第二十六話「挫折」
あの出来事から、半年が経った。
俺はあれ以来、成長魔力についての仮説を検証するのをやめた。
正確には――怖くなった。
また変なことを試して、魔力を枯渇させるのが嫌だったのだ。
成長魔力が半分になる。
先生からそう聞かされた時の衝撃は、今でも覚えている。
一年以上かけて増やしてきたものが、一度の失敗で半分になった。
もちろん、完全に失ったわけではない。また魔術を使っていけば元に戻る。それも先生から説明された。
実際、その通りだった。
それでも、だから大丈夫とは思えなかった。
あの時は成長魔力が半分になっただけで済んだ。
じゃあ、次は?
別の方法を試して、もっと取り返しのつかないことが起きたら?
魔術について、俺はまだ知らないことの方が圧倒的に多い。
そんな状態で自分の考えだけを頼りに実験することが、急に怖くなったのだ。
だからしばらくは、中級魔術を習得することよりも、半分になってしまった成長魔力を元に戻すことだけを考えた。
もちろん、中級魔術の練習そのものをやめたわけじゃない。
授業には普通に参加したし、《ショックウェーブ》の練習だって続けている。
ただ、以前みたいに「どうすれば早く習得できるのか」と考えて、無茶な検証をすることはなくなった。
先生に教えられたことをやる。
決められた範囲で練習する。
疲れたら休む。
魔力が減ってきたと感じたら、そこでやめる。
それだけだ。
以前の俺なら、もっと効率のいい方法があるんじゃないかと考えていただろう。
でも、考えても実行しない。
思いついても試さない。
それが正しいのかどうかすら、今の俺には分からなかった。
そして三ヶ月ほど経った頃。
正確な数値を測ったわけではないが、感覚的には以前と同じくらいまで成長魔力が戻ってきていた。
一日に使える魔術の回数も戻った。
以前なら疲れていたところでも、まだ余裕が残るようになった。
そこからさらに三ヶ月。
今では、魔力枯渇を起こす前よりも使える魔力は増えているような気がする。
半年。
失ったものを取り戻して、ようやく以前より先へ進めた。
それ自体は嬉しい。
嬉しい――はずだった。
一方、ギレウスはというと。
「《ファイアーストーム》!」
ゴオッ!
放たれた炎が大きく広がった。
初級火属性魔術とは明らかに違う。
一つの炎の塊が飛んでいくのではなく、広がった炎が前方を呑み込むように走っていく。
「…………」
こいつ。
《ファイアーストーム》を成功させやがった。
初めて成功したのは少し前のことだ。
あの日のことはよく覚えている。
ギレウス自身も、最初は成功したことに気づいていなかった。
いつも通り失敗すると思っていたらしい。
だが放たれた炎は《ファイアーボール》にはならず、明らかに今までとは違う形で広がった。
先生に成功だと告げられた瞬間のギレウスの顔は、今でも簡単に思い出せる。
「やった! シャウト! できたよ!」
あいつは真っ先に俺のところへ走ってきた。
自分のことみたいに嬉しかった。
いや。
本当に嬉しかったんだ。
ギレウスが火属性を選んだ理由も知っている。
父さんへの憧れ。
自分をカブラサーペントから救ってくれた父さんが使っていたのと同じ火魔術を極めたい。
そう言っていた。
だから《ファイアーストーム》が成功した時、俺も素直に「やったな」と言えた。
ただ――。
それから少し経った今。
同じ光景を何度も見るようになってくると、胸の奥に別の感情が混ざるようになった。
「もう一回やってみる!」
ギレウスが再び構える。
「《ファイアーストーム》!」
ボッ!
