第三十一話「完全敗北」
【リリス・カルワーネ視点】
どうやら、三年生に剣術に長けた生徒がいるらしい。
なんでも、一年ほど無敗なのだそうだ。
それは素直にすごいと思う。
私だって、この学校に入ってから一度も負けずに一年間を過ごしたことなんてない。
先生からその話を聞いた時は、少し驚いた。
しかも、その子は《筋力の恩寵》を持っている可能性があるらしい。
恩寵について詳しいことは私も知らない。ただ、とても珍しいものだということくらいは知っている。
生まれつき、普通では考えられないほどの力を持つ者。
そんな人が実際にいるというのだから、世界には本当に色々な人がいるものだ。
名前は――シャウト・ロータス。
そして当日。
私は初めて彼を見た。
いや――。
初めて、ではないのかもしれない。
どこかで見たことがあるような気がする。
少し考えて、思い出した。
入学式だ。
確か、入学式の時にちらっと見かけたことがある。
もっとも、それくらいだ。
話したこともなければ、どんな子なのかも知らない。
私は改めて、目の前の少年を見る。
まだ八歳。
私よりずっと小さな身体で剣を握っている。
…………でも、分かる。
この子は強い。
立ち方。
剣の持ち方。
こちらを見る目。
ただ力任せに剣を振って、一年間無敗だったわけではないのだろう。
身体に余計な力が入りすぎているわけでもない。
相手との距離も見ている。
一年間無敗という話も、決して大袈裟ではなさそうだ。
ただ――。
同時に、一つ気になることがあった。
表情だ。
自信がある。
それ自体は悪いことではない。
実力があるのなら、自信を持つのは当然だと思う。
でも、この子のそれは少し違う。
私を見てはいる。
けれど。
自分が負けるとは、あまり考えていないように見える。
…………慢心している?
まだ八歳だと聞いている。
それだけの力があって、一年間負けていないのなら、そうなってしまうのも仕方がないのかもしれない。
負けた経験がなければ、自分がどこまで通用するのかなんて分からない。
それに――。
私は一つ、分からないことがあった。
…………なぜ、私が呼ばれたのだろう。
先生からは、三年生の生徒と一度手合わせをしてほしいと言われただけだ。
相手が一年ほど無敗だということ。
《筋力の恩寵》を持っている可能性があるということ。
聞いているのは、それくらい。
先生が私とこの子を戦わせようとしている理由までは、聞かされていない。
私が生徒会長だから?
七年生だから?
それとも、他に何か理由があるのだろうか。
まあ、いいか。
頼まれた以上は、普通に相手をすればいい。
私は剣を握り直し、目の前の少年――シャウト・ロータスを見た。
◇ ◇ ◇
【シャウト視点】
見た目だけなら、十四歳くらいだろうか。
俺の目の前に立っている少女。
リリス・カルワーネ。
この学校の生徒会長だ。
人族とエルフの血を引いているらしく、見た目はほとんど人族と変わらないが、耳が普通の人より少し長く、僅かに尖っている。
成績優秀。
魔術も剣術もかなりの腕前。
そして七年生。
なるほど。
先生がわざわざ他学年から連れてきただけはある。
強いんだろう。
それくらいは分かっていた。
だけど――。
この時の俺は、慢心していた。
まだ八歳。
それでも俺には《筋力の恩寵》という、生まれ持った圧倒的な力がある。
それだけじゃない。
前世で身につけた剣道の経験。
この学校に入ってから学んだ剣術。
そして何より――。
俺は負けていなかった。
一度も。
何ヶ月もの間、剣術の授業で負けていない。
相手が剣だけで挑んできても。
魔術を使ってきても。
距離を取られても。
不意を突かれても。
最終的に勝っているのは、いつも俺だった。
最初は嬉しかった。
自分には剣術の才能がある。
魔術では中級魔術を一度も成功させられていない俺でも、剣術なら誰にも負けない。
そう思えることが嬉しかった。
だが。
勝つことに慣れてしまった。
一勝。
二勝。
十勝。
さらに勝ち続けて。
いつの間にか俺は――勝つことを当然だと思うようになっていた。
それを自分の実力だと信じて疑わなくなっていた。
いや。
実際、実力ではあったのだろう。
筋力だけで勝ってきたわけじゃない。
相手の動きを見て。
魔術を警戒して。
力を制御して。
俺なりに考えて戦ってきた。
ただ。
その実力が――どこまで通用するのか。
俺は知らなかった。
俺より強い相手がいる。
そんなこと、頭では分かっていたはずなのに。
本当の意味では理解していなかったのだ。
だから、この時の俺は知る由もない。
天狗になりきった俺の鼻を――。
目の前にいる彼女が、容赦なくへし折ることになるなんて。
俺とリリスは、互いに距離を取って向かい合う。
剣を構える。
いつもの模擬戦と同じ。
違うのは、相手だけ。
先生が俺たちを確認する。
そして――。
「始め!」
その言葉が響いた瞬間、俺は地面を蹴った。
「どりゃあああ!」
一気に距離を詰め、そのままリリスへ斬りかかる。
まずは一撃。
相手がどれくらいやれるのかを見る。
リリスは避けなかった。
俺の剣を、自分の剣で正面から受け止める。
ガキンッ!
