封印のランプ 2
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ユエはリシャーフ・マスジドをぐるりと囲う壁の上の通路の上に降り立った。
通路は高い胸壁に囲まれていて、近くには誰もいない。見張りはいないようだ。
シャハラがユエの背中の上から降りると、ユエは狐の姿から人型に戻る。そして、ひょいっとシャハラを横抱きに抱きかかえた。
「俺様にくっついてろよ」
どうやらユエに触れていたら、シャハラの姿も他の人から認知されなくなるようだった。実に便利である。
抱きかかえられるのは少々恥ずかしいが、安定感は抜群だった。ユエの肩に捕まり、シャハラが頷けば、胸壁の上から下を覗き込み「行くぞ」と合図を出す。
飛び降りる気だ。
それがわかったので、シャハラは片方の手で自分の口元を押さえた。うっかり悲鳴が漏れないようにするためだ。
ユエはシャハラの様子に小さく笑い、胸壁をひらりと飛び越えると、そのままはるか下の地上部分まで一気に飛び降りた。
風がシャハラの頬を殴るようにぶつかり、腹の中の臓物がひっくり返るような違和感を覚える。だが、ぎゅっと目を閉じていると、その時間は本当に一瞬のことだった。
「どこに封印があるのかわかるの?」
小声で訊ねれば、ユエは短く「たぶん」と答える。
「ファイサルの気配は感じ取れないが、逆に、何の気配もない変な場所がある。お前ら人間の言葉で言うのならば、神聖というやつだろう。幽鬼の類の気配がまったくない、逆に鬱陶しいくらい穢れのない場所だ。あんだけ澄んでりゃ、並みの幽鬼や妖怪じゃあ近づけねえだろ」
「ユエは大丈夫なの?」
「俺様を何だと思ってるんだ。仙だぞ。むしろ、澄んだ空気なんて美味しくいただくね!」
そう言えば、桃源郷の空気もとても澄んでいて綺麗だった。やはり彼は、幽鬼や妖怪とはまた違った類の存在なのだろう。
「空気って、美味しいの?」
「俺様は食いでのある肉の方がいいがな、知り合いの仙は霞しか食わねえぞ」
「へ、へえ……」
それってお腹に溜まるのだろうかとシャハラはちょっと思った。というか、霞を食べて生きていられるのなら、ユエだって食事をしなくてもいいのではなかろうか。シャハラの食事をいつも半分も分捕っていくが、もっと少なくてもいいような気がしてきた。
「おい、今お前が考えていることをあててやろうか」
ユエがじろりと睨んでくる。ユエの食事を減らそうと考えたのはお見通しだったらしい。
「俺様の肉を奪ったら、お前でも容赦しねえからな。肉の代わりにお前を喰ってやる」
脅すように、ユエが犬歯をのぞかせる。
シャハラは思わず自分の首を押さえた。
「ちょっと、人を食べないで!」
「噛みつかれたくなけりゃ、ちゃんと肉を献上しろよ。あと酒と菓子な」
まるで暴君である。
シャハラは腑に落ちないものを感じたが、噛みつかれたくないのでユエの食事を減らして自分の取り分を増やすのは諦めた。
喋っている間にも、ユエは駆け続ける。
どうやら地下に向かっているようだった。
夜の見張りだろう、途中で何人かの聖職者の姿を見つけてひやりとしたが、ユエとシャハラの姿や気配を感じ取られることはなく、横を通り過ぎても無反応だった。聖職者にも感知させないなんて。そんな芸当ができるのなら、ハレムで怪異騒ぎを起こさないでほしかった。
ユエが地下へ続く階段を駆け下りる。
モスクの中はひんやりと寒いくらいだったが、地下はもっと寒かった。思わずぎゅっとユエに抱き着くと、くつくつと笑われる。
「ほら、布団がわりだ」
そう言って、ユエが尻尾をくるりと前に回して、シャハラの胴に巻き付けた。
幾分か寒さが和らいで、シャハラはホッと息をつく。
「ありがと」
「お前に風邪を引かれちゃ、食い物に困るからな」
「……感動を返して」
(わたしはあんたの食事係じゃないのよ!)
まったくもうと息を吐き出し、シャハラは改めて前方を見やる。
地下へと続く長い階段はそろそろ終わりそうだ。目の前に、重厚な扉が見えた。聖職者が二名、その大きな扉の前に立っている。見張りだろう。
(どうするのかしら?)
