(8)貴族令嬢に恋は難しい
◇ ◇ ◇
少しだけ時間をさかのぼり、レイナートたちがいなくなったあとの、エレナとファランクスはというと。
…………がれきの上で転んで動けなくなっているエレナに、ぜいはぁと荒い息のファランクスが懇願する。
「もう………なんでどっか行こうとするんスか!
なにも変なことしないから、頼むからオレの見えるとこにいてください!?」
「だって、……だって」
「あなたに万が一があったら、オレが若とイヅル先輩に怒られるんスよ!?
あの2人がガチで怒ったらどんだけ恐いか!!
何だったら若の初陣の頃からお話ししましょうか!?」
「だって、だって……醜聞になってしまいますわ。
陛下とならともかく、男奴隷と2人きりだなんて」
「貴族めんどくさ!?
……ああいや、大丈夫ッスよ?
いま誰も、貴族社会にそういうの広める人、ここに来てないでしょ?」
ファランクスはエレナのことも、いろいろな人間からうっすら聞いていた。
ベルセルカをライバル視し、“血の結婚式”までは社交界の華と謳われ、ユリウス王子狙いの令嬢の中でもかなり有力な将来の王妃候補と言われていた、と。
それが、レイナートが国王に即位したとたん、今まで見向きもしなかったレイナートに、あらゆる手練手管でぐいぐいアプローチをかけ始めた。と。
めちゃくちゃ欲望に正直なのか、それとも父親や家から期待をかけられているのか、その両方なのか。
しかし、目の前の少女からはそんなパワフルさはあまり感じられない。
「ね、安心して、ね?
あと、カバルスにはもう奴隷いないんスよ。
オレは首に烙印ついてるだけ」
「…………」思い切り警戒の目を向ける、エレナ。
「もう。
そんな恐い顔したら美人さんが台無しですよ?」
ますます恐い顔になるエレナ。
(うん、間違ったな!)
と、内心ファランクスは選んだ言葉を後悔した。
少なくとも彼の基準では美人さんなので、本音をそのまま口にしたつもりだが、貴族令嬢マジわからん。
これは詰んだわ……と思いながら、エレナの前に、ファランクスはしゃがみこむ。
「どうしたら機嫌直してくれます?」
そこでエレナは初めて、ファランクスを真正面から見た。
そのとき少女は、すん、と何故か一瞬においをかいで、あれ?という表情をする。
「どうしたんスか?」
「い、いいえ……」
「えーと。
じゃ、なんか若の話でもします?
こどもの頃のこととか!」
「…………お好きになされば」
「じゃっ」
ファランクスはエレナの横に腰かけた。
「まずは、若が6歳の頃のことなんスけど――――」
◇ ◇ ◇
30分後。
「そ、それで!?
それで、いったい陛下はどうなさったの!?」
食いつきぎみに話を聞いてくるエレナに(早!てか、チョロ!)と内心引くファランクスであった。
「え、えっと。
そこで出てくるのが、若が開発した魔法、〈消火〉。
魔法の炎を無差別に消滅させる、上級魔法っス。
それでユリウス様がぽこぽこ投げてくる炎魔法を片端から消してったんすね。
これが若の対ユリウス王子戦、初勝利でした」
ぱちぱちぱちと拍手するエレナ。
こども同士の魔法戦の話を、なんだか楽しんでいる。
「ユリウス様もやはりお強かったのですね。
そんなこどものような面がおありだとは存じ上げませんでしたわ」
「いやこどもの時の話ッスからね!?」
しかし、成長してからも結構な頻度でユリウスが新規開発の魔法をためしにレイナートにかけてくるので、とうとうレイナートがユリウス王子に対して転移魔法その他いくつかの魔法のプロテクトをかけることになったりしているが。
そこまでは話さないでおこうか、と、ファランクスは判断した。
そもそも彼女は、ユリウス王子に殺されかけたひとりなのだから。ほんの数か月前のこと、恐怖だってまだあるだろう。
まぁいいか。
とにかく機嫌も直ったようだし。
そうファランクスが思い直したとき。
「………ねぇ、陛下はいつも、どのような本をお読みなのかしら?」
と、エレナに問われた。
「うーん。
最近は忙しくてそんな読めてないんじゃないスかねぇ。
物語は小さい頃から好きみたいスけど。
オレら転生者が、それぞれ自分の出身地の物語とかしたりするから」
「お好きな食べ物は?」
「なんだろ。基本好き嫌いないッスよ。
あーでも、なかなか食べられない輸入品とか、変わったものは好きかなぁ」
「なら、お紅茶はお好きかしら?
オストラコン家は、紅茶の輸入を任されていますのよ」
「あ、好きみたいッスよ!
紅茶は焼き菓子につかったりしてるッスから」
「なるほど、紅茶の入った焼き菓子……。陛下はお菓子もお好きで、作らせているのですね。次の贈り物の候補として、料理人に相談してみますわ」
(いや、その陛下本人が作れるって意味なんスけどね?) とはめんどくさいので言わないことにした。ついでに、そこらの料理人では太刀打ちできないぐらいベルセルカも菓子づくりは得意だが……(これも言わなくていいよね?)
