11.ケンカ
僕は椎茸が食べられない。
好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。
このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。
それは私が小学校に上がってしばらくしてのこと、お兄ちゃんは小学校3年生のときだった。普段は穏やかなお兄ちゃんがあんなに怒ったのを私は初めて見た。お兄ちゃんの初めての本気のケンカだった。そのときはびっくりしたけど、私は格好いいと思ってしまった。
*
私は子供のころから体が大きかった。小学校に上がったとき、二つ上の兄よりもすでに大きかった。クラスの女子……だけでなく男子を入れても一番大きかった。一年生にして三年生くらいの身長はあったのではなかろうか。
そんな私だけれど身長以外は普通の子供だった。女の子だった。慣れない小学校にドキドキしていたし、高学年のお兄さんお姉さんはとっても大きく見えた(同級生の中では大きくても5、6年生からすればちびっこだ)。
そんな私をお兄ちゃんとお隣のお姉ちゃんが手をつないで学校まで連れてってくれた。見かけによらずビビリだった私はお兄ちゃんと手をつなげるのがうれしかった。私はお兄ちゃんにべったりだった。
入学してひと月ほどたった頃だろうか、その日は時間割が合わず、私は一人で下校していた。お友達はできたけどいつもお兄ちゃんたちと帰る私には一緒に下校する子はいなかった。
そんなところに同級生の男子グループと出くわした。いつも意地悪してくるその子たちを見て私はいやだなと思ったけれど逃げようもない。無視して通り過ぎようとしたけど囲まれた。
「今日は一人なのかよ」
「……」
見ればわかるのにわざわざ言ってくるところが意地悪だ。私だってお兄ちゃんと一緒に帰りたいのに
「こいつの兄ちゃんってあのチビだろ?」
何言ってんのこいつ……
私は男子たちの言ってることがわからなかった。悪口を言われてるんだということはわかる。でもなんで? なんでお兄ちゃんのことまで悪く言うの? 私にはわからなかった。
「お前、大女のくせにあんなチビの後ろに隠れてて恥ずかしくないのかよ!」
「やーい、デカ女。何とか言ってみろよ!」
私は何も言い返せなかった。私の体が大きいことはその通りだ。でも、だからといってお兄ちゃんを馬鹿にされたくない。だって、だってお兄ちゃんは……
私は頭が真っ白になった。
気が付くと男子たちを突き飛ばして泣きながら家に逃げ帰っていた。
その日は遊びにも行かずに部屋で泣いていたら帰ってきたお兄ちゃんが入ってきた。
「どうかしたの? いやなことがあった?」
お兄ちゃんは優しく聞いてくれた。
「……あのね。私のこと大女だって……デカ女だって……うええーんっ」
そんなこと言いたいんじゃないのに……私のことを言われるのはしょうがない。でも、お兄ちゃんを悪く言う言葉は私の口からは言いたくない。
「そっか……おかしなことを言う子だね」
「えっ……?」
お兄ちゃんが不思議なことを言う。私が大きいのはおかしなことじゃないのに……
「おかしいさ。妹子ちゃんは6年生のお姉さんより大きいかい?」
「……ううん。お姉さんたちのほうが大きい」
当たり前だ。私は1年生なのだ。6年生の一番小さい人より小さいだろう。
「そうだろ。妹子はまだ1年生だろ。小学校には、世の中にはもっと大きな人がたくさんいるよ。なのに大きいなんておかしいだろ?」
「うん……でも、クラスの中には私より大きな子はいないよ」
「そうだね。でも、みんなも大きくなる」
「でも、私も大きくなるよ。みんなより大きくなるかも……」
「大きくなったらそれを活かせばいい。バスケットでもバレーボールでもスポーツ選手には身長180cmを超える女の人だって珍しくない。もし、そんなに大きくなったら格好いいと思うけどな」
そう言ってお兄ちゃんは私のことをだっこして頭をなでなでしてくれた。
すっかり機嫌を直した私は夕飯をモリモリ食べた。お代わりまでした。
*
次の日、クラスの帰りの会であの男子が、私に突き飛ばされて膝を擦りむいたと言い出したけど、周りの女子から
「女子に突き飛ばされましたって本気で言ってんの?」
「最初に妹子ちゃんをいじめてたのはあなたたちでしょ」
「私たち見てたんだから」
と袋叩きにあって取り下げていた。
私はお兄ちゃんにいいこいいこしてもらって気分がよかったので気にしなかった。
でも、それでは終わらなかった。
その日の帰り道、お兄ちゃんとお姉ちゃんと帰るところであの男子たちに道をふさがれた。
(どうする? あいつの兄ちゃんがいるぜ。3年生だろ?)
