砂に溺れた女 1
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シャハラが目を覚ました時、すっかり夜が明けていた。
驚いて飛び起きたシャハラは、自分の隣で高いびきをかいているユエを発見してギョッとした。いつもは宙に浮いて眠っているくせに、いつの間に寝台に潜り込んできたのだろう。
「って、今はそれどころじゃないわ! いつの間に朝になったわけ? 陛下は? まさか部屋に来たりしてないわよね⁉」
もしそうなら、熟睡しているシャハラを見てカリムはどれほど激怒したことだろう。
思わず自分の首を確認してしまう。自分の首はまだ胴に繋がっているだろうか。
「ちょっとユエ! ねえ起きて! 昨日はどうなったの? 陛下は来たの? ねえ!」
「んあー? おい揺さぶるな。こちとら寝たのは明け方なんだ、昼まで寝かせろ」
「寝るなら説明してから寝てちょうだい!」
ユエは面倒くさそうに片眼を開けて、ごろんと寝返りを打ってシャハラに背を向けると端的に言った。
「王は部屋に来てない。以上」
そして小さないびきをかきはじめたユエに、シャハラはそれ以上の説明を求めるのを諦めた。
シャハラにとって重要なのは、昨夜、カリムが来たかどうかなのだ。来ていないのならば、シャハラがベッドで熟睡していた姿を見られていないだろう。罪には問われない。
ホッと胸をなでおろしたシャハラは、手早く支度をすると、厨房に朝食をとりに行くことにした。
(あ、ついでに葡萄酒の入れ物も返しておかないと。中身は……捨てておいた方がいいわよね?)
シャハラは枕元に置いていた睡眠薬入りの葡萄酒の瓶を手にして、おや、と首をひねった。軽い。
中身を覗き込んだシャハラは、中に入っていた葡萄酒がからっぽになっていることに気が付いた。瓶を手にしたまま、ちらりと寝台を見やる。
「ねえ、これ飲んだ?」
返事は「かー」といういびきだった。飲んだのだろう。よく寝ると思ったら葡萄酒にシャハラが混入した睡眠薬のせいなのかもしれない。妖怪、いや仙に睡眠薬が効くのかどうかは実験したことがないので知らないが。
シャハラはちょっぴり罪悪感を抱いた。ユエが勝手に飲んだとはいえ、睡眠薬入りの葡萄酒を飲ませてしまった。お詫びに今日の朝食のお肉は全部ユエに献上しよう。
シャハラはユエを起こさないようにそーっと部屋を出た。そして厨房に向かってシャハラだったが、廊下の中央で大の字になって倒れている宦官を見つけてギョッとする。
(い、生きている?)
恐る恐る近づいて息があるかどうかを確かめると、寝息を立てていた。寝ているだけのようだ。
「なんでこんなところで寝てるのかしら?」
首を傾げつつ階段へ向かうと、階段の踊り場にも倒れている宦官がいた。それも三人。
(なに? 昨日、何かあったの?)
