………誰だ、こいつ」
思わず口から漏れる。
すると、目の前の男は俺の反応など気にする様子もなく話しかけてきた。
「やっと起きた。そろそろ出発だぞ?」
「…………は?」
何を言ってるんだ、こいつ。そろそろ出発?
いや、それより――。
「お前、誰だよ」
本当に誰なんだよ。声にも全く聞き覚えがない。
赤い髪に角。見たところ、鬼人族……だよな?
新たな鬼人族か?
いや、待て待て。なんで知らない鬼人族が、俺達の野宿している場所にいるんだ?
しかも、さっきから妙に馴れ馴れしい。
俺は状況がまったく理解できず、目の前の男を見上げる。
明らかに動揺していたのだろう。そんな俺を見ていたラントが、何でもないことのように口を開いた。
「あー、それギレウスだよ」
「…………」
……え?
「朝起きたら、なんかデカくなってた」
「…………」
もう一度、目の前の男を見る。
赤い髪。立派な角。高い身長。ガッチリとした身体。
そして――聞いたことのない声。
これが……ギレウス?
「はああああ!!!???」
思わず、とんでもない声が出た。
「どうなってんだよ!? お前昨日まで俺とさほど変わらないくらいの身長だったじゃねぇかよ!」
それがどうした。一晩寝て起きたら、俺より遥かにデカくなってる。
身長だけじゃない。身体つきも明らかに違う。
昨日までとは比べものにならないくらいガッチリしていて、顔つきまで変わっている。しかも、角まで立派になっている。
そして何より――。
「声まで変わってんじゃねぇか!」
だから分からなかったんだよ!
見た目も違う。身長も違う。身体つきも違う。声まで違う。
これでどうやってギレウスだって気づけっていうんだ!?
そんな俺とは対照的に、ギレウスは大して気にした様子もなく笑っている。
「ごめんごめん、俺の種族は十五歳くらいになると、こんな感じに身体が大人の身体になるんだ」
「…………は?」
俺はもう一度、ギレウスを下から上まで見る。
昨日まで俺とさほど変わらないくらいだった身長。それが今では、完全に見上げるほどになっている。
身体もガッチリして、顔つきも大人びて、声まで変わっている。
これが全部――。
「種族の成長……?」
「そうそう」
ギレウスは当然のことのように頷いた。
「…………」
いや。成長って、普通もうちょっと段階を踏むもんじゃないのか?
昨日まであんなだった奴が、一晩でこれだぞ? いくらなんでも急すぎるだろ。
俺は改めてギレウスを見上げる。
……デカい。
そう思っていると、ちょうど近くにいたコルドがギレウスの横に並んだ。
コルドも元々、かなり背が高い。俺の身長が大体百四十センチくらいで、コルドが百六十センチくらい。
だから、今まではコルドが俺達の中で一番大きかった。
なのに――。
「ギレウスの方がデカいじゃねぇか……」
並んでみると、その差は一目瞭然だった。コルドより、さらに頭一つ以上はデカい。
「……百九十くらいあるんじゃないか?」
正確に測ったわけじゃないから分からないが、それくらいありそうに見える。
俺とは、およそ五十センチ差。
昨日まで俺とさほど変わらないくらいだった奴が、一晩でこれだ。
「…………」
何なんだよ、鬼人族。成長の仕方がおかしいだろ。
「私も驚いたよ」
隣にいたラントがギレウスを見上げながら言った。
「俺もだ」
コルドも短く同意する。
……そりゃそうだよな。
いくら鬼人族では普通の成長だと言われても、昨日まで自分達とそう変わらない身長だった奴が、朝起きたら百九十センチ近くになっているんだ。驚かない方がおかしい。
俺達三人が揃ってギレウスを見上げていると、本人は少し困ったように笑った。
「俺は俺さ! 変わらないよ!」
「…………」
その言葉を聞いて、少しだけ安心した。
確かに、見た目も身体も声もまるで別人になっている。でも――こうやって話してみれば分かる。
中身はいつものギレウスだ。
「……まあ、それはそうみたいだな」
見た目がどれだけ変わっても、こいつの性格まで一晩で変わったわけじゃない。
それが分かっただけでも、ひとまず安心した。
それから俺達は野宿の後片付けを済ませ、今日もグランドを目指して北へ進み始めた。
相変わらず歩きやすい道ばかりではない。岩の少ない開けた場所に出たかと思えば、今度は木々の生い茂る森の中へ入る。
そんな景色を何度も繰り返しながら、俺達はひたすら北上していく。
そして、森の中を進んでいた時だった。
「……洞窟?」
木々の間に、大きな洞窟の入口が見えた。
自然にできた洞窟のようにも見えるが、その近くには一枚の看板が立てられている。
俺達は足を止め、看板を確認した。
どうやら、この洞窟は人が通れるように整備されているらしい。しかも、この先へ進むために、わざわざ天翔山脈を越える必要はない。
この洞窟を通れば、そのまま向こう側へ抜けられるようだ。
「なるほどな」
山脈を直接越えるより、こっちを通った方がいいだろう。
俺達はそのまま洞窟へ入ることにした。
一歩、中へ入る。当然だが、外と比べてかなり暗い。
少し進むだけで、外から差し込んでいた光も弱くなっていく。
そこで俺は片手を前に出し、指先に魔力を集中させ――小さな火を灯す。
ぼっ。
指先に生まれた炎が、周囲を照らした。
「よし、行くか」
俺達はその明かりを頼りに、洞窟の奥へと進んでいった。
しばらく歩いていると――。
コツ……コツ……。
「…………?」
洞窟の奥から、足音が聞こえた。
コツ……コツ……。
ゆっくり、こちらへ近づいてくる。
「…………っ」
何だ……?
