第34話 黒腕のチョコング
『ウッホホーーーッ!!!』
突然、空間の穴から現れた巨大ゴリラは、高らかにおたけびをあげながら、興奮した様子でドラミングに興じていました。解放感を感じているようで、実に楽しそうです。
そこに――
バシュッ! ドガーン!
『ウホオッ!?』
どこからか飛んできた風の刃が首筋に直撃し、ゴリラは大きく体勢を崩して転倒しました。
ここは、塩でできた砂山の中腹。斜面になっていますので、その巨体は数十メートル下まで転がっていきます。
ようやく転落が止まると、ゴリラは怒りに満ちた顔を上げ、風の刃が飛んできた方向……斜面の上のほうをにらみつけました。
そこには、右手に黄金の剣、左手に白銀の剣をにぎり、やまぶき色の長い髪とペールオレンジのマントをなびかせた、人間の少女――エイルが立ち、こちらを見下ろしていました。
『いまの攻撃……テメエのしわざか?』
エイルは一瞬、目を見開きました。
両手ににぎられた剣と合体中の精霊たちも、おどろいていることでしょう。
『あのゴリラ……しゃべったわよ!?』
長耳型の妖精で、この中ではいちばん聴覚にすぐれるスノーベルも、離れた位置から驚愕していました。
人の言葉を話す魔法生物はめずらしくありませんが、巨大ゴリラの野性味あふれる――悪く言えば、あまり知性を感じさせない風貌からすると、たしかに意外に映るのでしょう。
いっぽう、エイルは無言で左の剣を振り、二発目の《風刃》を放ちました。これが答えだと言わんばかりに。
人語を話す魔法生物は、決まってチカラの使い方がうまいのです。さっさと倒してしまわないとやっかいなことになる。スキを逃してはいけない……百戦錬磨のエイルには、それがわかっていました。
『フン!』
バシュン!
しかし、ゴリラは裏拳の要領で右手を払うと、飛んできた《風刃》をあっさりとはたき消してしまいました。
『どおしたあ? 直接来いよ。それとも……"コイツ"がこわいのかな?』
ゴリラは挑発的な笑みを浮かべると、全身から黒いオーラを放ち、エイルに向かって一気に放射してきました!
忘れられるわけがありません。あのコーヒー粉を思わせる、黒くてモヤモヤしたオーラは……姉妹を敗北におとしいれた、あの【魔王ビターダム】の、苦味のオーラ!
「っ!」
エイルはとっさに二本の剣をうしろへ放り投げました。
パートナーである剣の精霊たちに、あれを吸わせたくない……そう、本能的に判断したのです。
そして丸腰になったエイルは、マントで顔ごと全身をおおうようにして……真正面から苦味のオーラを浴びてしまいました!
「『おねえちゃんっ!』」
エミルとシロンは、同時に声をあげました。
エミルはもちろん、エイルの身を心配しています。ですが、いまはそれ以上に気になっていることがありました。
それは、現在もエイルにかかっているシュガーの魔法、《パウダーシュガー》の効果のほどです。
甘味のチカラが、苦味のオーラにどれだけ対抗できるのか……その答えが、目の前で示されようとしていました。
シュガーも同じく、固唾を飲んで見守っていました。もちろん、エイルの無事も祈りながら。
やがて、黒いモヤモヤが消え、エイルの姿があらわになりました。
『そんな……』
スノーベルは、絶望的な顔になりました。
苦味のオーラをまともに受けたエイルは、ひざをついた体勢で、顔を青ざめさせながら苦しそうに息を整えています。
これは……あきらかに苦味の影響を受けているように見えました。
『や、やっぱり……わたしのチカラなんかじゃ……』
自分の魔法では、エイルを守ることができなかった……そう思ったシュガーは、またも心がくじけそうになってしまいます。
ですが──
『ううん! まだだよ!』
「あれを見て!」
生まれたときからエイルをよく知る、シロンとエミルの妹コンビが、エイルを指差しました。
なんとエイルは、震えながらも立ち上がったのです。