この距離で声を発すると聖職者たちに聞かれそうなので、シャハラはユエに問うことはできない。
いくら姿が見えなくとも、扉を開けば気づかれる。ひとりでに扉が開いたと、きっと大騒ぎになるだろう。大勢の聖職者が集まってくるはずだ。
ユエは扉の前に立って、考え込むように視線を落とした。
十秒ほど悩んでいただろうか。
名案を思い付いたらしい彼は、にやりと笑うとシャハラを片腕で抱え直し、軽く手を振る。
その瞬間、一階の当たりで大きな音がした。怪談の上から聖職者の叫び声がする。
「化け物だ‼ 金色の巨大な犬の化け物が出たぞ‼ 手の空いているものは今すぐ集まれ‼」
その声を受けて、扉の前の見張り二人が大慌てで階段を駆けあがって行った。
ユエがそれを肩越しに振り返り、小さく舌打ちする。
「誰が犬だ。俺様は天狐様だぞ。失礼な!」
どうやら、ユエは自分の幻影を見せたらしい。
不機嫌そうに鼻を鳴らして、ユエが見張りのいなくなった扉に手をかける。扉に鍵がかかっていたのかどうなのかはわからないが、ユエが押せば扉は簡単に開いた。
扉の奥は真っ暗だった。
ユエが扉を閉めてシャハラを床に下ろす。彼が軽く手を振ると、真っ暗だった室内に金色の光の珠が無数に浮かび上がった。
大きな部屋だった。
半球状の天井は高く、部屋自体も円を描いている。
ただ広い部屋の中央に、四角柱の真っ白な台が置かれてあり、その上に金色に輝くランプが置いてある。
部屋の中にあるものは、ただそれだけだった。
ユエはじっとその台とランプを見つめて、それから眉を寄せる。
「まいったな。ありゃあ、俺様は近づけねえ。この国の聖職者もなかなかやるじゃねえか。厄介な結界が張ってある」
「結界? 何も見えないけど……」
「目には見えねえよ。だが……そうだな。シャハラ、ちょっと手を前にかざして、あのランプに近づいてみろ」
「う、うん」
その行動に何の意味があるのかわからないが、シャハラは言われたとおりに手を前に突き出し、恐る恐るランプに向かって歩き出した。
しばらくその様子を眺めていたユエが「よし!」と手を叩く。
「やっぱりな、いけると思ったぜ。お前、なかなか優秀な血統だからな!」
「なんかその言い方、嬉しくない……」
「いいから、そのままランプを持ってこい。お前の母親に感謝しろよ。そして俺様は、お前の母親が生きている間に会わなくて本当によかったぜ。油断すりゃ、百年くらい封じ込められたかもしれねえわ」
母のことは好きだけど、なんでここで母親の血に感謝しなければならないのだろうか。腑に落ちないものを感じつつ、シャハラはランプを掴んだ。
ランプは意外と重くて、シャハラは両手で抱え上げたあとでハッとする。
――あれは普通のランプや壺ではなく、昔誰かから聞いた話によれば、高位の聖職者の骨を混ぜて作られた、特別なものらしいわよ。
ふと、ナジャーフの言葉が脳裏に蘇った。
シャハラはゾッとして、急いでユエの元に戻ると、手に持っていたランプを彼に押し付けた。
「でかした! って、何でそんな気味の悪そうな顔をしてるんだ?」
「そのランプ、聖職者の骨が使われているらしいわよ」
「んなわけねーだろ。これはただの金だ、金! 純金じゃなくて合金だがな」
なるほど、だから重たかったのか。
シャハラは聖職者の骨で作られたランプでないと知り胸をなでおろす。
「じゃあ帰るぞ。これ持ってろ。ランプを持ってちゃお前を抱えにくい」
「うん」
ただの合金製のランプなら何も恐ろしくない。一見したところ金ぴかであること以外は何の変哲もないランプだが、本当にこの中に精霊がいるのだろうか。
ユエがシャハラを抱え上げたとき、バタバタと大きな足音がこちらへ向かって来た。
地下の扉が大きく開かれ、聖職者が数名雪崩れ込んでくる。
「ランプが‼」
「ランプが消えている‼」
彼等が叫んだ。
ユエはにやりと笑って、シャハラを抱えたまま聖職者たちの脇を通り過ぎて走り出す。
彼は楽しそうに、「ばーか」とつぶやいて笑った。実に性格が悪い狐である。
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