12.おばあちゃん
僕は椎茸が食べられない。
好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。
このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。
僕君は小さなころから手のかからない子供だった。
わたしがおつきあいしている彼氏の僕君は幼馴染だ。家が隣同士で同い年、誕生日も近い。父親同士が小学校からの同級生なので家族ぐるみで付き合いがある。わたしと僕君は姉弟のように育てられた。生まれは僕君のほうがひと月ほど早いけど小柄な僕君はいつもわたしの後をちょこちょこついてきた。とってもかわいかった。女の子のほうが成長は早いからわたしはお姉さん気取りだった。わたしは人見知りで怖がりだったからお姉さんぶるのは家の中だけだ。外にお散歩に行ったときは逆に物怖じせず先を行く僕君の後をわたしはべそをかきながらついていった。そんなとき、いつも僕君はわたしと手をつないでくれた。僕君は幼いころからしっかりしていてあまり面倒を見させてくれない。
僕君がそんな子供になったのは大好きだったおばあ様を亡くしてからだ。これはそんな幼い僕君が成長した話。
*
僕が生まれたとき、家には両親と祖母がいた。父の母親で僕にとってはおばあちゃんだ。男3人兄弟の末っ子だったお父さんは遅い子供だったらしく、祖母は70歳近かった。おじいちゃんは僕が生まれる前に亡くなっていておばあちゃんだけが家にいた。嫁姑の仲はよかったと思う。祖母は料理が得意ではなかったのだ。
食糧不足の戦後を育ち、中学を出てからすぐ働きに出た祖母は料理を覚える機会がないまま育った。だから料理上手な母は喜ばれ、すぐに台所を任された。祖父も母の料理を褒めていたそうだ。
祖母は僕にも優しかった。椎茸を残す僕をいつもかばってくれた。
「大丈夫だよ。人間好き嫌いなんてあるものさ。嫁子さんもあんまり言わないでおくれ」
母の椎茸攻撃から祖母がかばってくれた。祖母のおかげで僕は生き残ることができた。今から考えると祖母は開明的な人だったのだろう。大分人の魂ともいうべき椎茸を食べなくてもよいなんて……そうなのだ。祖母も大分人だった。
祖父は大分ではなく博多の人だったらしい。ちなみに椎茸は嫌いではないが特に好きでもなかったらしい。
「嫁いでからしばらくは何も言わずに食べてくれていたのだけれど、しばらくたったある日、言われたんだ。「たまにはアゴ出汁が食いてえな」って。あたしゃ母親に教わった通り当たり前のように椎茸出汁で料理を作っていたのさ。爺さんの両親は戦争で亡くなっていたから、あたしに家の料理を教えてくれる人なんかいなかった。爺さんもそんなこと言わなかった。でもね。男子厨房に入らずなんて言われてた頃さ。不満はあってもどう言えば良いのかわからなかったんだろうね」
おばあちゃんは申し訳なさそうにしながら、それでもおかしそうに笑った。
「おじいちゃんはおばあちゃんの料理が嫌いだったの?」
幼かった僕はストレートに聞いた。今だったらそんな聞き方はしなかった。その頃の僕は幼かったのだ。そして椎茸を嫌う(おばあちゃんはそこまでは言ってない。当時の僕の曲解だ。)会ったこともないおじいちゃんに親近感を覚えていた。
「さて、どうだったろうねぇ。言わなかったけれどそう思っていたかもしれないねぇ」
おばあちゃんの口ぶりで僕にもわかった。理解できた。おじいちゃんはおばあちゃんが大好きだったのだ。たとえ椎茸が好きじゃなくてもおばあちゃんの料理は大好きだったはずだ。でも、大好きだった人に好きな料理を作ってもらえたら最高に幸せなのに違いない。おじいちゃんのリクエストはそんなささやかな願いだったのだ。
「アゴ出汁ってなに? 顎? 人のじゃないよね?」
僕の疑問におばあちゃんは笑って教えてくれた。
「アゴってのはトビウオのことだよ。九州じゃよく使われる出汁なんだよ」
「僕もアゴ出汁食べてみたい!」
「そうかいそうかい。お母さんにお願いしてみようかね」
その夜、お母さんはリクエストに応えてアゴ出汁で晩御飯を作ってくれた。筑前煮にお味噌汁。いつもと違い煮物をパクパク食べてお代わりまでする僕をお母さんは微妙な目で見ていた。
*
鶏もも肉は一口大に切り、しょう油と酒で下味をつけ寝かせます。
ごぼうは皮を包丁の背でこそげ取り、7ミリほどの厚さの斜め切りにし、水に漬けてあく抜きをします。三回ほど水を替えてえぐみを除きます。
