015蟲
黒色の曲がりくねった木々が絡み合い立ち並ぶ風景が続く。
ギザギザとした小さな、だが大量の葉が頭上を覆い尽くし薄暗く視界が悪い。
そして耳に響き続けるのは小さな生き物たちの大合唱だ。
鈴虫の様な美しい音、発声方法が想像もつかない奇怪な音、様々な蟲たちの奏でる音楽は休むことを知らない。
タクミは灰色の小さな花が沢山集まっている植物に張り付いている、黄と黒の目立つ体色をした十センチメートル程の細長い蛾の幼虫の様な虫を指で摘まみ上げる。
タクミに摘まみ上げられたにも関わらずその虫は動くことはなくぶらーんと垂れ下がるだけだ。
『クロガネこいつ食える?』
『黄とか赤の目立つ色の奴らにゃ大方毒があるぜ。そいつにも毒があるだろうな、だが食え』
タクミは毒があるという言葉を聞き少し躊躇うが、大口獣食べたし今更だなと思考を放棄し摘まんでいるそれを口に放り入れ噛み潰した。
虫から噴き出す強烈な酸味と辛味が舌を焼く。
口内を蹂躙する強烈な痛みにタクミの眉間に皺が寄る。
だが吐き出すことなく租借し飲み込んだ。
『ギャハハッ、酸系の毒だ。残念だがそれの毒は免疫がどうとか言う話じゃねぇ』
『舌がヒリヒリする』
口直しに取り出した果実を齧るタクミだがそれは逆効果となった。
また歩いていると今度は転がっている大きな石をひっくり返すタクミ。
現れた湿気の多い土の表面にはミミズのような虫や奇妙な形の蟲達が蠢いている。
タクミは金属光沢を放ち鎌型の腕を持つ蝉の幼虫に似た個体を指で摘まむ。
「フシュッ」
その瞬間タクミの手に液体が噴きつけられた。
慌てて手を引いたタクミは己の手のひらを見る。
手のひらはみるみる赤く腫れ上がった。
『クロガネ、これめっちゃ痒い。触ったらダメ?』
『じっとしてろ』
タクミの手首から手の平にかけて内側から延びた何かによって黒く染まる。
そして一瞬にして腫れが引き黒色の物も手首の方へ引いていく。
『おお!凄い!』
『その虫使えそうだ。噛まずに飲め』
タクミは言われた通り先ほど体液を噴きかけてきた虫を摘まみ飲み込む。
喉を鎌型の腕で引っかかれ痛んだがその痛みは直ぐに引いた。
一方、ミハの精神はマッハで消耗していた。
現代の都会で生まれ育った少女には鬱蒼とした森林を歩く経験などない。
ましてそれが裸足かつ下着も身に着けていない状態など常軌を逸している。
耳元を通る羽虫の精神的嫌悪感を煽る音、時折裸足の足にぶつかってくる何か、そして目の前を歩き奇怪な行動を無限に繰り返している少年。
タクミを視界に入れていないと一瞬の隙に取り残されてしまいそうで怖くなるが、時折見せる生きた虫を口に入れる光景だけは直視できず目を背ける。
「タクミ……。そんなもの口に入れて大丈夫なんですか?」
ミハはなるべくタクミの邪魔にはならないようにしようと静かにしていたが、タクミのあまりな行動の数々につい聞いてしまった。
「ん~。大丈夫じゃない。むしろやばい」
「どうしてそんなことをしてるの?」
一度口に出したら質問は止まらない。
「食べて大丈夫かどうか確かめてる」
タクミの返答にミハの頭は混乱する。
タクミは食して問題ないかを食して確かめていると言ったのだ。
ミハは数日後の自分がこうなってるのかと思うと怖くなって思考を放棄した。
突然、ミハの眼には薄暗い森の奥で赤い光がチカッと点滅したように見えた。
その瞬間、タクミはリュックサックをミハの方へと落とし無言で合図を出す。
”荷物を持ってそこへ隠れろ”と
タクミは両手で骨剣を握り根が張り巡る不安定な足場を意に介さず走り出す。
『赤蜘蛛だ!粉塵を撒け!糸を見ろ!』
『わかった』
タクミは懐から花粉の大量に詰まっている螺旋ぼっくりを指で捻りながら投擲する。
投擲された螺旋ぼっくりは花粉を辺りにまき散らしながら直進していく。
粉塵が張り付き、張り巡らされている糸をタクミは目視した。
タクミはクロガネから赤蜘蛛の生態を事前に聞いていた。
小柄で俊敏な動きと高い視力そして何よりの脅威は……。
タクミは走る足を止めずに落ちている枝を拾い上げ張っている糸に叩きつける。
腕は一切の抵抗なく振り下ろされる。
だが振るわれた枝の上半分が慣性に従い地面に落ちた。
『言ったろ』
『すごい切れ味……』
そう何よりの脅威は生成される糸の異常な切れ味だ。
それを確認したタクミは足を止めず進む。
無数に張り巡らされた糸を回避し骨剣で捻じ曲げ突き進む。
そしてタクミは一際背の高い木に張り浮いているそれを目視した。
それは巨大な八足の蜘蛛だ。
体長一メートル、体高半メートルほど。
体全体に漆黒を基調に赤い模様が走る。
顔には赤く光る眼球が八つ。前に二つある主眼から側面にかけて半サイズほどの複眼が一列に左右三つずつ並んでいる。
