王の気まぐれ 2
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シャハラは財布を握り締めて意気揚々と市へ向かった。
ハレムは基本的に男子禁制だが、市の立つ日は南の広場だけが例外となる。
商人の男たちがハレムに入るため、大勢の宦官が見張りに立ち、どことなく緊迫した空気が漂っているが、買い物を楽しむ妃妾や女官たちはそんな空気など何のその。とても華やいだ笑い声をあげながら市を巡っていた。
(お菓子は必須よね。だってユエ、すっごく食べるんだもの)
細いのに、いったいどこに入るのだろうか。
そして、酒豪だ。酒をよこせとうるさいので、シャハラは夕食の時にいつも厨房から酒をもらうようにしている。
「一番強いお酒が欲しい」と言えば料理人は顎を外しそうなほど驚いていた。
毎晩酒をもらっていたら、最近ではすごく心配そうな顔で「ストレスですか? あの、おせっかいかもしれませんが、一度医局で先生に相談してみては……」とアドバイスまでもらった。あの時は本当に恥ずかしかった。
(お酒も売ってるのかしら? 少し買っておいた方が……あーでも、あったらあっただけ飲みそう。どうしようかな)
市を回りながら、ついつい考えるのは横柄な同居人のことである。
意外なことに、酒を売っている店は多かった。おそらく、妃妾が夜に王をもてなすのに使うからだろう。酒を買っている妃妾、もしくは彼女たち付きの女官の姿はなかなか多い。
シャハラもふらりと酒を扱っている店へ足を向けた。
だが、酒に詳しくないシャハラは、何が何だかわからない。仕方がないので、いつも料理人に言いうのと同じことを言った。
「この中で、一番強いお酒を下さい」
すると、店主の初老のおじさんは目をぱちくりとしばたたいた。
「お嬢ちゃん、子供の時から強い酒を飲むとパァになるぞ」
「……子供じゃないです」
子供に見えるのか、誰もシャハラを上級妃の一人だとは思わないようだ。
がっくりと肩を落としていると、「あら、シャハラだったかしら?」と華やかな声がした。
振り返ると、二週間前と同じく、実に扇情的な格好をした上級妃の一人、ナジャーフがいた。今日もぞろぞろとお供の女官を連れている。
店主のおじさんの鼻の下が伸びた。まあ、気持ちはわかる。胸も腰も足も、ほとんど隠す意図のない薄布しかまとっていないのだ。しかも太ももの際までざっくりとスリットが入っている。風が吹けば大事なところが丸見えになりそうだ。
「こんにちは、ナジャーフ様。お久しぶりです」
「ええ、お久しぶりね。でも、意外なところで会ったわ。あなた、見かけによらずお酒が好きなのかしら?」
「ええっと、まあ、そんなところです。強いものがあればいいなと思って」
「あらあら」
ナジャーフは楽しそうにころころと笑う。
「あなたみたいな子、嫌いじゃないわ。そうねえ、強いお酒ならこのあたりの蒸留酒かしら。せっかくだし、一本プレゼントしてさしあげてよ」
「いえ、そういうわけには……」
「そのかわり、少しあちらで話でもいかがかしら?」
なるほど、シャハラに何か用事があるらしい。
シャハラは怪異の起こるアズラクの間からほとんど外に出ないので、話したくても近づけなかったのかもしれない。
シャハラが断る隙も与えずに、ナジャーフが女官の一人に命じて、度数も値段も一番高そうな酒を一本購入した。
それを女官に持たせて「行きましょう」と微笑まれる。これはもう断れない。
市の立つ広場の一角には、買ったものをその場で楽しむために、天幕が張られた下にテーブルと椅子が置いてある。
ナジャーフがそのうちの一つの丸テーブルを指さした。
「あそこでいいかしら? 甘いものはお好き?」
「はい、好きです」
反射的に答えると、ナジャーフが赤い唇を楽しそうに持ち上げる。
「素直な子は好きよ」
ナジャーフが目配せをすると、女官の一人が近くの店でマーモウルを買って来た。マーモウルはクッキーの一種でペーストしたデーツと砕いたナッツが入っている。
マーモウルと一緒にコーヒーも準備された。
「コーヒーは飲んだことあるかしら? 下に粉が沈殿しているから、上澄みだけを飲むのよ。下の粉は美味しくないから残してね」
「はい。ありがとうございます」
コーヒーの存在は知っていたが飲んだことはなかったので、ナジャーフに説明してもらって助かった。見た目は真っ黒だが、砂糖がたくさん入っているのでとても甘くて美味しい。
「あの、お話って?」
マーモウルを一つ口に入れてその甘味に舌鼓を打ってから、シャハラは訊ねた。
ナジャーフはテーブルの上に肘をついて指を組むと、その上に顎を乗せる。その仕草すらなまめかしい。計算してやっているのだろう。王の妃というのも大変だ。
「例の、怪異のことよ。あなたが来てからぱたりと怪異が収まったでしょう? もう解決したのかしら?」
シャハラは少し考えた。
二週間が経ったし、そろそろ「解決済み」の報告をしてもいいだろうか。あまりすぐに解決したと言えば疑われるかもしれないが、二週間なら充分だろう。
「ええっと、そうですね。もう少し様子を見たい気持ちもありますけど、恐らくはもう怪異は起きないと思います」
原因のユエはいるが、この二週間はおとなしくしている。酒と食事を与えておけばもう騒ぎは起こさないだろう。そう思いたい。
すると、ナジャーフは瞳を輝かせた。
「まあ! 素敵だわ! あなた、見かけによらず素晴らしいのね。聞けば、異国の聖職者の血を引いていると言うじゃない? あなたみたいな方が入ってくれて本当に嬉しいわ」
法師と聖職者はまったく同じというわけではないと思うが、説明が面倒なのでシャハラは流しておくことにした。
それにしてもナジャーフは、この二週間でシャハラのことを調べたようだ。母の血筋は内緒にしているわけではないからいいのだけど、知らないところで詮索されるのはあまりいい気分ではない。
「陛下にはご報告したのかしら?」
「ええっと、すみません。陛下にどうやって取り次いでいただければいいのかわからず、まだ何も」
というか、できれば会いたくないから、誰かが伝言してくれると嬉しい。そんなことを思っていると、ナジャーフがさらに瞳を輝かせる。
「まあ、そうなの? もしよかったら、わたくしが報告して差し上げてもよろしくてよ?」
つまり、手柄と話題をかっさらいたいと言うことだろうか。わかりやすくて大変結構だ。そしてシャハラとしては願ってもない。手間が省ける。
「ぜひ、お願いしてもいいですか? わたしの元に陛下がいらっしゃることはないと思いますし、ナジャーフ様がお伝えしてくださるのならとても助かります」
「まあ、うふふ! ええ、いいのよ? ハレムで暮らす妃同士だもの。お互い助け合わなくてはね」
本音は、「蹴落とし合わなくてはね」だろうが、ナジャーフはシャハラを敵視してはいないと思う。敵にもならないと侮っているからだ。ならば味方だと思わせておいた方があとあと楽でいい。
ナジャーフの用事はそれだけだったようで、先ほど買った酒瓶をシャハラに渡すと、取り巻きの女官たちを連れて去っていく。
しゃなりしゃなりと揺れる腰が、ナジャーフの機嫌のよさを物語っていた。
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