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3話 地獄

黒い血の雫の飛び散った洞窟に響き渡る奇声が、凄惨な現場をこれでもかと荒々しく示していた。


右手に凄まじい熱を感じて遅れて気付く、爪を指ごと捩じ切られたことに。

その後直ぐに、耳を削ぎ落とされた。

削ぎ落とされた耳がうつ伏せの視界に映る。

視界というものは、これ以上ないほどに現実を突きつけてくる。


(あぁぁぁぁぁ…やめろぉぉぉ…)


仰向けにされ、怪物の爪が自分の右目に少しずつ近づいて来る。

これから何をされるのか、直ぐに想像がつき、反射的に瞼を力強く閉じる。

視界が暗くなった中で、右目の瞼に熱を感じる。


「グギィィィィァァァ!!!」


右目を握られ、言いようのない不快感に脳が支配される中、怪物はまるで撫で回すように俺の右目を握った。


ゆっくりと怪物の右手に力がこめられていく。

そこからのことは表現のしようもない。

ブチュリッと気色の悪い音を奏でて、俺の脳が痛みに支配される。


これまで感じたことのない苦痛が、熱が、逆説的な嫌味によって、生を実感させられていた。


「グギィィィィ…キイィィィィ!!」


(良いわぁ!!良い音を鳴らすわねぇ!良い声よぉぉ!あなた本当に最高よぉぉぉ!!)


苦痛が強すぎて、頭がカチ割れてしまうほどに痛い。

あらゆる部分が熱く苦しいのに、意識だけはハッキリとしている。


最終的には、四肢は削ぎ落とされ、体中に傷を付けられていた。

その度に声にならない声を上げて、自分の声が脳に響き、あまりの苦痛に否応なく吐き気を催す。

いや、自分の声だけではない。

この趣味の悪い怪物の声のようなものも俺に流れ込んできて、苦しみの中に妙な快楽が混ざり込み、気持ち悪さで頭が狂っていっている錯覚すら覚えていた。


俺は全く傷つけられることに興奮など覚えていない。

苦しみの中でのたうち回っているだけだ。

全く快楽など絶対に覚えていない。

なのに、自分の中に自分でない感情が混ざってしまっている、いわばそんな感覚だった。


俺の苦しみ、恐怖の感情が、そしてこの怪物の君の悪い快楽のような感情が、俺の心の底に沈殿していく感覚。

逃れたくても逃れられない、忘れられない感情として蓄積させていくようだった。


この洞窟連れてこられて1時間ほどは経っただろうか。

時間の感覚もおそらく狂ってしまっている。

ただ俺はもう直ぐ死ねるのだろう、そう思えるほどには痛みと苦痛で意識が朦朧としていた。


どうせなら早く死んでくれと、自分に対して願うも俺の今の身体はそれなりに丈夫なようだ。


人間であればとっくに死んでいてもおかしくないし、少なくとも意識は飛んでいてくれているはずだ。


(はぁぁぁん。これくらいにしておこうかしらね…。あまりに良い音を鳴らすものだから。言いようのない心地の良さだわぁ。)


そんな怪物の心の声が、いや言葉というより感情として伝わってくるような感覚がある。


(馬鹿が…もう壊れてんだよ…こんだけ痛めつけといて、何を言っているんだ。この状態で生き残れるわけないだろうが。)


怪物がその場から離れていく。

コツコツとゆっくりと離れていくのを感じながら、俺は癒えることのない痛みと熱の中で、安堵していた。


(終わった、か。後はこのまま死ねば楽になれる。)


安堵が俺に強烈な眠気を与えてきた。

痛みは強いが、それよりも眠気のほうが強い。

今から死ねる、その安堵感からだろうか。


瞼がゆっくりと閉じていき、目の前が少しずつ暗くなっていく。


(次こそは…。)


次は苦しみに包まれない世界で…。

前世で死ぬ時よりも余程純粋な願いであった。


俺の地獄だと思っていた地獄などまだ生ぬるかったようだ。


たったの数時間でそう思わされるほどの世界に転生し、生きることの難しさを痛感してしまったからこその願いであった。



意識が飛び、暗闇の中でどれほど眠っていたのかも分からない。


しかし俺は、強烈な苦しみによって意識を取り戻すこととなった。


「グギィァ!」


(熱い、痛い、苦しい、熱い、アァァァァ)