シャハラは訝しみ、さらに進む。一階の廊下にも宦官が寝ていた。ぽつんぽつんと、まるで破れた麦袋から麦が零れ落ちたみたいに、何人もの宦官が感覚を開けては寝入っている。
これはさすがに異常だろう。
シャハラは近くを歩いていた女官を捕まえて、宦官たちはどうしたのだと聞いてみた。
すると女官は青ざめて、ふるふると首を横に振る。
「わ、わたくしは何も見ておりません。本当です! 夜中、笑いながら追いかけっこをしていた宦官も、突然踊り出した宦官も、いきなり噴水に飛び込んだ宦官も、ええ、見ておりませんとも!」
思いっ切り見ているじゃないの、とシャハラは思ったが、深くは追及しなかった。彼女はほかに恐ろしいものがあるようにシャハラに一礼すると一目散に逃げていく。
(……ユエの仕業な気がする)
というか、それ以外に考えられるだろうか。
シャハラが厨房で朝食を受け取りアズラクの間へ戻ると、そこには先客がいた。
「ナジャーフ様?」
見れば、ナジャーフが数名の取り巻き女官を連れてアズラクの間の扉から少し離れたところに立っていた。困ったように頬に手を当てている。
シャハラを見るとホッと笑い、言った。
「よかった。あなたに用があったのよ。でも、この扉、何か変なのよ。触ると手がしびれるみたいで……どうしてかしら?」
見れば、ナジャーフの取り巻き女官の一人が手首を押さえている。彼女が触れたのだろうか。
シャハラは首をひねった。
「わたしが触ったときは何も感じませんでしたけど……」
「そう? まあ、そうよねえ。こうしてあなたが外に……って、あら。なんで配膳台を抱えているの?」
「朝食をとりに行ってきました」
「あなたが⁉」
よほどの衝撃だったのか、ナジャーフは目を見開いて固まってしまった。
おずおずと、彼女の取り巻き女官が口を開く。
「食事は、下働きの女官が運ぶことになっているはずですが?」
「ええっと、わたしの部屋、ここなので。たぶん恐ろしいんだと思います。だからわたしが自分でとりに行くことにしたんですよ」
これまで運ばれたことは一度もないという言葉は飲み込んで、シャハラは言った。食事を運ばないのは下働きの女官の怠慢だと思うが、怪異が起こる部屋を訪れるのは恐ろしかろう。ユエはシャハラが来るまでに散々女官たちを脅したようだし、怪異が収まったと聞いてもすぐに安全だとは思えないはずだ。
ナジャーフがそっと嘆息した。
「陛下に進言しておきますわ。妃のすることではないもの。そうそう、陛下よ! その陛下のことで来たの!」
「陛下がどうされたんですか?」
「実はね」
ナジャーフはシャハラに近づくと、そっと口を耳元に近づけた。ふわりと薔薇の香油の匂いがする。
「大変だったのよ。朝早くに、女官が呼びに来てね。なんと、陛下ったら裸で中庭で寝ているけれど、どうしましょうかというのよ! わたくしはもちろん、慌てて陛下の元へ向かったわ。そして手の空いている宦官を呼びつけて、陛下をわたくしの部屋に運ばせたの。あんな姿、人目についたら大変じゃない? そう言えば、宦官たちも廊下や階段で寝ていたけれど、昨日何かあったのかしら……って、それはどうでもいいのよ。陛下よ! まだ熟視していらっしゃるけれど、今までこのようなことは一度もなかったの? どう思って? これって新しい怪異かしら?」
おぉぅ、とシャハラは喉の奥で呻いた。
ユエだ。ユエに違いない。シャハラはだらだらと冷や汗をかいた。
「へ、陛下は寝ていたただけですか?」
「ええ。そうだと思うわ。念のため目を覚まされたら医者に診ていただこうとは思うけれど、気持ちよさそうに寝ているのよ。あれはきっと女性の夢でも見ているのね。幸せそうだもの。でもまさか、中庭で女性と夜の時間をすごしたわけではないでしょうし、まさか、誰か陛下を部屋から追い出したのかしら? いいえ、あり得ないわね。そんな恐ろしいこと、わたくしだって無理よ」
「あの、陛下の服は?」
「それも不思議なのよ! 転々と廊下や中庭に落ちていたの! 全部回収させたけどね」
いったいユエは、カリムに何をしたのだろうか。
ナジャーフはそっと嘆息した。
「陛下が目を覚ましたら聞いてみるけれど、シャハラ、これが怪異かどうかの調査を頼める? これが怪異でないなら、変なものを召し上がったとしか思えないわ。そうなれば大変よ? ハレムの中で陛下に毒が盛られたと大騒ぎになるかもしれないもの!」
「わ、わかりました。調べてみますね」
「ええ、お願いね。では、何かわかったら教えてね?」
ナジャーフは女官たちを連れて去っていく。
手首を押さえていた女官は、何度もアズラクの間の扉を振り返った。よほど痛かったのだろうか。
シャハラは試しに、配膳台を廊下に置いて扉に触れてみる。
(うーん、何も感じないけど?)
だが、念のためにユエが起きたら聞いてみよう。
シャハラはユエの「何とかする」発言は、要注意だなと肩を落とした。
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