さらに特徴的なのはその前脚。
細長い前脚の肘から突き出している部位と先端が平坦に丸く膨らんでいる。
その前足をよく見ると糸を縦に巻き付けチェンソーと糸鋸を融合した様な構造になっているのがわかる。
赤蜘蛛は糸から伝う振動で接近するタクミを早いうちから捕捉しているが未だ微動だにしない。
最初からこちらをじっと見つめている赤蜘蛛を不気味に思いつつタクミは足を動かし続ける。
そしてタクミが眼前に迫る糸を飛び越える瞬間、赤蜘蛛の後ろ脚ががわずかに動く。
タクミが飛び越えようとしている糸がせりあがる。
タクミはそれを骨剣を振り下ろし弾いた。
『危なかった』
『奴の中にも寄生体がいやがるな!?』
今のタクミの情報処理系統は複雑になっている。
主にタクミの制御で身体を動かす。だがそれと同時にタクミの五感から得られる情報をクロガネが独自に演算しその結果次第で体の制御を瞬時に切り替える。
タクミとクロガネの関係だからできる疑似的なマルチタスク。
それ故に不可視の攻撃をクロガネの予測によって凌いだのだ。
タクミは糸を弾いた反動で宙を舞う。
着地する瞬間、タクミは骨剣を地面に突き刺し足を地につけるのを一瞬遅らせた。
タクミの全体重が乗っている骨剣に横から地面の植生を断ち切りながら飛来した糸が断ち切られる。
赤蜘蛛は着地する瞬間のタクミを狙い糸を制御していた。
だがクロガネはそれさえ織り込み済みだ。
飛来した糸が断ち切られたのを骨剣から伝う感覚で認識したタクミは地に足と膝を付け後ろ手で地に突き刺さる骨剣を引き抜く。
突き刺さった物を引き抜く反動と体全体を使ったバネで失った加速を取り戻す。
赤蜘蛛まで残り二十メートル。
三次元全方位から迫りくる斬撃を回避し切り落としながら歩を進め続ける。
残り十五メートル。
前方に立ちふさがるのは二つの木。
間には異常な量の糸が張られている。
背後からは複数の斬撃が迫る。
傍から見れば積みの状況。
だがタクミは止まらない。
骨剣を振り下ろし太い枝を切り落とす。
その枝に架かっていた糸が緩み宙に流れる。
タクミはその僅かな隙間に体をねじ込んだ。
残り十メートル。
走るタクミ。
落ち葉の多い足場。
眼前の赤蜘蛛が量の前足を上に掲げた。
瞬間落ち葉が捲れ上がり、絶死の網が下方からタクミへ迫る。
クロガネはその網を瞬時に観察し最も目の広い箇所を割り出す。
タクミはその箇所を骨剣で更に広げ、できた穴へ飛び込む。
残り五メートル。
タクミは網を潜り抜けた瞬間左手に持っていた臓器袋を赤蜘蛛の顔面目掛け投擲し、走り出す。
赤蜘蛛は振り上げた右前足を振り下ろし投擲さえた臓器袋を切断する。
だが内容物不明の袋を切断したのは悪手であった。
溢れ出す液体。それは慣性に従い赤蜘蛛の顔面に降りかかる。
それはタクミが道中で採取し貯蔵した酸性の虫毒。
それを浴びた赤蜘蛛の過半数の眼球が一時的に機能を停止する。
さらに赤蜘蛛の次への動きが僅かに遅れる。
その隙にタクミは残りの距離を駆け、跳躍する。
響いたのは二つの金属同士が衝突する音。
タクミの左手に逆手で握られた短剣が赤蜘蛛の右前脚を上から押さえつけ、右手に握られた骨剣が赤蜘蛛の左前脚を払い上げる。
視線と視線が交差する。
骨剣は諸刃の剣だ。
返す刀で右手を振り下ろし骨剣の刃が赤蜘蛛に迫る。
骨剣を振り上げ、振り下ろすまでの僅かな時間。
赤蜘蛛の頭が何かを噛みながら高速で振り下ろされる。
突如タクミの視力を以てしてもぎりぎり目視するのが限界の速度で必断の一太刀がタクミの握る骨剣を巻き込みながら骨剣を握る右腕を肩から完全に切断する。
赤蜘蛛が顎で掴んだのは予め上方の枝に巻き付けていた先端に錘のある糸だ。
それは赤蜘蛛に高速で引っ張られることで弧を描き高速でタクミの右腕に叩きつけられた。
赤蜘蛛の糸は切れ味が異常だ。
人間等一切の抵抗なく切断できる。
だが……今回はその長所が決定的な裏目となる。
腕が断たれたほぼ同時、二つの切断面から延びる黒い泥が両断された腕を強引に接着する。
糸に巻き込まれ骨剣は叩き落とされた。
だがタクミの腕は止まらない。
振り下ろされるタクミの腕が赤蜘蛛の腹に接触する瞬間、硬質化した鋭利な黒い泥がタクミの手のひらを貫通し赤蜘蛛の腹を貫通し四つある心臓の一つへ突き刺さる。
赤蜘蛛の体内へ大量の青い液体が流れ込む。
タクミは振り下ろされる赤蜘蛛の左前足を上体を反らし木を蹴ることで回避する。
青毒を流し込めた時間は僅か一秒未満。
だが青毒は赤蜘蛛の血管を駆け巡り全身の赤血球を破壊し尽くす。
血相を変えた赤蜘蛛が木から剥がれ落ちる。地上を十数秒間暴れ藻掻いた後、脚が折りたたまれ完全に停止した。