そして、うしろに投げ捨てた二本の剣を呼び寄せると、後ろ手でキャッチしたのでした。
泣きそうになっていたシュガーも、ハッとして気がつきました。
そうです。前の魔王との戦いでは、苦味のオーラを浴びただけで、エイルはまったく動けなくなってしまいました。
しかし……いまはちがいます。エイルはたしかに弱っているようですが、その全身からみなぎる闘志は、これっぽっちも衰えてはいないのです。
もちろん、あのゴリラのオーラが、魔王のそれよりも劣るということも、じゅうぶん考えられます。
でも、あのゴリラだって、確実にエイルを戦闘不能にするつもりで放ったはずです。それを耐えたということは、シュガーの魔法に、ちゃんと苦味から守る効果があったということに、ほかなりません。
「だいじょうぶ! お砂糖の入ったコーヒーくらいはマシだから!」
エイルは笑顔で、そんなわけのわからないたとえを叫ぶと、ゴリラに斬りかかっていきました。
きっと、妹たちが自分を心配していると察して、安心させるために言ったのでしょう。
「シュガー、あなたの魔法は効いてる。お姉ちゃんを守ってくれてる! だから、自信を持って!」
ローブから杖を取り出したエミルのはげましに、シュガーはこらえていた涙を流しました。
けれど、これは悲しみの涙ではありません。
わたしは仲間の役に立てる。魔王退治の力になれる。シュクレーヌを救う希望になれる――
そんな思いをかみしめた、よろこびの涙でした。
『さあ、泣くのはあとよ。"マシだ"ってことは、完全には苦味を無効化できてないみたいだから、いまのエイルは本来の力を発揮できない! 私たちのサポートが必要よ!』
スノーベルの檄に、シュガーは鼻をすすりながら涙をぬぐい、キリッとした顔でうなずきました。
『バ、バカな! 効いてねえだと!? 話がちがうじゃねえか!?』
いっぽう、苦味のオーラを発していた巨大ゴリラもまた、驚愕していました。
彼は姉妹の察しの通り、魔王ビターダムの手先でした。その名も、魔王四天王の一人――【黒腕のチョコング】。
いずれ、姉妹とシュガーが自分を討つべく、ふたたびシュクレーヌに舞い戻ってくることを予期していた魔王は、それを阻むべく、二つの手を打っていたのです。
ひとつは、異空間をただようシュクレーヌの座標――つまり位置を変えて、シュガーの《妖精の抜け道》でも、一発で戻ってこられないようにすること。
もうひとつが、それでも乗りこんできた姉妹を確実に足止めするため、刺客を差し向けること……その一番手に選ばれたのが、このチョコングだというわけでした。
四天王と呼ばれる魔王の手下はみな、魔王本人にはおよばないものの、苦味のオーラをあやつることができます。
さっきエイルに浴びせたのは、魔王が最初に姉妹と立ち合い、あいさつがわりに食らわせて戦闘不能に追い込んだものと、同じ濃度の苦味のオーラでした。
しかし――エイルは、そしてシュガーは、それをみごとに克服してみせました。
それは、この姉妹と妖精たちが、魔王ビターダムにとって確実な脅威となったということの、なによりの証明だったのです。
ならば――この人間たちは、確実にここで倒しておかなくてはならない!
最初はカンタンなお仕事と思い、軽い気持ちでこの塩の妖精界にやってきたチョコングは、ここにきて真剣な顔つきになりました。
そこに――エイルの金と銀の刃がひらめき、それを自慢の黒腕で受け止めました!
ガッキィーーーン!
するどい金属音が響きます。
空中のエイルと、巨体のチョコング。二人の目が、真正面からぶつかりました。
エイルは、不敵でステキな笑みを浮かべて言いました。
「もうニガニガは効かないぞ。これでお前と魔王をやっつけられる!」
チョコングも対抗するように、ニヤリと笑います。
『やってみやがれ! 人間の小娘が!』
真の戦いは――これからです。
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