第三十五話「異変」
そして俺たちは、別の場所へ移動してきた。
さっきまでいた場所と同じような、古びた遺跡の中だ。
おそらく、ここが関所の近くにある転移魔法陣なんだろう。
周囲を見渡してみる。
石造りの壁。
古びた床。
俺たちが立っている転移魔法陣。
…………転移魔法陣って、こういう遺跡に作られてるものなのか?
アレフにあったものも、かなり古そうな遺跡の中にあった。
偶然なのか。
それとも、何か理由があるのか。
そんなことを考えながら、俺は何気なく周囲を見渡す。
ギレウス。
ラント。
コルド。
…………あれ?
もう一度見る。
ギレウス。
ラント。
コルド。
俺。
…………一人足りない。
「先生は?」
誰も答えない。
というか。
見当たらない。
「…………え?」
どういうことだ?
確かに一緒に魔法陣へ乗ったよな?
転移する直前まで、先生は俺たちと一緒にいた。
先に外へ出たのか?
いや、でも俺たちが転移してから、まだほとんど時間は経っていない。
そんなことを考えていると、ギレウスが焦った様子で声を上げた。
「先生がいなくなってる!?」
「いや、それはみんな分かってる」
「じゃあ、どこ行ったの!?」
「それが分からないから困ってるんだよ」
ギレウスとラントは、明らかに動揺していた。
まあ、それもそうだ。
俺とラントはまだ九歳。
ギレウスは十五歳だけど、それでも突然、引率の先生がいなくなったんだ。
不安にならない方がおかしい。
コルドもさすがに驚いているようで、さっきまでの不機嫌そうな態度から一変し、周囲を警戒するように見回している。
俺だって不安じゃないわけじゃない。
むしろ、かなり不安だ。
俺たちは今、国外へ向かう途中だった。
知らない土地。
初めて使った転移魔法陣。
その直後に、頼れるはずだった先生が消えた。
…………待て。
まだ先生が消えたと決まったわけじゃない。
転移の仕組みなんて、俺たちは何も知らない。
何かの理由で先生だけ先に着いたとか、別の場所に転移したとか。
それに――。
「これ、もう一回転移魔法陣に乗れば戻れるんじゃないか?」
俺の言葉に、ギレウスが顔を上げる。
「あっ! 確かに!」
そうだ。
ここまで転移魔法陣で来たんだから、同じものを使えば戻れるはずだ。
少なくとも試す価値はある。
「やってみよう」
俺たち四人は、もう一度魔法陣の上に乗った。
…………。
何も起こらない。
「…………あれ?」
しばらく待つ。
それでも変化はない。
さっきのように身体が白い光に包まれることもなければ、景色が変わることもない。
一度魔法陣から降りて、もう一度乗ってみる。
…………。
やっぱり何も起こらない。
「…………戻れない?」
ラントが小さな声で呟いた。
その瞬間。
ギレウスとラントの表情が、目に見えて青ざめた。
さっきまでは、先生が先に外へ出ただけかもしれないと思えた。
でも。
帰ることすらできないとなると、話が変わってくる。
俺たち、本当に知らない場所に取り残されたのか?
「ど、どうするの……?」
「シャウト……」
二人の視線が俺に向く。
…………まずいな。
俺まで慌てるわけにはいかない。
こういう時に全員が好き勝手に動いたら、それこそ危険だ。
「とりあえず落ち着こう」
俺はできるだけ平静を装って言う。
「俺たち四人は無事なんだ。怪我もしてない。まずはここがどこなのか確認しよう」
先生がいない。
帰る方法も分からない。
それは確かにまずい。
でも、今すぐ何かに襲われているわけじゃない。
だったら一つずつ確認していけばいい。
現在地。
周囲の状況。
人がいるのか。
近くに町や村があるのか。
何も分からないまま慌てるより、その方がずっとマシだ。
そう言った時だった。
それまで黙っていたコルドが、何かを確かめるように周囲を見渡していた。
「…………」
「コルド?」
返事はない。
周囲を見る。
少し歩く。
立ち止まる。
そして、また別の方向を見る。
いや――違う。
見てるんじゃない。
「…………匂い?」
以前、こいつが俺の魔力を「気持ち悪い魔力の匂い」と言っていたのを思い出す。
どうやらコルドは、俺には分からない何かを感じ取っているらしい。
しばらくして。
コルドが口を開いた。
「…………この魔力の匂い、覚えがある」
「え? そうなのか?」
「ああ」
「どこなんだ?」
だが、コルドはそれには答えなかった。
そのまま遺跡の出口らしき方向へ歩き出す。
「お、おい」
振り返りもしない。
まるで――着いてこい、と言わんばかりだ。
「…………行くしかないか」
「う、うん」
俺たちはコルドの後を追った。
遺跡の中を進み、そのまま外へ出る。
そして――。
最初に目に入ったのは。
雲だった。
「…………え?」
近い。
明らかに近すぎる。
空高く浮かんでいるはずの雲が、普段よりずっと近くに見える。
