外伝 天野雫(前編)
卒業して数年。
天野雫、二十四歳。
今日も天野家の食卓は賑やかだった。
テーブルには母が作った料理が並び、湯気と一緒に笑い声が広がっている。
父。
母。
紬。
雫。
そして。
「いただきます。」
当たり前のように席へ座る江口真叶。
もう毎日のように夕飯を食べに来ているため、誰も違和感を覚えなくなっていた。
母も自然に茶碗を並べる。
父も普通に話しかける。
まるで最初から家族だったかのような光景だった。
食事も半分ほど進んだ頃。
父が雫へ視線を向ける。
「雫には。」
「江口君みたいな人はいないのかい?」
突然の質問だった。
雫は味噌汁を飲みながら首を傾げる。
「まな兄?」
思わず隣を見る。
江口は箸を止める。
「俺?」
父は笑いながら頷いた。
「紬みたいに。」
「早く落ち着いてほしいな。」
その言葉に紬がすぐ反応する。
「まだ落ち着いてないけど。」
冷静なツッコミだった。
江口はまんざらでもない顔で笑う。
「ツム姉。」
「よろしくね。」
紬は一秒も迷わない。
「嫌!」
即答だった。
食卓が静まり返る。
次の瞬間。
「あはははは!」
雫が吹き出した。
「お姉ちゃん。」
「今日も即答。」
「当然。」
紬は平然としている。
江口は肩を落とす。
「またフラれた……。」
「毎日じゃん。」
雫は笑いが止まらない。
その様子を見て父も母も笑っていた。
今日も。
天野家は平和だった。
夕食を終えた三人は、いつものように紬の部屋へ集まっていた。
机にはゲームの資料。
キャラクターデザイン。
シナリオ。
仕事道具が広がっている。
……はずなのに。
今日も雑談から始まる。
江口は椅子にもたれながら雫を見る。
「雫。」
「うん?」
「気になる人。」
「ほんとにいないの?」
雫は少しだけ考えた。
「いないね。」
あっさりした返事だった。
江口は苦笑いする。
「もう二十四歳だよ。」
「彼氏の一人くらいいても良いんじゃない?」
雫は腕を組み、小さく唸る。
「うーん。」
少し考えてから笑った。
「興味ないな。」
そして思い出したように続ける。
「それより。」
「お姉ちゃんに色々派遣されて楽しかったよ。」
紬が笑う。
「派遣って。」
「言い方。」
雫は気にせず指を折り始めた。
「御影さんのとこ。」
「河野さんのとこ。」
「ひまりさんのとこ。」
「北見さんのとこ。」
一人ひとりの顔を思い浮かべながら笑う。
「色々経験できたなぁー。」
その言葉を聞いた紬が、ふと雫を見る。
「多分だけど。」
「雫に合いそうな人、一人いる。」
江口も同じことを考えていた。
「俺も一人知ってる。」
二人は顔を見合わせる。
「あ。」
思わず笑う。
雫は二人を交互に見た。
「勝手に決めないで。」
「で?」
「誰?」
紬と江口は、ほぼ同時に口を開いた。
「陽介。」
「あはは!」
江口が吹き出す。
「ハモった。」
紬も少し笑う。
雫は首を傾げた。
「陽介さん?」
「あの噂の陽介さん?」
江口は頷く。
「陽介は誰でも合いそう。」
紬は首を横に振る。
「いや。」
「雫も普通じゃない人の方が合いそう。」
雫は思わず笑う。
「普通じゃないって何よ。」
江口は少し考えてから答えた。
「俺らの中で。」
「一番かっこいい生き方してる野次馬さん。」
雫はさらに首を傾げる。
「何それ。」
紬が少し笑う。
「誰よりも楽しんでるやつって事。」
雫はその言葉を聞きながら、小さく「へぇ」と呟いた。
そんな生き方をする人がいるんだ。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
興味が湧いた。
江口はスマホを見ながら呟く。
「あいつ。」
「まだ一人かな。」
紬は即答した。
「旅先で落ち着くとか。」
「ありえないでしょ。」
雫がすぐに食いつく。
「なになに。」
「もっと教えて。」
江口はニヤッと笑った。
「それなら。」
「みんなに聞いた方が面白いことにならない?」
紬は呆れ顔になる。
「変な企画しないでよ。」
「面白そうじゃん。」
「詳しく知りたい。」
雫も笑顔で頷く。
江口はスマホを取り出した。
「じゃ。」
「いつものこれで……。」
御影連絡スレを開く。
指が軽快に動く。
『次の休み。』
『ファミレス集合。』
『雫に陽介紹介しようかなって思ってるんだけど。』
『今のあいつ、どんな感じ?』
送信。
数秒後。
返信が届き始める。
西野。
『知らん。』
『祭りには帰ってこいと伝えた。』
御影。
『米食べたいって言ってた。』
ひまり。
『一人で宮坂のお見舞い行った。』
『宮坂が一番最後に会ってるかも。』
宮坂。
『カメラ持ってた。』
一瞬の沈黙。
そして。
『知ってる。』
『知ってる。』
『知ってる。』
画面が笑いで埋まる。
江口も吹き出した。
「宮坂らしい。」
最後に一言。
『とりあえず集合よろしく。』
送信。
「よし。」
スマホを置く。
「次の休み。」
「ファミレス集合だ。」
雫は少しだけ胸を躍らせていた。
まだ会ったことのない。
みんなが楽しそうに話す一人の男。
陽介。
どんな人なんだろう。
その答えは。
次の休日に分かる。
(中編へ続く)




