第27話 立てますか
水は膝まで来ていた。
通路は下っていて下るほど水が深く冷たくなる。井戸の神の言った底が、この先にある。
黒いものが四匹来て俺の横を通ってティナとセレスとオルドへ向かい、俺の横で四匹とも死んだ。狙われない者が狙われる者の前に立っていればいいだけのことで、四秒だった。
「エドさんが四匹。全部です。わたしたちは誰も怪我してません」
ティナは歩きながら石に言った。剣は重いはずなのに声は重くなかった。
◇
通路が広がって天井の高い水の広間に出た。壁の一面に、水面から人の背丈ほど上がった岩棚がある。
岩棚の上に松明一本の光があって、人の形が五つあった。
「見つけました。白銀の翼です。岩棚の上に五人。……ロロさんが、石を抱えてます」
石に言うティナの声が、少し震えていた。
「先輩……?」
ロロの声だった。
黒い石を胸に抱えていて、三日、捨てなかったのだ。
「よくやった」
「十七階の階段で、ジークさんが足を……。黒いのが来て、盾が割れて、ここまで上がって。三日です。石は黒いままで。先輩が捨てるなって言ったから」
「言った」
言ったのは俺で、三日、十九の子に黒い石を抱えさせた言葉だ。
それだけ言って岩棚に上がった。
盾役の盾は割れて半分になっていた。治癒師は両手を膝に置いて何もできない顔をしていて、加護が消えた治癒師はただの疲れた人間だ。斥候は短刀を抜いたまま岩棚の端に座って、三日見ていた顔で水を見ていた。
そして、ジークがいた。
岩棚の奥で壁に背を預けて座っていて、右の足が膝の下で曲がってはいけない方向に曲がっている。顔は白く、乾いた汗の上にまた汗が出ている。
門の前の一人はこの男だった。
セレスが先に屈んで足を見た。
「折れてるわね。綺麗に。……よかったわ、綺麗で」
俺はその前に立った。
手にある短剣は黒いものの水で濡れている。隠さないし隠す場所もない。
ジークは顔を上げて俺を見て、短剣とその濡れを見てから、もう一度俺を見た。
「立てますか」
俺が言ったのは三柱の剣姫に蜥蜴の前で言ったのと同じ言葉だった。
ジークは長いこと黙っていた。
熱で霞んだ目がそれでも何かを数えているのが分かった。伏兵の出なかった五年と、出るようになった三週間と、線を映した日に「見てろ」と言ったことの、五年分の何かを。
「……お前が」
「俺です」
「やっぱりお前が」
「ええ」
それだけだった。
ジークは岩棚の天井を見て息を吐くと、笑った。顔の形がそうなったので、笑ったのだと思う。
「誰でも同じだと、言った」
「言いました」
「……違ったな」
「ええ」
違った。それを言わせるために俺はここまで来たのではない。来たのは門の前の一人を門から引き戻すためだが、言われて五年分の何かがいくらか軽くなった。
軽くなったことを認めることにした。
「……剣姫の数字は。入ったときの」
「七千二百」
「七千」
この男は門の前でも数字を聞くのだから、いくらか安心した。五年見てきた男がまだそこにいる。
「置いていけ」
ジークが言った。
「足が折れてる。水の中を担いで戻れる距離じゃない。俺が選ばれて、俺が降りて、俺が折った。置いていけ」
選ばれて降りて何も持ち帰れなかった、神殿に選ばれた男の意地の、残りの分だった。
答えたのは俺ではなかった。
「置いていきません」
黒い石を胸に岩棚の端に立って、ティナがジークを見下ろしている。
「わたしの配信で助けるって神様に言ったので。白銀の翼を連れて戻るって。……言ったことはやります」
言ったことはやるというのは、二日前の階段でセレスが言ったのと同じ理屈だ。
「ジーク。黙って担がれなさい」
セレスが鉄を巻いた杖を岩棚に突いた。
「あなたは線の前で『戻る』と言ったわ。初めて言ったことは、やるものよ。自分でやれないならわたしたちがやる」
岩棚の端でオルドが帳面を閉じた。
「神殿が選んだ方です。……選び方を、間違えました」
誰に向けた言葉かは分からなかった。ジークは聞こえなかった顔をしたが、聞こえていたと思う。
ジークはセレスを見て、ティナを見て最後に俺を見てから目を閉じた。閉じたまま言った。
「……ロロ」
「は、はい」
「石を、離すな」
ロロは石を抱え直して、三日ぶんをまとめて泣いた。
それは「寄れ」でも「引け」でもない、この男がロロに向かって言った、石に関する初めてのまともな言葉だ。
◇
オルドの包帯とセレスの鉄を巻いた杖を添え木にして、足を縛った。セレスは何も言わずに杖を渡した。殴るつもりで持ってきた杖が添え木になった。
加護がなくても手は覚えているので、治癒師が縛るのを手伝っている。
盾役は割れた盾を背負い直して、斥候は三日見ていた水から目を離し、岩棚の端から立ち上がった。
「白銀の翼、五人見つけました。全員生きてます。ジークさんは足を折ってます。ロロさんは石を離しませんでした。……帰ります」
ティナが石に言うあいだに、俺は数えた。
ジークを担ぐのは盾役と斥候で、治癒師が足を支え、ロロは石を持つ。横穴では、腕の折れた男と歩ける者が一人とミラの、ミラの組の三人を拾う。
俺たちが四人と白銀が五人とミラの組が三人で、十二人だ。
狙われる者が十一人。狙われない者が一人。
水の広間の奥から水の音がした。
二つでも四つでもなかったので、数えるのをやめた。数える神はここにはいない。
俺が斬れる数に上限があるのかどうか、試したことはなかったが、今日、試す。
「ティナさん。石に言ってください。今から戻ると」
「はい」
「それから俺のことは見たとおりに言ってください。全部」
「……はい!」
隠さない。線のこちら側でも向こう側でも、もう隠すものはなかった。あるのは十一人とその後ろの水の音だけだった。