まるで、自分たちが空へ近づいたような――。
そんな感覚。
そして。
その向こうには、どこまでも険しい山々が連なっていた。
一つ。
二つ。
そんな数じゃない。
見渡す限り、巨大な山が幾重にも続いている。
…………まさか。
俺はこの景色を見たことがない。
でも。
この世界について学校で勉強してきた俺でも、思い当たる場所は一つしかなかった。
「ここって……」
隣で、コルドが周囲を見渡す。
そして。
「やはりな」
そう呟いた。
「分かったのか?」
俺が尋ねる。
コルドは険しい山々を見ながら答えた。
「おそらく、ここは天翔山脈だ」
「…………天翔山脈」
天翔族が多く暮らす地域。
天翔山脈。
俺たちが本来向かうはずだった関所なのかどうかは分からない。
そもそも、どうしてここに転移したのかも分からない。
でも。
少なくとも現在地の候補が出てきた。
それだけでも大きい。
俺は隣にいるコルドを見る。
こいつは、ほとんど動揺していなかった。
…………なんだろう。
今、こいつがものすごくたくましく見える。
普段は偉そうで。
何かと俺に突っかかってきて。
今日だってパーティを組んでから、ずっと不機嫌そうにしていた。
でも、今は違う。
先生がいなくなって。
転移魔法陣も動かなくて。
俺たちがどこにいるのかも分からない。
そんな状況なのに。
周囲を確認し、自分の知識を使って、冷静に状況を把握しようとしている。
こんなに頼もしいコルドを見るのは、初めてかもしれない。
「コルド、お前……ここに来たことあるのか?」
俺がそう尋ねると、コルドは周囲を見ながら答えた。
「いや、来たことはない」
「…………え?」
「ただ、我が知る場所とよく似ている。それに、この辺りの魔力の匂いにも覚えがある」
「…………あ、そうなんだ」
ちょっとガッカリした。
知っている場所なら、このままコルドについて行けば帰る方法も簡単に見つかると思ったんだけど。
どうやら、そこまで都合よくはいかないらしい。
それでも。
少なくともここが天翔山脈である可能性は高い。
何も分からない状態よりは、ずっとマシだ。
すると、コルドが再び口を開いた。
「おそらく、近くに小さな集落くらいはあるだろう」
「集落?」
「ああ。そこへ行けば現在地も分かる。転移魔法陣について何か知っている者がいるかもしれん」
確かに。
このまま遺跡に残っていても、状況が変わるとは限らない。
それなら、人を探した方がいい。
「まずはそこを目指すぞ」
コルドが当然のように言う。
すると。
「ちょっと待ってよ!」
ギレウスが声を上げた。
「どっちにあるかも分からないだろ!? どうやって行くのさ!」
…………確かに。
ギレウスの言う通りだ。
ここが天翔山脈だと分かったところで、俺たちは正確な現在地すら分かっていない。
集落がどっちにあるのか。
そこまでどれくらいかかるのか。
そもそも、本当に近くに集落があるのか。
それすら分からない。
だが。
コルドは迷うことなく言った。
「我には分かる」
…………え?
「分かるって……何が?」
「集落のある方向だ」
「なんだよそれ! 説明してよ!」
ギレウスが食いつく。
「そうだよ! なんで分かるの!?」
今度はラントまで加わった。
するとコルドは――。
さっきまでの頼もしさはどこへやら。
いつものように少し不機嫌そうな顔になる。
「分かると言ったら分かるのだ!」
「いや、だから理由を――」
「我はお前たちを置いて、飛んで行っても良いのだぞ!」
「なんでそうなるんだよ!」
…………ああ。
やっぱり、いつものコルドだ。
さっきまで一瞬でも「頼もしい」と思った俺が馬鹿だったかもしれない。
「まあまあ、仲間割れはよくない」
俺は三人の間に入る。
「コルドも何か分かることがあるんだろ。だったら今はそれを頼ろう」
「でもさあ……」
「ギレウス。今は他に手掛かりがない」
「…………分かったよ」
ギレウスが渋々引き下がる。
ラントもまだ納得していなさそうだが、それ以上は何も言わなかった。
俺はコルドを見る。
「すまん。とりあえず、お前について行く。案内してくれ」
「ふん」
コルドは腕を組む。
「分かればいいのだ」
…………本当に大丈夫か、このパーティ。
結成した時から不安だったけど。
まさか最初の移動で先生とはぐれて、転移魔法陣も使えなくなって、そのうえ知らない山脈を四人だけで歩くことになるとは思わなかった。
冒険者として最初に受ける依頼どころじゃない。
でも。
ここで立ち止まっていても仕方がない。
まずは人を探す。
そして、現在地を正確に把握する。
先生と合流する方法も、帰る方法も、それから考えればいい。
「じゃあ、行くぞ」
コルドが先頭に立つ。
俺。
ギレウス。
ラント。
その後を追う。
こうして俺たちは――。
なんともギスギスした空気のまま、コルドを先頭に集落を目指して移動を始めた。