(大丈夫だ。あんなチビ怖くねえよ)
こそこそ話す声が聞こえてきた。またお兄ちゃんの悪口を言ってる。私は頭にきて言い返そうとした。
でも、止められた。
お兄ちゃんが私の肩をつかむと引き留めた。そして一歩前に出た。
「この娘は僕の大事な妹なんだ。わかるかな?」
お兄ちゃんは私と違って大きくない。3年生の中でも一番小さい。平均的な一年生の男子たちより小さいくらいだ。でも……私には大きく見えた。
男子たちもそう思ったのだろう。気圧されて後ずさる。
「知らねえよ!」
男子たちは逃げ去っていった。
*
それ以来、私はますますお兄ちゃんにべったりだった。だって、お兄ちゃんは優しくて格好いいんだもん。クラスのお友達にもいっぱいお兄ちゃんのことを話した。半ば呆れながらも周りの女子は聞いてくれた。
でも、そのことで誰かを傷つけているなんて私は気が付かなかった。子供だったのだ。
「ちょっとツラ貸せよ」
昇降口から出たところで声をかけてきたのは5年生の先輩だった。あの男子が後ろから顔を出す。あの子の兄らしい。
「ヤダ……放してよ……」
抵抗するけど5年生の力にはかなわない。手を掴まれ引きずられるように私は校舎の裏庭に連れてこられた。
「おい、お前だな。うちの弟を馬鹿にしている大女ってのは?」
「大女ってあなたのほうが大きいでしょ」
「なるほど、口の減らねえアマだ」
5年生といったら1年生にとっては大人みたいなものだ。それくらい違いがある。
「こいつもだけど、兄ってのが生意気な野郎で」
生意気なのはあんたでしょ。3年生の先輩を生意気って……
「おい、兄ってのを呼んで来い」
5年生が私に言う。
「……呼んできてどうするの?」
私の声は震えていた。1年生の女子が高学年の男子に呼び出されているのだ。怖くないわけがない。
「けじめってやつを教えてやる」
何を言っているのだろう。けじめだって? いじめを止められたからって高学年の兄弟に告げ口して仕返しをするなんて。どこがけじめなのだろう。
「いや! 行かない!!」
私の声はもう震えてなどいなかった。お兄ちゃんをひどい目になんか会わせない。だって私のお兄ちゃんなんだから
「生意気な女だな。お前の気持ちなんて知らねえよ。行けったら行けよ!」
「ヤダ!」
「なら、こうしてやる」
5年生が私の胸元を掴み右手を振りかざした。
殴られる……
私は思わず目を瞑った。
「妹子を放せーっ!」
私は突き飛ばされて尻もちをついた。何があったのかわからない。
目の前では突き飛ばされた5年生にお兄ちゃんが掴みかかっていた。
「痛ってえな……なにすんだよ!」
「お前こそ、妹に何をしたーーーーっ!」
びっくりした。お兄ちゃんがこんな大声を出すところなんて初めて見た。いつも優しくておとなしいお兄ちゃんが……
大声に一瞬ひるんだ5年生だが、すぐにやり返す。所詮は5年生と3年生。力の差は歴然だ。ただでさえお兄ちゃんは小柄だというのに。
「うるせぇ!」
下から5年生が殴った。だけどお兄ちゃんは胸ぐらを掴んだ手を放さない。もう一発殴られた。だけどお兄ちゃんはひるまない。塞がった両手の代わりに頭突きをかます。
「ぐはっ」
鼻血を吹いて5年生がひるむ。
「妹に謝れ!!」
「うるせ……ぐはっ」
5年生が殴り返すが組み伏せられたままではうまく力が入らない。もう一発、お兄ちゃん頭突きが決まった。
「うるせぇ! うるせぇ……うるせぇ……ちくしょう……」
5年生は鼻血を流しながらべそをかいていた。
「そこまでだ」
男の人の声がした。
気が付くと裏庭には大勢の人が集まっていた。
「君もそのくらいで許してやってくれ」
6年生らしいお兄さんがお兄ちゃんの腕を掴んで止めている。そのままお兄ちゃんを引き起こす。
「誰か先生を呼んできてくれ」
お兄さんの指示に誰かが走り出した。
「妹子ちゃん、大丈夫だった?」
尻もちをついたままの私を優しく抱きしめてくれたのはお隣のお姉ちゃんだった。
「うん……私は大丈夫……でも、お兄ちゃんが……」
お兄ちゃんは何度も殴られていた。顔を腫らし、頭突きをしたときにぶつけたのか鼻血を流し、顔中真っ赤になっていた。
でも、そんなことはどうでもよかった。
私は立ち上がると上級生に引き離されているお兄ちゃんに抱きついた。
「お兄ちゃんっ!」
傍から見れば自分より大きな女の子に襲い掛かられているように見えたかもしれない。でも私にはそんなことどうでもよかった。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん、お兄ちゃん……」
お兄ちゃんは私を抱きしめてくれた。優しく頭をなでてくれた。いつものお兄ちゃんだ。
「よしよし、怖い目に合ったね。もう大丈夫だよ」
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……」
お兄ちゃん……に私は何を言いたかったんだろう……