「ほか、若のことで、何か聞きたいことあります?」
「………ええと、………そうね………」
しばしためらったあと、エレナは口を開いた。
「時々、陛下から変わったにおいがするときがあるのですけど、どのような香水をお使いなのかしら?」
「……えっと……。
それ、きっと聞かない方がいいやつッスよ?」
「あの。さすがに血のにおいのときはわたくしもわかりますわ。バカにしないでくださる?」
「……うん、ごめんなさい」怒られた。解せぬ。
「で、どんなにおいなんスか?」
「言葉にしがたいのです。
すぐにわかる良いにおいとか、心惹かれるにおいというのではないのです。
でも、肺や胃のなかにしみわたるときに何か太古の昔に還るような懐かしさを覚えて。
気がついたらまた、そのにおいに触れたくなってしまうのですわ。
それが……」
「それが?」
「いま、ほんのり、あなたからもするのですわ」
??????
ファランクスは自分の腕をくんくんと嗅いだ。
「んー。なんスかねぇ。
カバルスはいまの時期オレンジがめっちゃなってますけど」
「オレンジの香りはさすがにわかりましてよ?」
「うん、そうッスよね。
柑橘の香水つけてますもんね」
「…………あら、おわかりでしたの」
「そりゃ、いいにおいしてますもん」
「そ、そう? そうかしら」
うーんうーん、と、しばらく考えたあと、あ、とファランクスは何かに気がついた。
髪を鼻先にもってきて、くんくんと嗅ぐ。
「潮のにおい、かも」
「潮のにおい?」
「あ、はい。
オレ、今日も海に入ってきたから。
若もカバルスに帰ったときにそのにおいがついてんじゃないスかね。時々泳いでるし」
「お、泳ぐとは?
陛下が? あの、絵物語のなかの人魚のように、ですか?」
目を白黒させている。なるほど、貴族令嬢って泳いだことがないだけじゃなく、人間も泳げるってことを知らないのか。面白い。
「人魚と人間は泳ぎ方違うんスけど、まぁ、遠泳できるし潜れますし、人間のなかではかなり泳げる方ッスね、あの人は」
「そうなんですね……」
泳いでいる国王を想像しているのか、頬を両手で挟み、ひとりの世界でうんうんとうなずいているエレナ。
初対面の時よりかわいく見えて、つい、ファランクスは思ったことを口にしてしまった。
「………もしかしてエレナちゃんって、若のこと、本気で好きだったりします?」
(…………あれ?)
化粧をしていてさえ真っ赤になっているのがわかる顔に、あわあわあわと効果音をつけたくなるような表情を浮かべて、エレナは、ファランクスを見た。
「そ、ん、な、わけ、が…………!!!」
あれあれ? と、ファランクスは思う。
うっかりした一言だったが、自分的にはそんなに失言ではなかったつもりなのだ。
曲がりなりにも、エレナはレイナートにアプローチしている。つまり好意を抱かれるために行動している、のである。
そんな人間が、この場で、自分自身のレイナートへの好意を否定する理由が、わからない。
「わ、わた、わたくしが!?
そのような、ふしだらな感情など!
いくら、陛下に命を助けていただいたからといって、そんな、そんな不道徳なことを思ったりなど…!」
「で、でも、若と結婚したいんですよね?」
「あ、あ、当たり前です!!
国王陛下に求婚されるのは貴族の娘として最高の栄誉であり、家のためでもあるのですわ!!
断じて、恋愛感情などという、神がお許しにならない不道徳な動機で陛下に近づいたりなど…!」
(めちゃめちゃ泣きそうな顔で言われても、説得力皆無なんスけど……)
貴族だって結婚前に疑似恋愛的なことをしているようにどうしても見えるけれど、あれは確かに、「相手に恋をさせる」ことで、少しでも自分のスペックよりも有利な結婚をするためのそれだと聞いたことはあった。だけど。
好きでもない相手と栄誉や家の繁栄のために結婚することが『道徳的』で、恋をするのは『不道徳』、とは。
(貴族マジめんどくせぇ!)
と、ファランクスはため息をついた。
その時、遠くから馬のひづめの音が聞こえた。
「イヅル先輩?」
気配でそう察知して――――声をかけた、次の瞬間、違う、と悟った。
目の前に転移してきた、長い青髪の少女は、ファランクスの眼前に剣を振り下ろす。
エレナをかばって動けなかったファランクスはとっさに青髪少女の腹に前蹴りをいれて突き放した。
体格差もおおきく体重差もかなりあったのだろう、少女は蹴り飛ばされ、大きく離れて落ちた。
痛みも、感情も、その顔に浮かべず起き上がる少女。
長い髪に、女としての平均身長程度の体格。
しかし彼女は、イヅル・トマホークと同じ顔をしていた。
「何者だ!?」
ファランクスの誰何に、少女は答えず駆け去る。
走る先には、少女のものらしい馬。
馬の背には……甲冑の女性。
「ベルセルカさま!?」
ファランクスはあわててその馬のもとまで〈転移〉したが一瞬間に合わず……
少女と馬とベルセルカは、鼻先で姿を消した。
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