封印のランプ 1
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日がすっかり落ちて、夜空に月や星が輝きはじめた。
ユエは上機嫌だ。
窓桟に軽く腰かけて、先ほどから逸る気持ちを抑えるように二胡を弾いている。ファイサルという精霊は、よほど仲のいい友人なのだろう。
ナジャーフから聞いたはなしだが、シャハラは考えて、ユエには黙っておくことにした。ナジャーフは人から聞いた話だと言っていたし、どこまで信憑性があるのかはわからない。ユエが楽しそうにしているのだから、下手なことを言って水を差さなくてもいいだろうと思った。
月が夜空をゆっくりと上に移動し、上空近くで輝きを一層増したころ、ユエは二胡を置いた。
「よし、行くぞ!」
「ちなみに、どうやって?」
ハレムの出入り口の門は、夜でも見張りが厳重である。人間に姿が見えないユエはともかく、シャハラが抜け出すのは容易ではない。
するとユエは、バルコニーに続く掃き出し窓を開いた。
バルコニーの窓は、普段はユエの住処だという桃源郷に繋がっているのだが、今日は窓の外は桃源郷ではなくバルコニーそのものだった。どうなっているのかはわからないが、ユエの仕業には違いない。
「んなもん、こっから出るんだよ。ほら来い」
「ちょっと、ここ二階よ? 下に降りれたとしても、そこからどうやってハレムの外に行くのよ」「誰が下に降りるって言ったよ」
ちっちっちっ、とユエは機嫌よさそうに舌打ちする。
下でなければどこに行くつもりだと思っていると、シャハラの目の前でユエが姿を変えた。
シャハラは目をぱちくりとしばたたく。
「ユエ?」
「おう!」
ユエ――金色の毛並みの大きな狐の姿に変わった彼は、ツンと尖った犬歯を見せながら言った。
体長は、シャハラの身長よりもずっと大きい。
耳は人型の時よりもより大きく、そして尻尾の数も増えていた。五本の尻尾がゆらゆらと揺れている。毛並みは長く、艶々していた。ふさふさだ。
シャハラはつい吸い寄せられるようにユエの背に触れた。
(うっわ、気持ちいい。抱き着いて寝てみたいかも)
なでなでと撫でまわしていると、ユエがふんっと鼻を鳴らす。
「俺様の毛並みが素晴らしいのは当然だが、遊んでいる暇はない。ほら、とっとと乗れ」
「乗れって、どこに?」
「背中だ! ほかにどこに乗るつもりだ。顔の上に乗られたら前が見えんだろうが!」
「背中に乗っていいの?」
「だから、とっとと乗れ!」
気が急いているのだろう。たしたしと長い尻尾が床を叩いた。その音に急かされるように、シャハラは恐る恐るユエの背中に乗る。温かくてふわふわしていて、安定感もあって、このまま眠れそうだ。
「しっかり掴まってろよ。あと、声は出すな。お前が嫌がる怪異だと思われるぞ。俺にくっついてたら、お前の姿も見えなくなるからな。明日の朝、王に呼び出されて女の怪異が出たからなんとかしろなんて言われたくねぇだろ?」
「う、うん」
「よし、舌噛むなよ!」
ユエがとんっと床を蹴る。
バルコニーの手すりも蹴り、その反動でふわりと空高く跳躍した。
(――っ)
悲鳴を上げかけたシャハラは、寸前のところでぐっと呑み込む。
ユエは、あっという間にハレムの屋根よりもはるか上に飛び上がった。
月と星がずっと近くなった気がする。
ユエは、まるで地面を走っているように空の上を走っていた。彼が宙に浮くことができるのはすでに知っていたが、まさかシャハラを乗せて飛べるとは思わなかった。
「これだけ高く飛べばいいだろ。もう喋ってもいいぞ」
ユエから許可を得て、シャハラは彼の首元にしがみつくと横から顔を覗き込んだ。
「ユエ、わたし、空を飛ぶのはじめて!」
「何当たり前なことを言ってるんだ。人間が空を飛べるはずないだろうが」
「そうじゃなくて! まあそうなんだけど!」
「どっちだよ!」
「気持ちがいいってこと!」
ユエが走っているからだろう。風がシャハラの頬を撫でながら通り過ぎていく。
遥か下に王宮はハレム、アワティフの街並みが見えて、周りは星と月ばかり。なんて――なんて幻想的なのだろうか!
「わたし、ユエを見直したわ!」
「どういう意味だ! お前の中の俺様の印象がどんなものなのか、今度じっくり聞いてみたいものだな、おい」
「ふふふ!」
シャハラは声を上げて笑う。
今から向かうのは精霊が封印されていると言うリシャーフ・マスジド。もちろん、緊張が消えてなくなったわけではない。不安もまだある。だけど、今だけはこの爽快な気分を楽しみたい。
「ったく、そんなに気に入ったのなら、夜の散歩くらいならいつでも連れてってやる。だが今日は目的があるからな。呑気に散歩してる暇はない」
「わかってるわよ」
でも、また連れて行ってくれるのかとシャハラは嬉しくなった。今度はゆっくり、ただの散歩を楽しむのもいいかもしれない。ハレムを抜け出しての夜の、しかも空の散歩。なんて特別で、なんて背徳感があるのだろか。ドキドキする。
「で、リシャーフ・マスジドってどこだ。俺様は知らねえんだから、ちゃんと道案内しろ」
「左斜め前よ。真っ白くて大きな建物! 今は燭台の明かりで白って言うよりオレンジ色だけど。あの、丸い屋根がいっぱいある建物よ」
「あの馬鹿でかいやつか! よしわかった!」
王宮にも勝るとも劣らない巨大なモスク。それがリシャーフ・マスジドだ。この国で一番大きなモスクであり、聖職者たちが最初に修行をし、そして最後にたどり着く場所とも言われている。つまり、最も特別視されているモスクだ。
「飛ばすぞ、掴まってろ!」
ユエの五本の尻尾のうち二本がシャハラの胴に絡みついた。落ちないようにしてくれているのだろう。シャハラがぎゅっとユエの首元に抱き着くと、彼はぐんとスピードを上げる。
巨大なモスク、リシャーフ・マスジドが、あっという間に目の前に迫った。
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