報告危機一髪 1
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明日で完結です。
書庫をどうにか元に戻し、シャハラは宦官たちを呼びに行くと、気を失っているナジャーフと女官たちを運び出してもらった。
ナジャーフが倒れたと聞かされたカリムが、政務を放り出してハレムにやって来たのはそれから二時間後のこと。
もちろんシャハラは、事情を知るものとしてカリムに呼びつけられた。
ナジャーフのワルダの部屋へ向かうと、彼女は意識を取り戻しており、寝台に上体を起こして座っていた。
カリムはベッドの縁に腰かけてナジャーフと話していたが、シャハラがやって来ると視線をそちらに向け、少しばかり双眸を剣呑に細めた。
「シャハラ、何があったのか説明しろ」
これは怒っているなとシャハラは内心で冷や汗をかいた。
ナジャーフが困った顔をしている。
「ごめんなさいね、シャハラ。わたくしの説明では要領を得なくて、陛下はまったく納得してくれないの」
「当たり前だ。いきなり見えない悪魔が現れて書庫がめちゃくちゃになって気を失い、目が覚めたら寝台の上にいたなんてわけがわからん。もっと言えば、書庫はいつもどおりだったではないか」
シャハラは「しまった」と心の中で舌打ちした。
書庫を元に戻したのは間違いだったかもしれない。あのままにしておけば、悪魔が暴れたことにできたのに。書庫が元通りになった説明をどうしたいいだろう。ユエとファイサルに手伝ってもらって直したなんて言えない。
シャハラはその問題をひとまず棚上げして、すっとカリムにランプを差し出した。
「陛下。事情を説明する前に、こちらを。おそらくですが、リシャーフ・マスジドから盗み出されたランプかと思われます」
おそらく、ではなく、自分たちが盗んだのだから確実にそうなのだが、そんなことは言えないのでシャハラは適当なことを言う。
カリムは怪訝そうな顔で金色のランプを受け取った。
「本物か? 何故これをシャハラが持っている」
本当は、もう少し言い訳を寝る時間が欲しかったが仕方がない。シャハラはあらかた考えていた作り話をこの場で披露することにした。
(本当はナジャーフ様経由で話してもらうのが一番穏便に収まりそうだったんだけど、こうなったら仕方がないわ)
変な疑いをもたれるのが一番困る。今日は精神的にも体力的にもくたくたなので部屋に戻って惰眠をむさぼりたかったが、カリムを納得させるというひと仕事を終えるまでシャハラに平穏は訪れなそうだ。
「陛下、ラーイダ妃が亡くなったこと、それから本日の書庫での出来事……ええっとあと、陛下や宦官が回廊や庭で寝ていたこと」
「それは忘れろ」
どうやら、中庭で全裸で寝こけていたのはカリムにとっても思い出したくないことらしい。ユエがしでかしたことをアドナナのせいにしてやろうと目論んだシャハラだったけども、忘れろと言うのだから言及するのはやめておこう。
「その、ラーイダ妃と本日の書庫の一件は、このランプに封印されていた悪魔が原因です! どうやらこのランプの封印が解けて悪魔が逃げ出し、ハレムで騒動を起こしていたようですね! なんとかその中に悪魔を再封印しましたのでもう大丈夫です!」
「待て。聖職者ではないシャハラがどうやって悪魔を封印したんだ」
「え……、それは……」
「それは?」
「なんか……やったらできました」
「…………」
カリムが胡乱な顔になる。
「どうやった?」
「な、投げつけたら……吸い込まれていきました」
苦しい! とっても苦しい言い訳だ。だからこのあたりのもっと煮詰めてから説明したかったのだ! 信じてもらえなかったらどうしよう。
