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第五話 ガリ勉御影栞


五月。


窓の開いた教室に、

少しぬるい風が入ってくる。


中間テスト一週間前。


だが。


二年三組は終わっていた。


「無理」


「数学意味分からん」


「英語長文書いた奴誰だよ」


「敵だろあれ」


昼休みなのに、

教室中から悲鳴が聞こえる。


机に突っ伏す男子。

参考書を閉じる女子。

現実逃避でパンを食べるギャル。


完全に壊滅状態だった。


そんな中。

教室の前の席。

一人だけ。


御影栞みかげしおりは黙々と問題集を解いていた。


姿勢が良い。

速い。

迷いがない。


まるで別の世界にいるみたいだった。


放課後。

教室には、テストへの絶望が残っていた。


「終わった……」


「赤点確定……」


「数学滅びろ……」


空気が重い。

陽介も問題集を眺めていた。


数秒。


いや。


数分。


沈黙。


それから。


「分からん」


机に突っ伏した。

隣の男子が頷く。


「だろ」


「いや」


陽介は眉をひそめた。


「見たことあるんだよ」


「何を」


「この問題」


「当たり前だろ授業でやったんだから」


「そうじゃなくて」


陽介は問題集を見る。


「俺これ解けた気がするんだよな」


「何言ってんだ」


自分でも分からない。

でも。

どこかに引っかかっている。


知っていたはず。

分かっていたはず。


なのに出てこない。

そんな感覚だった。


「くそ」


陽介は立ち上がる。

そして前の席へ向かった。


「御影」


御影が顔を上げる。


「何」


「教えて」


即答だった。

御影は少し驚いた。


「嫌」


「頼む」


「嫌」


「お願いします先生」


「誰が先生よ」



結局。

御影は問題集を受け取った。

数秒見て。


「ここ」


指差す。


「公式覚えてる?」


「怪しい」


「覚えなさい」


「はい」


即終了だった。

御影はため息を吐く。


それから。

ノートを引き寄せた。


「まずこれ」


式を書く。


「この数字を変形する」


「何で?」


「そこ?」


「そこ」


御影は少し考えた。

それから。

ゆっくり説明した。


「この式って結局」


「こういう意味だから」


陽介が止まる。


「……あ」


御影が続ける。


「だからここを先に」


「そうすると」


「こうなる」


数秒後、陽介の目が見開いた。


「あー!」


教室中が振り向く。


「それだ!」


御影が少し引く。


「うるさい」


「思い出した!」


「何を」


「分かる感じ!」


「意味分からない」


でも。


陽介は本当に嬉しそうだった。

ずっとモヤモヤしていたものが、

急に繋がった。

そんな顔だった。


すると。

近くにいた男子が振り返る。


「何?」


「分かったの?」


陽介が頷く。


「御影すげぇ」


「先生みたい」


御影が眉をひそめる。


「先生じゃない」


「じゃあ俺も」


男子が席を立つ。


「ここ教えて」


さらに。

別の席から。


「俺も」


「ここ全然分からん」


気付けば。

数人が集まっていた。

御影は顔をしかめる。


「何で増えるの」


「人気講師だから」


「帰れ」


最初は大変だった。


「ここ分からん!」


「先生!」


「待って!」


質問が飛んでくる。

御影の眉間にシワが寄る。


「だから一気に来ないで」


だが。

説明する。

また説明する。

そして。


「あ」


「分かった」


「そういうことか」


声が返ってくる。

御影は少し黙った。

今まで見たことがない顔だった。

問題集を解いている時には見えない顔。


理解した瞬間の顔。

それが目の前にあった。


「先生!」


「ここ!」


「待って!」


騒がしい。

うるさい。

効率は悪い。


でも。

何故か嫌じゃなかった。


しばらくして。

陽介が言った。


「分かったやつ」


皆が見る。


「隣に教えろ」


「え?」


「説明した方が覚える」


御影は少し考える。

確かにそうだった。

すると。

理解した男子が隣へ向く。


「ここさ」


「先にこれ計算して」


「あっ」


「そういうこと?」


別の場所でも。


「ここ違う」


「先こっち」


教室が回り始める。


質問。

説明。

理解。

また質問。

また説明。


御影はその様子を見ていた。

一人で勉強するより遅い。

効率だけなら悪い。


でも。

誰かが理解する度に。

教室が少し明るくなる。


夕方。

勉強会は終わった。

皆ぐったりしている。


「助かった……」


「赤点回避あるかもしれん……」


「先生ありがとう……」


御影は席に座り込んだ。

疲れた。

本当に疲れた。


だが。

不思議と嫌な疲れではなかった。


陽介が隣に座る。


「どうだったよ」


御影は窓の外を見る。


グラウンド。

部活の声。

夕焼け。

少し考える。


「……うるさかった」


陽介が笑う。


「だろうな」


少し沈黙して、

それから。


御影は小さく呟いた。


「でも」


「ん?」


「分かるようになった時の顔」


陽介が見る。

御影は少しだけ照れたように視線を逸らした。


「ちょっと好きかも」


風が吹く。

教室が静かになる。

陽介は笑った。


「へぇ」


御影が睨む。


「何」


「いや」


陽介は窓の外を見た。


「良い顔してたから」


御影は何も言わない。

でも。

少しだけ笑っていた。


帰り際。

誰もいなくなった教室。

御影は黒板を見た。


数式。

解き方。

書き込み。

消し忘れたチョークの跡。


ふと思う。

今日見た景色は。

今まで見たことがなかった。

机に座っている時には見えない景色だった。


誰かが分かる瞬間。

誰かが前に進む瞬間。

その顔を。

少しだけ。

また見たいと思った。


夕陽が教室を赤く染めていた。

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