何だ、この覇気は。
まだ姿すら見えていない。ただ足音が聞こえてくるだけなのに――身体が震える。
俺だけじゃない。ギレウスも、ラントも、コルドも。
全員が震えていた。
コツ……コツ……。
ゆっくり。ゆっくりと、足音が近づいてくる。
誰も喋らない。
静まり返った洞窟の中で、そいつの足音だけが響く。
やがて、俺の指先に灯した火の明かりが、暗闇の向こうから歩いてくる何者かの足元を照らした。
その瞬間――足音が止まった。
「なぜ構えている。我はまだ何もしておらん」
「……構えている?」
何を言ってるんだ?
構えてなど――。
「…………っ」
そこで初めて気づいた。
震えている俺の右手が、腰の剣の柄をがっしりと握っている。今にも抜こうとしていた。
いつからだ?
俺は、いつ剣に手をかけた?
全く覚えていない。
周りを見る。みんなも同じだった。
ギレウスは既に短剣を抜き、反対の手にはいつでも放てるよう火魔術を展開している。
ラントも震えながら武器を構え、コルドも大きな杖を構えていた。
誰も命令していない。相手の姿すらまともに見えていない。
なのに俺達全員が――戦闘態勢に入っていた。
「我は戦闘するつもりもない。落ち着け」
コツ……。
再び足音が鳴る。
そいつが一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる。
俺の指先に灯した火が、その姿を少しずつ照らしていく。
まず見えたのは、大きな翼だった。
そして、二メートルほどはありそうな長身。高級そうなローブを身にまとい、その顔には鋭い眼光。
茶色の瞳が、俺達を静かに見据えている。
その全貌が明かりの中へ現れた瞬間――。
「――っ」
コルドが何かに気づいた。
構えていた大きな杖を下ろし、目の前の人物へ頭を下げる。
「無礼な振る舞いをお許し下さい。お姿がお見えになりませんでしたので」
「…………?」
突然の謝罪に、俺はコルドを見た。
すると、目の前の男は特に気分を害した様子もなく、静かに口を開いた。
「良いのだ。許そう。無理もない。我を見て無警戒な奴の方がどうかしている。我としてはそちらの方が嬉しいがな。そんな奴はここ数千年見たことはない」
「…………」
……ん?
今、何て言った?
数千年?
聞き間違いか?
俺がその言葉に引っかかっていると、コルドがこちらを振り返った。そして、俺達が未だに武器を構えたままだと気づいた瞬間――。
「おい! お前達も早く武器を下げろ! 失礼だろ!」
「えっ?」
コルドの声で我に返る。
俺は慌てて剣の柄から手を離した。ギレウスも短剣を下ろし、もう片方の手に展開していた火魔術を消す。ラントも構えていた武器をゆっくりと下ろした。
それでも、身体の震えは完全には収まらない。
一体、何者なんだ?
すると、ギレウスが先に口を開いた。
「お前、この人と知り合いなのか?」
「知り合いではない。王宮にいた時、壁に飾られた絵画で、そのお姿は何度も拝見したことがある」
「絵画?」
王宮に飾られていた絵?
俺はもう一度、目の前の男を見る。
コルドの国の王宮に、この男を描いた絵が飾られていた?
一体、何者なんだ?
すると、今度は男の方がコルドに興味を示した。
鋭い眼光が、真っ直ぐコルドへ向けられる。
「お前、どこの国の者だ?」
「はい」
男の問いに、コルドは姿勢を正した。
その瞬間だった。
「…………」
雰囲気が変わった。
さっきまで俺達に「武器を下げろ」と怒鳴っていたコルドとは、まるで別人のようだった。
背筋を真っ直ぐに伸ばし、大きな杖を静かに引く。表情からも、いつもの俺達と話している時の気安さが消えている。
そして、目の前の男へ向き直ると、コルドは深く、しかし決して卑屈には見えない礼を取った。
「申し遅れました。私はデュランダル王国が第三王子、コルド・デュランダルと申します」
「…………」
その名乗りには、王族として育ってきた者にしか出せないような気品があった。
そういえば、こいつ。
普段は俺達とくだらないことで言い合ったりしているけど――本当に王子なんだよな。
改めてそう思わされるほど、その立ち振る舞いは堂に入っていた。
男は何も言わない。ただ、その鋭い眼光をコルドへ向けていた。
やがて――。
「デュランダル王国の王子か。なるほど。ならば我の姿を知っていてもおかしくはない」
男は納得したように僅かに頷いた。
そして――静かな洞窟の中で、その名を告げる。
「我が名は――オジエ」
「…………」
オジエ。
俺はその名前を頭の中で繰り返しながら、目の前の男を見上げた。
するとオジエは、俺達を見ながら何かを確かめるように口を開く。
「てんこう……いや、違うな……」
「…………?」
てんこう?
天候?
何だこいつ。
いきなり天気の話でもしてんのか?
俺がそんなことを考えていると、オジエは続けた。
「貴様らで言う、《天翔族》だ」
確かに、その背中には大きな翼がある。
オジエは、何でもないことのように続けた。
「そして、三代目――《土の天賢》だ」




