外伝 御影栞と西野竜(前編)
卒業して数年。
西野竜は工務店で働きながら、夜間大学へ通っていた。
昼は現場。
夜は大学。
家へ帰れば資格の勉強。
会社を立ち上げる。
その夢だけを見て、毎日走り続けていた。
その頃には。
夜間大学が終わると御影の家へ寄ることが、二人にとって当たり前の日常になっていた。
勉強する場所。
少し話をする場所。
そして、またそれぞれの明日へ向かう場所。
そんな時間だった。
ある日も。
夜間大学を終えた西野は、いつものように御影の家を訪れた。
玄関の扉が開く。
「栞。」
「勉強頼む。」
御影は笑う。
「また来たの?」
もう何度交わしたか分からない会話だった。
西野は慣れた様子で部屋へ入り、参考書を机へ置く。
「施工はわかる。」
「法令がイマイチ頭に入らねぇ。」
御影は参考書へ手を伸ばしかけて止めた。
「勉強も良いけど少し話しよう。」
西野は椅子へ腰を下ろす。
「今日どんなことした?」
少し考えてから答えた。
「いつも通りだよ。」
「現場で壁に下地入れた。」
「カップラーメン食べて。」
「午後は窓取り付けた。」
少しだけ笑う。
「歪んでて大変だったよ。」
御影も笑う。
現場で悪戦苦闘している姿が目に浮かぶ。
西野は続けた。
「そんで大学行って一般教養。」
ため息をつく。
「これがつまらねぇ。」
肩をすくめる。
「で今ここ。」
御影は何も言わなかった。
朝から現場。
昼食はカップラーメン。
夜は大学。
そして、今から資格の勉強。
西野はそれを「いつも通り」と言った。
「それ普通じゃないよ。」
「体大丈夫?」
西野は少し笑う。
「まだ行ける。」
迷いなく言う。
「行かなきゃなんねぇ。」
「目指すもんはまだ遠いんだ。」
御影は静かに言った。
「でも、体壊したら……」
西野は少しだけ声を荒げる。
「うるせぇな。」
「まだ大丈夫って言ってるだろ。」
部屋が静かになる。
御影は真っ直ぐ西野を見た。
「竜。」
西野が顔を上げる。
「うるせえって誰に言ってんの。」
西野はハッとした。
すぐに目を伏せる。
「悪かった。」
少し間を置いてから。
「頼む勉強教えてくれ。」
御影は何も言わず参考書を開いた。
「今日は法令。」
「うん。」
それから二人は机に向かった。
分からないところを御影が説明する。
西野は何度も頷き、ノートへ書き込む。
気付けば時計は日付を越えていた。
参考書を閉じ、西野は立ち上がる。
「明日も早いからもう帰るわ。」
玄関へ向かいながら振り返る。
「栞、いつもサンキューな。」
御影は笑う。
「はいはい、気をつけてね。」
玄関の扉が閉まる。
静かになった部屋。
御影はしばらく玄関を見つめていた。
竜は自分を追い込みすぎている。
まだ時間はたくさんある。
今からこれじゃ絶対体壊す。
ダメだ。
せめて食事と睡眠を取らせなきゃ。
翌日の休日。
御影は家具店へ向かった。
選んだのは竜が泊まれる布団だった。
夜も遅い。
うちで休んで、そのまま仕事へ行けた方が体は楽になる。
そんなことを考えながら店を歩く。
布団を買った帰り道。
今度は別のことが気になった。
料理。
竜はいつもカップラーメンばかり。
このままじゃ体がもたない。
でも。
御影は料理があまり得意ではない。
スマホを取り出し、女子専用スレを開く。
『家庭料理作りたい。』
『誰か教えて。』
送信すると、すぐ返信が返ってきた。
ひまり。
『私も作れるようになりたい側』
思わず苦笑いする。
続いて。
葵。
『ごめん、出張中』
優。
『キャンプ来てる。すぐに行けない。ごめん』
最後に紬。
『私は修行中。』
『代わりに妹そちらに送ります。』
『うちの料理当番だから大丈夫だよ。』
御影は自然と笑顔になった。
「ありがとう。」
インターホンが鳴る。
玄関を開けると、雫が両手いっぱいの買い物袋を持って立っていた。
「おはようございます。」
「色々買い出ししてきました。」
元気よく頭を下げる。
御影も笑顔で迎えた。
「ありがとう。」
「上がって。」
二人はそのままキッチンへ向かう。
買ってきた食材を並べながら、雫が尋ねた。
「誰に何を作りたいですか?」
御影は少し考えた。
「竜に体に優しい栄養のあるもの食べさせたい。」
雫の目が輝く。
「竜?」
「噂の団長様ですね!!」
御影は思わず笑った。
雫は食材を冷蔵庫へ入れながら続ける。
「普段何食べてるかわかります?」
「食の好みとか。」
御影は苦笑いした。
「カップラーメンばっかだよ、あいつ。」
「時間の無駄とか言うし。」
雫は小さく頷く。
御影はしばらく黙っていた。
自分は何をしたいんだろう。
何をしてあげたいんだろう。
言葉を探すように、ゆっくり口を開く。
「竜に食べさせたい。」
少し首を振る。
「……違うな。」
「休ませたい。」
また少し考える。
「ちゃんと食べさせたい。」
「心配減らしたい。」
「長く活躍してほしい。」
少し照れくさそうに笑う。
「それに。」
「せっかくなら。」
「私の料理も食べてもらいたい。」
雫は優しく頷いた。
「じゃあ。」
少し考えて笑う。
「大根とイカの煮物と豆腐の味噌汁。」
「なかなか外で食べれない家庭料理にしましょう。」
御影も笑顔で頷く。
「うん。」
二人はエプロンを身につけ、並んで料理を始めた。
(後編へ続く)




