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外伝 天野紬と江口真叶(前編)


夕方。

天野家の食卓には、美味しそうな夕飯が並んでいた。


湯気の立つ味噌汁。

焼き魚。

煮物。

炊きたてのご飯。


今日も五人で食卓を囲んでいる。


天野父。

天野母。

紬。

雫。


そして、江口真叶。


この光景は、もう天野家では当たり前になっていた。


「いただきます。」


みんなで手を合わせる。

天野父は味噌汁を一口飲みながら、江口を見て笑った。


「真叶君。」


「今日も来たね。」


江口も笑顔で頷く。


「はい。」


「今日も来ました。」


母親も優しく笑う。


「真叶君、一人暮らしなのに毎日来るわね。」


江口は箸を置いて答えた。


「ありがとうございます。」


「江口家のルールなんです。」


「自立するために一人暮らし。」


「だから一人暮らししてます。」


父親が不思議そうな顔をする。


「でも夕飯はここ。」


「はい。」


「ここは別腹です。」


一瞬だけ食卓が静かになる。

紬は間髪入れずに突っ込んだ。


「別腹の使い方違うから。」


その一言で食卓に笑いが広がる。

雫も笑いながら江口を見る。


「まな兄。」


「もう週七じゃない?」


江口は真顔だった。


「皆勤賞です。」


父親は思わず吹き出す。


「もう家族じゃないか。」


江口は少し嬉しそうに頷いた。


「ありがとうございます。」


「褒められました。」


「褒めてない。」


紬が呆れたようにため息をつく。

そんなやり取りも、もう日常だった。

夕飯を食べ終える。


江口は立ち上がった。


「ツム姉。」


「打ち合わせしよ。」


父親は感心したように頷く。


「毎日熱心だね。」


紬は苦笑いする。


「まぁ……。」


江口と紬は二階へ向かった。

両親は、本当にデザインの打ち合わせをしていると思っている。


まさか毎日のように趣味の話で盛り上がっているとは夢にも思っていなかった。



紬の部屋。


部屋に入ると、江口は待ってましたと言わんばかりに鞄を開く。


「ツム。」


「お願いがある。」


その一言で、紬は嫌な予感しかしなかった。


「その言い方やめて。」


江口はニヤニヤしながら一枚のイラストを差し出す。


「ツムツム。」


「お願い。」


紬は半ば諦めたように受け取る。


見る。

数秒。

固まる。


「……。」


ゆっくりと江口を見る。


「嫌。」


「まだ何も言ってない!」


江口が慌てる。

紬は画像を江口へ返した。


「言わなくても分かる。」


「これ着ろって事でしょ。」


「そう!」


江口の目が輝く。


「ぬるスク1リメイク!」


「絶対神作!」


紬は首を横に振る。


「嫌。」


あまりにも迷いのない即答だった。

江口は食い下がる。


「お願い!」


「嫌。」


「ツムツム!」


「その呼び方やめて。」


紬は深いため息をつく。


「今、店も忙しいの。」


「女将の修行中。」


「衣装作ってる暇ない。」


「以上。」


それだけ言うと部屋を出て行った。

ドアが閉まる。

部屋には江口一人。

机に突っ伏す。


「終わった……。」


完全敗北だった。


その時。

コンコン。

控えめなノックが聞こえる。


「失礼します。」


雫だった。

手には湯気の立つお茶。


「まな兄。」


「お茶です。」


江口はゆっくり顔を上げた。


「雫。」


「相談がある。」


「はい?」


江口は先ほどの画像を差し出した。

雫は受け取る。


一秒。

二秒。

三秒。


肩が震え始める。


「ふふっ……。」


笑いを堪えきれない。


「まな兄。」


「攻めましたね。」


「だよね!」


「お姉ちゃん怒った。」


雫はもう一度画像を見る。

口元を押さえながら笑う。


「でも。」


「面白そうです。」


江口が勢いよく立ち上がる。


「ほんと?」


「作ります。」


即答だった。


「神!」


江口は思わずガッツポーズをする。

雫は小さく笑う。


「でも。」


「お姉ちゃんには。」


「まだ内緒ですよ。」


「もちろん。」


二人は顔を見合わせる。

まるで悪巧みをしている子どものようだった。



しばらくして。

紬が部屋へ戻ってくる。

江口は何事もなかったようにノートパソコンを開いた。


「今日はちゃんと仕事。」


紬は半信半疑で画面を覗く。


「珍しい。」


「失礼。」


画面には制作中のゲーム。

シナリオ。

キャラクターデザイン。


雫も自然と椅子を持ってきて二人の隣へ座る。


「見てもいいですか?」


「もちろん。」


三人で画面を囲む。


「このキャラかわいい。」


「その服動きにくそう。」


「いや。」


「そこが良い。」


「まな君。」


「そこ絶対譲らないよね。」


「譲れない。」


ゲームの話になると、江口は急に真剣になる。

紬も雫も、その様子がおかしくて笑ってしまう。


仕事の話をしているのか。

趣味の話をしているのか。

本人たちにも、もうよく分からない。


それでも。

部屋の中には、楽しそうな笑い声が絶えなかった。


(中編に続く)

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