金属同士がぶつかる音が響いた。
…………ここまでは、今までの相手と大差ない。
俺はそのまま剣へ力を込める。
《筋力の恩寵》がある以上、純粋な力比べなら俺が有利。
そう思っていた。
だが――。
「っ!」
次の瞬間。
俺の剣が弾き返された。
腕ごと押し戻され、思わず一歩後ろへ下がる。
「…………」
結構な力だ。
いや。
純粋な筋力だけじゃないのか?
俺はすぐに考える。
この世界には魔術がある。
身体能力に関わる技術だって、俺が知らないだけで存在するかもしれない。
何より相手は七年生。
俺より五年も長く、この学校で学んでいる。
今の一合だけで、単純な腕力だと決めつけるべきじゃない。
そんなことを考えていると、リリスが剣を構え直した。
「次は私から行くね」
「……!」
そう言った途端――。
リリスの姿が消えた。
「――っ!?」
いや。
違う。
消えたんじゃない。
速すぎるんだ。
俺の視線が、一瞬遅れた。
今まで戦ってきた相手とは、まるで違う。
いや、それ以上に――。
今までの相手が、遅すぎたんだ。
気づいた時には、リリスが目の前にいた。
剣が振られる。
速い。
斬られる。
そう思った。
だが――。
ガキンッ!
「…………!」
俺の身体は、ちゃんと動いていた。
気づけば俺は剣を構え、リリスの一撃を受け止めていた。
重い。
腕に衝撃が走る。
それでも――止められないほどじゃない。
リリスが少し驚いたように目を見開く。
「君、結構やるね」
「…………」
当たり前だ。
俺は一年近く、負けてないんだから。
俺はリリスの剣を弾き返し、すぐに距離を取って体勢を立て直した。
…………少し、本気になった方がいいかもしれない。
さっきの一撃。
もし、あそこで身体が動いていなければ――俺は確実に負けていた。
それだけは分かる。
今までの相手とは違う。
速さも。
力も。
剣の扱いも。
全部、これまで戦ってきた相手より上だ。
生徒会長で、七年生。
先生がわざわざ俺の相手として連れてきた理由が、ようやく分かった気がする。
彼女は強い。
俺が今まで戦ってきた中で――間違いなく一番。
だからこそ。
俺の胸の奥に湧いたのは、恐怖ではなかった。
むしろ――高揚感だった。
やっとだ。
やっと、少し本気を出せる相手が来た。
それでも。
俺の頭の中に「負ける」という選択肢はなかった。
強い。
俺はまだ本気を出していない。
次で決める。
「…………よし」
剣を握り直す。
リリスは動かない。
俺の出方を待っている。
なら。
行くぞ。
俺は地面を強く蹴った。
さっきより速く。
一気に距離を詰める。
「これで終わりだ!」
剣を上段に構え、そのまま勢いよく振り下ろす。
狙うのは――リリスの剣。
リリスも俺の攻撃を受け止めようと、剣を構える。
…………想定通り。
俺は剣同士がぶつかる、その直前。
剣の軌道を変えた。
上から振り下ろしていた剣を僅かに逸らす。
狙いは――首元。
もちろん、本当に斬るつもりなんてない。
寸前で止める。
これまで何度も繰り返してきた。
俺はもう、自分の力を制御できる。
リリスの剣は、まだ俺の最初の攻撃を受ける位置にある。
今から動かしても――。
間に合わない。
勝った!
