第6話 変わり果てた故郷
「うわっ、くさっ!」
空間トンネル、《妖精の抜け道》を抜けたエイルの第一声は、それでした。
なんて失礼なことを、とエミルは思いましたが……
「ほ、ほんとだ……」
自分も鼻をつく悪臭を感じ、思わず顔をしかめてしまいます。
『なんだか、くさったおまんじゅうみたいなにおいがする!』
シロンも鼻をつまみ、涙目になりながら言いました。
『そ、そんな……! 出発する前は、こんなにひどくなかったのに!』
まっしろな妖精は、おどろきと戸惑いを隠せません。
あんなにカラフルだったシュクレーヌの大地は、すっかり彩りを失い、一面が土色へと変わってしまっていました。しかも、この鼻を刺すような悪臭。
わずか数日のあいだに、故郷はさらに見る影もないほど荒れ果ててしまったのです。妖精が受けたショックは、はかり知れないものでしょう。
「すぐに来て、正解だったでしょ?」
『むー、くやしいけど、みとめざるをえないー!』
エミルとシロンは軽口を交わしながらも、シュクレーヌの惨状に胸を痛めていました。
はじめて訪れる、夢にまで見た妖精の国。本当なら、美しい自然と、お菓子であふれる楽しい世界だったはずです。それが今では、悪夢のような光景に変わってしまっています。
早く、早く元に戻してあげたい。その思いは、ここへ来る前よりも、さらに強くなっていきました。
「くさいー! くさいよー!」
妹たちが景色に心を痛めているあいだも、エイルは悪臭に耐えきれず、地面をごろごろ転がってもだえ苦しんでいました。野生児の彼女は、人一倍嗅覚が鋭いぶん、このにおいがことさらつらいのでしょう。
「妖精さん。まずは、みんながふだん集まっている場所へ案内してくれる? 女王さまにも会ってみたいな」
『は、はい! ついてきてくださいっ』
エミルが行動の方針を示すと、妖精はハッと使命を思い出し、先頭に立って歩きはじめました。
姉妹もそのあとを追います。けれど、ぬちゃ、ぬちゃ、とブーツが地面を踏むたびに、不快な音と感触が足裏へ伝わってきました。
それは単なるぬかるみではありません。散らばった生ゴミや腐った木の実を踏みつけてしまったような、思わず顔をしかめたくなる感触です。
シロンはとうとう耐えきれなくなり、エミルの指輪の中へ戻っていきました。小さくてもドラゴンであるシロンの嗅覚は、人間とは比べものになりません。この悪臭の中を歩き続けるのは、あまりにも過酷だったのです。
そして――
『……着きました。ここがシュクレーヌの中心部、"コンフェイトの大樹"の広場です』
妖精は、目の前に高くそびえる一本の大樹を見上げながら告げました。
姉妹もつられるように見上げ、その姿に思わず息をのみます。
きっと、元気なころは空いっぱいに枝葉をひろげ、国中を見守る立派な大樹だったのでしょう。ですが今では、葉は完全に枯れ落ち、幹もあちこちが朽ち、見るからに命の輝きを失っていました。
「……死んでるの?」
エイルが険しい表情でたずねました。
「……ううん。かすかだけど、まだマナを感じる。無事じゃないけど、生きてはいるよ」
エミルは胸の前でぎゅっと両手を握りしめながら答えました。その小さな希望だけが、この荒れ果てた国に残された光のように思えたのです。
『おお……戻ったか、おぬし……』
そのとき、大樹の根元から、しわだらけの小さな妖精がゆっくりと姿を現しました。
白い髪と長いひげに顔のほとんどが埋もれ、長い年月を生きてきたことがひと目でわかります。その手には、スナック菓子のような形をした杖がしっかりと握られていました。
『長老さま!』
まっしろな妖精は、今にも泣き出しそうな顔で駆け寄りました。
長老は、妖精が無事に帰ってきたことに安心したのでしょう。彼女へ身を預けるようによろめきます。
『ちょ、長老さま!? だいじょうぶですか!?』
長老もまた、まっしろな妖精が人間界へ旅立つ前は、ここまで弱ってはいなかったはずです。滅びの侵食は、大樹だけではなく、妖精たちの命にまで影響を及ぼしはじめているのでしょうか。
『わしのことはよい……それよりも、おぬしの後ろにおるニンゲンたちが、"雨あがりの聖女"なのじゃな?』
『は……はい! 雨あがりの聖女、エミルさんです!』
まっしろな妖精に名前を呼ばれたとたん、エミルは周囲からたくさんの小さな気配を感じ、びくっと肩を震わせました。
『あのニンゲンが?』『なんか、よわそう……』『油断するな! 体はぼくたちより大きいんだから!』『あのマントのヒト、ちょっとこわい……』
その声の正体は、この国に住む妖精たちでした。
どうやらエミルたちがこの国へやって来たことに気づき、物陰から様子をうかがっていたようです。
『アンタが、そうなのね。よく来てくれた。待ってたわ』
その中から、人間の少女と変わらない大きさの、濃いピンク色のツインテールを揺らした妖精が、一歩前へ進み出ました。
彼女こそ、占いによってまっしろな妖精へエミルを連れてくるよう告げた、妖精国シュクレーヌの女王です。
エミルは、ごくりと息をのみ、本題を切り出しました。
「このたびはお招きいただき、ありがとうございます。さっそくですが、この国にいったい何が起きたのか。そして、わたしに何ができるのかを教えていただけませんか?」
妖精たちは顔を見合わせ、小声で話し合いはじめます。エミルが、本当に信用できる人間なのか迷っているのです。
『だから、おだまりって言ってるでしょ! このコが無事で帰ってきたのが、何よりの証拠でしょうが!』
女王はぴしゃりと言い放ち、まっしろな妖精を指さしました。
正確には、人間たちに捕まるなど決して無事な旅ではありませんでした。それでも、そのピンチから助け出してくれたエミルが信用に値する人間であることは、まっしろな妖精自身が誰よりよく知っています。彼女は何度もうなずきながら、その言葉を力強く認めるのでした。
『このコから、事情は聞いた?』
女王がエミルへたずねます。
「聞きました。それに、実際にこの惨状を見て、すぐになんとかしなきゃいけないこともわかりました」
エミルは、ぎゅっと真剣に目を細めました。
『いいわね、アンタ。アメ玉みたいな、いい目をしてる』
「あ、ありがとうございます……」
そのたとえはいまひとつよくわかりません。それでも、きっとほめてくれているんだろうと思ったエミルは、少し照れくさそうに笑いました。
すると、さっきから鼻をつまんだままだったエイルが、不意に口を開きます。
「ねえ。それってさ、さっきからざわざわしたイヤな気配を出してるやつらが原因?」
「『え?』」
エミルと女王、そしてまっしろな妖精が、そろって目を丸くしました。
その瞬間――
ガサガサガサガサ!
あたりの草むらから、草木をかき分けるような音が響き渡ります。
『ひいっ!』『やつらが来た!』『にげろー!』
妖精たちはいっせいに身を震わせると、クモの子を散らすように四方八方へ逃げ出しました。
まっしろな妖精もエミルの後ろへ隠れ、女王も険しい表情で眉をひそめます。
エミルが不安そうに周囲を見回す中、エイルだけは顔をしかめながらも鼻から手を放し、静かに腰の剣へ手をかけました。そのやまぶき色の瞳は、すでに敵の気配をとらえています。
そして――それらは、姉妹の目の前へ飛び出してきたのでした!
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