今度は小さな炎の球が飛んでいった。
《ファイアーボール》だ。
「うわ、失敗した!」
ギレウスが悔しそうに頭を抱える。
もちろん、毎回成功するわけじゃない。
今でも普通の《ファイアーボール》になってしまうことはある。
それでも、成功する時はちゃんと《ファイアーストーム》になる。
一度できた。
そして二度目ができた。
三度目もできた。
少しずつ、成功する回数が増えている。
確実に前へ進んでいる。
それはギレウスだけじゃない。
クラスの奴らも同じだった。
自分が専攻した属性を特に得意としている奴は、もう中級魔術を成功させ始めている。
ナージャも水属性の《スプラッシュウォーター》を成功させるようになっていた。
最初の授業では、クラスで一番水魔術が得意なナージャですら失敗した。
先生に指名され、全員の前で挑戦して。
形こそ変わったものの、魔術として成立したのは《ウォーターボール》だった。
でも今は違う。
「《スプラッシュウォーター》!」
大量の水が勢いよく放たれる。
先生が初日に見せたものにはまだ及ばない。
それでも、誰が見ても《ウォーターボール》とは違う。
中級魔術として成立している。
ラントもそうだ。
「《ショックウェーブ》!」
バヂッ!
広がった電撃が前方へ走る。
「できた!」
「おお」
半年前。
ラントが初めて《ショックウェーブ》を発動させた時、本人ですらどうやったのか分かっていなかった。
再現しようとしても《ショック》になる。
何度やっても成功しない。
それでも、たまに偶然成功した。
そして半年経った今。
相変わらず安定はしていないが、成功する回数は以前より明らかに増えている。
何度かに一度。
条件が噛み合えば、《ショックウェーブ》が発動する。
本人もまだ完全に感覚を掴んだわけではないらしい。
「今のどうやった?」
「うーん……なんか、こう……バチバチってして、バーンって!」
「…………聞いた俺が馬鹿だった」
「なにそれ!」
説明は相変わらず全く役に立たない。
でも――できている。
ラントは成功している。
それに対して。
「…………よし」
俺は標的へ右手を向けた。
魔力を動かす。
雷属性へ変える。
この工程はもう慣れた。
一年生の頃とは比べものにならないくらい滑らかにできる。
電撃が手のひらの周囲で弾ける。
バチッ。
意識する。
一点じゃない。
広く。
前方へ。
《ショック》ではなく、その上の魔術。
中級雷属性魔術。
「《ショックウェーブ》!」
バチッ!
「…………」
細い電撃が一直線に走り、標的へ当たった。
いつもの《ショック》だ。
またか。
俺は手を下ろす。
半年。
練習は続けてきた。
授業だって休んでいない。
成長魔力も、魔力枯渇を起こす前より増えているはずだ。
雷魔術そのものだって、半年前より上手くなった。
《ショック》なら狙った場所へほとんど外さず当てられる。
込める魔力量を調整して、威力を変えることもできる。
それでも。
俺はまだ一度も、自分の力で《ショックウェーブ》を成功させられていなかった。
一度も、だ。
ラントのような偶然の成功すらない。
「もう一回……」
俺は再び手を伸ばす。
「《ショックウェーブ》!」
バチッ!
《ショック》。
「…………」
もう一度。
「《ショックウェーブ》!」
バチッ!
《ショック》。
もう一度。
「《ショックウェーブ》!」
バチッ!
また、《ショック》。
「…………はぁ」
思わずため息が漏れた。
最初の頃は、次こそはと思っていた。
何が違うのか考えた。
ラントが成功するところを観察した。
魔力の動かし方。
電撃の広がり方。
発動する直前の状態。
何かヒントがあるんじゃないかと思って、何度も見た。
でも、分からなかった。
そして自分でも何度も試した。
結果は全部同じ。
《ショックウェーブ》と唱えているのに、出てくるのは《ショック》。
最近では、失敗しても以前ほど悔しいと思わなくなっていた。
…………いや。
違うな。
悔しくないんじゃない。
期待しなくなってきているんだ。
右手を前に出す。
魔力を集める。
雷へ変える。
口では《ショックウェーブ》と唱える。
でも、心のどこかでは既に分かっている。
どうせ今回も《ショック》だろう。
そう思いながら発動する。
そして実際に《ショック》が出る。
やっぱりな。
そう思って終わる。
いつからこうなったんだろう。
半年前は違った。
ラントが偶然成功した時、どうしてだと必死に考えた。
成長魔力が関係しているんじゃないかと仮説まで立てた。
次の日にはギレウスを誘って自主練までした。
あの時の俺は、できないことが楽しかった。
分からないなら調べる。
失敗したら別の方法を試す。
そうやって答えへ近づいていくこと自体が面白かった。
でも、その結果。
俺は魔力を枯渇させた。
成長魔力が半分になった。
あれ以来、俺は考えることそのものをやめたわけじゃない。
ただ――考えた先にあるものを試すのが怖くなった。
もしまた間違っていたら?