目を泳がせていると、ナジャーフが助け舟を出してくれた。
「シャハラは嘘を言っていないと思いますわ。だって、あの場に悪魔がいたのは、見えないわたくしでも感じ取ることができましたもの。あれが悪魔の仕業でないのなら、説明がつきません。シャハラだって怪我を……ああ、シャハラ。手の怪我は大丈夫?」
シャハラは左手を見た。アドナナの爪で怪我をした手の甲には包帯が巻かれている。ユエが「治してやろうか」と言ってくれたのだが、怪我をしたのをナジャーフに見られていたので、それが消えていたらまずいだろうと断ったのだ。地味に痛いが、ナジャーフの様子を見る限りユエに治療してもらわなくてよかった。
「消毒して包帯を巻いたので大丈夫です」
「そう……」
ナジャーフがほっと胸をなでおろす。
「陛下。そのランプも、わたくし、何もないところかシャハラの手に飛んでいくのを見ましたわ。きっとそのランプがシャハラを選んだのでしょう。だからシャハラは悪魔を封印で来たのではありませんこと?」
ランプがシャハラに飛んで行ったのはユエが投げつけたからだが、ナジャーフはユエが見えないので何もないところから飛んで来たように見えたのだろう。そういうことにしておこう。この話の流れはシャハラにとっては都合がいい。
(ナジャーフ様、さすがだわ)
やはりナジャーフとは仲良くしておいた方がいい。個人的にも好きだが、カリムが絶大な信頼を寄せているナジャーフが味方だと、何かあった時の誤魔化しがとても楽だ。
カリムはシャハラが説明したときは不審そうな顔をしていたくせに、ナジャーフが言えば得心の言った顔で頷いている。このままナジャーフに任せて見よう。
「なるほど、ランプが選んだ、か」
「ええ。あの場で悪魔をどうにかできたのはシャハラだけでしょう」
「まあ、このランプは特別な製法で作られたと聞くからな。そう言うこともあるかもしれない、か」
「はい。こうしてわたくしたちが無事であることが、すべてでしょう?」
「まあな。悪魔を前にして無事に生還したんだ。それに、この中に悪魔……精霊がいるかどうかは、聖職者に確認させればわかることだ。それはいま議論する必要はないだろう。シャハラよ。ともかくご苦労だった。しかし、書庫が元通りになっているのは解せない。どうやった?」
「ええっと、悪魔を封印したら元通りになりました」
「つまり、書庫がめちゃくちゃになったのは、悪魔が見せた幻覚だったということか?」
(素晴らしい解釈!)
都合よく勘違いしてくれたようなので、シャハラはもちろんそのまま押し通す。
「きっとそうだと思います!」
「そうか。まあいい。女官たちも気を失っていただけで大事なかったと聞いた。強大な悪魔と渡り合ったのだ、シャハラには褒美を取らせる必要があるな」
褒美と聞いてシャハラは身構える。
以前酒宴の時で適当なことを言って辞退しようとしたら、とんでもなく高価なものを押し付けられた。ここは控えめに「お菓子がほしい」とか言って、とんでもない褒美を回避する方が得策だろうか。
(変に嫉妬されて他の妃に嫌がらせされたらたまったものじゃないもの)
シャハラはアズラクの間の扉が泥で汚されていたのを覚えている。あれから嫌がらせは受けていないが、高価な褒美なんて貰ったらまた嫌がらせが復活するかもしれない。
「ふむ。何がいいか。……ああそういえば、そなたの父アブダラが、そなたが怪異をどうにかした暁は副宰相の地位がどうとか言っていたな」
「とんでもないです、そのような大それたことは不要ですわ」
シャハラは笑顔で即答した。心の中で父の顔を思い浮かべて舌を出す。
(何の苦労もしていないお父様にご褒美なんて必要ないでしょ!)
