第7話 ニガムシと魔王
『ニガニガニガニガ!』
そんな声をあげながら飛びだしてきたのは、黒い魔法生物の群れでした。
大きさは一体あたり20センチほど。しかし、全身は黒い毛むくじゃらで、クモのような細長い脚が六本も生えた姿のものが、うじゃうじゃと押し寄せてきます。その見た目は、なんとも気持ち悪いものでした。
「な、なんなの、これ!?」
エミルも思わずびくっとのけぞります。さすがの魔法生物好きの彼女も、思わず引いてしまうほどのおぞましさです。よくキッチンなどで見かける、黒くうごめく生きものを彷彿とさせる姿でした。
けれど、それは見た目だけの話ではありません。
いままで感じたことのないような、不気味な気配。なにをしてくるかわからないという未知への恐怖が、じわじわと胸を締めつけてきます。
『この国が荒れた原因はアイツらよ! アタシたちは【ニガムシ】って呼んでる!』
妖精の女王が叫びました。
ニガムシ――エミルもエイルも聞いたことのない名前です。けれど、いまはそんなことを気にしている場合ではありません。
顔のないニガムシたちは、なにを考えているのかわかりません。しかし、らんらんと光る二つの目だけは、はっきりと敵意を宿していました。
エイルはすぐに二本の剣を引き抜き、大きく振るいます。
指輪の中のシロの力を借りた魔法、《風刃》。
無数の緑色の風の刃が、いっせいにニガムシたちへ襲いかかりました。
『ニガ~!』
風の刃は、それをはるかに上回る数のニガムシたちを容赦なく切り刻みます。
切り裂かれたニガムシたちは黒いモヤとなり、そのまま霧散して消えていきました。
「くっそ! 調子出ないな!」
大きな戦果をあげたにもかかわらず、エイルは悪態をつきます。
お姉さんの調子が悪いことは、妹のエミルにもすぐわかりました。
ふだんのエイルなら、この一撃だけですべてのニガムシを倒せたはずです。ですが実際に倒せたのは、全体のほんの四割ほどでした。
魔法の効き目は、精神、心、気持ちに大きく左右されます。腐りかけたシュクレーヌの大地から立ちのぼる悪臭が、エイルとシロの気力を大きく鈍らせてしまっているのでしょう。
「だったら……わたしたちもやるよ、シロン!」
エミルは指輪からチビドラゴンのシロンを呼び出し、自分も杖を構えました。
『う~……くさいのイヤなのに~……!』
悪臭に苦しんでいるのは、シロンも同じです。
「あの黒いムシが、その原因だよ! やっつけちゃおう!」
エミルはシロンを奮い立たせるように声をかけました。
『うー……おかしのくにをくさらせちゃうなんて、ぜったいゆるせない!』
効果はてきめんでした。シロンの燃え上がる怒りは、悪臭による不快感を大きく上回ります。
「《ドラゴンフレイム》!」
『ガオーッ!』
エミルが杖を振るうと同時に、シロンは怒りの炎をまき散らしました。
燃えさかる炎は、残っていた六割のニガムシたちを一気に焼き尽くします。
「やるう!」
これにはエイルも感嘆の声をもらしました。
エミルたちの実力は、まだエイルには遠く及びません。それでも、数々の冒険を経たふたりは、確実に力をつけていたのです。
『す、すごいです、おふたりとも!』
『ええ……やるものだわ。でも……』
まっしろな妖精は感激していますが、女王の表情はどこか浮かないままでした。
『ニガムシどもを駆除したからって、この国が元通りになるわけじゃない』
その言葉どおり、あたりを見渡しても、腐りきったシュクレーヌの大地が回復する気配はまったくありません。
『そんな……』
まっしろな妖精も肩を落とします。
『まあ、おじゃま虫がいなくなれば、そのぶん対策を考える時間くらいはできるわけだけどね』
落ち込む妖精をはげますように、女王が言葉を添えました。
しかし、そのときです。
『ほう……なかなか骨のあるやつらを呼んできたじゃないか』
低く響く、迫力のある男の声があたりに響き渡りました。
「だ、だれっ!?」
姉妹と妖精たちは、あたりを見回しました。
声はすれども姿は見えず、気配すら感じられません。
「どこだ、出てこい!」
すると、エイルの呼びかけに応えるように、姉妹の目の前へ黒いモヤが現れ、ゆっくりとひろがっていきました。
形こそちがいますが、《妖精の抜け道》と同じような、空間移動のチカラが感じられます。
『くる……!』
シロンはおののき、目を見開きました。
姉妹もまた、黒いモヤから放たれるオーラに全身を震わせます。
これは【ニガムシ】たちのような不気味さだけではありません。純粋な強者だけが放つ、圧倒的な威圧感――それほどの存在が、あのモヤの向こうにいるのです。
そして、その姿はゆっくりと現れました。
身長は2メートルほど。筋骨隆々とした人型で、肌はビターチョコレートを思わせる褐色。頭には黒い二本のツノが生え、銀色の短髪が逆立っています。
服装は前の開いた革製のノースリーブジャケットに、同じ素材のパンツ。妖精の国にはおよそ似つかわしくないいでたちでした。
『お前ら……人間だな? ずいぶんとなつかしい感じがするぜ』
男は、うす笑いを浮かべながら姉妹を見つめます。
エミルはもちろん、あのエイルでさえ全身に寒気が走りました。
見ただけでわかるのです。この人型の魔法生物は、これまで出会ってきた誰よりも強く、そして危険な存在だと。
シロンもすっかりおびえ、まっしろな妖精といっしょにエミルの背中へ隠れてしまいました。
『オレ様は、そうだな……名前決めてなかった。どうすっかな。うーん……』
男はそんなことをつぶやきながら、本気で考え込みはじめました。
あまりにも緊張感のない様子に、姉妹も思わずぽかんとしてしまいます。
『そうだ、妖精ども。お前ら、あいつらのこと【ニガムシ】って呼んでたよな?』
男は女王を指差してたずねました。
『い……言ったけど』
ふだんなら強気な女王も、男の放つ威圧感と、それとは裏腹の気の抜けた態度に不気味さを覚えたのか、おずおずと答えます。
『ふむ……苦い……言い得て妙だ。……決めたぞ! たったいまからオレ様の名は【魔王ビターダム】だ! カッコイイだろ!』
自称魔王が胸を張って高らかに宣言すると、まわりには、しら~っとした空気が流れました。
なんとも、ふざけたヤツです。……けれど、エイルは鋭い目つきを少しも崩しませんでした。
なぜなら、その軽い態度こそが、絶対的な強者だけが持つ余裕なのだと、本能で悟っていたからです。
『さてと……』
満足した様子の魔王は、おもむろに右手を姉妹へとかざしました。
「!」
エイルの目の色が変わった、その瞬間です。
魔王の右手から、黒いモヤが一気に放たれました!
エイルはとっさに隣にいたエミルを後方へ突き飛ばすと、二本の剣を振るい、その黒いモヤを受け止めます!
「『お姉ちゃん!』」
倒れたエミルとシロンが叫んだ、そのときには――
エイルの全身は、すでに黒いモヤに包まれていました。
まっくろなモヤの向こうはまったく見えず、彼女の無事を確かめることもできません。
『さーて、少しは楽しませてくれよ?』
魔王は紫色の舌をぺろりとなめると、まるでいたずら好きな子どものような笑みを浮かべるのでした。
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