また何かを失ったら?
そう思うと、先生に教わった範囲から一歩踏み出すことができない。
なのに、周りは少しずつ成功していく。
ギレウス。
ナージャ。
ラント。
一人。
また一人。
できなかった奴が、できる側へ移っていく。
俺だけが、その場に残っているような感覚。
もちろん、クラス全体で見れば、まだ中級魔術を使えない奴の方が多い。
頭では分かっている。
俺だけじゃない。
焦る必要なんてない。
先生だって、中級魔術は習得に時間がかかると言っていた。
それでも。
仲のいいギレウスが成功した。
同じ雷属性を選んだラントも成功した。
その二人を近くで見ていると――どうしても思ってしまう。
なんで俺だけできないんだ?
俺はこれまで、魔術に関してそこまで大きく躓いたことがなかった。
火属性は例外だ。
あれは《ファイアーボール》を使えないというより、そもそも俺自身が避けている。
でも、水、風、雷、土。
四属性の初級魔術は使えるようになった。
《マジックアーマー》も覚えた。
治癒魔術は苦手だけど、《ヒール》そのものが全く使えないわけじゃない。
時間をかければ、少しずつでもできるようになった。
だから心のどこかで思っていたのかもしれない。
今回もそのうちできる。
中級魔術だって、練習していればいつか使えるようになる。
でも――半年経ってもできなかった。
周りができるようになっても。
成長魔力が以前より増えても。
何度練習しても。
一度すら成功しない。
もしかして。
俺には、雷属性の才能がないんじゃないか?
そんな考えまで浮かぶようになった。
初級の《ショック》が使えるから、雷属性も使えると思っていた。
でも、中級からは得意不得意の差が大きくなる。
だったら、初級が使えることと、その属性に才能があることは別なんじゃないか。
俺は専攻を間違えた?
水を選んでいたら?
土だったら?
あるいは――避けている火だったら?
「…………」
考えても答えは出ない。
それに今さら別の属性へ逃げるのも、なんだか負けたような気がした。
だから今日も《ショックウェーブ》を練習する。
どうせ失敗すると思いながら。
「《ショックウェーブ》」
バチッ。
やっぱり《ショック》。
「…………はぁ」
これが――挫折ってやつなのかもしれない。
◇ ◇ ◇
そんな時期から、剣術の授業が少しずつ増え始めた。
どうやら、これにもちゃんと理由があるらしい。
中級魔術に入ると、初級魔術の頃よりも得意不得意の差が顕著に出やすくなる。
すぐに成功する奴もいれば、何ヶ月練習しても成功しない奴もいる。
俺みたいにな。
そして、それだけ差がはっきり見えてくると――当然、挫折する奴も出てくる。
それも、決して少なくないらしい。
周りが次々と中級魔術を成功させているのに、自分だけができない。
最初は頑張る。
次こそは。
もう少し練習すれば。
そう思って何度も挑戦する。
でも結果が出ない。
やがて、魔術を使うこと自体が嫌になってしまう生徒もいるらしい。
学園側も、それを危惧しているようだ。
だからこの時期からは、中級魔術だけに集中させるのではなく、剣術の授業を多めに取り入れる。
一度魔術から離れて身体を動かしたり、別の分野を学んだりすることで、生徒たちの気持ちを切り替えさせる。
それだけじゃない。
魔術が苦手だからといって、その生徒に何も才能がないわけではない。
剣術。
体術。
あるいは別の属性。
一つの分野で躓いた時に、別の分野へ目を向ける。
そこで自分の得意なものを見つけられれば、それが自信につながることもある。
なるほど。
確かに今の俺には、ありがたい。
半年練習しても《ショックウェーブ》は一度も成功していない。
正直、最近は《ショック》を見るだけで少し嫌になってきていたところだ。
だったら、一度魔術から離れるのも悪くない。
それに――。
剣術なら。
俺は腰に差した木刀へ視線を落とした。
一年生の最初の剣術。
ギレウスを吹き飛ばした。