ようやっと知らない先生がやってきた。
「何があったんだ?」
「私、見てました。妹子ちゃんが上級生に連れてかれるのを」
「だから誰かに知らせないとって思って校舎に戻ったらお兄さんがいたから……」
クラスのお友達が助けを呼んできてくれたんだそうだ。
「俺たちは裏庭で叫び声が聞こえたから……何があったんだろうって」
お兄ちゃんの叫び声は校庭にまで響いていたらしい。
「話は職員室で聞く。君たちは来なさい」
先生がお兄ちゃんの腕を掴んだ。
「私も行きます!」
私はお兄ちゃんにしがみついた。
「君は……」
「お兄ちゃんは悪くないの! 私を助けてくれたんだから!」
意地でも離れまいと私はお兄ちゃんにしがみついた。ケンカをしたお兄ちゃんは叱られるかもしれない。そんなこと許せるはずもない。知らない先生は怖かったけどこれだけは譲れない。
「わかった。その前に弟君を保健室に連れて行ってあげなさい」
「お兄ちゃんです!!」
私より小柄なお兄ちゃんは弟と勘違いされたらしい。私は先生にかみついた。もう怖くはなかった。そんな私を見てお友達がこぞって手を挙げてくれた。
「最初から見ていたのは私たちです。私も行きます」
「私だって!」
クラスメイト達の剣幕に気圧されて先生は許してくれた。
「わかったわかった。君たちは保健室で手当てしてもらったら職員室に来るんだよ……ほら、君も来るんだ……」
先生がうずくまってべそをかいている5年生の手を引いた。
「妹子ちゃん、頑張って」
お姉ちゃんが応援してくれた。
保健室に向かおうとする私たちにケンカを止めてくれたお兄さんが声をかけてきた。
「お前、根性あるな」
クラスの娘たちから話を聞いて事情を察したらしいお兄さんがお兄ちゃんをほめてくれた。素直にうれしい。自慢のお兄ちゃんなんだから。
「お前、サッカー部に入れ」
お兄さんは言った。サッカー部の6年生の先輩らしい。先輩は5年生に向かって言った。
「今後、こいつらにちょっかい出したらサッカー部が許さない」
「……」
5年生は悔しそうにしてうつむいていた。それには構わずお兄さんは後ろにいた男子に声をかけた。
「二郎、お前が面倒見ろ」
「わかったよ。太郎兄ちゃん」
二郎と呼ばれた弟らしい男子が返事をする。たしかお兄ちゃんの友達だ。
「僕君、わかったな。今日からお前もサッカー部員だ。代わりに……」
「わかったよ。僕もサッカーは嫌いじゃない」
お兄ちゃんは即答した。
*
今だからわかる。
あのとき、お兄ちゃんは私のせいだと思わせないためにお友達の言葉をさえぎってまで即答したのだ。入部の対価は私たちの安全だ。でもそんな負い目からもお兄ちゃんは私を守ってくれた。
やっぱりお兄ちゃんはお兄ちゃんだ。
サッカー部の庇護のせいか私がいじめられることはなくなった。なにせ小学校の最大勢力がバックについてくれていたのだ。それにますます大きく育った私は上級生だろうといじめられる対象ではなくなっていた。
あの日、職員室に連れていかれたお兄ちゃんは(もちろん私もついていった)そんなに怒られることはなかった。クラスのお友達の証言が効いていたのだろう。ケンカはダメだぞくらいで済んだ。次の日、お友達にはお礼としてお兄ちゃんの格好良さを思う存分聞かせてあげた。なんかみんなの目が生暖かったけどそんなことは気にしない。私は大好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんと仲の良いお友達に囲まれて楽しい小学校生活を過ごした。
先生のお小言を聞かされた後、私は大好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんと一緒に手をつないで帰った。顔中絆創膏だらけで帰ったお兄ちゃんを見てお母さんは驚いていたけどいつも以上にべったりな私を見てなにも言わなかった。
お兄ちゃんはサッカー部に入った。私を守るためだったけど、仲良しの二郎君と一緒に楽しそうに練習していた。試合のときはお姉ちゃんと応援に行った。私ののろけ話を聞いてたクラスの娘たちが一緒に応援にきてお兄ちゃん格好いいって言っていたけど、お兄ちゃんには絶対教えてあげない。
そんなお兄ちゃんを見て3年生になった私もサッカー部に入った。たまに練習で一緒になったら私は遠慮なくタックルでお兄ちゃんを吹っ飛ばしてやったんだけど、それはまた別の話。
お兄ちゃんは椎茸を食べられないけど格好いい。
あれ? 椎茸って別に食べなくてもよくない?
第11話は妹ちゃんからみた僕君のお話でした。なんでもよく食べ体も大きい妹ちゃんですが中身はかわいい小学校1年生の子供です。そんな妹ちゃんを僕君が守ってくれたお話です。
今回のお話も椎茸臭くなくて楽しく書けました。
本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。




