第26話 エドが斬った
──これは俺たちが線の向こうにいる間に、線のこちらで起きていたことで、あとで神殿の写しで読んだ。読んだのは三日後で、読んで俺は少しの間、字が読めなくなった。
≫雷神ドゥル:黒い。剣姫の石が黒くなった
≫戦神ガルヴァ:越えたな
≫知恵の女神アウラ:四人とも。エドもたぶん
≫冥府の神ネル:四人。生きている。白銀の五人も
黒い画面を七千二百柱が見ていた。
何も映らずに神託欄だけが流れていて、流れても線の向こうには届かないと神々も知っているのに、それでも書いていた。
そこへ声が来た。
──見えないと思うので、わたしが言います。
≫雷神ドゥル:!?
≫迷子の神:聞こえた! 剣姫の声だ!
≫知恵の女神アウラ:……声は通るのね。石が黒くても
≫井戸の神:剣姫。聞こえてる。聞こえてるぞ
七千二百柱の神々が、書いても向こうには届かないと知っていて、黒い画面に向かって「聞こえている」と書いた。
──今、十六階の線を越えました。中は暗いけど普通の通路です。水が張ってます。エドさんが前にいます。わたしは剣が重くて一回転びました。……でも立ちました。立ってます。
≫戦神ガルヴァ:立て。立っていろ
≫豊穣の女神メルティア:……立ちましたね。偉いこと
少ししてまた声が来た。
──エドさんが今、三匹倒しました。右と左と正面で。四つ数える間に。見えないと思うので言います。エドさんは速いです。
神託欄が一度止まって、五年誰も書かなかった一行を、冥府の神が書いた。
≫冥府の神ネル:三匹死んだ。エドが斬った
エドが斬った。冥府は斬り手を知っている。
四匹死んだ。誰も斬っていない。初めて来た日から、この神は「誰も斬っていない」と書いてきた。名前を知らない者の名前は書けないので、書けなかったのだ。
名前が出た。だから書いた。
≫知恵の女神アウラ:ネル。あなたはずっと知ってたのね
≫冥府の神ネル:知っていた。名前がなかった
≫迷子の神:ほら!!! 三柱のときから!!! 言った!!!
≫雷神ドゥル:エドが斬った。エドが斬った。黒い中で
≫戦神ガルヴァ:見えん。見えんのに一番いいところだ
神眼が回って、七千二百が八千になった。見えない配信を声と数だけで見るために、黒い画面に神が集まっている。
◇
──線のこちらの話はここまでで、向こうではこうだった。
水を蹴る音は二つだった。
闇の奥から来たのは、岩蜥蜴ではなかった。鱗ではなく濡れた石のような黒い肌で、目がなく目のあるべき場所がただ平らになっていて、大きさは犬ほどだ。
二匹が水の上を這うように真っ直ぐティナへ来た。
俺の横を通り過ぎた。魔物には俺が見えるはずなのに、この二匹は俺を見なかった。目がないからではなく、俺がこの二匹にとって何でもないからだ。
「ティナさん。下がって」
剣が重くても足は動くので、ティナは下がった。
一匹目が跳んだ先に俺が入って、短剣を腹に入れると、血ではなく冷たい水が出た。二匹目は死んだ一匹目を越えて、俺を越えてまだティナへ向かった。首を落とした。
斬ったのは二つだ。
「……今のは何?」
セレスが杖の鉄を構えたまま言った。
「分かりません。目がない。俺を見なかった。ティナさんとあなたしか見ていなかった」
「加護持ちを?」
「加護は消えているはずです」
「消えていても器は残るのかしら」
器というのは、加護を受ける人間の側の何かだ。線の向こうで加護が消えても、加護を受けていた体は残っていて、この二匹はそれを嗅いでいる。
俺にはそれがなく、十五のときに石の前で分かったことが、ここでは逆に効いた。
「エドさんが二匹倒しました。黒くて目がない魔物です。わたしのほうに来ました。エドさんのほうには行きませんでした。……見えないと思うので言います。エドさんはここでは誰にも見られないんじゃなくて、誰にも狙われないみたいです」
ティナが石に言ったのは、俺の説明より分かりやすかった。
◇
通路の先の横穴に、松明ではない光があった。消えかけの火の燠を、誰かが守っている。
俺が先に入ると、三人が濡れた床に座って壁に背を預けていた。腕の折れた男と、目を閉じて息だけしている男と、もう一人だ。
赤茶ではない黒い短い髪の若い女で、石を、黒い石を腰にくくりつけたままだった。
「……剣姫?」
ティナが俺の横をすり抜けた。
「ミラさん!」
「なんであんたが」
「来ました。……水筒を返しに」
ティナは腰の水筒を外して差し出した。ミラが三柱のティナに貸して、ティナが返しそびれたまま「渇かず」の日に俺にくれて、俺が次の日に彼女の腰へ戻した水筒だ。
ミラはそれを見て受け取ると、声は出さずに泣いた。泣いている間、ティナは黒い石に向かって言った。
「ミラさんがいました。生きてます。三人です。……一人はいませんでした」
いなかったのは、ネルが書いた一人で、ミラの組の四人目だ。
オルドは折れた腕の男のそばに屈むと、帳面を閉じて懐から包帯を出した。神殿の人間が包帯を持ち歩くことを、俺は知らなかったのだ。
「神殿は、本当はこういうことのためにあるはずでした」
巻きながら、誰にともなく言った。
ミラは水筒から口を離して、俺を見た。
「……あんたが、無口の撮影係?」
「ええ」
「無口じゃないじゃん。今しゃべった」
「必要なときは」
「白銀の翼は」
俺が聞くと、ミラは奥を指した。
「もっと下。水の深いほう。……あいつら通り過ぎてった。あたしたちを見つけたのに助けないで下へ」
ジークは神殿に選ばれた顔で線の向こうへ降りて、降りた先で三人を見つけても通り過ぎた。依頼は救助ではなく、調査だからだ。
ティナは何かを噛み殺した顔をして、噛み殺してから石に言った。
「白銀の翼はもっと下です。わたしたちは行きます」
「ミラさんたちはここで。燠を絶やさないで。戻りに拾います」
俺が言うと、ミラは水筒を抱えたままうなずいた。
闇の奥で水の音がまた聞こえたが、今度は二つではなかった。




