外伝 安西ひまりと宮坂陸(後編)
ホテルの部屋は、さっきまでの熱気が嘘のように静かになっていた。
テレビだけが試合を映し続けている。
後半三十五分。
画面下にテロップが流れる。
宮坂選手 アキレス腱断裂
神経も損傷。
ひまりの頭が真っ白になる。
「……嘘。」
信じられなかった。
さっきまで笑っていた。
二点も取っていた。
日本中が盛り上がっていた。
なのに。
震える手でスマホを掴む。
御影連絡スレを開いた。
「宮坂、どこの病院?」
「多分今近くにいる。」
「すぐ行く。」
「教えて。」
送信する。
返事は来ない。
情報もない。
どこかわからないまま時間だけが過ぎる。
ホテルの部屋で一人。
涙が止まらない。
悔しい。
何も出来ない。
画面の向こうでは試合が続いている。
スマホを見る。
スレには相手チームへの批判が書き込まれていた。
「許せない。」
ひまりはスマホを握り締めた。
翌日。
メールが届く。
宮坂からだった。
『ごめん、今は会えない。』
『誰にも会いたくないんだ。』
『ごめん。』
短い文章だった。
ひまりは返信を書こうとして止める。
何を書けばいいのかわからなかった。
翌日。
病院に一人のカメラマンが忍び込む。
陽介だ。
宮坂が呼んだ唯一の仲間。
病室のベッド。
宮坂は笑っていた。
「わりー、怪我しちまった。」
陽介は何も言わない。
静かにカメラを回す。
宮坂は天井を見ながら笑う。
「まだまだ未熟だった。」
少し間を置く。
「一流選手は怪我しないんだぜ。」
自嘲するように笑う。
「俺は二流だった。」
その笑顔を陽介は黙って撮り続ける。
宮坂はゆっくりカメラを見る。
「相手選手も必死だったんだよ。」
少し笑う。
「だって俺二点も取ったんだぜ。」
誇らしそうだった。
「国の代表だぜ。」
「あの場面はファールしてでも止めるシーンだ。」
「それに体が耐えられなかっただけ。」
そして真っ直ぐカメラを見る。
「相手を恨まないで。」
それが宮坂からのメッセージだった。
その夜。
ひまりのスマホが震える。
また宮坂からだった。
『今は会えませんが、元気になったら自分で歩いて安西に会いに行きます。』
『それまで待っていてください。』
送信した直後。
宮坂はため息をついた。
送信先を間違えた。
個別メールではなく。
御影連絡スレだった。
ひまりは地元へ帰って来た。
家にいても落ち着かない。
一人では辛くていられない。
御影連絡スレへ書き込む。
「誰か話し相手になって。」
しばらくして返信が届く。
紬だった。
『ごめんね。』
『私の代わりに妹送ります。』
『話相手にはなれると思う。』
『ひまりちゃんのファンだし。』
その日の夕方。
雫が工房へやって来た。
「こんにちは!」
ひまりは少しだけ笑う。
「来てくれたんだ。」
「はい!」
雫は嬉しそうだった。
高校文化祭でファンになった話。
ひまりがつけてるアクセサリーが好きな話。
雑誌を買った話。
話題は尽きない。
気付けば笑っていた。
翌日。
雫はアクセサリー店にも見学に来てくれた。
作品を見ながら言う。
「ネットで販路を作ってみたら?」
ひまりは苦笑いする。
「私、パソコン苦手なんだよねー。」
雫はすぐ答えた。
「協力させてください。」
「私も挑戦してみたいです。」
その日から二人で準備を始める。
ホームページを立ち上げる。
アクセサリー販売。
安西アクセサリー店。
少しずつ注文が入るようになった。
その頃。
雑誌の売れ行きが好調のためモデルの仕事が増える。
ちょい役だがテレビ出演も決まる。
忙しくなった。
それでも。
先輩の元で修行は続けてる。
満足できる物はまだ数少ない。
でも、作品全部に愛情がこもってる。
やがて。
本格的にブランドを立ち上げる。
雫はバイトとして協力してる。
一年後。
テレビに宮坂が映っていた。
少し痩せたように見えた。
でも表情は穏やかだった。
「怪我は治りました。」
「でも、神経やってしまって。」
「感覚が前と違うんです。」
少しだけ笑う。
「もう、プロではやっていけないです。」
「引退します。」
スタジオが静まり返る。
「一つだけ最後に。」
「全力でプレーするのはとても楽しかったです。」
少し息を吸う。
「出来れば、私の分も一秒でも長く現役でいてください。」
その言葉が誰に向けられているのか。
明白だった。
宮坂は恨んでいなかった。
引退が報じられてから数日後。
御影連絡スレが更新される。
送り主は宮坂。
『次の仕事決まりました。』
『消防士になります。』
すぐに続けて書き込まれる。
『俺はまだ全力で走る事は出来る。』
『みんなを危険から守る。』
『一番に駆けつける。』
それが宮坂の決意だった。
その日の夜。
工房の扉が静かに開く。
ひまりが顔を上げる。
入口には宮坂が立っていた。
以前より歩く速度は遅い。
でも。
自分の足で歩いてきた。
ひまりは宮坂を見るなり笑った。
「遅い!」
「おばさんになっちゃうかと思った。」
宮坂も笑う。
「大丈夫。」
「安西は、いつでも綺麗です。」
ひまりは少し照れながら笑った。
宮坂はあの日の約束を。
ようやく果たしに来た。
終わり