声にならない悲鳴が、苦しみが俺の中に流れ込んでくる。


(ふふふふ、あなたも良い音を鳴らすわぁ。今日入れた人型の玩具ほどじゃないけれどねぇ。)

それと同時に謎の快楽に包まれた感情もまた流れ込んでくる。

妙な既視感、先ほど覚えたばかりの感情が、自分の中に流れ込んでくる、そんな感覚だった。


「グェェェ。」


二つの感情によって無理矢理現実へと引き戻された俺は、吐き気のままに妙な声を出した。


(なんなんだよ、これは…。)


俺は周りを確認すると、あの怪物どころか誰もいない。

つまり、俺を傷つけられているわけではないということだ。

にもかかわらず、俺に感情が流れ込んでくる。


ふと俺の身体を見ると、俺の身体は動けないように縛られていた。

千切られ、削られた肉体からの出血は止まり、僅かに治っているようにすら見えた。


(もしかして、この身体は再生能力が高いのか?だとしたらまずい。固定されて自ら死ぬこともできない。あの怪物に殺してもらうしかこの地獄から終わる道はないというのに…。)


「ガギャァァ」


状況の理解に努めていると、俺の声ではない奇声が俺の耳に届く。

それと同時に、強い苦しみの感情と俺を痛めつけていた怪物の感情であろう快楽が俺の心へと流れ込む。


「グギィ…」

俺も自然と喉深くから声が漏れ出た。


苦しみの感情には、苦しめられているものの痛みや苦痛が、正確に深い情報として含まれていたからであった。

どの部分を痛めつけられ、どんな痛みに苦しんでいるのかまで伝わってくる。


自分が傷付けられているわけではないのに、同じように痛みを感じてしまう。


とんでもない不快感と苦しみであった。


そこで俺は、骨羽の想いを、感情を、先ほどまでも言語として認識できてしまっていたことを思い出す。


まさかこれは、感情を理解してしまう力が…俺には備わっているのか…。


この気味の悪い感覚や苦しみを説明するには、おそらく俺は感情を理解してしまう力を持ってしまった、としか…。


そこで再び強い感情が、苦しみと快楽の感情が同時に流れ込んでくる。


「グェェェ…。」


思考がまとまらない、うまく考えがまとまらないが、なんとしても状況を理解しなければならない…。


その時、前世で死ぬ前に考えていたことが脳裏をよぎった。


まるでパズルのピースが埋まったかのようにあっさりと結論が導かれた。


なんて、生ぬるい…。

何が人の感情を理解できるように、だ。

そんな願いのせいで、こんな絶望的な状況に陥ってしまっているのか?


自分だけでも苦しいのに、俺は常に他の人の苦しみまで離れていても享受してしまうのか…。


これがコントロールの効く能力ならまだ良い。

しかし、コントロールの効かない能力であれば、俺には苦しみが永遠に続くことになる。


こんな弱肉強食の世界で、もし俺が強者になっても弱者の感情が流れてくるからだ。

俺が敵を倒しても敵の感情が、痛みが流れ込んでくるのなら、こんなに必要のない能力があるだろうか。


「グギィァァァ。」


再び苦痛に感情が支配され、思考が強制的に途切れる。


拘束され、逃げ出すことも死ぬこともできない絶望の中で、気付いた能力も決して現状を打開できるとは思えない。


逃げ道のない拷問器具に永遠に閉じ込められ、死ぬことも許されない。


そんな状況の中で、俺は一言心の中で荒々しく言い放った。


(これが地獄か!!)


この地獄がどれほど長いこと続くのか。

死ぬまで続くのか、それとも…。


自分の思考に、まだ心の中には、僅かばかりの希望が残ってしまっている。

そんなことに気付いてしまい、冷笑する。


長いトンネルは始まったばかりだった。

終わりがあるのかも分からないトンネルを俺はゆっくりと歩き始めた。


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