第23話 線
白銀の翼が降りる朝、俺たちは十五階にいた。
入らずに見るだけだ。ギルドの立入禁止の縄は十六階へ降りる階段の下に張ってあって、縄の手前までは誰でも行ける。
オルドも白い服で帳面を持って、俺の石の横に来た。セレスは縄の手前で杖を床に突いて何も言わず、黒い外套が線の黒に似ていた。
「配信、始めます」
ティナの石が熱くなって、神眼は五千四百だった。
今日は剣を抜かない。石は階段の下を映している。縄と、その先の暗い通路と、通路の途中の──線だ。
線は見れば分かった。
暗い岩が続いて、ある場所から暗いのではなく黒くなる。松明の光はそこで終わるが、光が届かないのではなく、光がそこから先を照らすことをやめている。
≫雷神ドゥル:見えた。黒い
≫知恵の女神アウラ:線ね。本当に線になっているわ
≫戦神ガルヴァ:その先はどうなっている
≫知恵の女神アウラ:分からない。わたしたちの目はあの線で止まる
神様が自分の目の端を見ている。
四千柱の板でこんな画は一度も映したことがない。映したいものを映すのが撮影係なのに、今日は映せないものの手前を映している。
「見えないところに行く人たちを、見えるところまで映します」
ティナが石に言った。
≫井戸の神:頼む
階段を白銀の翼が降りてきた。
ジーク、盾役、治癒師、斥候、そして石を抱えたロロで、セレスの抜けた白銀の翼は四人と一人だ。
ジークは俺たちの横を通るとき声をかけなかったが、昨日「見てろ」と言ったので今日は言うことがないのだろう。
ロロが俺を見たので、俺はうなずいた。それだけだ。
縄をくぐって通路を進む。
加護持ちは映るので、ティナの石は彼らを映していた。四人の背中とロロの石が、画面の中を線に向かって歩いていく。
≫迷子の神:白銀の翼が線に行く
≫井戸の神:行くな
≫豊穣の女神メルティア:……
≫冥府の神ネル:五人。生きている
ジークが線の手前で止まった。
加護が薄くなるのを感じているのだろう、背中が一瞬だけ小さく見えた。それから踏み越えた。
画面の中でジークの背中が黒に入り、入った瞬間になくなった。暗くなったのではなく、そこから先にジークがいない。
盾役、治癒師、斥候と続いた。ロロ。石を抱えた背中が線を越えて消えた。
≫雷神ドゥル:消えた
≫戦神ガルヴァ:白銀の翼が黒に入った。見えん
≫知恵の女神アウラ:……わたしたちの目はここまで
神託欄が静かになった。
五千四百柱が黒い線を見ていて、線の向こうに五人いることを知っているのに、五人のどれも見えない。
◇
一時間たっても何も起きず、線は線のままだった。
ティナは石の横に座って線を見ていて、俺は石を線に向けたまま動かさなかった。動かす理由がない。
オルドは帳面に何かを書き終えて閉じると、縄の杭のそばに屈んで、線のある場所の床に白い石灰で印を付けた。
「何を」
「測っています。線が動くかどうか」
「動くんですか」
「百年前は動いたと」
黒い場所がこちらへ来るということだ。
「ホルスト殿。あなたなら、越えても何も変わらないのでしょうね」
「分かりません。越えたことがない」
「神殿は、変わらないと考えています」
考えているからには、百年前の帳面に何か書いてあるのだろう。この男は言わない。
≫冥府の神ネル:五人。生きている
ネルは頼まれてもいないのに、同じ一行を一時間ごとに書いた。この神が同じことを二度書くのを、俺は初めて見た。
その間にティナは三柱と八柱が隣に並んでいたことや、水筒を貸してくれて返しそびれたままだったことを、石に向かって話した。ミラの話だ。神々は黙って聞いていて、井戸の神だけが「覚えた」と書いた。
神々はネルの一行のたびに静かになり、それから小さくざわついて、また静かになった。
二時間がたった。
≫冥府の神ネル:人間が一人死んだ
ティナが立ち上がった。
≫冥府の神ネル:白銀の翼の者ではない。五人は生きている
先に入った三組の誰かだ。
ティナは石を見て口を開けて閉じたが、ミラという名前は言わなかった。言えば本当になる気がしたのだろう。
ネルは名前を書かない。書かないのは知らないからではなく、冥府に来た者の名前を知っていて、書けば配信者が泣くから書かないのだと思う。
この神は礼には答えないが、泣かせもしない。
「エドさん」
「行きません」
「まだ何も言ってません」
「顔が言っています」
ティナは何も言わない代わりに、俺の袖を掴んで離さなかった。
◇
夕方になって線は動いた。
オルドが石灰の印の横に屈んでもう一つ印を付けると、二つの印の間は俺の足で三歩ある。
「三歩。半日で」
「こちらへ?」
「こちらへ」
黒い場所が三歩こちらへ来て、十六階の通路が三歩短くなった。この速さなら十五階や十四階や中層の入口まで来るのに何日かかるのか。
上層まで来ればこの都市の配信は全部黒くなる。
神様が見られず加護の降らない都市になる。神殿が百年前に見たのが、それだ。
≫井戸の神:水が上がってきている。底が近い
≫冥府の神ネル:五人。生きている
日が暮れても白銀の翼は戻らなかった。
俺たちは十五階を上がった。ティナは三度振り向いたが、三度とも線は線のままだ。一度も振り向かなかったセレスが、階段の上で一言だけ言った。
「ジークは戻るわ。あの人が戻ると言ったのは初めてよ。初めて言ったことは、やるものよ。たぶん」
セレスの理屈はいつも結論が先にあって、筋はあとから付いてくる。それでも聞いて、少し息がしやすくなった。
地上に出ると大水晶の前に人が集まっていて、黒い線に白銀の翼の背中が消えていく昼の録りが流れていた。加護の奇跡を叫んだ連中も今日は何も言わず、酒場は静かだ。
宿に戻って板を見ると、神眼は五千九百だった。黒い線を映しただけの一日で、五百増えた。
増えた分の神々は今、誰も見ていない線の向こうのことを、ネルの一行だけで追っている。
俺も同じで、これまで一度も読みたくなかった神の一行を、今は一時間ごとに待っていた。




