第5話 噂の撮影係はここか
外套は翌朝洗って返ってきて、石鹸の匂いがした。
胸当てのほうは話が長くなった。
「銅貨三百は俺が立て替えます」
「だめですよ。そんな」
「立て替えです。あげるのではない。百柱を超えた日の銀貨から引く」
「……また百柱ですか」
「また百柱です」
ティナは少し考えて「分かりました。じゃあ早く超えないと」と言った。借金が増えたのに嬉しそうな顔をするのだから、この人は借金の仕方を知らない。父親から借金だけは引き継いだはずなのに。
新しい胸当ては鉄の小札を革に縫いつけたもので、留め紐は革ではなく酸でも溶けない細い鎖にした。溶けないところに金を使うだけで配信者の寿命は延びる。
◇
それから四日で、神眼は十九、二十八、三十一、三十五と伸びた。
跳ねはしないが減らない。配信者にとって一番大事なのは跳ねることではなく減らないことだと、俺は四千柱の板で学んだ。
常連もできた。井戸の神、迷子の神、竈の神、それに名のない三柱目だ。神託欄は毎朝迷子の神の「来たぞ」から始まって、名のない三柱目は相変わらず何も書かない。
三日目に井戸の神が加護を投げた。
≫井戸の神:剣姫、今日もよく走ってる。これをやろう
【加護】井戸の神より「渇かず」
ティナの板が一瞬だけ光って、彼女は走りながら「え?」と言った。
初めての加護で、中身は今日一日喉が渇かないというものだ。
「エドさん、喉が渇きません!」
「よかったですね」
「よかったです! エドさんは? 加護ってどんな感じですか」
「無加護です」
「あ」
彼女は口を押さえてから、真顔で「半分あげます」と言った。
「加護は分けられません」
「じゃあ、わたしが渇かないぶん水筒を全部あげます」
そういう話ではないのだが、水筒は受け取った。
四千柱の加護は剣を軽くし、傷を塞ぎ、足を速くする。井戸の神の加護は喉を潤す。
それでも彼女は迷宮から上がったあとも「渇かない」と何度も言って笑っていた。それを見て俺は白銀の翼の連中が加護を投げられても礼を言わなくなっていたことを思い出した。
四千柱と三十五柱のどちらの配信が正しいのかは知らないが、どちらが見ていて楽しいかは分かってきた気がした。
◇
五日目の上層五階で、ティナが石に「配信、始めます」と言った。いつもの「来たぞ」が流れたすぐあとに、神託欄に見慣れた名前が出た。
見慣れたというのは四千柱の板で毎日見ていたという意味で、三十五柱の板で見る名前ではない。
≫知恵の女神アウラ:噂の撮影係はここか
手が止まりかけたが止めなかったのは癖だ。
知恵の女神アウラは、白銀の翼の神託欄でジークの階層選びを毎日褒めていた神様だ。神々の中でも格の高い一柱で、この神が来るところには他の神が付いてくる。
それが、なぜここに来るのか。
≫迷子の神:来た。ほら言っただろう。ここの撮影係は角度を戻さない
≫知恵の女神アウラ:聞いたわ。神の頼みを聞かない撮影係がいると。見にきたの
≫井戸の神:いらっしゃい
迷子の神だった。
神様の側で何が話されているのか、人間には分からない。だがどうやら迷子の神は「角度!」をあちこちで言いふらしていたらしく、神々の間に噂が回る場所があってそこで知恵の女神が聞きつけたのだろう。
アウラが来たことで誰かが付いてきて、神眼の数字は三十五から四十二になった。そういう神様なのだ。
≫雷神ドゥル:アウラ、何でこんな小さいところにいる
≫知恵の女神アウラ:面白い画角があると聞いて。あなたこそ
≫雷神ドゥル:ふん。向こうは画面が揺れてかなわんからな。見ていると酔う
向こうというのは白銀の翼の配信のことだ。新しい撮影係の画面が揺れている。
ジークの新しい撮影係は、寄れと言われて寄るのだろう。寄れば揺れるし揺れれば神は酔う。
俺は何も思わなかった。思わなかったことにした。
神眼は五十になった。ドゥルも人を連れてくる神様で、短気で口は悪いが神々の間では人気がある。
「エドさん! なんか石が熱いです!」
「数が増えました。前を」
「はい!」
ティナは板を見ない決まりを守っている。五十柱の神々が見ていることも、その中に白銀の翼の常連がいることも知らずに、五階の大鼠を追っている。
その無知が画面の中ではまぶしかった。
石蜘蛛が落ちてきた。
中層の魔物が五階にいるのはおかしいが迷宮ではたまにある。天井の糸が切れて、ティナの右後ろに落ちたのだ。
いつもなら石を剣に合わせて流し、流した反対側で片づけるところだが、今日はアウラがいる。
≫知恵の女神アウラ:この撮影係、画角を右に流す癖があるのね
まだ何も起きていないうちに書かれた。
知恵の女神は迷子の神から聞いた話を全部覚えてきている。「剣は右にあった」と「奥にもう一匹」と、流した先の反対側で何かが起きるという推測。それだけの材料で、画角の癖まで見抜いていた。
流せない。
俺は石を動かさない代わりに自分がティナの背中の真後ろへ動いた。
俺は映らないから陰になる必要はないが、俺が起こすことは映る。蜘蛛が倒れるところがティナの背中の向こうなら、映るのはティナの背中だけだ。
短剣を蜘蛛の腹に入れて糸ごと押さえ、音が出ないように床へ寝かせた。
≫知恵の女神アウラ:今、剣姫の背中の向こうで何かあった?
≫雷神ドゥル:知らん。剣姫、もっと暴れろ
≫迷子の神:あった気がする
≫知恵の女神アウラ:気がする、ね
気がする、で止まった。
アウラがそれ以上書かなかったのが怖い。迷子の神は見たことを書くが、知恵の女神は見たことを覚えて次に備える。
◇
地上に戻ったとき、神眼は六十一だった。
ティナは板を見て数字を二度数え直してから俺の袖を掴んだ。
「六十一! あと三十九で銀貨ですよ!」
「あと三十九です」
「なんでそんなに落ち着いてるんですか!」
落ち着いてはいなかった。板の神託欄の一番下にアウラの一行が残っていたからだ。
≫知恵の女神アウラ:明日も来るわ。撮影係、あなたを見にね
俺は映らない。
その映らない俺を見にくる神様が今日初めて来た。