レンコンは皮をむき、7ミリほどの厚さでいちょう切りにし、水に漬けます。
こんにゃくは手で一口大にちぎり湯通しして湯を切ります。
里芋は皮をむき、一口大に切り、湯通ししてざるに取りおきます。
ニンジンは皮をむき、一口大に乱切り。きぬさやは筋を取ります。しめじは石づきを切り落とし、手でほぐしておきます。これで下準備は完了。
鍋を中火にかけ、サラダ油を熱してから鶏肉を投入。油がはねるので素早く蓋をしてしばらくそのまま。焼き目が付いたら裏返します。火の通りにくいものからごぼう、ニンジン、続いてこんにゃく、レンコン、さといも、しめじを加えて炒める。全体に油が回ったら、水とアゴ出汁を加えます。沸騰して灰汁が浮いてきたら丁寧にすくい取ります。砂糖、料理酒を加え、落し蓋をして弱火で10分。しょう油で味を調え、具材が柔らかくなり煮汁が少なくなるまで煮込みます。
きぬさやを加え、照りが出るようみりんをかけまわす。鍋を返しながら煮詰めて完成。おばあちゃんの筑前煮の出来上がりです。
*
「おいしいよ、彼女ちゃん」
パクパク食べる僕君を見て一安心。筑前煮はおばあちゃんの思い出の味だから。
「作ったのはお母さんだったけどね」
そうなのだ。当時もおばあちゃんの思い出の味を作ったのは僕君のお母さん(おばさま)だった。
そのときのことはわたしも覚えている。
おばあさまは料理が得意ではなかった……苦手だった。
「私たちが生まれた戦後すぐは食べるだけで必死だったからね。今みたいに調味料もそろってなかったし、料理なんて覚える暇もなかったのよ」
って言ってたけど、私にはわかる。あばあさまは雑だったのだ。亡くなった人を悪くは言いたくないよ。でもね。おばあさまのレシピはババッととかちょろっととかばかりで分量が全く分からない。几帳面な僕君のことだからその辺の記憶は間違いないはず。ということはおばあさまの料理スキルのレベルも見当がつく。それで文句を言わなかったおじいさまは本当におばあさまのことが好きだったのね。
何を言いたいかというと、料理に不慣れな人が感覚に頼っちゃいけません。それは上級者スキルです!
たぶん、おばさま(僕君のお母さま)も苦労したのだと思う。わたしも僕君の記憶を頼りに再現するのすごく大変でしたから。
ごぼうとかレンコンとか根菜は下拵えしっかりしなくっちゃえぐくなっちゃうでしょ。こんにゃくだって根菜をすりつぶしてにがりで固めているんだから。おばあさまの言う通りに作ったら泥臭くってえぐ味の残った煮物になっちゃう。記憶(歴史)の残るものって結局は名の残らない下々の者の頑張りによるものなのね。
わたしは歴史の勉強が今まで以上に嫌いになった。
*
「嫁子さん、申し訳ないけど残してもいいかい?」
すまなそうにおばあちゃんが差し出した皿の上にはほうれん草のお浸しがあった。
「嫁子さんが健康のことを考えて作ってくれているのはわかっているよ。でもね。わたしゃ青菜がどうしても好きになれなくてね」
その日はおよばれしてうちの家族は僕君の家でご飯を一緒に食べていたときだった。僕君のおばあちゃんが言った。それは珍しいことだった。おばあちゃんは僕君のお母さん(おばさま)の立場を悪くするようなことは決して言わなかったのに。
今思えばそれは遺言だったのだろう。
おばあさまが生まれたのは戦後だったけど復興にはまだまだの頃だった。食べるものにも困っていた頃でおいしいものなど望むべくもなかったそうだ。
「昔の青菜はもっとえぐくってね。あく抜きをしても食べるのに苦労したものさ。今の野菜は本当においしい。でも、青菜だけは昔を思い出してしまってどうしてもね」
そうなのだ。食べ物がない時代に育ったおばあさまにも嫌いなものがあったのだ。
「椎茸だって贅沢って言われた頃さ。湯がいただけの葉っぱをありがたがって食べていたのさ。まずかったよ。えぐくって青臭くって、わたしゃ芋虫じゃないって思ったものさ。そのせいで今だって青菜が好きじゃないからね」
食べ物に困っていた時代のことはわたしにはわからない。
「やっとのことで掘り出した根菜だって固くって泥臭くって食べられたものじゃなかったよ。地元だけじゃない。国中が貧しかったのさ。食べるものがあるだけましって時代さ」
「それなのに嫌いだったの?」
幼かったわたしはお隣のおばあちゃんに聞いた。
「おいしくなかったからね。生きるために必死だったのさ。今のように食事を楽しむなんて贅沢だったのさ」
