第3話 今ゴブリンが勝手に倒れなかったか
ティナの肩の裂け目は縫ってあった。
縫い目は蛇が這ったみたいに曲がっていたが、肌は見えないのでそれでいい。縫い目が映らない側から撮ればいいだけだ。
「おはようございます! 五柱いきましょう!」
「おはようございます。石を」
渡された映し石は白銀の翼のものより一回り小さく、縁が欠けていた。中古だが、映りはする。欠けた縁のせいで画面の右上が少し暗くなるが、右上に映すものを置かなければいいだけだ。俺は石を左手に収めて、手首の板を確かめた。神託欄は空で、神眼の数字は三。
板は配信者と撮影係が一枚ずつ持つ。石が映したものと神託欄と神眼の数字が、この小さな板に出る。神託欄を読めるのは板を持つ配信者と撮影係だけで、酒場の客が見る大水晶には映像しか出ない。人間に見えるのは合わせてもそれだけで、神様の側で何が起きているのかは誰も知らない。
朝の上層の入口には、ほかにも配信者が十組ほどいた。誰も俺たちを見ない。神眼三柱の剣姫と映らない撮影係に、見どころはない。
「ひとつだけ決まりを。戦っている間は板を見ないこと」
「でも神託欄が」
「読むのは俺です。必要なことは声で伝えます。板を見ている配信者は神様から見ると下を向いている人です。下を向いている人は映えない」
「……はい!」
返事はいい。
「配信、始めます」
ティナが石に向かって言った。石が手の中でわずかに温くなったのは、神様が一柱でも見ていれば石は温いからだ。三柱ぶんの温さがどれほどのものか、四千柱に慣れた手では分からなかった。
上層三階は、ゴブリンの階だ。
◇
最初の一匹が出たとき、俺はティナの左斜め前の低い位置にいた。
前の撮影係は後ろから撮っていたのだろう。後ろから撮れば配信者の背中と足元しか映らない。剣士を撮るなら、剣の振り抜きが画面を横切る位置に立つ。神々はそれを見に来ている。
「行きます!」
ティナが踏み込んだ。剣筋は昨日の録りで見たとおり悪くない。父親の剣は刃がよく、ゴブリンの肩から胸までを一息で裂いた。
その刃が松明の光を引く。
画角の真ん中で。
≫井戸の神:お、今日は肘が映ってない
≫迷子の神:剣が見える。剣姫の剣ってこんなにいい剣だったのか
三柱のうち二柱が書いた。
三柱目は何も書かず、名前の欄にも何も出ていない。昨日からずっとそうだったのだろう。
二匹目、三匹目と、ティナは一匹ずつなら危なげがない。問題は横からだった。四匹目が崩れた棚の陰から出てきたとき、彼女は三匹目の返り血を腕で拭っていて見ていなかった。
俺はティナの剣に合わせて石を右へ流した。
剣を追う画角は自然に見えるし、石が右を向いている間は左側が画面の外になる。その間に、俺は棚の陰へ二歩踏み込んだ。
短剣を四匹目の喉に入れて、倒れる向きだけ手でティナの足元へ変えてから石を戻す。
画面の中ではティナが腕を下ろしたところで、その足元に首から血を流したゴブリンが転がっている。
「……あれ?」
ティナが自分の足元を見た。
「わたし、二匹目も斬りました?」
「勢いで」
「勢いで……」
納得したらしい。そういうことで納得する人なのだ。
助かる。助かるが、本人が納得していても神様は納得しない。それが分かっているから、俺の背中は少し冷えていた。
≫迷子の神:今ゴブリンが勝手に倒れなかったか
≫井戸の神:剣姫が斬ったんだろう
≫迷子の神:斬ってない。剣は右にあった
≫井戸の神:じゃあ何だ
≫迷子の神:分からん。もう一回見たい
もう一回は、ない。
迷子の神は見るところを見ている。俺はこの神様を少し見直して、次からはもう少し丁寧にやろうと思った。
神眼の数字が四になって、それから五になった。
≫竈の神:剣姫ってなに
≫迷子の神:見てれば分かる
≫竈の神:ふうん
「ティナさん。五柱です」
「えっ」
振り向きかけた顔を、俺は声で止めた。
「板を見ない。前を」
「はい!」
五柱がどこから来たのかは分からない。神様の側にも、何かを見つけた神様が隣の神様を呼ぶ仕組みがあるのだろう。四千柱の配信では数字が百単位で動くので、一柱増えるのがどれほど嬉しいものかを俺は今日初めて知った。
八匹目を斬ったあと、ティナは肩で息をしながら石のほうを向いて、にっと笑った。
「見ててくださいね。次もちゃんと斬りますから」
≫井戸の神:見てる
≫竈の神:見てる
≫迷子の神:剣姫、汗で前髪が張りついてるぞ
汗なら、品位規定にも俺の規定にも引っかからないので映していい。前髪が張りついた顔が映えることを、彼女は知らずにやっている。知らずにやれるのは才能だ。
◇
三階を回り終えてゴブリンは九匹、うち三匹はティナが数えていない。
地上に戻ると、ティナは真っ先に自分の板を見て、それから声を失った。
「ななひゃく……」
「七柱です」
「七柱! 七柱ですよ! うちの最高は父さんの四十柱で、わたしの最高は今日まで三柱で!」
夕飯の賭けは俺の勝ちだった。彼女が勝手に賭けて勝手に負けたので、俺の懐は痛まない。
それから彼女は腰の財布を開けて、銅貨を二十枚数えた。薄い財布だった。数え終わるまで待って受け取り、自分の財布に入れた。仕事の対価なので、遠慮をすると次から仕事ではなくなる。
「それで、エドさん」
「はい」
「今日のわたし、何か違いました? 自分ではいつもどおりだったんですけど」
いい質問だった。配信者が自分でそれを聞けるなら見込みがある。
「剣が映っていました。今までは映っていなかった。それだけです」
「それだけで四柱も?」
「神様は剣を見に来るんです。剣姫の配信なら」
嘘は言っていない。四柱のうち何柱が剣を見に来て、何柱が「勝手に倒れたゴブリン」を見に来たのかは、言わなかっただけだ。
ティナは自分の剣を鞘ごと抱えて、一度黙ってから顔を上げた。
「明日は十柱です!」
「俺は百柱の話をしています」
「ひゃ、百柱はその、順番に」
順番にというのなら、それでいい。
俺は板をもう一度見た。神眼は七で、神託欄の最後は迷子の神の「明日も来る」だった。
そして三柱目。
今日一度も何も書かなかったその一柱は、最初から最後までずっと見ていた。