木刀まで粉々にした。
あの時は、自分の力が怖くなった。
それから三ヶ月。
木刀を持つことすら許されず、ひたすら力を止める練習をした。
手刀を寸前で止める。
指定された力で標的を叩く。
何度も、何度も繰り返した。
そしてサリナとの模擬戦で、初めて自分の力を制御して木刀を当てることができた。
剣術に関しては、最初から順調だったわけじゃない。
むしろ大失敗から始まった。
それでも。
あの時は、やればやっただけ前へ進んでいる感覚があった。
昨日できなかったことが、今日は少しできる。
強すぎた一撃を、少し弱くできる。
止められなかった手を、寸前で止められる。
結果が見えた。
それに、俺には前世で剣道をやっていた経験もある。
構え方。
間合い。
相手の動きを見ること。
踏み込み。
剣を振る感覚。
この世界で初めて木刀を握った時から、全てが初めてだったわけじゃない。
だから――。
「今日は剣術の授業を行います」
先生の声を聞いた瞬間。
久しぶりに、少しだけ胸が高鳴った。
中級魔術の授業が始まってから、ずっと感じていなかった感覚だった。
できるか分からない。
また失敗するかもしれない。
そんな不安じゃない。
今日は何をするんだろう。
誰と戦うんだろう。
どれくらい上達しているんだろう。
そんな期待。
俺は木刀の柄を握る。
魔術では、半年間一度も成功できなかった。
でも。
剣術なら――。
俺は、自信がある。
そして、半年経った今。
ようやく――その時が来た。
いつもの魔術の授業。
俺はいつものように標的へ右手を向けていた。
近くではラントとギレウスもそれぞれ魔術の練習をしている。
何か特別なことをしようと思っていたわけじゃない。
今までと同じように、魔力を動かす。
雷属性へ変える。
手のひらの周りで電撃が弾ける。
バチッ。
何度やっても成功しなかった。
今日だって、どうせまた《ショック》になる。
そんな考えが頭をよぎる。
それでも、俺は右手を前へ向けた。
「《ショックウェーブ》!」
バヂッ――!
「…………え?」
俺は目を見開いた。
いつものように、一本の電撃が標的へ飛んでいくことはなかった。
手のひらから放たれた雷が前方へ広がった。
幾筋もの電撃が一斉に走り、並べられていた標的へ次々と直撃する。
バヂヂヂッ!
「…………」
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
俺は右手を伸ばしたまま、目の前の標的を見つめる。
今のは。
「シャウト!」
後ろから声がした。
振り返ると、ラントがこっちを見ていた。
「今の《ショックウェーブ》だよ!」
「…………」
その言葉を聞いて、ようやく実感が湧いてきた。
俺が。
今。
《ショックウェーブ》を。
「……できた」
自分の右手を見る。
「できた……!」
胸の奥から一気に何かが込み上げてくる。
「できた!!」
思わず声を上げた。
「やった! やっとできた!」
何度やっても《ショック》にしかならなかった。
一度も成功しなかった。
それが今、初めて成功した。
「やったな、シャウト!」
ラントが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「ちゃんと《ショックウェーブ》になってたぞ!」
「ああ!」
「シャウト!」
ギレウスもこっちへ走ってきた。
「今の成功したの!?」
「ああ! 成功した!」
「やったじゃん!」
ギレウスが笑顔を見せる。
「ずっと練習してたもんね!」
「……ああ」
また右手を見る。
嬉しい。
ただ、それだけだった。
時間がかかったとか。
周りより遅かったとか。
そんなことは、今だけはどうでもよかった。
一度。
たった一度。
でも、その一度が、ずっと欲しかった。
俺はもう一度二人を見る。
ラントもギレウスも笑っていた。
俺も自然と笑う。
「やった……!」
ようやく。
俺にも《ショックウェーブ》が使えた。




