第8話 伏兵が出るようになったのね
──これは俺のいないところで起きていた話で、あとでセレスから聞いた。
◇
白銀の翼の新しい撮影係はロロといった。
十九歳の加護持ちで、明るくて声が大きく、言われたことをすぐやる。ジークが窓口で一番安い撮影係を頼んだら来たのが彼だった。撮影係なんて誰でも同じだからだ。ジークが「寄れ」と言えば寄り、「引け」と言えば引いたので画面が揺れた。
≫戦神ガルヴァ:揺れる
≫道端の神:酔った。落ちる
≫屋根の神:ロロ、肘
中層十三階で神眼は三千四百柱だった。エドが辞めた日は四千六百だったから二週間で千二百柱が消えたことになる。
ジークは数字を見ない。見るのは配信が終わってからで、終わってから見る数字はいつも昨日より少なかった。
「ロロ。もっと寄れ。俺の剣が小さい」
「はい!」
寄ると盾役の肩が画面に入って、神託欄に「見えん」が並んだ。ロロは慌てて引き、引いたので画面が揺れた。
セレスは列の後ろでそれを見ていた。本は開いていないし、ここ数日は開く気になれない。
伏兵は十三階の中ほどで出た。横穴から来た岩蜥蜴の二匹目だ。
一匹目の首をジークが飛ばした音に紛れて、二匹目が走り出たのを誰も見ていなかった。盾役は一匹目を見ていて、治癒師は盾役を見ていて、ロロはジークの剣を追っていた。
二匹目の顎が、盾役のふくらはぎを噛んだ。
「ぐっ──」
盾役が膝をついた。ジークが振り向いて二の太刀で蜥蜴の頭を割ったが、その前に蜥蜴の尾がジークの鎧の脇腹を叩いていて銀の鎧に浅い傷が走った。
浅いし、たいしたことはない。治癒師が盾役の足を塞ぎ、ジークは鎧の傷を指でなぞって舌打ちをした。それだけのことだ。
それだけのことが、白銀の翼にはこの一年一度もなかった。
神眼は三千四百から三千三百五十に落ちた。噛まれた盾役を見て落ちたのではなく、噛まれる前に画面が盾役の背中を映していて、何が起きたのか神々にも分からなかったからだ。
≫戦神ガルヴァ:ほう。白銀の翼が伏兵に噛まれた
≫屋根の神:珍しい
≫道端の神:盾が噛まれたの初めて見た
そして、しばらく来ていなかった名前が出た。
≫知恵の女神アウラ:あら。ここは伏兵が出るようになったのね
セレスはロロの手首を掴んで板を覗いた。板は配信者と撮影係しか持たないので読みたければ覗くしかない。ロロは「えっ」と言ったが手は引かなかった。
出るようになったというのは、以前は噛まれなかったという意味だ。二週間前まで十二階でも十三階でも、白銀の翼が伏兵に噛まれたことはなかった。階層の選び方がうまいとこの女神は毎日書いていた。
選び方は変えていない。
変わったのは一人だけだ。
◇
地上に戻ったギルドの二階で、ジークは机を叩いた。
「ロロ。お前の画角だ。揺れるから神が酔う。酔うから減る」
「す、すみません」
「前のやつはこんなことはなかった」
ジークは自分が何を言ったのか気づかない顔をしていた。
前のやつと言って名前も言わない。言わないのは思い出すと腹が立つからだろうと、セレスは思った。自分で辞めさせたくせに。
盾役は足を引きずって帰り、治癒師はついていった。斥候は「俺、ちょっと飲んでくる」と言って階段を降りた。残ったのはジークとロロとセレスで、ロロは泣きそうな顔で石を抱えていた。
「ロロ。いいから休みなさい。明日もあるわ」
「……はい」
ロロが出ていくと、セレスは立ち上がった。
「どこへ行く」
「記録室」
「何しに」
「復習」
ギルドの記録室には配信の録りが階層ごとに積んであって、白銀の翼ほどの配信なら一年分が全部残っている。
セレスは二週間前より前の、エドが石を持っていた頃の十二階、十三階、十五階の録りを出して見た。
画面は揺れず、ジークの剣はいつも中央にあって、伏兵は出ない。
一本目を見終えて二本目を出し三本目でセレスは手を止めた。
画面の端だった。
左の隅に一瞬だけ岩の陰から何かの頭が出て、次の瞬間には画面が右へ流れてジークの剣を追った。剣を追っているのだから自然な動きだ。
そして画面が戻ったとき、左の隅の岩の下に何かが動かずに伏せていた。
セレスは巻き戻してもう一度見た。
頭が出て、画面が右へ流れて、戻ると伏せている。三本目だけでそれが四回あった。
セレスは紙を出して一週間分の録りを数え始めた。画面の端に出て画面が流れて、戻ると伏せているものは二十三あった。
同じ一週間にジークが斬った数は十二で盾役と斥候を足しても十六だ。
七つ余る。
誰も斬っていないのに死んでいるものが、一週間に七つある。
「……そういうこと」
彼女は録りを戻して、記録係に聞いた。
「エドガー・ホルストは、今どこの石を持っているか分かる?」
「ホルスト……ああ、白銀の翼にいた無加護の。剣姫のところですよ。ローウェルの娘さんの」
「剣姫。神眼は」
「さあ。先週は三柱とかでしたが」
記録係は窓口の板をめくって、それから少し眉を上げた。
「百十二。あれ。増えてますね」
「三柱から?」
「二週間で。へえ」
二週間で三柱が百十二になった。白銀の翼は同じ二週間で四千六百が三千四百になった。
セレスは礼を言って一階の酒場へ階段を降りた。
二週間前の彼女は、ここの壁一面の大水晶で小さな画面を見た覚えがない。見る価値がなかったからだ。今日は探す必要がなかった。大水晶の隅ではなく目の高さのあたりに赤茶の髪の剣士が映っていた。
画面は揺れず剣はいつも中央にあった。
セレスはしばらく見ている。画面の端に何かが出て、画面が流れて戻るという、あの癖を探したがなかった。
剣は中央にあるまま画面は流れないのに、剣士の後ろでは何も起きない。
癖を直している。直すということは、見ている誰かがいると知っているということだ。それは人間ではない。人間は誰もこの画面の端など見ていない。
「……見つけた」
誰にも聞こえない声で、セレスはそう言った。
◇
これを俺が聞いたのは、ずっとあとのことだ。聞いたときには、彼女はもう俺たちの配信の画面の中にいた。




