第6話 冥府は間違えない
取り立て屋は朝のギルドの前で待っていた。
大柄でも小柄でもない、帳面を小脇に抱えた勘定の得意そうな男で、ティナを見つけると帽子を取って丁寧に頭を下げた。丁寧なのが一番悪い。
「ローウェルのお嬢さん。バルトです。月のご挨拶に」
「……おはようございます」
「今月の利子、銀貨二枚。いただけますか」
ティナは財布を開けて銅貨を数え始めた。百枚で銀貨一枚なので、二百枚を数えるのに彼女の指は長いことかかった。この数日の魔物の素材を全部売った金だということは、見ていれば分かる。
バルトは数え終わるまで待って帳面に書き、それから俺を見た。
「新しい撮影係の方ですか」
「ええ」
「それはよかった。お嬢さんの配信が伸びないと、こちらも困りますので」
困る、の意味を俺は知っている。帳面の男が困るのは担保を取るときだ。
「冬至までに今期分の銀貨六十枚。それが難しいようでしたらお父上の剣をお預かりする約束になっております。どうぞお忘れなく」
「忘れてません」
「結構。では」
バルトは帽子を被って行った。
ティナは財布の口をじっと見ていたが、やがて顔を上げていつもの顔を作った。
「行きましょう! 今日は七階です!」
「その前に。全部でいくらですか」
「……え?」
「借金の全部です。撮影係は映さないものも把握していなければならない」
彼女は少し迷ってから、小さな声で言った。
「銀貨二百四十枚。父さんが装備と配信に注ぎ込んで、神眼四十柱で止まって、そのまま」
「月の利子が二枚。冬至までに六十枚」
「はい。六十枚は元金のぶんで、利子は別です」
「冬至まであと何日ですか」
「九十日くらい」
九十日で六十枚なら、一日に銀貨にして三分の二だ。
彼女の今の稼ぎは、素材を売って一日銅貨五十枚から百枚。百柱を超えればギルドの配信奨励金が一日銀貨一枚つき、百柱ごとに一枚増えるが、最初の一枚は俺の取り分になる。
「あの、エドさん。わたし今気づいたんですけど」
「はい」
「百柱でギルドから銀貨一枚で、エドさんに銀貨一枚で……残らない?」
「二百柱で一枚残ります」
「ひどい!」
「契約です」
ひどくはない。百柱で止まる気はないという意味なのだが、言わなかった。
九十日で六十枚には、百柱でも二百でも足りない。五百柱なら奨励金が五枚で、俺に一枚払っても四枚残るから、そこまで行けば見えてくる。
五百という数字は、四千柱の配信から降りてきた俺には小さく、三柱から上がってきた彼女には空の上の数字だった。
「剣を売れば、いくらになりますか」
「……銀貨八十枚くらいって、バルトさんは」
「売って配信をやめれば、今期は終わります」
「やめません」
即答だった。
「剣姫になるって書いてもらったので。まだなってないので」
理屈にはなっていないが、配信者はこういう理屈で動く。四千柱の連中もそうだった。違うのは、こっちのほうが損をしていることだけだ。
◇
上層七階は灰狼の階で、群れで来る。二匹か三匹を、ティナ一人で相手にするには本当は早い。だが六階の大鼠では神眼は増えても伸びないし、神様は見慣れたものには飽きる。
「配信、始めます」
石が温いというより、熱いに近い。
六十一柱で始まって、迷子の神の「来たぞ」、アウラの「おはよう」、ドゥルの「狼か。いい」と続いたあとに、見慣れない名前が二つ出た。
≫戦神ガルヴァ:ドゥルが面白いと言っていた。剣姫とやら、見せてみろ
≫冥府の神ネル:来た
戦神ガルヴァは、白銀の翼の神託欄でジークが首を飛ばすたびに「いいぞ」と書いていた神様だ。強い者が好きで弱い者には何も書かないから、来たということは噂がそこまで回ったということだ。
冥府の神ネルのほうは知らない。四千柱の板でも、ほとんど書かない神様だった。
狼は三匹で来た。
ティナは一匹目を真正面で受けて首を落とし、横から来た二匹目は、体を回して鼻面を剣の柄で殴ってから斬った。父親の剣は重さがあるので、殴っても壊れない。
いい動きだった。
三匹目は俺の側に来た。
神様には見えないが、獣には俺が見える。俺を餌だと思って跳んできたところを、下から喉を裂いた。画角はティナの剣に合わせてあって、俺のいる場所は画面の外だ。
血の音だけが少し大きかった。
≫戦神ガルヴァ:いいぞ剣姫。殴ってから斬ったな。悪くない。上層で遊んでないで中層へ降りろ
≫雷神ドゥル:だから言っただろう
≫知恵の女神アウラ:二匹とも綺麗に斬ったわ。撮影係も今日は癖が出なかったわね
≫冥府の神ネル:三匹死んだ
手が止まった。今度は、本当に止まった。
≫戦神ガルヴァ:二匹だろう。見ていた
≫冥府の神ネル:三匹死んだ。剣姫は二匹しか斬っていない
≫雷神ドゥル:数え間違いだ
≫冥府の神ネル:冥府は間違えない
冥府は間違えない。
死んだものは全部冥府へ行き、行った数をこの神は数えている。画角の中で死んだか外で死んだかは、冥府には関係がない。石を傾けても背中の陰に隠れても、死んだ数は隠せないのだ。
背中が冷たくなった。四千柱の板を五年持っていて、こんなふうに冷えたことは一度もない。
≫知恵の女神アウラ:……面白いわね
≫迷子の神:ほら。ほら! 言っただろう。勝手に倒れるんだ
≫戦神ガルヴァ:何の話だ
≫知恵の女神アウラ:この配信には剣姫が斬っていない魔物が死ぬ癖があるの
癖、と言った。
知恵の女神は、俺の画角の癖と配信の死に方の癖を、もう並べて見ている。
「エドさん? 石がどうかしました?」
「何でもありません。前を」
「はい!」
ティナは何も知らない。三匹目の狼は彼女から見えない岩の陰で死んでいて、俺はそれを今日は動かさなかった。動かせば映るからだ。
◇
地上に戻ると神眼は八十八で、ティナは「あと十二!」と言って跳ねたが、俺は跳ねなかった。
「明日、百いきますよ。絶対」
「行くでしょうね」
行く。神託欄の騒ぎは呼び水になるもので、今日の騒ぎは「角度!」の比ではなかった。
だから百柱は来る。問題は、百柱の中に何がいるかだ。
画角の癖を覚える知恵の女神と、勝手に倒れる魔物を探す迷子の神と、冥府へ来た数を数える神。
俺は映らない。
だが俺が殺したものは、全部数えられている。