シャハラが出世を断ったと聞いたら、きっとアブダラは顔を真っ赤にして怒り出すだろうが、ハレムにいる以上、アブダラと会う機会はめったにめぐって来ないだろうからどうでもいい。肉親だろうと男はハレムに入れないのだ。せいぜいシャハラがカリムから許可を得て、ハレムの外に外遊に出た時ぐらいだろうが、よほどのことがない限りそんな許可は下りない。
カリムは面白そうに目を瞬いた。
「親の出世は必要ないと?」
「大臣ですから、もう充分特別な地位をいただいております」
「なるほど、欲がないな」
いや、欲がないわけではないのだ。父親の手柄になるのがムカつくだけで。
「では何がいいか……」
シャハラは無駄に高価なものを押し付けられる前に、先手必勝で言った。
「できれば美味しいお菓子が頂けると嬉しいです。あとは……度数の強いお酒とか」
ちらっとユエの顔を思い浮かべて容貌を追加する。
カリムが唖然とし、ナジャーフがくすくすと笑った。
「そういえばシャハラはいける口なのよね。市の時も、強いお酒を見ていたもの」
それはユエが消費しているのだが、そんなことは言えないので曖昧に笑う。
「悪魔を退治した褒美が菓子と酒? シャハラよ、そなた、そのうち何かとんでもない詐欺にでも遭うのではないか? 大丈夫か? すでに何か騙されことがあるのではないだろうな」
騙されたと言えば……とシャハラは左手首の数珠に視線を向ける。これは騙されたことになるのだろうか。なるだろうな。
「欲のない子なのですわ」
「そうかもしれんが……さすがにそれでは褒美にならんな」
カリムがそっと嘆息する。
それから少し考えて、わかったと頷いた。
「では、菓子と酒を届けさせよう。それから、それだけでは示しがつかんから、今夜、そなたの部屋に行く」
(へ⁉)
とんでもないところに話が飛躍して、シャハラはギョッとした。
(ちょっと待って⁉ 酒宴のときも同じことがあったわよね⁉ もしかして……陛下って自分が妃の部屋に行くのは、妃への褒美になると思っている⁉)
前回も思ったのだ。八歳児と間違えたシャハラの元に通うなんて、カリムはロリコンなのではないかと。だが、それを「褒美」と認識しているのならば話は変わって来る。そしてこの流れはシャハラにとって非常に厄介だ。
思わずナジャーフを見れば、どこか困った顔で、でも微笑ましそうに笑っていた。
「陛下、わたくしが言うのもなんですが……シャハラは小柄なのですから、手加減なさいませ?」
(いやいやいや、止めてくださいよ‼)
このままではまずい。
シャハラは何とかして今夜カリムの来訪を回避する方法はないものだろうかと頭を悩ませた。
というか、ナジャーフはせっかく体が治ったのだから、ナジャーフがカリムとラブラブしていればいいと思う。そうだナジャーフに押し付けよう!
シャハラはぐっと拳を握り締めてカリムをまっすぐに見つめた。
「陛下。わたしよりもナジャーフ様の方が頑張ったと思います。わたしと違って異形が見えないのに、逃げもせずにわたしを庇おうとしてくださいました! ご褒美でしたら、ナジャーフ様に!」
カリムは目をぱちくりとさせてナジャーフを見た。
ナジャーフも目を丸くしている。
畳みかけるなら今だ!
「それに、ナジャーフ様は気を失ったばかりで心細いはずです! 陛下がおそばについていてくだされば、きっと心強いと思います。そうですよね、ナジャーフ様⁉」
ナジャーフは必死のシャハラに、何か気づいたところがあるようだ。「あらあら、シャハラはまだお子様なのね」と仕方がなさそうな顔をして、カリムに向かって微笑みかける。
「そうですわね。陛下がいらしてくだされば、安心して眠ることができると思いますわ」
すると、カリムがほんのりと顔を赤くした。
「そ、そうか」
「ええ。シャハラもご褒美を譲ってくださるみたいですから、今日は側にいてくださいます?」
うむ、ナジャーフは実に甘え上手である。
照れてたじたじになっているカリムに、シャハラは思った。
(案外、尻に敷かれてるのね)
この二人はこのまま一生ラブラブしていればいいと思う。
このままこの部屋にいては二人に当てられそうなので、シャハラは早々に部屋を辞すことにした。
褒美のお菓子とお酒は後日届けてくれると言う。
ナジャーフの体が治ったことは説明が難しいので教えてあげることはできないが、きっと近いうちに自覚をもって気づくだろう。
仲睦まじい二人の様子を尻目に部屋を出ながら、シャハラはそう思った。
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