わたしにはよくわからない。
「嬢ちゃんは本当にお腹すかせたことなんかないだろう」
お隣のおばあちゃんはわたしのことを嬢ちゃんと呼んでいた。大事な孫である僕君の幼馴染であるわたしのこともかわいがってくれていたのだろう。
「ご飯がなかったらおやつを食べればいいんじゃない?」
幼稚なわたしの言葉をおばあちゃんは笑って肯定してくれた。
「そりゃそうだ。だからあたしたちもいっぱい考えたさ。田んぼでタニシやカエルを取ってはおかずにした。イナゴなんかは乾煎りして食べた。収穫前の麦の穂はいいおやつだった。はじめは固くって苦いんだけどずっと噛んでいると甘くなるんだ。チューインガムみたいにね。味がしなくなるまで噛んでいたものさ」
麦がガムになるなんて信じられない。
「畑だけじゃない。山に行っては食べられるものは何でも食べた。アケビや野イチゴは子供たちのいいおやつだった。木の実だけじゃない。沢蟹はみそ汁に入れればいい出汁になった。家じゃウサギを飼っててね。世話は子供たちの仕事だった。ウサギ汁はおいしかったねぇ。肉はあたし(子供)たちのところまで回ってこなかったけど」
「ウサギさん食べちゃうの!?」
「ペットじゃなく家畜だったからね」
「ひどい……」
子供だったわたしはかわいいウサギさんを食べるなんて信じられなかった。そこまでしないと生きていけないなんて想像もできなかった。
今ならわかる。もちろんペットを食べなきゃならないなんて状況をじゃない。牛だって豚だって鶏だって食べるために飼育されている。スーパーでパック詰めされた肉を見てもイメージがわかないだろうけど、肉とは命なのだ。
「それでもご飯が嫌いだったんだ……」
そんなにお腹すかせてたのにご飯が嫌だったなんて……
「わかるよ……」
黙って聞いていた僕君が言った。
「わかるよ。お腹すいて……死にそうなくらいお腹すいてても僕は椎茸を食べられない」
僕君の言葉でようやっとわかった。僕君はいつもお腹すかせてふらふらになっている。でも、それでも食べられないものは食べられないんだ。
つらいだろう。苦しいだろう。好きで食べないのではないのだ。だって食べられないのだから……
「人それぞれさ。僕ちゃんは椎茸が食べられない。それでいいじゃないか」
おばあちゃんは笑って言った。
「飢えて人が死ぬような、もうそんな時代じゃないんだ」
おばあちゃんの言葉はわたしの心にも深くしみ込んでいた。
*
それからしばらくしておばあちゃんは亡くなった。
椎茸嫌いをかばってくれたおばあちゃんがいなくなって僕君は落ち込んでいた。食生活的にも落ち込んでいた。
でも、僕君の中に残ったものがあった。
おばあちゃんは贅沢しろといったわけじゃない。好き嫌いを推奨したわけでもない。でも人それぞれ好きなものも嫌いなものもある。それを否定してはいけない。きっとそう言いたかったんだ。
だから、僕君が椎茸を食べられなくてもそれでいいんだ。
僕君もわかっている。だから、僕君は自分が椎茸を食べられなくても、椎茸を好きな人を非難したりしない。人の好き嫌いを否定しない。それがおばあちゃんの遺言だから。それを自覚してから僕君はしっかりした。思いやりのある優しい子に成長した。
それは大変なことだったと思う。椎茸大好きなお母さんがいるし。
でも、僕君は自分が嫌いなものを他人に押し付けたりしない。自分が苦しんだことを押し付けようとはしない。それは負の連鎖だから。ネガティブな思いは僕君が受け止めて断ち切ろうとしている。それはとても大変でつらくて……でも、かっこいいことだとわたしは思う。
僕君は椎茸が食べられない。でも、椎茸を好きな人を否定しない。
だってそれは人それぞれだから。
第12話は僕君とおばあちゃんのお話でした。こんな理解のあるおばあちゃんがうらやましいです。
このお話にはところどころで料理に関する記述が含まれます。全部とは言いませんがほとんどの料理は作者の体験済みです。椎茸の入った筑前煮は……もちろん幼いころのトラウマです。椎茸に関する内容の90%は作者本人が体験した実話をもとに書いています。私怨が込められているのでお見苦しい部分があろうかと思います。特定の地方の方には不快な思いをさせてしまうかもしれません。お詫びを申し上げます。温かい心でお目こぼし頂ければと思います。
本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。




