第24話 隠してるの、もう誰も信じてないです
二日目の朝、線は七歩動いていた。
オルドの石灰の印が三つ並んでいて、一つ目から三つ目まで俺の足で十歩ある。黒い場所は夜のあいだに速くなったのだ。
≫冥府の神ネル:五人。生きている
≫冥府の神ネル:一人、門の前にいる
門の前というのは、冥府の門だ。まだ入ってはいないが、前にいる。五人のうちの誰かが、今、入るか戻るかの境に立っている。
この神は死んだ者を数える。数えるのは人だけではないはずだが人の話しか書かず、数える前の者のことを書いたのは、これが初めてだった。
≫雷神ドゥル:誰だ
≫冥府の神ネル:書かない
≫知恵の女神アウラ:……書かないのね。配信者が泣くから
◇
ギルドの二階に、ギルドの長と神殿の白い服が三人と、配信者の組の頭が十人ほど集まっていた。神眼五千九百はこの街で一番大きい数字なので、ティナも呼ばれた。
話は短かった。誰も行けない。
加護持ちは線の向こうで加護を失うし、加護を失った配信者は三柱のときより弱い。三柱のときには少なくとも三柱の加護があったからだ。
無加護は、規則で撮影係としてしか迷宮に入れない。だから俺は剣姫の撮影係として登録されたまま、石を持たない撮影係として行く。規則の紙には撮影係と書いてあるのだから、それでいい。
「十六階の先に、わたしの知ってる人がいます」
ティナが言うと、ギルドの長は彼女を見て、それから部屋の全員を見た。
「ここにいる全員に、知っている人がいる。ローウェルさん」
それで終わった。
神殿の白い服のうち二人が何も言わなかったのが答えだと、全員が分かっていた。閉じるまで待って、半数が戻らないという、百年前の答えだ。
「ホルスト殿」
部屋を出たところの、誰もいない廊下の端で、オルドが俺を呼んだ。
「あなたなら」
それだけだったが、言われると分かっていた。
「俺が行けば俺が何者かが全部出ます。神殿の記録にも、神託欄にも、大水晶にも」
「出ます」
「神殿はそれでいいんですか」
「神殿は百年前と同じ答えを出したくない。少なくともわたしは」
神殿ではなくこの男が「わたしは」と言った。
「教義の穴は」
「穴はあとで考えます。人が戻ってから」
◇
ティナは二階の部屋に残っていて、俺が戻ると立ち上がって何も聞かずに言った。
「行きますよね」
「行きます」
「わたしの配信で行きます」
「あなたは加護持ちだ。線の向こうでは三柱のときより弱い」
「三柱のときわたし一人でゴブリンを追い回してました。足元しか映らない石を腰に着けて」
それはそうだった。
「それにエドさんの声は配信に乗りません。わたしが行かないと神様に何も伝わらない。黒い画面のままわたしが言います。見えないなら言います」
見えないなら、言う。この人は三柱のときからそうで、「見ててくださいね」と石に言う人だ。石が黒くても言うだろう。
「わたしも行くわ」
戸口にセレスが立っていた。
「氷は出ないでしょうけど、杖は殴れる。それにあの人たちは一応うちの組よ」
「ジークを」
「ジークも。ロロも。盾も治癒師も斥候も。全員」
「出ないと分かっていて」
「出ないと分かっているから、杖を鉄で巻いてきたわ」
黒い外套の人が黒い場所へ行くと言って、その杖の先には本当に鉄が巻いてあった。
「条件が一つあります」
俺は二人に言った。
「線の向こうでは隠さない」
五年隠してきたものを全部出して、石を持たずに短剣を持つ。画角の外も、背中の陰も、首から上の画角もなく、あるのは俺が斬るところを二人が見ることだけだ。
ティナは俺を見てから、小さく笑った。
「隠してるの、もう誰も信じてないです」
そう言われた。
迷子の神は三柱のときから言っているし、ティナは「見てません」と嘘をついた。誰も信じていないのに、誰も言わずに見ていたのだ。
信じていないものを、俺は五年隠していた。
「……そうですね」
それだけ言った。
◇
その日の配信は上層三階で、予告のためだけの一時間だった。明日のために体を休めるので、長くやる理由はない。
終わりにティナは石に向かって言った。
「明日、わたしの配信は十六階の先に行きます。石が黒くなっても止めません。白銀の翼を連れて戻ります。……聞いててください」
≫雷神ドゥル:行くな。行くな剣姫
≫戦神ガルヴァ:行け。見えなくても聞く
≫迷子の神:三柱のときから見てた。黒くても見てる
≫井戸の神:水筒を持っていけ
≫知恵の女神アウラ:……行くのね。エドも一緒に?
≫豊穣の女神メルティア:エドさんが一緒なら。わたくしはそう思います
神眼が回って、六千、六千五百、七千になった。見えない配信を見るために、神が集まっている。
◇
夜、宿にバルトが帳面を持たずに来た。
「担保の件ですが」
「死にません」
「……利子はお戻りになるまで止めておきます。帳面にはそう書きました」
頭を下げて、帰っていった。帳面の男が帳面に書いていないことを初めて言いに来たのだ。
そのあとでオルドが来た。
「わたしも行きます」
「あなたは加護持ちだ」
「薄い加護です。失っても大して変わらない。人の目が要るでしょう。神殿の目が」
この男は俺が何をするかを自分の目で見て、線の向こうで何が起きたかを神殿に持ち帰るつもりだ。
それでいい。隠さないと決めたのだから、見る者は多いほうがいい。
ロロは今も黒い石を抱えているだろう。捨てるなと言ったのは、俺だ。
◇
俺は寝台に腰かけて、短剣を研いだ。
研ぐ音は撮影係の音ではないので、五年、研ぐところを誰にも見せなかった。今夜はティナが向かいの寝台に座って見ていた。
「研ぐの、上手ですね」
「五年やっています」
「見たの、初めてです」
「見せたのが初めてです」
それきり研ぎ終わるまで彼女は口を開かなかった。
研ぎ終わって鞘に収めて顔を上げると、彼女はまだ見ている。
「明日、隠さない」
俺が言うと彼女はうなずいた。
「見てます。……今度は目をつぶりません」