そう確信した。
剣先がリリスの首元へ迫る。
そして――。
カキンッ!
「…………は?」
俺の剣が弾かれた。
あまりにも呆気なく。
まるで、見えない壁にでもぶつかったかのように。
腕が外側へ流される。
剣先がリリスから逸れた。
何が起きた?
俺は確かに首元を狙った。
リリスの剣は――。
「…………?」
動いていない。
少なくとも、俺にはそう見えた。
最初の攻撃を受け止めようとした体勢のまま。
なのに。
俺の剣は、リリスの首元へ届かなかった。
いや――違う。
届く直前。
何かに止められた。
そして、弾かれた。
…………なんで?
魔術?
それとも、何か別の技術?
分からない。
何をされたのか。
どうやって防がれたのか。
今の俺には、全く理解できない。
ただ一つ分かるのは――。
俺が勝ったと思った攻撃は。
リリスには、通用しなかった。
理解できない俺を見て、リリスは小さく笑った。
「君は少し、自分を見直した方がいいと思う」
「え――」
その言葉を理解するより早く。
強い衝撃が身体を襲った。
「――っ!?」
何かが俺の身体に当たった。
そう認識した時には、もう遅かった。
足が地面から離れる。
視界が大きく揺れる。
次の瞬間。
俺の身体は宙を舞っていた。
何をされた?
いつ?
どこから?
分からない。
「ぐっ――!」
ドンッ!!
背中から壁に叩きつけられる。
肺の中の空気が一気に押し出された。
「かっ……!」
息ができない。
背中が痛い。
腕にも力が入らない。
そのまま俺は地面へ落ちた。
「…………」
何が。
起きた?
顔を上げる。
遠くにリリスが立っている。
俺が吹き飛ばされる前と、ほとんど変わらない。
剣を持って。
ただ、そこに立っている。
俺は。
何をされた?
剣?
魔術?
蹴り?
それすら分からない。
見えなかった。
防げなかった。
反応すらできなかった。
さっきまで俺は――。
勝ったと思っていたのに。
「…………嘘だろ」
声が漏れた。
身体を起こそうとする。
だが、すぐには立ち上がれない。
そして。
先生の声が聞こえた。
「そこまで!」
終わった。
俺は負けた。
その事実だけが、遅れて頭の中へ入ってくる。
負けた。
剣術で。
俺が。
一年近く、一度も負けなかった俺が。
しかも――。
惜しくもない。
あと少しでもない。
何か一つ違えば勝てたような戦いでもない。
俺はリリスの速さを見切れなかった。
最初の攻撃をどう防がれたのかも分からない。
最後に何をされたのかすら分からない。
それなのに。
俺は途中まで、自分が勝てると思っていた。
相手は強い。
でも、俺が本気を出せば勝てる。
次の一撃で終わらせられる。
そんなことを、本気で考えていた。
…………馬鹿みたいだ。
地面に手をつきながら、俺は俯いた。
悔しい。
そのはずなのに。
それ以上に――恥ずかしかった。
自分が強いと思っていた。
誰にも負けないと思い始めていた。
魔術では中級魔術を一度も成功させられなくても。
剣術だけなら。
これだけは。
俺には才能がある。
誰にも負けない。
そう思っていた。
でも。
違った。
俺が知らなかっただけだ。
俺が勝ってきた相手より。
もっと速くて。
もっと上手くて。
俺では何をされたのかすら分からないほど強い奴が――普通にいた。
たった一度。
リリス・カルワーネと戦っただけで。
一年間積み上げてきた俺の自信は、呆気なく崩れ落ちた。
この日、俺は初めて知った。
本当に強い相手に負けるということを。
そして。
「完全敗北」という言葉が、これ以上ないほど似合う形で――。
俺は、負けたのだ。
「いっ…………!」
腹が痛い。
そりゃそうだ。
…………腹、切れてるじゃん。
戦っている間は興奮していたからか、そこまで痛みを感じなかった。だが、終わったと分かった途端、一気に痛みが襲ってくる。
先生がすぐに俺のところへ駆け寄り、傷口に手をかざした。
「《ヒーリング》」
淡い光が腹を包み、傷が塞がっていく。
…………それより。
俺には聞きたいことがあった。
「先生! 今のはなんなんだ!?」
自分でも分かるくらい、少し声を荒らげていた。
負けたことも悔しい。
でも、それ以上に分からない。
俺の剣は確かにリリスの首に当たっていた。それなのに、まるで硬い壁にでもぶつかったかのように弾かれた。
