第八話 ヤマメと天ぷらとキャンプ飯
夜の山の空気は、
昼よりずっと冷えていた。
焚き火の火だけが、
オレンジ色に揺れている。
その周りで。
二年三組は、
完全に飯テロ空間になっていた。
鍋ではカレー。
炭火ではヤマメ。
机には揚げたてのタラの芽とウドの天ぷら。
湯気。
匂い。
音。
全部強い。
安西が叫んだ。
「いただきます前に腹減って死ぬ!!」
西野も腕を組んだまま言う。
「早く食わせろ」
河野が鍋を見ながら返す。
「まだ熱いから待って」
江口が天ぷらを見つめていた。
「キャンプ飯の概念壊れた……」
陽介が笑う。
「じゃ、食うか!」
全員が手を合わせる。
「いただきます!!」
その瞬間。
あちこちで歓声が上がった。
「うっま!!」
「ヤマメやば!!」
「待ってウド美味っ!!」
「何これ!?」
「山菜って苦いだけじゃないの!?」
安西が大騒ぎしている。
西野は無言で二本目のヤマメへ向かった。
江口は天ぷらを凝視している。
「これ普通に店の味する……」
御影も珍しく驚いていた。
「想像してたより全然美味しい」
河野は少し困った顔になる。
「そんな大したことじゃないよ」
「いや大したことだろ」
陽介が即答した。
少し離れた場所。
大山は火を見ていた。
パチパチと薪が鳴る。
そこへ運動部男子、宮坂が皿を持ってやって来る。
「大山」
「ん?」
「ヤマメうますぎ」
大山は少し首を傾げた。
「そう?」
「そうだよ」
別の男子も頷く。
「キャンプで魚食ったの初めてだわ」
「分かる」
「BBQかカレーしか知らん」
「山菜も初めて食った」
大山は少し困った顔をした。
自分にとっては当たり前だった。
だから。
どう返せばいいか分からない。
そこへ陽介がやって来る。
隣に座る。
「だから言っただろ」
「……何を」
「お前普通にすげぇんだって」
大山は苦笑する。
「いや……山なら誰でも……」
陽介は首を振った。
「できねぇよ」
真顔だった。
「少なくとも俺はヤマメ取れねぇ」
「毒草見分けられねぇ」
「火もつけられねぇ」
大山は黙る。
陽介は焚き火を見ながら続けた。
「自分の当たり前を軽く扱うな」
風が吹く。
火が揺れる。
大山はしばらく何も言わなかった。
それから。
少しだけ笑った。
「……変なやつ」
「褒め言葉だな」
陽介も笑った。
その頃。
河野は相変わらず動き回っていた。
「カレー足りる?」
「お茶いる?」
「そっち皿回して」
自然だった。
誰に言われるでもなく。
気付けば全員の世話を焼いている。
安西が笑う。
「優ほんとお母さんじゃん」
「だから違うって」
西野も頷いた。
「安心感すげぇ」
江口も続く。
「実家感ある」
クラスが爆笑した。
河野の顔が赤くなる。
「だから違うって!」
その時だった。
西野がヤマメを片手に呟く。
「ビール欲しい」
「あー」
「分かる」
男子達が頷く。
焚き火。
ヤマメ。
天ぷら。
夜風。
確かに欲しくなる。
河野が呆れた顔をした。
「担任こっち見てるよ」
全員の視線が向く。
少し離れた場所。
折り畳み椅子。
缶コーヒー。
担任が座っていた。
何も言わない。
ただ。
正直。
めちゃくちゃビールが飲みたい。
そんな空気だけは伝わってくる。
だが引率中だ。
飲めるわけがない。
担任は小さく息を吐いた。
それから手を上げる。
「タラの芽ください」
河野が吹き出した。
「はい」
笑い声が広がる。
焚き火。
夜風。
うまい飯。
くだらない会話。
誰かが笑っている。
誰かが食べている。
誰かが火を見ている。
そして。
少し離れた場所で。
担任もタラの芽を食べている。
陽介はその景色を見回した。
江口。
御影。
北見。
西野。
大山。
河野。
そして担任。
みんなちゃんとここにいる。
祭りの夜に願ったことを思い出す。
もう一回会いたい。
誰でもいいから。
あの頃の誰かに。
陽介は小さく笑った。
「……やっぱ当たりだな」
焚き火の火が揺れた。
二年三組の夜は、
まだ終わらなかった。