先生はそんな俺を見て、少し不思議そうに首を傾げた。
「あれは《マジックアーマー》ですよ」
「…………マジックアーマー?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
いや。
マジックアーマーなら、俺だって知っている。
一年生の頃に習った魔術だ。
「いや、おかしいよ! マジックアーマーなら全身だ――」
そう言った俺の言葉を塞ぐように、リリスが近づいてきた。
「君は、学んだことを忘れているね」
「…………え?」
「己の力を過信し、その結果、今こうなっている」
リリスは俺の前で立ち止まる。
「私が使ったのは、間違いなく《マジックアーマー》だよ。君は基礎は習ったよね。そして、応用についても聞いたはずだよ」
「…………応用?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中に一年生の頃の記憶が蘇った。
初めて《マジックアーマー》を習った、あの日。
先生は確かに言っていた。
『《マジックアーマー》は、身体を魔力で覆うことで物理的な攻撃への防御力を大きく高める魔術です』
『初めのうちは、全身を覆うように使います』
そして――。
『中級以上になると、必要な場所だけに《マジックアーマー》を展開することもできます』
…………あ。
思い出した。
そうだ。
《マジックアーマー》は全身に展開するだけじゃない。扱いに慣れれば、必要な場所だけに展開することもできる。
俺が忘れていただけだ。
リリスはそんな俺を見ながら続けた。
「君は、そのことをまるで忘れている」
「…………」
「今まで君と戦ってきたみんなも、《マジックアーマー》を使って君と戦っていたよね?」
俺は思わず、みんなの方を見る。
すると、何人もが頷いていた。
「…………え?」
使ってた?
今までの試合で?
「君が気づいていないだけだよ。もちろん、ずっと使っていたわけじゃないと思うけどね」
リリスは続ける。
「君の攻撃を《マジックアーマー》で受け止めたことだってあったはずだよ。でも、君の力が強すぎて、そのまま弾き飛ばされたり――攻撃を受け止めた反動で、武器が手から離れて試合が終わったこともあったんじゃない?」
「…………」
あった。
一度や二度じゃない。
相手の剣を弾き飛ばした。そのまま体勢を崩して勝った。
そんな試合はいくらでもあった。
でも俺は、それを全部。
自分の力で押し切っただけだと思っていた。
「そう。君は気づいてないの」
リリスは俺を真っ直ぐ見つめる。
「だから、あの時――」
リリスは自分の首元に軽く手を当てた。
俺が勝ったと思った、あの一撃。
「私に魔術を使って斬りかかっていれば、君は勝てていたよ」
「…………え?」
勝てて……いた?
「そうさ」
リリスは自分の首元を指差した。
「私の首を狙うと同時に、魔力を剣に込めていればね」
「剣に……魔力を?」
「まあ、まだ君には使えないだろうから――」
リリスはそう言って、自分の片手を軽く上げた。
「片手で魔術を使うこともできただろうに」
「…………」
その言葉で、ようやく意味が分かった。
《マジックアーマー》は物理攻撃には強い。だが、その代わり、展開している場所は魔術の影響を受けやすくなる。
それも、授業で習っていた。
あの時、剣だけで首を狙うんじゃなく、同時に空いている手から魔術を放っていれば、《マジックアーマー》の弱点を突くことができた。
「もちろん、君が魔術を使っていたら、私も《マジックアーマー》の展開をやめていただろうね」
「…………え?」
「攻撃を避けることに徹して、私も魔術を使っていたと思う」
…………そうか。
魔術を使えば、それだけで勝てたわけじゃない。
俺が戦い方を変えれば、リリスも変える。
《マジックアーマー》を使うのか。解除するのか。剣で受けるのか、避けるのか。それとも、自分も魔術を使うのか。
俺が剣だけで戦っている間にも、リリスはそこまで考えていた。
それに対して俺は――。
自分の力なら押し切れる。
いつの間にか、それしか考えなくなっていたんだ。
剣術編終了!
次回!シャウト死す!デュエルスタンバイ!(嘘)
次回冒険者編です!




